愛されない令嬢が時間を巻き戻して復讐したら、今度は全員が彼女に跪く世界に

タマ マコト

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第7話 禁書の館

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 夜明け前の王都は、音が薄い。人が動く前の一枚皮。私はその皮をそっと持ち上げるみたいに、王立図書塔の裏手に立った。正面から入ってもよかったけど、今日は“研究者用搬入口”。理由は単純、目立たないから。

「おはよう、フロレンス」

 杖の音が一回。「お嬢様、時刻が早い」

「早く終わらせたいから。例の箱は?」

「閲覧許可、監督付き。記録は私が持つ。――禁書庫へは入れない。代わりに“写し部屋”で」

「それでいい」

 “禁書の館”は、扉の向こう側にしかないと思われがちだけど、本当はこの“写し部屋”の静けさにも棲んでいる。原本に触らず、必要最小限だけ目の前へ呼び出す。影のような二次情報。でも、今の私にはそれで十分だった。必要なのは“概念の骨格”。肉付けは自分の体でやる。

 フロレンスが古鍵を回す。冷たい空気。乾いた紙の匂い。硝子越しに置かれた冊子の背に手をかざす。母の筆跡で余白に書かれた注釈の写しが、最上段の箱に眠っていた。

「母さん、見てるなら笑わないでね。危ない橋は、ちゃんと板を増やしてから渡る」

 私は自分に言い聞かせるように小さく呟き、机を整える。金線、ガラス管、薄い羊皮紙、そしていつもの“器”。書見台には、三冊。『情動論拾遺』『魔力回路工学入門(禁補)』『安全域の決め方(内部資料)』。最後のは魔導師団の若手向け安全読本の写しだ。皮肉っぽい題名のくせに中身は堅実で、今日はこれが命綱。

「ジェイルは?」

「程なく」

 扉がノックされ、痩せた指の青年が入ってくる。ジェイル・オルド。目の奥に不眠の色、でもその下で火が消えていない。

「お呼びでしたか、セレナ様」

「貸すのは名前じゃないよ、頭。今日は“変換術式”の骨組みを完成させる。手伝って」

「光栄です。……ただ、これは本当にやるんですか。禁書タグが付いている理論は、たいてい『人を焼く』から禁じられてる」

「だから、焼かないやり方に変える。三つ約束。第一に強度を欲張らない。第二に、常に逃げ道(バイパス)を用意する。第三に、私以外を触媒にしない」

「……了解しました」

 彼の返事は軽くなかった。そこがいい。軽い「了解」は、危険なときほど役に立たない。

 午前。私たちはまず言葉を揃えた。怒り=熱、悲しみ=湿、恐れ=圧。ここまでは比喩。ここから先が工学。

「呼吸で入口を三つに分ける。上気道は“熱”、胸腔の振幅は“湿”、腹の押し下げが“圧”。それぞれセンサーを置く。センサーは……ここ」

 私は自分の鎖骨の端、みぞおち、へその下を軽く押す。ジェイルがうなずき、紙に記号を置く。

「金線を導体、皮膚を絶縁、呼気を触媒。上手くいけば混ざらないで並ぶ。混ざると暴走する」

「だから、バイパス。弁を三つ作って、同時に閉じないようにする。――“同時に”が一番危ない」

 フロレンスが黙って茶を置く。手の動きがいつもより遅い。彼も緊張しているのだろう。私もだ。

「やるよ」

 ガラス管を“器”に接続し、金線を指に巻く。吸う、止める、吐く――簡単な呼吸の中に、微細な角度を差し込む。怒り、悲しみ、恐れ。それぞれを一滴。混ぜずに、並べる。指先に温度が乗り、ガラス管の中で淡い光が重なる。まだ弱い。ただ、前より整っている。整っているなら、上げられる。

「ここで止めるか?」とジェイル。

「上げる。――が、上げ幅は一段だけ」

 私は弁を一つ、半分だけ締める。もう一つを四分の一だけ緩める。呼吸が、踏切のように“カチン”と切り替わる。光が細く鋭くなる。紙の端が微かに揺れ、蝋がにじむ。

「成功です!」

「まだ“仮止め”。――安全域、確認」

 私は背筋を一度、意図的に崩してみる。途端に光がしぼみ、指先の温が逃げる。よし、逃げ道が効いてる。自動遮断も機能。暴走なら、ここで壊れている。

「次。外部作用。何で試す?」

「火は危ない。音にしましょう。室内結界、ノイズ抑制」

「賛成。音なら『失敗しても、うるさい』で済む」

 私は机の上で指を鳴らす。パチン。その瞬間、指先の“熱”を極小、胸の“湿”を中、腹の“圧”を小に振り分け、金線を軽く引く。見えない膜がふっと張って、部屋の空気が一段低くなる。外の廊下の靴音が、壁の向こうに沈んだ。

「……聞こえにくい」

「音の結界、仮版。持続は?」

「三十秒……四十……はい、途切れた」

 ジェイルが目を輝かせる。「十分です。理論上いける。あとは持続時間を延ばしながら、負荷のバランスを――」

「いや、延ばさない」

「え?」

「今は“短く、確実に”が欲しい。劇で使う効果音みたいに。長い結界は“見つかる”。短い音は“通り過ぎる”」

 ジェイルは一瞬驚いて、すぐ笑った。「実戦だ」

「そう、今日は学者じゃなくて演出家でいく」

 昼。塔の窓から見える空が澄みすぎて、焦げ目がほしいくらいだ。私は手早く菓子をかじって、次の工程へ。今度は“映す”。光を派手にする気はない。必要なのは“嘘を壊さず、都合の悪い真実だけ見せる”映像。簡単に言うと“スポットライト”。

「視覚化の図、王妃用のを改造する。視線を誘導するための“微光”」

 ジェイルが眉を上げる。「それ、術式でやれる?」

「術式で全部やらない。人間の目は、ちょっとした明暗差で勝手に流れる。微光を点ける時間と場所を、私が決める。――つまり、照明係」

 紙の上の線を追うように、私はガラス管の先を空中に向ける。怒りを細い糸、悲しみを微かな霧、恐れを点の圧――三つを束ねて、ほんの一瞬だけ、壁に淡い“白”を載せる。見えるか見えないかのきわ。人の目が反射的にそこへ滑る色。すぐ消す。

「今の、見えました?」

「……見えた。いや、“視線が勝手に行った”。やれる」

「タイミングと距離は要調整。けど、舞台に間に合う」

「舞台?」

「次の夜会。あの“失笑の女”にスポットを当てる」

 ジェイルは息を呑む。「危険だ」

「大丈夫。彼女自身の“自慢話”に光を当てるだけ。真実は彼女の口から出る。私は照明を動かす」

 そこへ、ノック。来訪者。フロレンスが扉を半分だけ開けた。「騎士殿だ」

「開けて」

 カイルが入ってくる。彼は部屋を一瞥し、ガラス管、金線、私の指の巻き方を一瞬で記憶するみたいに目を動かした。

「……安全か」

「安全寄りに組んでる。結果は“短い音”。長い音はまだ無理」

「無理のままでいろ」

「努力する」

 私とカイルのやりとりに、ジェイルが微妙に居心地悪そうに立っている。私は紹介する。「ジェイル・オルド。研究の協力者。きちんと“安全読本”から入ってる」

「ハーランド。王宮護衛。規則違反を見逃すのが仕事じゃない」

「見逃させないから、監督に来て」

 彼はほんの少し目を伏せ、頷いた。「夜会で、何をする」

「照明。嘘を照らすと壊れるから、嘘の外縁だけ」

「比喩はやめろ」

「微弱な光を一点に出す。視線を誘導する。口が滑る場所を作る」

「それなら、俺が人を動かす」

「お願い。私だけだと“魔法のせい”にされる」

 言い終えると、背中に汗が滲んだ。緊張ではなく、速度の汗。急いでいるのは事実だ。ルークを外した今、空いた席に新しい“芽”が伸びる前に、別の“根”に水を回す必要がある。

 午後、試験二回。音の結界は四十五秒まで延長できた。ただし指が痺れる。映しの微光は二度に一度、位置がずれる。原因は、私の脈拍の微妙なズレ。練習で整えるしかない。今日中に“本番の形”まで持っていく。持っていけなければ、出さない。

「限界、近い」とジェイルが言う。「一度休むべきだ」

「あと一回だけ」

「その“あと一回”が、人を焼く」

「……わかってる」

 私は手を離し、椅子に深く座る。掌の中の“器”がひんやりした。落ち着け、セレナ。今、私に必要なのは“増やす”じゃない。“整える”だ。

「ジェイル、明日は“安全域の見直し”から始める。今日はここまで」

 フロレンスが安堵の息を混ぜた茶を出した。カイルは壁にもたれ、視線を横に流す。

「護衛に戻る。夜会の配置、俺が組む」

「お願い。観客の『視線の流れ』、あなたにしか触れられないとこがある」

「視線の流れ?」

「人は“出口”が気になるの。緊張時は特に。出口に近い人は落ち着かない。彼らを“失笑の女”から遠ざけて」

「わかった」

 夕方、塔を出ると、空は焼け色に変わっていた。馬車の中で、私は指を開閉して疲労度を計る。まだ軽い痺れ。明日には抜ける。大丈夫。

 屋敷に戻ると、玄関に一通の封書。王妃より。〈視覚化の図、たいへん良い。夜会の前半に五分、自由に使わせるから準備せよ〉。よし、舞台は確保。あとは“照明の角度”。

 夜、書斎。鏡の前で呼吸の練習をしながら、言葉を整える。夜会の前に王妃へ示す導入。危険じゃない、でも効く。手短で、しかし目が離せなくなる五分。私は台詞を音読した。

「“数字は冷たい”とよく言われます。でも本当は、数字には感情があります。私たちの視線が向いた方向にだけ、数字は濃くなる――」

 口にしながら、指先で微光を一瞬だけ壁に置く。言葉と光の同期。タイミング。難しい。でも楽しい。舞台の袖で糸を引く感覚。私はこの感覚を、知っている。断頭台の朝、私が最後に握ったのは言葉の糸だった。今は光の糸。素材が違うだけ。

 寝る前、カイルから短い紙切れ。〈夜会の席順、調整済。失笑の女(ミリアの友人)は、王妃から見て左手の列の中段。彼女の“自慢話”の相手は、商会の若主と孤立させた〉。完璧。いや、“完璧に近い”。完璧だと言い切ると、事故が来る。近い、で止める。

 翌朝。図書塔に寄って微調整。ジェイルが緊張で早口になっている。

「セレナ様、もし失敗したら」 「“失敗の形”を決めておく。私が倒れる、以外」

「……」

「私が倒れるのは最悪手。だから倒れない。代わりに“光が出ない”だけで終わらせる。会場の音を一度だけ落として、すぐ戻す。誰も魔法だと断定できない」

「あなた、ほんとに演出家ですね」

「舞台は嘘のためにある。でも、私たちは真実のために使う」

 私はフロレンスに礼を言い、“器”と金線をきちんと包む。何度も確かめる。今日は落とせない。落とすのは“照明”。私じゃない。

 夜会。大広間の光は柔らかく、音は薄い。王妃の合図で、私は前へ。五分の舞台。呼吸が一つ、深くなる。指先に“音”が乗る。私は微光を、紙の図の右下に一秒だけ点けた。視線がそこへ滑るのがわかる。言葉を重ねる。

「――ここ、“夜半の細い道”。工房街から北の回廊へ。数字は純粋です。私たちが見ているものしか、映しません」

 微光を消す。同時に、音の結界を二十秒だけ張る。さっきまで後方で笑っていた声が、ふっと遠のく。私は歩を半歩だけずらし、ミリアの友人――“失笑の女”――の列へ視線を誘導する。微光を小さく点ける。彼女の指先が、落ち着かずに扇を叩く。相手の商人が「最近の仕入れが」と口を開き、彼女が乗る。「まあ、私どもは“裏手”を知ってますの」。ここで音を戻す。周囲が静まり、彼女の声だけが薄く浮く。

「裏手?」と商人。 「ええ、“あの窓”のように。三の鐘でも、灯りが見えない方が都合が――」

 私は微光を切る。王妃の扇が軽く動く。十分。台詞は取れた。私は笑顔で礼をし、舞台を降りる。背中に汗がつーっと落ちる。成功だ。いや、“成功に近い”。

 その夜のうちに、王妃の監察が“失笑の女”の家を訪れ、翌朝には「体調不良」を理由に社交から退いた。毒にも薬にもならない小者。けれど、彼女の舌は“裏手”の噂に油を差し続けていた。一本、止めた。小さな勝利の手前。私の指はまだ震えていた。

 部屋に戻って、私は“器”の蓋を開け、残った熱と湿と圧を空に返す。指が軽くなる。座り込んで、ようやく息を吐く。壁にもたれているカイルが言う。

「……生きてるな」

「うん。焼けてない」

「助かった」

「いえ、まだ“助かってない”。これから。術式は完成したけど、運用はこれから」

 机に“完成”の印を小さく置く。〈感情魔力変換術式:第一版 完成〉。その下に薄く書き添える。〈安全域・更新は毎晩〉。私は立ち上がり、鏡の前に立った。仮面は今日も乱れていない。笑い方も、視線も、言葉も。内側だけが、少しだけ疲れている。

「セレナ」

 扉の向こうから、父の声。珍しく夜更け。扉を開けると、彼は言葉を選んでから短く言った。

「無理をするな。だが、“今”を逃すな」

「両方、やってみる」

 父は頷き、廊下へ戻る。私は灯りを落とし、ベッドに倒れ込む。目を閉じると、光が一瞬だけまぶたの裏で点った。微光。私の照明。これが、私の兵。怒りも悲しみも恐れも、もう“道具”だ。道具にした理由は、ただ一つ。終わらせるため。次は、夜。小さな勝利の夜。あの笑い声にスポットライトを当てて、ちゃんと“観客”の前で倒してみせる。

 私は深呼吸を三回。弁を一つずつ戻していく。心の中で、短く言った。

「ありがとう。――明日も、私の兵」

 眠りに落ちた瞬間、どこかで鈴が一つ鳴った。合図だ。舞台袖から聞こえる、出番のベル。私は笑わずに、眠った。

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