黒幕の私が転生したら、なぜか勇者パーティ全員に求婚されてます

タマ マコト

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第12話「黒幕〈影蜘蛛〉、名を取り戻す」

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 世界が、ぶちっと途切れた。

 祭りの灯りも、人の声も、アレンが伸ばした手も。
 全部まとめて、スイッチを落とされたみたいに暗転して――

 次の瞬間、リュミエは「別の場所」で目を覚ました。

    ◇

 冷たい。

 最初に感じたのは、肌に刺さるような冷たさだった。
 床が冷たい。
 空気が冷たい。
 自分の中身も、冷蔵庫に突っ込まれた感情みたいに、全部冷たかった。

 白い部屋。

 壁も、床も、天井も、ぐるりと白い。
 窓はなく、代わりに天井の端に小さな通風口があるだけ。

 その真ん中に、少女が座っていた。

 膝を抱えて、背中を壁につけて、じっと座っている。
 長い黒髪。
 無表情。

 ――鏡を見るみたいに、リュミエはその子を認識した。

(だれ)

 思う前に、名前が浮かぶ。

 イリス。

 イリス=ノワール。

 口に出した感触は、やけに馴染んでいた。

『イリス』

 ドアの外から、誰かが呼ぶ声。
 低い男の声。
 無機質で、名前というより番号を読み上げているだけ。

『入るぞ』

 ドアが開く。

 白衣を着た人間が二人。
 男と女。
 目に光はあるけれど、その光は“興味”だけで、“情”は欠片もなかった。

『今日のテストだ。起きろ』

 イリスは立ち上がる。

 動きに迷いがない。
 身体が“そうしろ”と覚えている。

 そこに「嫌だ」は、ない。
 そもそも、浮かばない。

 感情という機能を、最初からインストールされていない機械みたいな体。

 白衣の女が、紙束を手にしている。

『今日はこの戦場図。いつも通り、“最適解”を出せ』

 差し出されたのは、地図。

 いくつもの線が引かれていて、赤い印が敵軍、青い印が味方。

 イリスは、その地図を見下ろす。

 ――わかる。

 わかりたくないのに、頭が勝手に動く。

『敵の士気は?』

『指揮官の性格は?』

『民間人の避難経路は?』

 浮かぶ情報。
 計算されるパターン。

 人ひとりひとりの顔なんて、印の中に溶けたまま出てこない。
 可哀想、とか、痛そう、とか、
 そんな言葉は、この白い部屋の辞書には最初から載っていなかった。

『ここを囮にして落とす。ここで時間を稼いで、ここで包囲する。
 民間人の死者は三百前後、兵の損失は――』

 淡々と、数字だけを読み上げる。

 白衣の人間は頷き、メモを取る。

『感情の揺れ、なし。
 声の震え、なし。
 瞳孔の変化、なし』

『優秀だな、イリスは』

 優秀。

 褒められたことを、イリスは「良いこと」として受け取るよう訓練されていた。
 だから、口角を上げる。

 笑っている“ふり”をする。

 本当に楽しいかどうかなんて、わからないまま。

(……これ、わたし?)

 遠くから見ているような感覚と、
 自分の喉を通っている声の感触が、変に重なった。

 リュミエの意識は、“今”と“前”を行ったり来たりする。

 床の冷たさ。
 白衣の薬品の匂い。
 心拍を計る機械のピッ、ピッという音。

 それらが、現実味を持って胸に刺さってくる。

    ◇

 場面が切り替わる。

 次は、暗い作戦室。

 壁一面の地図。
 机の上にはいくつもの駒。

 その中で、イリスは椅子に座っていた。
 年齢は少し上がっている。
 長い髪を結い上げ、黒い服を着ている。

 目の前に並ぶのは、軍服を着た男たち。
 額に皺を寄せ、こめかみを掻き、机を叩く。

『この砦は、どうやっても抜けん。
 兵が足りん。補給も追いついていない』

『王都からの命令は“二日以内に突破せよ”だ。
 無理なものは無理だ』

 ざわざわとした声。

 イリスは、それを一つも「騒がしい」と感じない。
 単なるノイズとして聞き流す。

 セイルが昔見せてくれた作戦記録の文字が、
 ここでは“生の声”になっている。

 司令官が、イリスの方を見る。

『……どう思う、イリス=ノワール』

 フルネーム。

 その響きが、妙にくすぐったい。

『聞こう、“黒幕(くろまく)”の意見を』

 軍人たちが、冗談めかしてそう呼ぶ。

 イリスは、特に何も感じずに――ただ淡々と口を開いた。

『北側の村を捨てます』

 静かな声。

『――は?』

『あの村は、砦の補給路のひとつです。
 ですが、民間人の数に対して、兵は少ない。
 守ろうとすれば、確実に“重荷”になります』

 机の上の駒を、指で動かす。

『村を囮として使いましょう。
 敵軍が村に攻め込んだ瞬間に、こちらが南側から砦を襲う。
 敵の主力は村に向かうので、砦の守備は薄くなる』

『民間人は――』

『“戦争に巻き込まれた民間人”です。
 統計上、数パーセントの犠牲は許容範囲内』

 誰かが息を呑む音。

 イリスは、気にしない。

『こんな戦争に意味はありません。
 でも、ここで勝つことには意味があります。
 勝利という“結果”のために、この村の“存在”を使うべきです』

 その言葉を聞きながら、
 現在のリュミエは、胃の中がひっくり返る思いがした。

(なに言ってんの、こいつ)

 こいつ=わたし。

 最低。
 最悪。
 感情どこ行った。

『……クレイジーだな』

『だが、理にはかなっている』

『黒幕は黒幕らしく、汚れ仕事を引き受けるというわけか』

 男たちは苦笑混じりにそう言いながら、
 最終的には頷いていく。

 だって――勝てるから。

 イリスは、その視線の意味を理解していた。

 自分は、“こういう役割”だと。

 汚いことを考え、言う役。
 結果のために、誰かの犠牲を当たり前のように提示する役。

 誰もそれを「ありがとう」とは言わない。
 でも、「お前がいて助かる」とは言う。

 それを、“必要とされている”と認識するように教え込まれていた。

(必要とされるって、こんな形しかないの?)

 今のリュミエの感覚が、過去のイリスの胸に割り込む。

 けれど、当時のイリスは、その疑問を感情として処理できない。
 だから、ただのノイズとして埋め込まれていく。

 押し殺して、押し殺して、押し殺して。

 ある日、溢れた。

    ◇

 別の場面。

 戦場のあと。

 野戦病院のテントの中。
 血の匂いと、薬草の匂いと、汗の匂いと、死の匂い。

 イリスは、そのテントの入口から戦場を眺めていた。

 村は焼け落ちていた。
 さっき机の上で捨てた村だ。

 泣き叫ぶ声。
 人を呼ぶ声。
 わめき声。

 全部、ノイズ。

 でも――イリスの耳は、その中のひとつの声だけを拾ってしまった。

『なんで、なんでこんなことに……
 あたしたち、何もしてないのに……』

 膝から崩れ落ちて泣く少女。
 その肩を抱く若い兵士。

 イリスは、見てはいけないとわかっていながら、視線を外せなかった。

『……イリス』

 名前を呼ばれて振り向くと、
 そこには若い青年が立っていた。

 研究施設のときから、一緒に育てられた“失敗作”仲間。
 名前は――

 喉の奥で、記憶がひっかかる。

 リュミエは床に爪を立てるような感覚で、その名前を掴みにいった。

(やめて、思い出したくない)

 でも、記憶は止まらない。

 青年の名前は、レン。

『イリス、お前……これ、本当に最適解だったのか?』

 震える声。

 イリスは、訓練通りに答える。

『勝利に必要な選択だった』

『そういうこと聞いてんじゃねえよ!』

 初めて、彼が声を荒げた。

『……お前、いつからそんな言葉しか言わなくなったんだよ』

『最初から、こうでした』

『違う。小さい頃、お前もっと、くだらないことで笑ってただろ』

 そんな記憶は、イリスの中にない。

 でも、レンの言葉は続く。

『甘いパン分けてもらってさ、
 “甘い”って感想だけで延々語って、研究員に怒られて、
 でもまた笑って――』

 胸の奥が、ズキン、と痛む。

 そんな場面、知らない。
 でも、甘い匂いや、口の中で溶ける感触は、
 なぜか掴めそうで掴めないところにある。

『……イリス、お前、本当に、これでいいのか』

 イリスは、答えられなかった。

 代わりに、“役割”として動く。

『私は、“黒幕”としてここにいる。
 あなたは、“兵士”としてここにいる。
 それ以上でも、それ以下でもない』

『……そうかよ』

 レンの目が、僅かに笑った。

 諦めと、痛みと、
 もうどうしようもない何かで、滲んだ笑い。

 そのあと、彼は――

 裏切った。

    ◇

 場面がまた切り替わる。

 血の匂いが強くなる。

 イリスは、床に倒れていた。

 胸に、熱いものが刺さっている。
 視界の端に、見慣れた黒い糸が散らばっている。

 自分で操っていたはずの糸。
 いつの間にか、それを逆手に取られていた。

 目の前には、レンが立っていた。

 剣を持っている。
 血で濡れた刃。

 その手も震えていた。

『ごめんな、イリス』

 謝る声は、ぐしゃぐしゃに泣いていた。

『お前が、“黒幕”のままでいる限り――
 この戦争、一生終わらねぇって、やっと気づいたんだよ』

 イリスは、痛みより先に“理解”が来た。

 ああ、そうか。

 自分の役割は、ここで終わるのだと。

 世界を操る駒として、
 そろそろ役目を終えたのだと。

 心臓の鼓動が、遠くなる。

 そんなとき。

 頭のどこかの奥で、別の“声”が悲鳴を上げた。

(嫌だ)

 訓練でも、役割でもない。

 生の感情。

(終わりたくない。
 こんなふうに死にたくない。
 こんなふうに、生きてきたことにされたくない)

 喉が、勝手に動いた。

『……次は』

 かすれた声。
 誰も聞いていない。

 でも、確かに、言葉になっていた。

『次は、誰かに……必要って、言われたいな』

 それが、イリス=ノワールとしての最後の願い。

 黒幕〈影蜘蛛〉としてではなく、“ひとりの人間”としての、
 最初で最後のワガママだった。

 視界が暗くなる。

 そこで、すべて終わったはずだった。

    ◇

 床の感触が変わる。

 冷たい石から、少し軋む木へ。

 リュミエは、がばっと上体を起こした。

「――っ!!」

 喉から、悲鳴とも息ともつかない音が漏れる。

 目の前に、見慣れた天井。
 木の梁。
 窓から差し込む夕方の光。

 ここは、村のバルドの家の二階。

 祭りで倒れたあと、
 運び込まれた部屋だ。

 でも、今の今まで、
 彼女の意識は“前世”をフル尺で見ていた。

「は、はぁ……っ、はぁ……っ」

 胸が、痛い。
 心臓が、暴れている。

 頭の中で、イリスとリュミエの記憶が同時に再生されて、
 ぐちゃぐちゃに絡まりそうになっていた。

 パンの匂い。
 クッキーの甘さ。
 村の子どもたちの笑い声。

 白い部屋。
 戦場の血。
 黒い糸。

 全部、ひとつの“わたし”に押し込まれている。

 耐えきれなくて、リュミエは床に手をついた。

 そのまま、ずるずるとずり落ちて、
 膝をつき、床板に爪を立てる。

「いやだ……いやだいやだいやだ……っ」

 嗚咽が、勝手に溢れた。

「わたし、あんなふうに生きてたくない……っ」

 誰に向けた言葉なのか、自分でもわからない。

 でも、口から出てしまった以上、消えない。

 ドアが開く音。

「リュミエ!」

 アレンが飛び込んできた。
 セイルとロウとカグラも続く。

 リュミエは顔を上げられなかった。

 見られたくない。

 “黒幕でした”って顔、
 どうやってすればいいのかわからない。

「ちょ、待て、起き上がるな!」

 アレンが慌てて近づいてきて、肩を抱き起こそうとする。

 その手が触れた瞬間、
 リュミエはびくっと体を震わせた。

「触らないで……!」

 突き放すような声。

 部屋の空気が、一瞬ぴしりと固まる。

「……ごめ」

 反射的に謝ろうとして、
 言葉が喉にひっかかった。

 謝るのは、どの自分だ。

 村娘のリュミエか。
 黒幕のイリスか。

 その境界線が、もう見えない。

「リュミエ」

 セイルが、いつもよりずっと慎重な声で呼んだ。

「今……何を、見ていましたか」

 その問いには、答えたくなかった。

 でも、答えなければ、
 この人たちはきっと自分を“遠くから監視する”側に戻ってしまう。

 それだけは嫌だった。

「……全部」

 かろうじて絞り出した声。

「全部、思い出しました。
 前世のこと……イリス=ノワールのこと。
 〈影蜘蛛〉って呼ばれてた仕事のこと。
 ……わたしが、どんなふうに世界を、壊してきたか」

 アレンの表情から、血の気が引いた。

 ロウの目が細くなり、
 カグラの指先がぴくりと動く。

 セイルの眼鏡の奥で、
 瞳孔が一瞬だけ揺れた。

 彼らは、ずっと追ってきた“黒幕”の名を、
 今、本人の口から聞いたのだ。

「イリス……」

 アレンが呟く。

「〈影蜘蛛〉……マジで、リュミエが……?」

 言いながら、自分で自分の言葉に戸惑っている。

 目の前で、床にすがりついて泣いている少女と、
 記録の中で世界を壊していた怪物が、
 どうしても同じ存在に思えない。

「私は――」

 リュミエは、震える声で続ける。

「感情を殺されてました。
 誰も、守りたくなかった。
誰かを助けたいなんて、思ったこと、一度もなかった。
 ただ、“そういう役”だからって、
 世界を盤面みたいに扱ってました」

 吐き出す言葉ひとつひとつが、
 自分への罵倒みたいに胸に刺さる。

「“勝てるから”って理由だけで、村を捨てて、
 “効率がいいから”ってだけで、人を死なせて、
 それで、褒められてました。
 “優秀だ”って。
 “黒幕らしい”って」

 笑いが、ひきつって喉で溶ける。

「最低ですよね。
 そんなの、“必要とされてた”って呼びたくない……」

 アレンは拳を握っていた。

 セイルは唇を噛んでいた。

 ロウは目を閉じて、深く息を吐いた。

 カグラだけが、じっとリュミエを見ていた。

 誰も、「違う」とは言わない。

 実際、記録上の〈影蜘蛛〉は、そういう存在だった。

「……でも」

 セイルが、ゆっくりと口を開いた。

「最後に、あなたは願った」

 リュミエが顔を上げる。

 セイルは、その瞳をまっすぐ見た。

「“次は、誰かに必要って言われたい”と。
 禁書に残っていた断片的な記録にも、その言葉がある。
 そして、あなたは今――ここにいる」

「でも、それは」

「イリス=ノワールとしての“最初で最後の感情”だったのでは?」

 セイルの声は、静かだった。

「あなたはきっと、最初から全部、感情がなかったわけじゃない。
 ただ、そう扱われて、そう振る舞うことを強制されて、
 “感情があると壊れる環境”で生きていた」

 リュミエは、何も言えなかった。

 喉が痛くて、呼吸も苦しい。

 けれど、心のどこかの奥で、
 その言葉が静かに落ちていくのを感じる。

 アレンが、膝をついて目線を合わせた。

「……リュミエ」

「はい」

「お前が〈影蜘蛛〉だったってのは、たぶん、事実なんだろうな」

 勇者が、はっきりと言う。

 嘘で塗り固める気はない。

「俺たちの仲間を殺した黒幕で、
 戦場をぐちゃぐちゃにして、
 たくさんの人を傷つけた――
 “過去のお前”」

「……はい」

 その事実は、リュミエ自身が一番よくわかっている。

 ごまかしたくても、ごまかせない。

「でもさ」

 アレンは、笑った。

 泣きそうで、悔しそうで、
 それでも真っ直ぐな笑いだった。

「俺が知ってるリュミエは、
 パンが好きで、クッキーで人生語って、
 怖くてもちゃんと“怖い”って言えて、
 誰かが怪我しそうになったら勝手に体が動く、
 “今ここにいるお前”なんだよ」

 リュミエの視界が、滲む。

「〈影蜘蛛〉のことは、一生許せねぇかもしれない。
 でも、“今のお前”を、〈影蜘蛛〉としてだけ見るのは、俺には無理だ」

「……アレンさん」

「だから、決めさせろ。
 俺は、“今お前がどう生きるか”で判断する」

 ロウが、その言葉に静かに頷く。

「過去に守れなかったものは戻ってこない。
 だが、今守れるものは、ここにある」

 カグラも、ゆっくり口を開いた。

「俺は黒幕に利用されていた。
 あんたが、あの声の正体だと言うなら――
 本当は、真っ先に刃を向けるべき立場だ」

 リュミエは身をすくませる。

 でも、カグラの次の言葉は、少しだけ予想と違っていた。

「それでも、“今”俺が守りたいのは、お前を含めたこの村だ」

 短い、でも重い宣言。

 セイルも、ゆっくりと眼鏡を直した。

「私は賢者として、イリス=ノワールの頭の中を覗いてみたいと思っていた。
 でも――リュミエとしてのあなたの未来の方が、今はずっと興味深い」

 四人とも、矛盾している。

 黒幕を許せない。
 でも、リュミエを見捨てたくない。

 理性と感情の綱引きをしながら、
 それでも彼らは、“ここにいる彼女”に手を伸ばしている。

 リュミエは、床に伏せたまま、声を震わせた。

「……わたし、ほんとは、怖いです」

 前世を認めるのも。
 今を信じるのも。

「自分が、自分で一番怖い。
 また、誰かを“駒”みたいに見ちゃうんじゃないかって。
 また、“勝てるから”って理由だけで……」

「だったらさ」

 アレンが、手を差し出した。

 さっき拒まれた手。
 それでも、もう一度伸ばす勇気。

「そのときは、俺たちが全力で止める」

 その言葉は、重い約束だった。

「セイルが頭叩いて、ロウが前に立って、カグラが後ろから殴って、
 それでもダメなら俺が正面からぶん殴る」

「物理……」

「物理も大事だろ?」

 くだらないことを言っているようでいて、
 その実、「見捨てない」と宣言している。

 リュミエの頬を、涙が伝う。

 床に落ちる涙の音が、やけに大きく聞こえた。

「……わたし」

 指先が、震えながらも、伸びる。

 アレンの手を掴む。

 その瞬間、
 胸の奥に残っていた“イリスとしての最後の願い”が、
 微かに満たされる音がした気がした。

(誰かに、必要って言われたい)

 まだ、誰も「必要だ」と口には出していない。

 でも――
 この手の強さが、
 そのかわりみたいに「ここにいていい」と伝えてくる。

 黒幕〈影蜘蛛〉。
 イリス=ノワール。
 リュミエ。

 三つの名前が、ようやくひとつの“わたし”として繋がった。

 それは、過去の亡霊を認めることでもあり、
 同時に、“新しい生き方”を選び直すスタートラインでもあった。

 床にすがりついていた指先に、
 少しだけ力が戻る。

 リュミエは、嗚咽混じりに笑った。

「……あんなふうに生きてたくないって、
 今ここでちゃんと言えたなら……
 次は、ちょっとくらいマシな生き方、できますかね」

 セイルが、微笑んだ。

「できますよ。あなたなら」

 ロウが頷く。

「そうなるまで、俺たちが横にいる」

 カグラが、窓の外を見ながら短く言う。

「“今度こそ”な」

 アレンが、手をぎゅっと握り返した。

 黒幕〈影蜘蛛〉は、名を取り戻した。

 でも、その名前に縛られるだけの“怪物”には戻らない。

 床の上で泣きじゃくる少女こそが、
 イリスの最後の願いが転生して辿り着いた答えだと――

 勇者たちは、まだはっきりとは言葉にできないまま、
 それでも本能で、そう感じ始めていた。
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