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第19話「四人の求婚と、揺れる心」
しおりを挟む世界の終わりは、とりあえず延期になった。
各地で起動しかけていた魔法陣は停止し、
魔物ゲートは順番に閉じられ、
国同士の疑心暗鬼も、なんとか大規模戦争になる前に食い止められた。
王都からの正式な勅書には、
こう書かれていた。
『黒幕イリス=ノワールの転生体リュミエは、
生前の罪を踏まえてなお、
“黒幕の遺した地獄を終わらせた者”として扱うべきだ』
黒幕の残党。
そう呼ばれていたはずの自分が、
“英雄”というラベルに貼り替えられつつある。
(……なんか、違和感すごいな)
英雄。
似合わない言葉だ。
パンを焦がして怒られる村娘。
転んで膝をすりむれるのがデフォルトな庶民。
そういう自覚しかない身体に、
「世界を救った」とか「英雄」とかいう称号が乗っかると、
肩がむずむずする。
でも――
ほんの少しだけ、胸の奥が軽くなっているのも、事実だった。
もう、“世界の裏側から糸を引いている怪物”じゃない。
“世界の裏側の糸を、断ち切った人間”として見られ始めている。
その変化が、怖くて、嬉しくて、くすぐったい。
◇
騒ぎの後片付けや、各地との調整や、
勇者パーティの報告やら何やらがひと段落した夜。
村の広場には、
祭りのときに使ったランタンの一部がまだ吊られていた。
ふわふわと揺れる橙色の灯り。
その上から、やわらかい月明かりが降りてくる。
人の気配は少ない。
みんな疲れて早めに寝ている。
世界を救った直後の夜にしては、
笑えるくらい静かだった。
リュミエは、井戸の縁に腰掛けて空を見上げていた。
「……終わったんだよね、ほんとに」
世界規模の危機。
本拠地。
蜘蛛の巣みたいな糸。
全部、遠くの夢みたいに感じる。
指先に、あの黒い糸の感触はもう残っていない。
「生きてる……」
ぽつりと呟いて、
自分で自分に苦笑した。
「なんか、“生きてていいんだ”って、
やっとちゃんと言える気がする」
前世のイリス=ノワールは、
最後に「次は、誰かに必要って言われたい」と願って死んだ。
今の自分は――
必要とされる云々より先に、
「一緒にいたい」と言ってくる人たちに囲まれている。
(……贅沢になったな、わたしも)
そう思って、少し笑ったときだった。
「――ここにいたか」
背後から、聞き慣れすぎた声がした。
振り返ると、
そこにはアレンがいた。
いつもの軽装。
でも、胸元には王都から贈られた勲章が小さく光っている。
「アレンさん」
「探したぞ」
「お疲れ様です。王都との魔導会議、長かったですね」
「堅苦しい話ばっかで死ぬかと思った」
と言いつつ、
アレンはどこか落ち着かない様子で後頭部をかいた。
いつもの無鉄砲勇者モードじゃない。
やけに、ソワソワしている。
(……あ、これ)
嫌な意味じゃない“嫌な予感”がした。
「どうしました?」
「いや、その……なんだ」
アレンはよそ見しながら、
井戸の向かい側に腰を下ろした。
ランタンの灯りが、彼の横顔を照らす。
「世界のこととか、勇者の務めとか、
そういうの、一回全部脇に置いてさ」
妙に真面目な声。
リュミエの胸が、どくん、と跳ねる。
「リュミエ」
「は、はい」
「俺の未来の隣にいてくれ」
世界が、一瞬止まった。
月も、風も、井戸の水面も、
何もかもがフリーズしたみたいに感じる。
「……えっ」
「えっ、じゃなくて」
アレンは、いつになく真剣な目でこちらを見た。
「前にも言ったけどさ。
俺は“勇者として”じゃなくて、
“一人の男”として、お前を守るって決めてた」
「はい……聞きました……あのときも心臓止まりかけました……」
「世界の危機も、黒幕の残骸も片付いて。
今度こそ、“これから”の話をしてもいいタイミングだと思うんだ」
喉が、カラカラになる。
あれだけ世界を相手に喋ってきたのに、
今いちばん、言葉が出てこない。
「だから――」
アレンの声が、少しだけ震えた。
「俺の未来に、“リュミエ”って名前を刻ませてくれ」
「……刻む?」
「未来の隣に、お前がいてほしいって意味だよ!」
顔が真っ赤になっている。
勇者のくせに、
プロポーズの言い回しになると急にポンコツだ。
でも、その不器用さが、
たまらなく愛しく感じてしまう自分がいる。
「えっと、それは、その……」
返事をどう言葉にしていいかわからずに、
口をパクパクさせていると――
「――あ、やっぱりここでしたか」
別の方向から、また声がした。
聞く前からわかる、落ち着いたトーン。
セイル。
彼はいつものローブ姿で、
腕には何冊か本を抱えていた。
「ちょっ、セイル!?」
アレンが露骨に焦る。
「今ちょうどいいところでだな!」
「そうなんですか?」
セイルは、少しだけ首を傾げた。
「では、僕の話も“ちょうどよく”混ざりそうですね」
「いや待て、空気って知ってる!?」
「知ってますよ。
“今このタイミングで言わないと一生後悔するやつだな”って空気を感じました」
セイルは、穏やかな笑みを浮かべてリュミエの前に立った。
アレンの存在を無視しているわけじゃない。
でも、明らかに“自分のターン”だと理解している顔だった。
「リュミエさん」
「は、はい?」
「僕は、あなたに興味を持ったときから、
ずっと自分にこう言い聞かせていました」
セイルは、自分の胸に手を当てる。
「“これは研究対象への興味だ。
転生した黒幕の思考パターンを観察したいだけだ。
決して恋ではない”と」
「否定、多くないです?」
「否定すればするほど、
それが本音だと証明しているようなものだと、
最近やっと理解しました」
苦笑混じりの告白。
アレンが、隣で「うわー」と顔を覆う。
リュミエは、心臓の音がうるさくて仕方なかった。
「世界の危機が終わったら言おう、と決めていたことがあります」
セイルは、少しだけ照れたように目を細めた。
「一生、君の思考を隣で見ていたい」
「……」
「君が何を考えて、何を選んで、
どうやって“黒幕ではない未来”を描いていくのか。
その全部を、一番近い場所で見届けたい」
言い回しが、いかにもセイルらしい。
“好きです”とか“愛してます”とか、
直球の言葉は使わない。
でも、“一生隣で思考を見たい”なんて、
それ以上に重い。
「なので――僕と一緒に、これからの世界を観測しませんか?」
「観測って言い方、ロマンの方向性バグってません?」
「僕なりのロマンです」
アレンが、頭を抱える。
「お前らまとめてややこしいんだよ!」
「アレンさんも充分ややこしかったですけどね!?」
あたふたしていると――
「――静かにしろ。村が起きる」
低い声が、広場の入り口から飛んできた。
ロウ。
鎧は脱ぎ、簡素なシャツ姿。
それでも立っているだけで空気が引き締まる。
「ロ、ロウさんまで!?」
「ちょ、お前ら順番とか話し合ってから来いよ!」
「話し合うような内容じゃないと思うんですが」
三人が好き勝手言い合う中、
ロウは歩み寄ってきて、
井戸の横に立った。
月明かりに照らされた横顔は、
いつもより少しだけ柔らかく見える。
「……リュミエ」
「はい」
「世界の危機が終わった。
黒幕の糸も、切れた」
「はい」
「それでも、俺の中の“守れなかったもの”は消えない」
ロウの声は、低くて熱い。
「故郷も、家族も、
もう戻ってこない」
「……」
「だからこそ、今度こそ守りたいと思う。
この村も。
世界も。
そして、お前も」
喉が、勝手に鳴る。
ロウは、不器用なまま、しかしはっきりと言った。
「剣も命も、全部お前に預けたい」
空気が、ぴたりと凍った。
「……え」
「この命をどう使うか、
これからどこへ向かうか、
お前と一緒に決めたい」
アレンが、「出たよ重いやつ」と小声で呟く。
セイルが、「ロマンチストですね」と感心している。
リュミエの頭の中は、
さっきから“きゃー”と“やめて”と“もっと言って”が
ぐちゃぐちゃに混ざっていた。
(ちょっと待って、これ、待って、情報量おかしい)
胸が痛いくらいに熱い。
そこへ――
「……お前ら、まとめてうるさい」
屋根の上から、ぼそりと声が降ってきた。
これで全員集合だった。
「カグラさん!!?」
見上げると、
屋根の縁に腰掛けたカグラが、
月を背にしてこちらを見下ろしている。
いつの間に。
「さっきから一部始終、上から聞こえてた」
「やめてください死ぬ」
「死ぬな」
カグラは、ひらりと屋根から飛び降りた。
音もなく地面に着地して、
リュミエの少し斜め前に立つ。
影が、月明かりの中に溶ける。
「……俺も、言いに来た」
「まだ増えるんですか!? ていうか今“も”って言いましたよね!?」
「言った」
アレンが、半ば諦め顔で腕を組む。
「お前もここで言うのかよ……」
「他にいつ言う」
「タイミングって概念どこ行ったの?」
「知らん」
カグラは、視線をリュミエに固定したまま、
いつもより少しだけ息を深く吸い込んだ。
「……俺は、居場所がなかった」
ぽつりと漏れる独白。
「生まれた家にも。
育てられた場所にも。
黒幕の下で暗殺してたときにも」
影の中で過ごしてきた年月。
その全てが、“どこにも属していない時間”だった。
「“役割を果たしている間だけ”存在を認められる。
それ以外は、いなくてもいい」
その感覚は、イリスとしてのリュミエにも覚えがある。
世界を裏から動かしていたときの自分も、
似たような扱いだった。
だからこそ、
カグラの言葉が胸に刺さる。
「そんな中で――
屋根の上でお茶を置かれて、
“ありがとう”って言われて、
“ここにいていい”と言われた気がした」
カグラの目が、ほんの少しだけ揺れる。
「……腹が立った」
「なんでですか!?」
「こんな簡単なことで救われる自分に」
自嘲っぽく笑ってから、
彼はゆっくりと言った。
「だから、今度は俺の番だ」
「……」
「お前の居場所がわからなくなったら、
何度でも“ここにいていい”って言う」
カグラの言葉は、どこまでも不器用で、
でもどこまでも真っ直ぐだった。
「だから――俺の居場所になってくれ」
リュミエの脳内で何かが爆発した。
アレンの未来の隣。
一生隣で思考を見たい。
剣も命も預けたい。
居場所になってくれ。
情報量。
キャパ。
心臓。
「――――」
言葉にならない悲鳴が喉の奥で空回りする。
顔がもう、燃えてるんじゃないかってくらい熱い。
視界の端で、
アレンが真剣に、セイルが静かに、ロウが真摯に、カグラが不器用に――
それぞれ自分を見つめている。
四人分の視線が、重い。
重すぎる。
「ちょ、ちょっと待ってください……」
リュミエは、両手をばたばたさせた。
「なんで、全員、同時なんですか!?!?」
半泣きで叫ぶ。
「順番とか! 段階とか! 世界には段取りってものがですね!!」
「いや、俺は一番乗りだった」
アレンが妙なところで主張する。
「ここに来た順で言えば、俺がトップだ」
「重要なのそこじゃない!」
「タイミングを見計らってたのは僕もです」
セイルがすっと手を挙げる。
「ですが、他の三人も同じタイミングで“今だ”と思ったらしいですね。
ある意味、統計的に興味深い現象です」
「興味深くない!」
「……俺は、たまたま通りかかった」
ロウが不器用に言う。
「たまたま、ですね」
「たまたまだ」
カグラはと言えば、平然とした顔で一言。
「お前らが一斉に動き始めたから、監視しに来ただけだ」
「監視経由でプロポーズしないでください!!」
叫びながらも、
胸の奥が嬉しくてたまらない。
こんなに全力で“欲しい”と言われる未来なんて、
想像したことなかった。
黒幕だった頃。
白い部屋にいた頃。
誰にも必要とされなかった自分が、
今、四人もの人から“必要だ”と言われている。
それが現実だと認めるのが怖くて、
でも、認めたくなるくらいには、
彼らとの日々が大事になってしまっている。
「……あのですね」
リュミエは、両手で顔を覆いながら、
なんとか絞り出した。
「全部、嬉しいです」
月明かりの下で、
四人の目が僅かに揺れる。
「嬉しくて、頭がパンクしそうです。
正直、心臓何個あっても足りません」
震える笑いが混じる。
「だから――今すぐ“誰か一人”なんて、選べません」
アレンが、少しだけ目を伏せる。
セイルも、静かに息を吐く。
ロウの眉間に皺が寄り、
カグラはほんのわずか視線を逸らした。
「でも」
リュミエは、続けた。
「一緒に世界をやり直したいって願いは、
四人の誰に対しても、本物です」
それだけは、嘘じゃない。
ひとりひとりの手を、
順番に見つめる。
戦場で、自分を掴んでくれた手。
日常で、肩を叩いてくれた手。
守ってくれた手。
影から見守ってくれた手。
「だから……わがまま言います」
喉の奥がつまる。
「今は、まだ、“四人と一緒に未来を見たい”ってことで、
許してくれませんか」
アレンが、ふっと笑った。
「そりゃあ、欲を言えば今すぐ答え出してほしいけどさ」
「アレンさん」
「お前が“わがまま言いたい”って思えるようになった時点で、
俺たちの勝ちだろ」
セイルも、小さく頷く。
「選べないほど大事なものが増えたというのは、
人生においては良い兆候です」
「それ、賢者っぽくまとめましたね」
「仕事ですから」
ロウは短く言った。
「未来は、急いで決めるものじゃない。
守りたいものを一つ一つ確かめてからでいい」
カグラは、影の中でぼそりと。
「今答え出さないなら、
その分、これからもっと“俺たち”を好きになってもらうだけだ」
「……ハードル上げましたね、今」
「下げる気はない」
月明かりに照らされた広場に、
ゆるい笑い声と、
少しだけ涙の混じった息が、溶けていく。
世界の危機は去った。
黒幕との決別も果たした。
でも、心の問題は、
これからゆっくり解いていくしかない。
四人の求婚。
揺れる心。
どの糸を手繰り寄せるかは、
今すぐには決められない。
それでも――
(こんなに迷えるくらい、
誰かを好きになれる日が来るなんて、思ってなかった)
リュミエは、月を見上げて、
小さく笑った。
「とりあえず、今日は」
「今日は?」
四人が一斉に首を傾げる。
「世界救った打ち上げってことで、
みんなでパン食べません?」
バルドの店からもらってきたパン袋を掲げると、
アレンが真っ先に反応した。
「賛成!!」
「……甘いパンですか?」
「もちろん」
「それはたしかに、魅力的な提案ですね」
ロウも、わずかに口元を緩める。
「腹は減っている」
カグラは、影の中で短く。
「……お茶は?」
「もちろん用意してあります」
「なら行く」
世界を救った勇者と、
黒幕の転生体と、
それぞれ違う傷を持つ四人の男たちが――
月明かりの下、
パンとお茶を囲んで笑い合う夜。
それは、きっと世界のどこかにある“最適解”よりも、
ずっと不器用で、
ずっと尊い光景だった。
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