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第16話 誘拐未遂と、選ばなかった未来
しおりを挟むその夜のゴミ山は、やけに静かだった。
昼間の喧騒が嘘みたいに消え去って、風の音と、遠くの見張り塔の鐘の音だけが、薄く響いている。
月は雲に隠れていて、空はほとんど真っ暗だった。
防御結界〈ゴミ山バリア〉の膜が、ぼんやりと夜気の中に溶けている。
その膜を、ひとつの影がすり抜けた。
――すり抜けた、という表現が一番近い。
結界は、本来なら外部の侵入を拒む。
王城の魔力とリーナの波長が複雑に絡み合った“許可されたものだけ通すフィルタ”。
だが、その影は、フィルタを“騙した”。
結界に触れる直前で、魔力の波をねじ曲げ、あたかも“中から出て行く波長”のように偽装する。
膜は一瞬だけ揺らいだが、侵入を拒めなかった。
影は、音もなくゴミ山の中へ滑り込んだ。
「……よくできてる。出入口が多いわりに、内側からの防御は優秀だ」
低く、しかしどこか楽しそうな声。
黒いコートの裾を翻しながら、その男は山の斜面を軽々と登っていく。
シグル・ハーヴェイ。
ガルディアスの特務将校。
そして、古代兵器に憑りつかれた男。
彼の視界には、普通の人間には見えないものが映っていた。
薄闇の中、ゴミ山のあちこちに燐光のような波が揺らいでいる。
拾われた古代兵器たちの“残り香”。
そして、その奥――
「……あれが、ネメシス・コアとのリンクか」
ゴミ山の中心から、一本の太い線が立ち上っていた。
地の底で眠るネメシス・コアと、それに繋がった何かを示す波。
その線は、ある一点で、柔らかく広がっている。
ちょうど、ゴミ山の最奥。
リーナがいつも腰を下ろして作業をしている場所。
そこに、小さな灯がひとつ。
ランタンの明かりが、ほのかに揺れていた。
◇
「……眠れないなぁ」
リーナは、古い木箱に腰かけて、小さなランタンを膝の横に置いていた。
アークレールはいつものように手元に。
近くの棚には、フロウリアの折り畳まれた翼装、セレスティアの護符、アイギスの眼球装置が並んでいる。
どれも、今は静かだった。
でも、その“静けさ”が、妙に心細い。
(文明継承者、ね……)
昼間、マルタと話したときの言葉が、まだ頭の隅に引っかかっている。
世界が勝手につけた名。
王が、政治のために作った物語。
“世界を救うか滅ぼすかを決める存在”。
(そんなの、無理だよ)
膝を抱え込みたくなる。
『……また自分一人の責任にしているな』
アークレールの声が、刃の奥からじわっと滲み出た。
(してないもん)
『している』
(うるさい)
思わず心の中で拗ねる。
『ネメシス・コアは、守護の一端を“共有した”と言った。 全責任を委ねたわけではない』
(でも、世界から見たら“私が決めたこと=ネメシス・コアの決定”って思われるんだよ?)
『思わせておけ』
(さらっと言うなぁ……)
『世界の視線がどこを向こうと、お前が何を守るかを決めるのは、お前だ』
(……それ、マルタさんも言ってた)
背中合わせの慰めが、ほんの少しだけ心を落ち着かせる。
ランタンの炎が、ふっと揺れた。
その揺れに、違和感があった。
風じゃない。
空気が、僅かに“ねじられた”。
『……外部侵入』
アークレールが、即座に警告を放つ。
(えっ)
リーナが顔を上げるより早く。
闇の中から、一歩分だけ音が近づいた。
「こんばんは、リーナ・フィオレ」
涼やかな声。
リーナは反射的にランタンを持ち上げた。
炎の光が、ゴミ山の影を切り裂く。
そこに立っていたのは、黒いコートを着た男だった。
長身。
無駄のない動き。
金とも銀ともつかない淡い灰色の眼。
とても“城の使用人”には見えない精悍さが、その立ち姿に宿っていた。
「……誰、ですか」
喉がひりつく。
ゴミ山の防御結界は、許可なしに入れないはずだ。この結界をすり抜けてきたということは――
(“敵”だ)
直感がそう告げた。
男は、口元だけで柔らかく笑った。
「初対面だね」
ゆっくりと胸に手を当てる。
「ガルディアス王国軍、特務将校――シグル・ハーヴェイ。 名乗りは、これくらいで十分かな」
ガルディアス、という単語が出た瞬間、背筋が冷たくなった。
ヴァルトが会議で口にした名。
周辺諸国の中でも、とりわけ古代兵器に執着している軍事国家。
その特務将校。
「……敵国の人が、なんで堂々と名乗ってるんですか」
「敵だからこそ、だよ」
シグルの目は笑っていなかった。
その瞳は、何度も戦場を見てきた人間の目だった。
無数の死に慣れきって、それでもなお“何か”を諦めきれずにいる目。
「“敵は名乗らないものだ”と思っているとしたら、君の周りの大人たちの教育が悪いね」
「皮肉を言いに来たんですか?」
「半分は」
肩をすくめる。
「もう半分は――“交渉”しに来た」
その言い方に、妙な引っ掛かりがあった。
「交渉?」
「そう」
シグルは、ゴミ山の周囲をちらりと見回した。
乱雑に積まれたガラクタ。
半分埋もれた兵器たち。
リーナが手をかけてきた古代装置の残骸。
ふっと、口の端が上がる。
「噂には聞いていたけど……すごいね、ここ」
「褒められても嬉しくないです」
「褒めているのは、“君の仕事ぶり”だよ」
コートのポケットに手を突っ込みながら、彼は一歩だけ近づいた。
アークレールの刃が、わずかに震える。
『距離を取れ』
(分かってる)
リーナは、一歩下がる。
その後ろには、フロウリアたちが眠る棚。
さらにその下には、地下へと続くネメシス・コアの気配。
背中に“守るべきもの”の感触がある。
逃げ道は、前しかない。
「リーナ・フィオレ」
シグルは、名前を丁寧に呼んだ。
「君の力は、ここには勿体ない」
その一言で、空気が少し変わった。
甘い。
滑らかな。
人の心の隙間に入り込むような声。
「君は、古代兵器を起動させ、修復し、ネメシス・コアとさえ契約した。 文明の残り香と今の世界を繋ぐ、貴重な“鍵”だ」
淡々と、事実だけを並べる。
「なのに――」
ゴミ山をぐるりと見渡す。
「そんな君が、城の裏庭のゴミ置き場で、埃にまみれて働いている」
シグルの目が、ほんの少しだけ細くなった。
「この国は、君を“文明継承者”と呼びながら、その実、“都合のいい掃除婦”として扱っている。 違うかな」
「……」
反論したかった。
でも、少しだけ、言葉が詰まった。
王がどういう意図で自分をゴミ山に置いたのか。
軍と工房がどんな思惑で自分を“観察対象”にしているのか。
全部、知っているわけじゃない。
信じたい部分と、疑わしい部分が入り混じっている。
「僕の国なら――」
シグルが、一気に距離を詰めた。
ランタンの光が、その顔をはっきり照らし出す。
整った顔。
薄く笑っているのに、目だけが冷たい。
「君を『国宝』として扱ってあげられる」
その言葉は、あまりにも甘かった。
「専用の研究施設。 最高級の生活環境。 君の安全を守るための護衛たち。 ネメシス・コアとの接続を安定させる研究班も組める」
リーナの喉が、ひゅ、と鳴る。
“守られる”という響きに、ふと心が揺らいだ。
城の中では、常に誰かの視線がある。
味方も敵も、好奇の目も恐れの目も、全部一緒くたになって、自分を見ている。
戦争の危機。
各国の思惑。
ネメシス・コアとの契約。
それら全部を背負い込んで、ゴミ山でモップを握る日々。
そこから、“逃げる”という選択肢が、一瞬だけ頭をよぎった。
――あのとき工房から追い出されたみたいに。
――また、別の場所で、別の自分として生きる道があるのかもしれない、と。
『……流されるな』
アークレールが、低く囁く。
(分かってる)
分かっているけど、甘い言葉は、体に染み込んでくる。
「君なら、もっと楽に生きられる」
シグルは、ほんの少しだけ身をかがめた。
目線の高さを合わせる。
「ここで、王家と軍と工房の板挟みになりながら、ゴミ山の主なんて中途半端な立場で疲れ果てる必要はない」
彼の言葉の中に、わずかな怒りが混じっていた。
王や軍や工房に向けた怒り。
“鍵”を大事に扱わない世界に対する苛立ち。
「君は、もっと大事にされるべきだ。 もっと、丁重に扱われるべきだ」
その“もっと”の中に、鎖の音が混ざっていることに、リーナは気づいた。
「国宝、って」
乾いた声が、喉から出た。
「綺麗な言葉ですよね」
「綺麗だよ」
「でも、それって――」
リーナは、一歩だけ下がった。
背中で、フロウリアたちの気配がふっと緊張する。
「箱に入れて飾るってことでもありますよね」
シグルの表情が、わずかに、ほんのわずかに揺れた。
「君を“箱に入れて飾る”つもりはない」
「本当に?」
「――『国宝級の戦力』として、使わせてもらうことはあるだろうけどね」
あっさりと、彼は言った。
甘さの奥に隠れていた冷たさが、そこではっきりと顔を出す。
「戦場に出さないとは言っていない。 ただ、君の意思を無視して無茶な使い方をする気はない。 僕は“兵器を支配する側”だ。 使い潰す側には興味がない」
それは、シグルなりの誠実さかもしれない。
でも、その誠実さは、リーナの求めているものとは逆方向を向いていた。
「……私、兵器じゃないですよ」
「だろうね」
意外なほど、あっさりと認めた。
「君は、“兵器を哀れんでいる”」
その一言が、胸の奥を鋭く刺した。
「王も、同じことを言っていたよ。“彼女は兵器そのものではなく、兵器を哀れんでいる”とな」
「……盗み聞き、良くないと思います」
「仕事柄、ね」
軽く肩をすくめる。
「だからこそ、僕は君を欲しいと思った」
シグルの目が、わずかに熱を帯びる。
「兵器を兵器としてしか見られない者たちの中に、“兵器を哀れむ鍵”が一人いる。 その鍵が、ネメシス・コアと繋がってしまった。 ――この世界の分岐点は、君なんだよ」
それは、ヴァルトや王が言っていたことと、ほとんど同じだった。
ただし、その先にある結論が違う。
「だから、僕が君を“保護”する」
シグルは、手を差し出した。
その手は、戦場で幾度も血と土にまみれた手だ。
それでも、今は不思議なほど綺麗な指先をしている。
「“誘拐”ではない。 “救出”だと、僕は思っている」
「……それ、どう違うんですか」
「定義の問題だよ」
さらりと返される。
リーナは、差し出された手をじっと見つめた。
逃げられる。
ここから。
王家の思惑からも。
軍と工房の板挟みからも。
“文明継承者”という重い名前からも。
ガルディアスに行けば、別の鎖が待っているのは分かっている。
でも、少なくとも今とは違う景色が見えるかもしれない。
ほんの一瞬だけ、その誘惑に心が傾いた。
その瞬間――背中の方で、かすかな“視線”を感じた。
アークレール。
フロウリア。
セレスティア。
アイギス。
棚の上に静かに横たわっている彼らが、一斉にこちらを見ているような感覚。
言葉にはならない。
音にもならない。
でも、その波は、確かに問いかけていた。
『どこへ行く』
あの底で繋がったネメシス・コアも、地の奥の方から微かに振動している。
このゴミ山を包む防御結界も。
マルタの「行ってらっしゃい」と「お帰り」の声も。
全部が、背中からリーナを引き止めていた。
(ごめん)
心の中で、小さく謝る。
逃げることに、救いがないわけじゃない。
誰かに守られ、誰かに利用され、誰かの国の“宝物”として生きる未来。
そこにはきっと、暖かさも、優しさも、あるのだろう。
でも――
「ごめんなさい」
リーナは、はっきりと言った。
自分の声が震えているのが分かる。
「私、この場所を捨ててまで、どこかの国のお姫様になりたくない」
シグルの目が、すっと細くなった。
「国宝とお姫様は、少し意味が違うけどね」
「似たようなもんです」
肩を震わせながら、笑う。
「ガラスケースの中で、大事にされるために磨かれるのは、もう工房で十分味わいました」
計器に反応しないから価値がないと言われ。
“研究対象”としてしか見られなかった日々。
あれを、形を変えて繰り返すのは御免だ。
「私、ここで掃除して、ゴミ拾って、拾えるもの拾って。 このゴミ山と、その下の“底”を守りたい」
言葉にした瞬間、自分自身でも驚いた。
怖い。
ガルディアスは怖い。
戦争も、世界も、ネメシス・コアも全部怖い。
でも、それ以上に――この場所から逃げる自分を、想像したくなかった。
マルタの「待ってるよ」という手の温もりも。
兵器たちの「話を聞いて」という波も。
ネメシス・コアの「一緒に守る」という契約も。
それら全部から目をそらして、別の国の旗の下で微笑む自分を、どうしても好きになれない。
「だから、ごめんなさい」
震えながらも、もう一度繰り返す。
「あなたの言ってる“未来”を、私は選ばない」
短い沈黙。
シグルの顔から、ゆっくりと笑みが消えていく。
金灰色の瞳が、静かに冷えていく。
「……そうか」
低く、短い溜息。
「良い返事だ」
意外な言葉だった。
怒鳴られるかと思った。
力づくで連れ去られるかと思った。
でも、シグルはほんの少しだけ口元を歪めただけだった。
「“ここを捨ててまで行きたくない”と言える君は、やっぱり本物だ」
「褒めてます?」
「褒めているとも」
彼の声に、ほんの少しだけ悔しさが混じる。
「だからこそ、惜しい」
コートの裾が揺れた。
かすかな殺気。
リーナの肌が、ぞくりと総毛立つ。
『来るぞ!』
アークレールの警告と同時に、シグルの姿がふっとブレた。
そこから先は、ほとんど反射だった。
シグルの手が伸びる。
首筋を狙う、寸分の無駄もない動き。
眠らせるための急所。
殺すためじゃない。
“連れ去るため”の技。
リーナは思わず、後ろに飛び退いた。
同時に。
ゴミ山全体が、低く唸った。
――ドオォン。
地の底から、鈍い鼓動のような波が突き上がる。
防御結界が、一気に濃くなった。
空気が重くなる。
時間が粘る。
シグルの伸ばした手が、目の前でスローモーションになった。
『自動防衛反応』
ネメシス・コアの声が、地下から響く。
『契約者への直接的な強制拘束行為。危険度、臨界前』
(ちょ、ちょっと待って、やりすぎないで――!)
リーナの制止は、半分しか届かなかった。
ゴミ山のあちこちに埋もれていた金属片が、一斉に浮き上がる。
螺子。
部品。
折れた刃。
歪んだ歯車。
それら全部が、見えない糸に引かれたみたいに、中空で陣形を描いた。
次の瞬間。
――衝撃波。
空気そのものが弾け飛んだ。
無数の金属片が、一斉に外側へ弾き飛ばされる。
爆発ではない。
圧縮された空気の逆流。
その中心にいたシグルの身体が、ゴミ山の斜面ごと吹き飛んだ。
「っ……!」
受け身を取ったのか、空中で体勢をひねりながら、彼は崩れたガラクタの山に叩きつけられる。
火花。
金属音。
粉塵。
リーナは、思わず目を瞑った。
耳がじんじんする。
鼻の奥が鉄臭い。
防御結界は、ネメシス・コアから受け取った波で一瞬だけ“刺”になって周囲へ広がり、すぐまた膜へと戻った。
静寂。
しばらく、誰も動かなかった。
『……あー』
アークレールが、微妙に気まずそうな声を漏らす。
『やりやがったな、ネメシス』
『最低限の出力に抑えた』
コアの声は、妙に淡々としていた。
『契約者への拘束を解除し、脅威を排除するための最適解だ』
「最適解のスケールがおかしいんだよ……!」
リーナは、思わず叫んだ。
実際、ガルディアスの将校を粉々にしなかったのは不幸中の幸いかもしれない。
でも、それでも十分すぎる威力だった。
粉塵の向こうで、シグルがゆっくりと立ち上がる気配がした。
彼のコートは破れ、頬には細かい傷が走っている。
それでも、その目は冷静だった。
「……面白い」
口元には、かすかな笑みすら浮かんでいる。
「ネメシス・コアが、契約者防衛にここまで直接介入するとは思わなかった。 やはり、“文明継承者”とのリンクは通常の波形ではない」
「今の今まで吹き飛ばされてた人の台詞じゃないですよ……!」
「これでも本気で殴られたら、身体が残らないだろうからね。 これくらいで済んでよかったよ」
冗談とも本気ともつかない口調。
その背後で、遠くから足音が聞こえてきた。
甲冑の擦れる音。
複数の人間の気配。
ヴァルトの低い声が、夜気を切り裂く。
「全員、警戒態勢! ゴミ山を囲め!」
(まずい)
リーナの心臓が、きゅっと縮む。
このままここでシグルが捕まれば、国際問題は不可避だ。
でも、逃がせば逃がしたで、また必ず狙ってくる。
そんな葛藤を読み取ったように、シグルがふっと笑った。
「今日は、ここまでだ」
あっさりとした撤退宣言。
「君の返事は聞いた。 “ここを捨てない”という選択。 ――なら、僕も自分のやり方で君を“救う”方法を考えよう」
「救わなくていいです!」
「それは君が決めることじゃない」
金灰色の瞳が、夜の中で静かに光る。
「次は、もう少し穏やかな場で話そう。 城の塔か、戦場か、はたまた……このゴミ山の上か」
冗談みたいに言って、シグルは崩れた斜面を軽々と駆け降りていった。
防御結界の膜が、彼の通過に合わせて微かに揺れる。
今度は、リーナの波長がわざと“抜け道”を開いた。
(今、ここで捕まえて、話がこじれるのはもっと嫌)
そう判断した自分に、自分で驚く。
シグルの気配が完全に消えたころ、ヴァルト率いる兵士たちが、ゴミ山の入り口に雪崩れ込んできた。
「リーナ!」
ヴァルトが駆け寄る。
リーナは、粉塵と鉄臭さにまみれたゴミ山の真ん中で、座り込んだまま息を切らしていた。
「怪我は!?」
「ないです、多分。ネメシスが……ちょっと、派手に」
指で周囲を示す。
あちこちのガラクタが崩れ、山の形が少し変わっていた。
兵士たちは、警戒しながら周囲を確認する。
「侵入者の姿は?」
「逃げました」
正直に答える。
「ガルディアスの人でした。 シグル・ハーヴェイって名乗って……私を“保護”するって」
「……くそ」
ヴァルトの顔に、露骨な怒りが走った。
「やはり来たか……!」
兵士たちがざわめく。
ヴァルトは、深く息を吐いて頭を押さえた。
「詳細は後で聞く。 今は休め。 ネメシス・コアの自動防衛がここまで強く反応するとは、計算に入れていなかった……」
「私もです」
苦笑混じりに返す。
自分の無力さと、ネメシス・コアの強大さと。
そのどちらにも、改めて震えが走った。
◇
騒ぎがひと段落したのは、夜明け前だった。
兵士たちは見回りを強化し、魔導結界も補強されることになった。
ヴァルトは、王と軍部への報告のために城内へ戻っていった。
ゴミ山には、いつもの静けさが戻ってきたように見える。
でも、リーナの胸の奥は、まだざわざわと落ち着かなかった。
マルタが、いつの間にかそばに座っていた。
騒ぎの最中、別の場所で兵士の誘導をしていたらしく、今になってようやく腰を下ろしたらしい。
「……誘拐未遂だって?」
パンでもかじるみたいな口調で言う。
「未遂、で済んでよかったねぇ、新入り」
「笑い事じゃないんですけど」
「笑ってないさ」
マルタは、リーナの頭をじっと見つめた。
「ついて行かなかったんだね」
「……うん」
短く答える。
「“ここには勿体ない”“国宝として扱う”って言われて。 ――ちょっとだけ、揺れましたけど」
「そりゃ揺れるさ」
マルタは、あっさり認めた。
「怖い思いして、板挟み食って、“全部あんたのせい”みたいな空気味わって、それでもここに残るって決めるのは、そもそもバカのすることだよ」
「ひどくないですか、それ」
「褒めてんだよ」
笑いながら、マルタはリーナの肩をポンと叩いた。
「でもさ。 ここで“行きます”って言ってたら、あたしゃ止めてた」
「……やっぱり、止めるんですね」
「当然さ。 あんたの“行きます”って顔、きっと諦めた顔になるからね」
その言い方が、妙に胸をえぐった。
シグルの手を取る未来を、想像してみる。
豪華な部屋。
丁重な扱い。
『国宝』という名札。
そこで笑う自分の顔は――きっとどこか“空っぽ”だ。
「ここに残るって決めたのは、あんたの意地でしょ」
マルタは、煙草でも咥えたくなるような口調で言う。
「ゴミ山の主でいるって。 掃除婦でいるって。 兵器たちの話を聞き続けるって。 底にいる核の寂しさを、“一緒に抱えてやる”って」
「……うん」
それは、意地であり、我儘であり、誓いでもある。
どこの国にも完全には属さない。
王のものにも、軍のものにも、工房のものにもならない。
その代わりに――ゴミ山と、その底に眠るものたちの“主”であり続ける。
それは、「どこにも逃げ場がない」という宣言でもあった。
ガルディアスに行けば、せめて“外”という選択肢ができたかもしれない。
どこか別の国に、別の居場所が生まれたかもしれない。
でも、自分でそれを選ばなかった。
この場所に立ち続けると決めた。
「……怖いなぁ」
リーナは、膝に顔を埋めた。
「これで、“逃げ道”なくなったんだなって思うと」
「なくなってないよ」
マルタは、あっさり否定した。
「逃げようと思えば、いくらでも逃げ道はあるさ。 城壁の外だろうが、どっかの山奥だろうが、海の向こうだろうが」
「でも、それって……」
「そう。 “あんたが選ばなかった未来”だ」
マルタの声は、静かだった。
「“選べなかった”んじゃない。“選ばなかった”のさ。 それは、逃げ場がないんじゃなくて、“自分で背中の道を消した”ってこと」
リーナは、顔を上げた。
マルタの目が、細く笑っている。
「その分、前しか見なくてよくなる」
「……前?」
「うん」
マルタは、ゴミ山の奥を顎でしゃくった。
「底の方。 あんたが見なきゃいけないのは、そこだけさ。 世界がどう呼ぶとか、どこの国が何企んでるとか、全部まとめて“後ろ”だと思っときな」
それは、乱暴なようでいて、ひどく優しい言葉だった。
世界は、リーナを“文明継承者”と呼ぶ。
ガルディアスは、彼女を“国宝級の戦力”と見なす。
王は、政治のために彼女に名前を与え、軍と工房は彼女を巡って争う。
その全部を、いちいち気にしていたら、きっと潰れる。
「前見て。 足元見て。 今日拾うゴミ見て。 それでいっぱいいっぱいのままでも、あんたはきっと、ちょっとずつ世界をどうにかしてっちゃうんだろうよ」
「……無責任なこと言いますね」
「責任あるのは、あんたじゃなくて“世界側”さ」
マルタは笑う。
「怖いってちゃんと言える文明継承者に、“全部任せた!”って甘えようとしてる世界の方が、よっぽどずるいよ」
そのずるさを、リーナはもう知ってしまった。
でも、それでも。
「“選ばなかった未来”を悔やむ暇があるなら」
マルタは、リーナの額を指で軽く弾いた。
「“選んだ未来”の中で、今日できること考えな。 それがあんたのやり方でしょ、掃除婦」
掃除婦。
ゴミ山の主。
文明継承者。
ネメシス・コアの契約者。
肩書きはいくつもある。
その中で一番しっくりくるのは、やっぱり“掃除婦”だった。
「……うん」
リーナは、ゆっくりと頷いた。
シグルの差し出した手。
逃げられたはずの道。
選ばなかった未来。
それら全部を、胸の中のどこかにそっと畳んでしまう。
「なかったこと」にはしない。
でも、「今の自分の足を止める理由」にもしない。
『契約者』
地下の底から、ネメシス・コアの声がそっと届いた。
『危険度:継続』
(知ってるよ)
心の中で、苦笑混じりに返す。
(でも、もう決めちゃったしね)
どこの国にも完全には属さない。
世界から狙われる“鍵”であることも。
逃げないと決めたゴミ山の主であることも。
どれも全部、怖い。
怖いけれど――
「今日も、とりあえず掃除します」
リーナは立ち上がり、モップを手に取った。
どこにも逃げ場がないと知りながら。
それでも、前へ進むことを選んだ“怖がりの文明継承者”は、今日もゴミ山の奥へと歩いていくのだった。
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後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話8話。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
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リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
地味令嬢を見下した元婚約者へ──あなたの国、今日滅びますわよ
タマ マコト
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王都の片隅にある古びた礼拝堂で、静かに祈りと針仕事を続ける地味な令嬢イザベラ・レーン。
灰色の瞳、色褪せたドレス、目立たない声――誰もが彼女を“無害な聖女気取り”と笑った。
だが彼女の指先は、ただ布を縫っていたのではない。祈りの糸に、前世の記憶と古代詠唱を縫い込んでいた。
ある夜、王都の大広間で開かれた舞踏会。
婚約者アルトゥールは、人々の前で冷たく告げる――「君には何の価値もない」。
嘲笑の中で、イザベラはただ微笑んでいた。
その瞳の奥で、何かが静かに目覚めたことを、誰も気づかないまま。
翌朝、追放の命が下る。
砂埃舞う道を進みながら、彼女は古びた巻物の一節を指でなぞる。
――“真実を映す者、偽りを滅ぼす”
彼女は祈る。けれど、その祈りはもう神へのものではなかった。
地味令嬢と呼ばれた女が、国そのものに裁きを下す最初の一歩を踏み出す。
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