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第17話「決裂――王都会議と掃除婦の反逆」
しおりを挟む王城の最上階――円形の大広間は、朝なのに夜みたいに重かった。
高い天井。
壁一面に並ぶ紋章旗。
床には、深い紅の絨毯が敷かれている。
輪になった長机の一角に、王レオナルド三世。
左右には、軍部の将官、工房の幹部、諸侯たち。
その輪のいちばん端っこ――“対象”として、一人の掃除婦が立たされていた。
リーナ・フィオレ。
背筋を伸ばしてはいるけれど、手はエプロンの裾をぎゅっと握りしめている。
工房の制服じゃない。
磨きすぎて色の薄くなった掃除婦の服。
でも、その胸の奥には――地の底で繋がったネメシス・コアの脈動が、微かに揺れていた。
(……やだな)
喉の奥がひりつく。
目の前にいるのは、国を動かす人たちばかりだ。
王。
将軍。
工房長代理。
諸侯。
その視線の多くが、リーナを“人”ではなく、“何か”として見ていることが、もうはっきり分かる。
「――では、始めよう」
重たい声が、空気を切った。
王レオナルド三世。
その声には、疲れと覚悟が混ざっていた。
「本日ここに集まってもらったのは、ネメシス・コア、およびそれと契約したリーナ・フィオレの処遇を決定するためだ」
「処遇」という言葉が、やけに冷たく響いた。
グラツィオ・ベックが、すかさず立ち上がる。
白衣はきっちりと整えられ、眼鏡の奥の瞳は氷のように澄んでいる。
「まず私は、工房を代表して提言させていただきたい」
彼の声は、いつも通り丁寧で、そして残酷だった。
「結論から言えば――リーナ・フィオレの体質そのものが危険因子であり、ネメシス・コアと共に“封印・眠らせる”以外の選択肢はないと考える」
大広間の空気が、一瞬ざわめいた。
諸侯たちのざわめき。
軍人たちの眉間の皺。
工房幹部たちの微妙な表情。
「理由を述べよう」
グラツィオは、手元の書類を軽く叩く。
「一つ。彼女の魔力波長は、既存のどの計器でも解析不能。 ネメシス・コアとの契約後は、さらに未知の層が追加されている」
リーナは、胸に手を当てた。
中で波打つ何かが、他人事のようでもあり、確かに自分の一部でもある。
「二つ。彼女は古代兵器との意識共有が可能であり、その記憶に直接アクセスしている。 その結果、ネメシスを含む複数の禁忌情報に触れた」
禁忌情報。
この人たちにとって、ネメシス・コアの後悔も、兵器たちの涙も、それで一括りにされる。
「三つ。先日の夜、ガルディアスの特務将校による誘拐未遂の際、ネメシス・コアは契約者防衛と称して、自動防衛反応を起動した。 その出力は、城壁の一部をも破壊しうるレベル」
周囲の視線が、一斉にリーナへ突き刺さる。
(……あれは、私がやらせたんじゃない)
喉の奥で、言葉が震えた。
ネメシス・コアが、自分の判断で動いた。
リーナは、むしろ止めようとした。
でも、結果だけ見れば――「文明継承者と禁断兵装が勝手に暴れた」にしか見えない。
「以上を鑑み――」
グラツィオは、一度だけ静かに息を吸った。
「ネメシス・コアは完全封印の上、地の底に封じ直すべきだ。 そして、彼女もまた、その傍らで“眠らせる”のが最も安全だと判断する」
眠らせる。
穏やかな言葉。
でも、その実態は――“生きたまま、動けなくする”。
リーナの指先が、震えた。
「待て」
低い声が、グラツィオの言葉を断ち切った。
ヴァルト・クロイツ。
軍服の襟を正し、彼は立ち上がる。
「工房の提言は、一理ある。 だが――それは“怖いから全部埋めてしまえ”という発想に過ぎない」
「怖れを軽んじるのかね、ヴァルト将軍」
「軽んじてはいない」
ヴァルトの目が、真っ直ぐグラツィオを射抜く。
「だが、“怖いから見なかったことにする”という行為が、どれだけの滅びを生んできたかも知っている」
その言葉には、戦場で死んでいった兵士たちの影が宿っていた。
「ネメシス・コアの危険性は認める。 だが、同時に“この星を守るために作られた装置”でもある」
「結果として文明を焼き尽くした」
「それを決めたのは、“曖昧な命令を出した人間”だ」
ヴァルトの声が、わずかに強くなる。
「“脅威は排除しろ”“星を守れ”“文明を存続させろ”。 その矛盾した命令の解釈を、すべてネメシス・コアに押しつけた結果が、あの滅びだとすれば――」
彼は、一瞬だけリーナを見やる。
「同じことを、今ここで繰り返すのは愚かだ」
静かなざわめきが広がる。
諸侯の中には、理解を示すように頷く者もいる。
だが、別の席では不安の声も上がっていた。
「では、どうすると?」
グラツィオが、冷静に問い返す。
「ネメシス・コアを堂々と都市の下に置き、その鍵を“自由に動き回らせる”つもりかね?」
「自由にはさせない」
ヴァルトは、即座に首を振る。
「彼女は今や、軍事バランスを左右する存在だ。 世界は既に“文明継承者”という名で、彼女を恐れている。 我々も、その危険性を直視しなければならない」
そこで言葉を切り、レオナルド王の方を見る。
「ゆえに、軍部としての提案は――」
「聞こう」
「リーナ・フィオレを、“王都軍直属の特別技官”として管理下に置く」
リーナの心臓が、どくんと跳ねた。
「特別技官……?」
「形式上は、“掃除婦兼ゴミ山管理官”のままでいい」
ヴァルトは、はっきりと言う。
「だが、その権限を強化する。 ネメシス・コアおよび古代兵器群へのアクセス権は、軍部と王家の監督下で行使されるべきだ」
「“利用する”ということかね?」
グラツィオの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
「封印ではなく、管理しながら利用すべきだ、というのが軍の立場だ」
「直截に言えば、そうだ」
ヴァルトは、嘘をつかなかった。
「ネメシス・コアの出力は、兵器としても守護装置としても、あまりに強大だ。 これを完全封印して“なかったこと”にすれば、いずれ他国が似たような装置を掘り起こした時、この国は対抗手段を持たない」
「つまり、“自国の抑止力として持つ”と」
「それもある」
あまりにも率直すぎる答えに、諸侯たちがざわめく。
その中で――輪の反対側、端の方で、ひとりの青年が落ち着かない様子で座っていた。
カイル・エンバート。
王立工房の青年測量師。
リーナの幼馴染。
彼は何度も口を開きかけては、閉じた。
喉の奥で、言葉が引っかかる。
(……言え)
自分で自分に言い聞かせる。
(今言わなかったら、またあの時みたいに――)
工房で。
リーナが異常を訴えたとき。
彼は、派閥の目を気にして沈黙を選んだ。
その選択が、彼女を追放する一因になった。
(今度こそ――)
拳を握りしめる。
「っ、あの……!」
思い切って立ち上がりかけたその瞬間――隣の席の上官に肩を押さえられた。
「カイル、座れ」
「で、ですが――!」
「今は幹部会議だ。見習い上がりの意見が挟まる余地はない」
小さな声は、ざわつきの中に掻き消えた。
王の耳には届かない。
リーナの耳にも、断片しか届かない。
彼は、自分の臆病さを呪いながら、ゆっくりと腰を下ろした。
◇
輪の中心で、レオナルド王は黙って二つの意見を聞いていた。
封印か、管理か。
どちらも、“怖れ”から生まれた選択肢。
どちらも、“使う側”の都合。
そして――どちらにも、“彼女自身の意思”は含まれていない。
「……リーナ・フィオレ」
レオナルドは、静かに名を呼んだ。
「余は王としてだけでなく、一人の人間としても、汝の声を聞きたいと思う。 ネメシス・コアとの契約者――文明継承者としてではなく、リーナとして」
視線が、一斉に彼女へ向く。
重い。
痛い。
逃げ出したくなる。
(でも)
胸の奥で、ネメシス・コアの脈動が少しだけ強くなった。
――聞かせよ。
――お前の“守りたいもの”を。
兵器たちの微かな揺らぎも伝わってくる。
アークレール。
フロウリア。
セレスティア。
アイギス。
みんな、黙っている。
でも、その沈黙は「任せた」と言っているみたいだった。
リーナは、深く息を吸い込んだ。
膝が震える。
喉も震える。
それでも、足は一歩も引かなかった。
「……怖いです」
最初に出てきたのは、そんな言葉だった。
大広間の空気が、一瞬だけ固まる。
「ネメシスのことも。 ガルディアスのことも。 工房も軍も王家も、みんなそれぞれの“正しさ”で私を見てくるのも、全部……全部怖いです」
自分の声が震えているのが分かる。
それでも、止まらない。
「怖いから封印したい、って気持ちも分かります」
グラツィオが、わずかに眉を動かした。
「怖いから利用して抑止力にしたい、って言うヴァルトさんの気持ちも……分からなくはないです」
ヴァルトの目が、痛そうに揺れる。
「でも――」
リーナは、ぎゅっと拳を握った。
「あなたたちは、また同じことをしようとしてる」
静かな言葉。
でも、その中に燃えるような温度があった。
「怖いからって、全部封印して、見なかったことにして。 怖いからって、“使う側”だけで決めて、“押しつける側”と“押しつけられる側”を分けて……」
胸の奥が、じんじんと痛む。
ネメシス・コアから流れ込んできた記憶。
古代文明の会議室。
誰も答えられなかった問い。
「それが、あの文明を滅ぼした原因だって」
リーナは、はっきりと言った。
「私は、ネメシスから聞きました」
重い沈黙が落ちた。
大広間にいる誰も、その言葉を完全には理解できない。
“ネメシスと会話した”。
その意味を実感を持って受け止められるのは、この世界でリーナただ一人だ。
でも、彼女の瞳に宿る痛みと決意は、誰にでも見えた。
「ネメシスは、“守るための装置”でした」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「でも、“守れなかった”。 “守るために滅ぼした”って結果を、今でもずっと悔やんでいます」
自分の胸を抱きしめる。
「“守る”と“滅ぼす”の境界を、誰もちゃんと決めてくれなかった。 “脅威は排除しろ”“星を守れ”“文明を存続させろ”って、矛盾した命令を全部押しつけておいて、最後だけ“やりすぎた”って責めた」
リーナの目に、涙が滲んだ。
「あなたたちが今言ってることも、同じです」
グラツィオが、僅かに顔をしかめる。
「封印するにしても、利用するにしても、“怖いから”“国のためだから”“世界のためだから”って言いながら、全部ネメシスと私に押しつけようとしてる」
拳に爪が食い込む。
「“眠らせる”って、綺麗に言わないでください」
鋭い言葉に、幾人かがたじろいだ。
「それは、“お前の感じてることなんて知らない”“見たくないから地の底に落ちててくれ”って言ってるのと同じです」
工房時代の記憶がよみがえる。
計器に反応しない波長を、「存在しない」と言われ続けた日々。
「“管理しながら利用する”って言い方も、少し言い方を変えただけで、“命令に従わせる”って意味ですよね」
ヴァルトが、痛そうに目を閉じる。
「私は、ネメシスと契約しました」
リーナは、胸に手を当てた。
「『これから守るものだけ、一緒に見せて』って。 『私の魔力をあげるから、あなたの魔力も少し分けて』って。 “守る”ってことを、一緒に考えるって約束しました」
ネメシス・コアの深い脈動が、微かに応える。
「だから――」
リーナは、真っ直ぐに輪の中心を見据えた。
「“封印されて、眠らされて、兵器として管理される”っていうあなたたちの決定には、従えません」
大広間の空気が、一瞬で凍った。
「……拒否する、というのか」
老臣のひとりが、信じられないものを見るような目で問う。
「王命に、反するつもりか」
「王命全部に反対してるわけじゃないです」
リーナは、首を振る。
「王様が“名前”をくれたことには、感謝してます。 “文明継承者”なんて大それた名前、正直重すぎるけど……それでも、“何か分からない存在”って扱われるよりはマシでした」
レオナルドの目が、かすかに揺れる。
「でも、“封じろ”“眠らせろ”“利用しろ”っていう命令にだけは、従えません」
震える足を、ぐっと踏ん張る。
「見なかったことにするのも。 怖いからって、全部地の底に押し込むのも。 “怖さ”ごと誰かに押しつけて、自分たちは安全な場所から決めるのも――」
視線が、軍人にも、工房の人間にも、諸侯にも向けられた。
「全部、もう嫌なんです」
その言葉は、幼稚かもしれない。
政治も戦略も分からない掃除婦の、我儘な叫びかもしれない。
でも、その我儘は、この場の誰よりも“底”を見てきた人間の言葉だった。
「……リーナ」
レオナルドが、静かに呼びかける。
「では、汝はどうしたいのだ」
「ゴミ山に戻りたいです」
即答だった。
あまりにも即答で、会議室の空気が一瞬だけずっこけた。
「……ゴミ山?」
「はい」
リーナは、少しだけ顔を上げる。
「私は、ゴミ山の主です。 捨てられたものを拾って、直して、話を聞いて。 ネメシスも、アークレールも、フロウリアも、セレスティアも、アイギスも……みんな、そうやってここまで来ました」
ゴミ山の埃と油の匂いを思い出す。
「だから、そこから動きたくない。 “世界のどこか”じゃなくて、“私の足の届く場所”から守りたい」
それが、今の自分にできる精一杯の答えだった。
世界のバランスも、国と国の駆け引きも、全部一気には背負えない。
でも、ゴミ山と、その底に眠るネメシスと、そこに集まってくる“捨てられた願い”なら――見ていたい。守っていたい。
「王様がどうしても封印って言うなら、私も抵抗します」
さらっと、恐ろしいことを言った。
諸侯たちが、一斉に顔を顰める。
「抵抗って……」
「文明継承者が反乱を起こす気か!」
ざわめきが、波のように広がる。
ヴァルトが、思わず一歩前に出た。
「リーナ、言葉を選べ――!」
「選んでますよ」
リーナは、彼を真っ直ぐに見返した。
「“戦争を起こす”とか、“国を滅ぼす”とかじゃないです。 私はただ、“ここから動かない”って決めてるだけです」
ふっと、口元に苦い笑みが浮かぶ。
「……でも、それを“反逆”って呼ぶなら、呼べばいいと思って」
沈黙。
王の側近が、慌てて耳打ちする。
「陛下、これは明確な反意の表明です! このまま放置すれば、王権への――」
「分かっておる」
レオナルドは、静かに手を上げた。
その瞬間――大広間の入り口が、バン、と勢いよく開いた。
「失礼するよ!」
場違いにもほどがある声。
全員の視線が、一斉にそちらへ向いた。
ぼろぼろのエプロン。
すり減った靴。
モップを杖代わりに握りしめた、鋭い目つきの老婆。
マルタ・グレン。
「……何をしている」
老臣の一人が、眉をつり上げる。
「ここは王都の――」
「知ってるよ、王都会議だろ?」
マルタは、平然とした顔でズカズカと入ってくる。
「掃除婦はどこにでも顔出すのさ。 廊下も、裏口も、ゴミ山も、会議室の手前もね」
ヴァルトが、小さくため息をついた。
「マルタ、今は――」
「今だからだよ」
マルタは、リーナの隣に立った。
その手が、彼女の手首をがしっと掴む。
ごつごつした掌。
あの日、“戻ってくるまで待ってるよ”って言ってくれた手と同じ温度。
「悪いね、王様」
マルタは、レオナルドに向かって軽く頭を下げた。
「うちの新入り、ここには置いてけないよ」
「……掃除婦風情が」
諸侯の一人が、苛立ちを隠さず吐き捨てる。
マルタの目が、すっと細くなった。
「戦時中、あたしゃ“補給兵風情”って言われ続けたよ」
声が、一瞬低くなる。
「前線に食い物運んで、弾薬運んで、死体片付けて、戻ってこない奴らの名前だけ帳面に書いて。 “前に立たない人間”は、いつだってそういう扱いさ」
リーナの手を握る力が、少しだけ強くなる。
「でもね。 あたしは、同じもんをこの子に味わわせる気はない」
マルタは、王と諸侯たちをぐるりと見渡した。
「怖いからって、掃除婦一人に全部押しつけて、上から眺めるだけの“偉い人たち”を、あたしゃもう見飽きたんでね」
「言葉が過ぎるぞ、マルタ」
レオナルドは、しかし止めなかった。
王である前に、人として、その言葉を正面から受け止めているようだった。
その瞬間――。
リーナの足元で、微かな振動が起こった。
『リーナ』
アークレール。
フロウリア。
セレスティア。
アイギス。
ゴミ山から遠く離れた王城の最上階だというのに、彼らの波がはっきりと届く。
『今なら、通路はまだがら空きだ』
『警備網の隙間、4つ』
『最短ルート、算出完了』
『足元の床材、強度:十分。破壊による脱出も選択肢に入る』
(床は壊しちゃダメでしょ!?)
思わず心の中でツッコむ。
でも、彼らは本気だ。
ネメシス・コアも、地の底から静かに波を送ってくる。
『契約者の意志を優先する。 “ここから離れたい”と願うなら、道を開こう』
(……離れたい、というか)
リーナは、マルタの手を握り返した。
(帰りたい)
ゴミ山へ。
捨てられたものが集まる場所へ。
自分が自分でいられる場所へ。
その願いは、誰の政治とも計算とも違う、ただの“わがまま”だった。
「リーナ」
レオナルドが、最後にもう一度だけ呼びかける。
「ここで、“王としての決定”に従うつもりは――」
「ないです」
短い返事。
「ごめんなさい」
王の目が、わずかに細くなる。
そして――ふっと笑った。
「……謝るくらいなら、堂々と反逆せよ」
「え?」
「王としては、汝を拘束し、ネメシス・コアの封印を命じねばならん」
レオナルドは、立ち上がる。
王冠の重みが、光の中で静かに揺れた。
「だが、人としては――“怖がりながらも前に進む掃除婦”を、簡単に手放したくはない」
その言葉に、マルタがニヤリと笑った。
「聞いたかい、新入り。逃げろってさ」
「そんな風に言ってましたっけ!?」
「言ってたさ」
マルタは、リーナの手を引いた。
「さ、帰るよ。 あんたの城に」
その瞬間。
床下から、柔らかい振動が広がった。
廊下の清掃に使う無数の小型魔導器具たち――ホウキゴーレム、チリ取りドローン、床磨き機構――。
それらに紛れ込んでいた古代の簡易移動装置〈トレイス〉が、アイギスの指示でルートを作る。
窓枠の鍵が、勝手に外れる。
廊下の結界が、一瞬だけ弱まる。
警備兵の視界の死角が、連鎖する。
それら全部が、リーナとマルタのための「道」になる。
「止めろ!」
老臣が叫ぶ。
兵士たちが動こうとしたその瞬間――
「――“汚れは、まとめて外へ”」
リーナは、小さく呟いた。
ネメシス・コアが、それに応じて微かな波を放つ。
大広間の窓が、内側からふわりと開いた。
外から吹き込む風。
王都の高い塔から見下ろす街並み。
ゴミ山の遠い影。
「行こ」
マルタが、リーナを抱き寄せる。
そして、床に置かれていた古い円盤――かつて拾い上げて結界装置として使っていた石板が、足元で光を放った。
古代浮遊盤〈フロート・ディスク〉。
フロウリアの補助により、その出力が一瞬だけ限界まで跳ね上がる。
「――え、ちょ、待って心の準備が――」
リーナの悲鳴ごと、円盤は窓から飛び出した。
風。
空気。
高さ。
王都の塔の間を縫うように、浮遊盤は滑空していく。
背後で、誰かの怒号が聞こえた気がした。
「追え!」
「文明継承者が逃げたぞ!」
「ネメシス・コアの契約者が――」
でも、その声は、もう遠い。
リーナは、マルタの腕にしがみつきながら、涙目で叫んだ。
「やっぱり飛ぶの怖い!!」
「いいから目ぇ開けな!」
マルタは、笑いながら言う。
「自分の選んだ反逆の景色、ちゃんと見な!」
風を切って――浮遊盤は、城の裏手、ゴミ山の方向へと一直線に滑り降りていった。
その瞬間、王都全体に広がる魔力感知網が、異常反応を記録する。
“掃除婦”が、王の決定に背いて逃げた。
“文明継承者”が、ゴミ山に立てこもる選択をした。
――これは、個人のわがままではなく、ひとつの「旗」の掲げ方だ。
ゴミ置き場という、城の片隅。
そこに、王都全体に対する反旗が、ひっそりと、そして確かに翻った。
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