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第6話 罠がつなぐ会話
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放課後の訓練場は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
砂を踏む音が自分のものだけになると、世界が急に広く感じる。
遠くで鳥が鳴き、木柵の向こうから風が乾いた匂いを運んでくる。
リーナはいつもの手袋をはめ直して、膝をついた。
昨日の合同演習で使った区画より少し端の、邪魔にならない場所。
土の硬さ、砂の湿り気、足跡の残り方。
それらを確かめるのが、罠を張る前の“挨拶”みたいなものになっていた。
――来るかな。
そう思った瞬間、背後から足音がした。
規則的で、無駄がない。
剣を帯びた金具が小さく鳴る。
振り向く前から分かってしまう。あの人だ。
「アルシェイド」
低い声。短い呼び方。
「来たね、ルヴェイン」
リーナは立ち上がって、砂を軽く払った。
カイ・ルヴェインは、制服というより鎧の下に着る訓練着のままだった。
肩は広く、姿勢が真っ直ぐで、立っているだけで“戦える人間”の圧がある。
でも、目は相変わらず地面を見ていた。
人の顔じゃなく、足元の距離を測るみたいに。
「……約束した」
「うん。即決すぎて、ちょっと笑った」
「必要なら早いほうがいい」
その言い方が、妙に真面目で、リーナはまた笑いそうになった。
前世の男の人は、こういうふうに言わなかった。
必要だから、って言葉が、こんなにも真っ直ぐに出てくるのが新鮮だった。
「じゃあ、何から聞きたい?」
「昨日の罠。地雷と拘束と干渉。連鎖が早すぎる。どう組んだ」
「うーん、説明するから、ちゃんと聞いてね。長くなるよ」
「聞く」
短い返事。
でも、その“聞く”は、社交辞令じゃない。
本当に聞く気がある返事。
リーナはしゃがみ込み、指先で砂に円を描いた。
小さな円。そこから伸びる線。枝分かれ。
ただの落書きに見えるかもしれない。
でも、リーナにとっては地図だ。
「まず、最初の地雷。これはね、威力じゃなくて“ズレ”を作る用」
「ズレ」
「そう。人って、思った通りに足が出ると気持ちが大きくなる。逆に、ちょっとズレると焦る」
「……心理か」
「心理っていうか、反射かな。足が滑ると上半身が反応するでしょ。その一瞬の反応で、次の動きが遅れる」
カイはリーナの指の動きを追うように、砂の線を見つめている。
その視線が、熱い。
熱いのに、嫌じゃない。
――見られている。
ちゃんと“価値のあるもの”として見られている。
「起動条件は圧力?」
「うん。でも“圧力のかかり方”も調整できる。踏み込みが強い人ほど発動しやすくしてる」
「……相手の癖で踏ませる」
「そう。癖ってさ、本人が一番気づいてないから」
言いながら、リーナは自分の前世の癖を思い出してしまった。
笑われたら、笑い返す。
空気が悪くなりそうなら、自分が折れる。
誰かの地雷を踏まないために、常に自分を小さくする。
あれも癖だ。
癖は、気づいてないときほど強い。
カイが言った。
「拘束罠は、発動が速い。普通は術式が安定しない」
「そこは魔力配分で解決する。拘束罠って、一気に全部の魔力を流すと暴れるんだよ」
「……暴れる」
「うん。だから最初は細く流して、発動の瞬間だけ太くする。……ほら、蛇に水をやるみたいに」
「例えが雑だな」
「ごめん、上手い例え思いつかなかった」
カイの口元が、ほんの少しだけ動いた。
笑った……?
いや、笑うまではいってない。
でも、表情筋が一瞬だけ柔らかくなった。
それだけで、リーナの心臓が小さく跳ねる。
「干渉は?」
「干渉はね、相手の詠唱の“癖”に合わせる。詠唱って人によってリズムが違うでしょ」
「……騎士でも分かる」
「でしょ。魔導士って、息継ぎとか、言葉の伸ばし方とか、絶対癖がある。そこにぶつけるように魔力波形を入れると、術式が一瞬だけ崩れる」
「一瞬だけで足りるのか」
「足りるよ。戦いって一瞬だし」
リーナがそう言うと、カイは静かに頷いた。
頷き方が、真面目だ。
真面目すぎて、なんだか面白い。
「……アルシェイドは、どうして罠を選んだ」
カイが唐突に聞いた。
技術の話から、少しだけ離れた問い。
リーナは息を止めた。
どうして。
理由はある。
でも、それを話すのは怖い。
前世のことは言えない。
言えないことを抱えたまま、どう答えればいい。
「攻撃魔法、向いてなかったから」
とりあえず、事実を言う。
カイはそれだけじゃ納得しなかったらしい。
少しだけ視線を上げて、リーナの顔を見た。
「それだけなら、別の支援魔法もある」
「……うん」
リーナは砂の線を指でなぞりながら、言葉を探した。
「私さ、派手に勝つのが苦手なんだよね。たぶん」
「苦手」
「うん。目立つと、見られるでしょ。見られると、評価される。評価って……怖い」
言ってから、胸の奥が痛んだ。
“怖い”なんて言うの、弱すぎる。
笑われるかもしれない。
情けないって思われるかもしれない。
でもカイは、笑わなかった。
情けないとも言わなかった。
ただ、少しだけ眉を寄せた。
「怖いのに、罠は選ぶのか」
「罠はね、目立たないのに勝てる」
リーナは自分でも驚くくらい、素直に言った。
「勝っても、派手な拍手はない。でも結果は残る。……その方が、私には合ってる」
カイはしばらく黙っていた。
砂の上の線を見つめ、風の音を聞いているみたいに。
そして、短く言った。
「合理的だ」
「またそれ」
「褒めている」
リーナは思わず笑ってしまった。
「褒め言葉のバリエーション、増やしたら?」
「必要か?」
「必要。世の中、褒め方の種類で好感度が変わるから」
「好感度……」
カイはその単語を噛みしめるように繰り返した。
そして真顔で言う。
「戦場に好感度は要らない」
「学園は戦場みたいなもんだよ」
「……それは、少し分かる」
その一言が、妙に嬉しかった。
分かる。
理解される。
たったそれだけで、心の温度が上がる。
気づけばリーナは、かなり喋っていた。
自分でも驚くほど、言葉が止まらない。
罠の種類、設置のコツ、失敗例、起動条件の変え方。
前世では、こんなふうに誰かに熱量を向けたことがあっただろうか。
カイは、必要な時だけ質問し、それ以外は黙って聞いた。
その聞き方が、心地よかった。
途中で遮らない。
「へえ」とか「すごい」とか、薄い相槌で流さない。
理解しようとしている沈黙。
考えている沈黙。
「……つまり、罠は“相手の未来”を固定する」
カイがまとめるように言った。
「進路を狭め、選択肢を減らし、最後に止める」
「うん。そう。未来を固定するって表現、めっちゃいい」
「事実だ」
「そういう言葉、もっと出せるじゃん」
「必要なら出す」
リーナは笑いながら、手袋を外して額の汗を拭った。
日差しが少し傾いていて、砂が薄く黄金色に見える。
時間が溶ける感覚。
話しているだけなのに、満たされていく。
その時、訓練場の入り口から、甲高い笑い声が響いた。
「あーあ。やっぱりいた」
「ねえ、見て。ルヴェイン様、地味女と仲良くしてる」
「陰湿同士でお似合い~」
カリナの取り巻きだ。
数人が腕を組んでこちらを見ていた。
カリナ本人はいない。
でも、彼女の影はちゃんと伸びてくる。
リーナの胸が一瞬だけ冷える。
前世なら、ここで心が沈んで、言葉が詰まって、家に帰ってから布団に沈んでいた。
でも今日は、沈みが浅い。
それが自分でも不思議だった。
カイが、ゆっくり立ち上がった。
取り巻きたちの方へ向かって歩く。
その背中はまっすぐで、無駄がない。
「ルヴェイン様~、こんなとこで何してるんですかぁ?」
甘ったるい声。
媚びる笑い。
でもカイは、表情を変えない。
「技術の話だ」
それだけ。
盾みたいな一言。
「え?」
「技術。罠術式と誘導の連携について」
「でも、それって地味だし……」
「地味かどうかは目的に関係ない」
カイの声は平坦だった。
平坦なのに、斬れる。
「邪魔をするなら去れ」
取り巻きたちが固まった。
笑っていいのか、怒っていいのか分からない顔。
自分たちが“正しい側”にいると信じていた人間が、初めて壁にぶつかったみたいな顔。
「……っ、ルヴェイン様って、そういうの、好きなんですね」
捨て台詞みたいに言って、彼女たちは去っていった。
靴音が遠ざかる。
リーナは、呆然としてカイを見た。
カイは何事もなかったように戻ってくる。
「……あのさ」
「何だ」
「今の、庇った?」
「庇っていない」
「え」
「事実を言っただけだ。技術の話をしていた」
「……結果、盾になってたけど」
「必要だった」
必要だった。
その言葉が、胸に温かく落ちた。
前世では、誰も盾になってくれなかった。
自分で自分を守るしかなくて、その守り方が“消える”ことだった。
空気になることだった。
でも今は違う。
盾がある。
しかもそれは、同情とか優しさじゃなくて、対等な評価から生まれた盾。
「……ありがとう」
リーナが小さく言うと、カイは首を傾げた。
「礼を言う必要はない」
「そういうとこだよ」
「何がだ」
「いや、いい。……でも、嬉しい」
「嬉しいならいい」
短い会話。
でも、そこに余計な飾りがない。
だから心が軽い。
リーナは砂に描いた線を指で消しながら言った。
「ねえ、カイ」
名前で呼んだ。
口に出してから、少しだけ緊張した。
呼び捨てにするのは、距離が近い証拠だから。
カイは一瞬だけ瞬きをした。
「……何だ」
拒絶ではない。
ただ、慣れていない反応。
「今度、もっと複雑な連鎖罠も教えるよ。三段じゃなくて、五段とか」
「学びたい」
「じゃあ、代わりに騎士の誘導、もっと教えて。昨日、私の罠を踏ませる角度、完璧だった」
「……角度は計算した」
「やっぱり。あれ、センスじゃなくて計算なんだ」
「センスより再現性が必要だ」
リーナは頷いた。
再現性。
努力が努力として積み上がる世界。
それが、ここにはある。
夕日が、訓練場を赤く染め始める。
影が長く伸び、砂の粒が金色に光る。
その光の中で、リーナはふと思った。
私、今、同じ目線で誰かと立ってる。
カリナみたいに太陽になれなくてもいい。
壁際でもいい。
でも、壁際から“誰かと繋がる”ことはできる。
それは、前世の真凛が一番欲しかったものだった。
「……帰るか」
カイが言った。
「うん。今日はありがとう。楽しかった」
「学びがあった」
「それ、楽しかったってことだよ」
「……そうか」
カイがほんの少しだけ口元を緩めた。
今度こそ、微笑みに近い。
リーナの胸の中で、小さな火が灯り続ける。
罠は地面に張るもの。
でも今、彼女の心を繋いでいるのも、見えない線だった。
それは、冷笑の地雷原を避ける線じゃない。
誰かと未来を作るための線。
リーナはその線を、初めて自分の足で踏みしめていた。
砂を踏む音が自分のものだけになると、世界が急に広く感じる。
遠くで鳥が鳴き、木柵の向こうから風が乾いた匂いを運んでくる。
リーナはいつもの手袋をはめ直して、膝をついた。
昨日の合同演習で使った区画より少し端の、邪魔にならない場所。
土の硬さ、砂の湿り気、足跡の残り方。
それらを確かめるのが、罠を張る前の“挨拶”みたいなものになっていた。
――来るかな。
そう思った瞬間、背後から足音がした。
規則的で、無駄がない。
剣を帯びた金具が小さく鳴る。
振り向く前から分かってしまう。あの人だ。
「アルシェイド」
低い声。短い呼び方。
「来たね、ルヴェイン」
リーナは立ち上がって、砂を軽く払った。
カイ・ルヴェインは、制服というより鎧の下に着る訓練着のままだった。
肩は広く、姿勢が真っ直ぐで、立っているだけで“戦える人間”の圧がある。
でも、目は相変わらず地面を見ていた。
人の顔じゃなく、足元の距離を測るみたいに。
「……約束した」
「うん。即決すぎて、ちょっと笑った」
「必要なら早いほうがいい」
その言い方が、妙に真面目で、リーナはまた笑いそうになった。
前世の男の人は、こういうふうに言わなかった。
必要だから、って言葉が、こんなにも真っ直ぐに出てくるのが新鮮だった。
「じゃあ、何から聞きたい?」
「昨日の罠。地雷と拘束と干渉。連鎖が早すぎる。どう組んだ」
「うーん、説明するから、ちゃんと聞いてね。長くなるよ」
「聞く」
短い返事。
でも、その“聞く”は、社交辞令じゃない。
本当に聞く気がある返事。
リーナはしゃがみ込み、指先で砂に円を描いた。
小さな円。そこから伸びる線。枝分かれ。
ただの落書きに見えるかもしれない。
でも、リーナにとっては地図だ。
「まず、最初の地雷。これはね、威力じゃなくて“ズレ”を作る用」
「ズレ」
「そう。人って、思った通りに足が出ると気持ちが大きくなる。逆に、ちょっとズレると焦る」
「……心理か」
「心理っていうか、反射かな。足が滑ると上半身が反応するでしょ。その一瞬の反応で、次の動きが遅れる」
カイはリーナの指の動きを追うように、砂の線を見つめている。
その視線が、熱い。
熱いのに、嫌じゃない。
――見られている。
ちゃんと“価値のあるもの”として見られている。
「起動条件は圧力?」
「うん。でも“圧力のかかり方”も調整できる。踏み込みが強い人ほど発動しやすくしてる」
「……相手の癖で踏ませる」
「そう。癖ってさ、本人が一番気づいてないから」
言いながら、リーナは自分の前世の癖を思い出してしまった。
笑われたら、笑い返す。
空気が悪くなりそうなら、自分が折れる。
誰かの地雷を踏まないために、常に自分を小さくする。
あれも癖だ。
癖は、気づいてないときほど強い。
カイが言った。
「拘束罠は、発動が速い。普通は術式が安定しない」
「そこは魔力配分で解決する。拘束罠って、一気に全部の魔力を流すと暴れるんだよ」
「……暴れる」
「うん。だから最初は細く流して、発動の瞬間だけ太くする。……ほら、蛇に水をやるみたいに」
「例えが雑だな」
「ごめん、上手い例え思いつかなかった」
カイの口元が、ほんの少しだけ動いた。
笑った……?
いや、笑うまではいってない。
でも、表情筋が一瞬だけ柔らかくなった。
それだけで、リーナの心臓が小さく跳ねる。
「干渉は?」
「干渉はね、相手の詠唱の“癖”に合わせる。詠唱って人によってリズムが違うでしょ」
「……騎士でも分かる」
「でしょ。魔導士って、息継ぎとか、言葉の伸ばし方とか、絶対癖がある。そこにぶつけるように魔力波形を入れると、術式が一瞬だけ崩れる」
「一瞬だけで足りるのか」
「足りるよ。戦いって一瞬だし」
リーナがそう言うと、カイは静かに頷いた。
頷き方が、真面目だ。
真面目すぎて、なんだか面白い。
「……アルシェイドは、どうして罠を選んだ」
カイが唐突に聞いた。
技術の話から、少しだけ離れた問い。
リーナは息を止めた。
どうして。
理由はある。
でも、それを話すのは怖い。
前世のことは言えない。
言えないことを抱えたまま、どう答えればいい。
「攻撃魔法、向いてなかったから」
とりあえず、事実を言う。
カイはそれだけじゃ納得しなかったらしい。
少しだけ視線を上げて、リーナの顔を見た。
「それだけなら、別の支援魔法もある」
「……うん」
リーナは砂の線を指でなぞりながら、言葉を探した。
「私さ、派手に勝つのが苦手なんだよね。たぶん」
「苦手」
「うん。目立つと、見られるでしょ。見られると、評価される。評価って……怖い」
言ってから、胸の奥が痛んだ。
“怖い”なんて言うの、弱すぎる。
笑われるかもしれない。
情けないって思われるかもしれない。
でもカイは、笑わなかった。
情けないとも言わなかった。
ただ、少しだけ眉を寄せた。
「怖いのに、罠は選ぶのか」
「罠はね、目立たないのに勝てる」
リーナは自分でも驚くくらい、素直に言った。
「勝っても、派手な拍手はない。でも結果は残る。……その方が、私には合ってる」
カイはしばらく黙っていた。
砂の上の線を見つめ、風の音を聞いているみたいに。
そして、短く言った。
「合理的だ」
「またそれ」
「褒めている」
リーナは思わず笑ってしまった。
「褒め言葉のバリエーション、増やしたら?」
「必要か?」
「必要。世の中、褒め方の種類で好感度が変わるから」
「好感度……」
カイはその単語を噛みしめるように繰り返した。
そして真顔で言う。
「戦場に好感度は要らない」
「学園は戦場みたいなもんだよ」
「……それは、少し分かる」
その一言が、妙に嬉しかった。
分かる。
理解される。
たったそれだけで、心の温度が上がる。
気づけばリーナは、かなり喋っていた。
自分でも驚くほど、言葉が止まらない。
罠の種類、設置のコツ、失敗例、起動条件の変え方。
前世では、こんなふうに誰かに熱量を向けたことがあっただろうか。
カイは、必要な時だけ質問し、それ以外は黙って聞いた。
その聞き方が、心地よかった。
途中で遮らない。
「へえ」とか「すごい」とか、薄い相槌で流さない。
理解しようとしている沈黙。
考えている沈黙。
「……つまり、罠は“相手の未来”を固定する」
カイがまとめるように言った。
「進路を狭め、選択肢を減らし、最後に止める」
「うん。そう。未来を固定するって表現、めっちゃいい」
「事実だ」
「そういう言葉、もっと出せるじゃん」
「必要なら出す」
リーナは笑いながら、手袋を外して額の汗を拭った。
日差しが少し傾いていて、砂が薄く黄金色に見える。
時間が溶ける感覚。
話しているだけなのに、満たされていく。
その時、訓練場の入り口から、甲高い笑い声が響いた。
「あーあ。やっぱりいた」
「ねえ、見て。ルヴェイン様、地味女と仲良くしてる」
「陰湿同士でお似合い~」
カリナの取り巻きだ。
数人が腕を組んでこちらを見ていた。
カリナ本人はいない。
でも、彼女の影はちゃんと伸びてくる。
リーナの胸が一瞬だけ冷える。
前世なら、ここで心が沈んで、言葉が詰まって、家に帰ってから布団に沈んでいた。
でも今日は、沈みが浅い。
それが自分でも不思議だった。
カイが、ゆっくり立ち上がった。
取り巻きたちの方へ向かって歩く。
その背中はまっすぐで、無駄がない。
「ルヴェイン様~、こんなとこで何してるんですかぁ?」
甘ったるい声。
媚びる笑い。
でもカイは、表情を変えない。
「技術の話だ」
それだけ。
盾みたいな一言。
「え?」
「技術。罠術式と誘導の連携について」
「でも、それって地味だし……」
「地味かどうかは目的に関係ない」
カイの声は平坦だった。
平坦なのに、斬れる。
「邪魔をするなら去れ」
取り巻きたちが固まった。
笑っていいのか、怒っていいのか分からない顔。
自分たちが“正しい側”にいると信じていた人間が、初めて壁にぶつかったみたいな顔。
「……っ、ルヴェイン様って、そういうの、好きなんですね」
捨て台詞みたいに言って、彼女たちは去っていった。
靴音が遠ざかる。
リーナは、呆然としてカイを見た。
カイは何事もなかったように戻ってくる。
「……あのさ」
「何だ」
「今の、庇った?」
「庇っていない」
「え」
「事実を言っただけだ。技術の話をしていた」
「……結果、盾になってたけど」
「必要だった」
必要だった。
その言葉が、胸に温かく落ちた。
前世では、誰も盾になってくれなかった。
自分で自分を守るしかなくて、その守り方が“消える”ことだった。
空気になることだった。
でも今は違う。
盾がある。
しかもそれは、同情とか優しさじゃなくて、対等な評価から生まれた盾。
「……ありがとう」
リーナが小さく言うと、カイは首を傾げた。
「礼を言う必要はない」
「そういうとこだよ」
「何がだ」
「いや、いい。……でも、嬉しい」
「嬉しいならいい」
短い会話。
でも、そこに余計な飾りがない。
だから心が軽い。
リーナは砂に描いた線を指で消しながら言った。
「ねえ、カイ」
名前で呼んだ。
口に出してから、少しだけ緊張した。
呼び捨てにするのは、距離が近い証拠だから。
カイは一瞬だけ瞬きをした。
「……何だ」
拒絶ではない。
ただ、慣れていない反応。
「今度、もっと複雑な連鎖罠も教えるよ。三段じゃなくて、五段とか」
「学びたい」
「じゃあ、代わりに騎士の誘導、もっと教えて。昨日、私の罠を踏ませる角度、完璧だった」
「……角度は計算した」
「やっぱり。あれ、センスじゃなくて計算なんだ」
「センスより再現性が必要だ」
リーナは頷いた。
再現性。
努力が努力として積み上がる世界。
それが、ここにはある。
夕日が、訓練場を赤く染め始める。
影が長く伸び、砂の粒が金色に光る。
その光の中で、リーナはふと思った。
私、今、同じ目線で誰かと立ってる。
カリナみたいに太陽になれなくてもいい。
壁際でもいい。
でも、壁際から“誰かと繋がる”ことはできる。
それは、前世の真凛が一番欲しかったものだった。
「……帰るか」
カイが言った。
「うん。今日はありがとう。楽しかった」
「学びがあった」
「それ、楽しかったってことだよ」
「……そうか」
カイがほんの少しだけ口元を緩めた。
今度こそ、微笑みに近い。
リーナの胸の中で、小さな火が灯り続ける。
罠は地面に張るもの。
でも今、彼女の心を繋いでいるのも、見えない線だった。
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誰かと未来を作るための線。
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「君には失望したよ。ミレイ傷つけるなんて酷いことを! 婚約解消の通知は君の両親にさせて貰うから、もう会うこともないだろうな!」
言い捨てるような突然の婚約解消に、困惑しかないアマリリス・クライド公爵令嬢。
「ミレイ様とは、どなたのことでしょうか? 私(わたくし)には分かりかねますわ」
「とぼけるのも程ほどにしろっ。まったくこれだから気位の高い女は好かんのだ」
先程から散々不満を並べ立てるのが、アマリリスの婚約者のデバン・クラッチ侯爵令息だ。煌めく碧眼と艶々の長い金髪を腰まで伸ばした長身の全身筋肉。
彼の家門は武に長けた者が多く輩出され、彼もそれに漏れないのだが脳筋過ぎた。
だけど顔は普通。
10人に1人くらいは見かける顔である。
そして自分とは真逆の、大人しくか弱い女性が好みなのだ。
前述のアマリリス・クライド公爵令嬢は猫目で菫色、銀糸のサラサラ髪を持つ美しい令嬢だ。祖母似の容姿の為、特に父方の祖父母に溺愛されている。
そんな彼女は言葉が通じない婚約者に、些かの疲労感を覚えた。
「ミレイ様のことは覚えがないのですが、お話は両親に伝えますわ。それでは」
彼女(アマリリス)が淑女の礼の最中に、それを見終えることなく歩き出したデバンの足取りは軽やかだった。
(漸くだ。あいつの有責で、やっと婚約解消が出来る。こちらに非がなければ、父上も同意するだろう)
この婚約はデバン・クラッチの父親、グラナス・クラッチ侯爵からの申し込みであった。クライド公爵家はアマリリスの兄が継ぐので、侯爵家を継ぐデバンは嫁入り先として丁度良いと整ったものだった。
カクヨムさん、小説家になろうさんにも載せています。
【完結】悪役令嬢ですが、元官僚スキルで断罪も陰謀も処理します。
かおり
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異世界で悪役令嬢に転生した元官僚。婚約破棄? 断罪? 全部ルールと書類で処理します。
謝罪してないのに謝ったことになる“限定謝罪”で、婚約者も貴族も黙らせる――バリキャリ令嬢の逆転劇!
※読んでいただき、ありがとうございます。ささやかな物語ですが、どこか少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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