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第14話 誇り
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地面には、すでに世界ができている。
誰の目にも映らない線。
誰の耳にも届かない沈黙。
それでも確かにそこに存在する、見えない秩序。
リーナは、足裏でそれを感じていた。
自分が刻んだものが、地面の下で呼吸している。
蜘蛛の巣みたいに広がった術式が、静かに“その時”を待っている。
カリナはまだ派手な炎の中にいる。
火炎球を撃ち、火炎柱で囲い、火炎蹴りで押し切る。
観客は沸き、太陽の勝利を信じている。
けれどリーナは知っている。
勝敗を決めるのは、派手さじゃない。
“起動条件”だ。
リーナが作った地雷原の起動条件は、カリナ自身の魔力。
炎を出すたびに、カリナの魔力が地面へ染みる。
その染みた魔力を“鍵”にして、罠が開く。
――だから、撃てば撃つほど、あなたは自分で扉を開ける。
リーナは呼吸を一つだけ深く吸い、足を止めた。
逃げ続ける影が、初めて“止まる”。
「……終わりにしよう、カリナ」
リーナの声が結界の中で響くと、観客席がざわっと波打った。
カリナは笑う。
でも、その笑いは薄い。
炎の熱の向こうで、目だけが冷たく光っている。
「今さら強がり? もう逃げ道、ないわよ」
「逃げ道は……作るものじゃなくて、奪うもの」
リーナは言って、指先を床へ落とした。
見える術式じゃない。
最後の“鍵”を回すための、ほんの一線。
――起動。
ぴし、と空気が裂けるような音が、結界の内側で確かに鳴った。
派手じゃない。爆発もしない。
ただ、世界の重力が一瞬だけ逆転するみたいに、空気の流れが変わった。
カリナの炎が、跳ねた。
「……っ、なに……?」
カリナが目を見開く。
火炎球が、リーナに向かうはずの軌道で、ふっと歪んで――反転した。
まるで鏡にぶつかったみたいに、火が跳ね返る。
火の塊が、カリナ自身の足元へ落ちる。
熱が床を舐め、彼女の靴底を焦がす。
「っ……!」
カリナは反射的に跳び退く。
いつもの優雅さじゃない。
生き物としての本能的な回避。
観客席が「え?」とざわめく。
さっきまで太陽を称えていた声が、混乱の声に変わる。
「今の……カリナ様の炎、戻った?」
「反射……? 何が起きたの?」
「リーナ、何したの……?」
リーナは答えない。
答えられない。
説明すれば、罠は“見える”ものになる。
見えた瞬間、相手に対策される。
でもカリナは、察した。
察しが早い。
それが彼女の強さでもある。
「……地面」
カリナは歯を噛み、視線を足元へ落とした。
見えないのに、感じ取っている。
「地面に……何かしたのね」
「うん」
リーナは短く頷いた。
「あなたの魔力で起動する罠。撃つほど、自分を追い込む」
カリナの瞳が、わずかに揺れる。
焦り。
そして、怒り。
「ふざけないで」
カリナの声が低くなる。
「私の炎を……私の武器を、利用するなんて」
「利用じゃない。戦術」
リーナは言った。
声はまだ震えている。
でも震えは、恐怖だけじゃない。
誇りの震えだ。
「戦術って言えば何でも許されると思ってる?」
「許されるとかじゃない。勝つための方法を選んでるだけ」
カリナが一歩踏み出す。
その踏み出しにすら、罠が反応しそうになる。
カリナはそれを感じて、歯を食いしばった。
「私は正面から勝つ。正面から勝つのが強さでしょ」
「正面から勝てる人が、正面を選ぶだけ」
「……っ」
カリナの炎が膨らむ。
空気が熱で歪み、観客席から「熱い」と声が漏れる。
結界の内側が、夏の昼みたいに息苦しくなる。
カリナは手のひらを突き出した。
でも、火炎球じゃない。
火を“尖らせる”。
炎が槍になる。
細く、鋭く、一点に集中する火。
広く燃やすためじゃなく、穿つための炎。
「なら、穴を空けるまでよ」
カリナは笑った。
その笑いは、太陽の余裕じゃない。
傷ついた獣の笑いだ。
「地面の罠に穴を空けて、私の道を通す」
炎槍が床へ突き刺さる。
ドン、と地面が鳴った。
白い石が赤く焼け、熱が波のように広がる。
それでも、リーナの罠は消えない。
“世界”は地面の表面じゃなく、魔力の層に作られている。
カリナは舌打ちした。
「硬い……!」
「当然。私はそれに全部賭けてる」
リーナは言った。
「あなたの火力に勝つ方法は、これしかないから」
「じゃあ、賭けに負けたら終わりね」
「うん。だから勝つ」
二人の声が結界の中でぶつかる。
観客はその空気に飲まれ、さっきまでの歓声が消えていく。
祭りの熱が、戦いの熱に変わる。
カリナが炎槍を連続で突き立てる。
一本、二本、三本。
地面に穴を開けようとする。
罠の連鎖を断ち切ろうとする。
リーナは走った。
走りながら補修する。
断ち切られた線を繋ぎ直し、起動条件を微調整する。
罠を張るだけじゃない。
戦場で培った“修復”の感覚。
――焦るな。
――見ろ。
――全体を。
前世で培った癖が、ここで最大に生きる。
一箇所に目を奪われない。
炎槍の一点を見ない。
カリナの呼吸を、足運びを、焦りのリズムを読む。
「カリナ、あなた……焦ってる」
リーナが言うと、カリナの目がぎらりと光る。
「焦ってない」
「焦ってるよ。火が尖りすぎてる」
「うるさい!」
カリナが踏み込む。
火炎蹴り。
リーナは避ける。
避けるけれど、もう“逃げ”じゃない。
誘導じゃない。
迎え撃つための位置取り。
そして、リーナは足を止める。
カリナの正面で。
「っ……!」
観客が息を呑む。
太陽の前に影が立つ。
潰される、と誰もが思う。
でも、リーナは微笑んだ。
小さく。
震える唇で。
それでも確かに。
「……ここ」
リーナは囁くように言った。
「あなたが一番火を出した場所」
カリナの瞳が、理解で揺れる。
遅れて、顔が青くなる。
「まさか……」
「起動条件は、あなたの魔力」
リーナは一歩だけ踏み込んだ。
最後の“押しボタン”みたいに。
ぴしっ――では終わらない。
カリナの足元から、見えない力が一斉に立ち上がった。
地雷の“ズレ”が連続し、重心が乱れる。
拘束罠が絡みつき、足首を奪う。
干渉陣が喉の奥の魔力を乱し、炎の詠唱が詰まる。
「……っ、く……!」
カリナが膝をつきそうになる。
それでも、彼女は諦めない。
火炎を尖らせ、槍にして、全力で地面を穿つ。
「開けなさいよ……!」
炎が爆ぜる。
熱が弾け、結界が揺れる。
観客席から悲鳴が上がる。
司会が叫ぶ。
「結界強化! 結界強化!」
火と罠がぶつかり合う。
太陽と地面が、互いを砕こうとする。
リーナは歯を食いしばり、魔力を流し込む。
腕が痛い。
頭が割れそう。
でも止めない。
「あなたは強い!」
リーナは叫んだ。
「火力も、才能も、努力も! だから私は――仕組みで勝つ!」
「仕組みって言葉で、私を見下してるの!?」
カリナが叫び返す。
目に涙が滲んでいる。悔しさの涙。
「私は、ずっと正面で勝ってきた! それが私の誇りなの!」
「見下してない!」
リーナも叫ぶ。
「私は羨ましかった! あなたみたいに堂々と立てるのが! でも私は、私の誇りを選んだ!」
二人の言葉が、炎の音に負けないくらい熱くぶつかる。
観客が黙る。
教師たちの顔も真剣になる。
これはただの試合じゃない。
生き方の衝突だ。
そして――クライマックスが来た。
カリナが最後の炎槍を突き立てた瞬間。
リーナが最後の魔力を流し込んだ瞬間。
二つの力が、同じ場所で重なった。
――ドン。
爆発。
音が遅れて耳を殴り、光が視界を白く塗りつぶす。
熱風が全身を叩き、髪が舞い、制服が揺れる。
結界がきしむ音がした。
観客の悲鳴が遠くなる。
煙が立ち、砂埃が舞う。
白い床が黒く焦げ、中心の魔法陣が一部欠けている。
沈黙。
司会の声も止まる。
誰も息ができないみたいに、空気が凍った。
最初に動いたのは、リーナだった。
リーナは立っていた。
膝は震えている。
腕は痺れている。
制服は焦げ、袖が破れている。
でも、立っている。
そして――カリナは、膝をついていた。
肩で息をし、髪が乱れ、額に汗が光る。
太陽が、地面に落ちた姿。
カリナはゆっくり顔を上げた。
瞳は悔しさで濡れている。
でも、その奥にあるのは、崩れていない誇りだった。
「……負けたわ」
カリナの声は震えていた。
だけど、逃げない震えだ。
「私の負け。……リーナ・アルシェイドの勝ちよ」
歓声が、遅れて爆発した。
でもその歓声は、ただの熱狂じゃない。
驚きと、納得と、震えが混じった歓声だった。
リーナは、勝った実感が遅れてやってきて、喉の奥が熱くなった。
泣きそうになる。
でも今は泣かない。
泣いたら、前世の自分が戻ってきそうだから。
審判が勝利を宣言し、結界が解かれる。
係員が駆け寄り、救護班がカリナを支えようとする。
でもカリナは手を払った。
「大丈夫。……自分で立てる」
その言葉が、彼女の誇りそのものだった。
カリナはゆっくり立ち上がり、リーナの前まで歩いてくる。
周囲が息を呑む。
何か言われるんじゃないか。
嫌味か。涙か。怒りか。
カリナは、リーナの前で立ち止まり――深く息を吸った。
「……私は、あなたの勝ち方が嫌いだった」
正直な言葉。
観客席がざわっとする。
「だって、私の強さを、私の火を、仕組みで絡め取る。……それが怖かった」
リーナは黙って聞いた。
言い返さない。
カリナが今、初めて“本音”を出していることが分かるから。
「でも」
カリナは続けた。
「今日、分かった。あなたは逃げてなかった。
正面から勝てないから背を向けたんじゃない。
あなたはあなたの誇りで、正面に立っていた」
リーナの胸が、ぎゅっとなる。
誇り。
その単語が、涙腺を揺らす。
カリナは、まっすぐリーナを見た。
「だから、私は二つ負けた。
試合に負けた。
そして……あなたの生き方に負けた」
その言葉は、敗北宣言だった。
でも、負け惜しみじゃない。
負けを受け入れる強さの言葉。
リーナは小さく息を吐いた。
胸の奥で、何かがほどける音がした。
前世の真凛が握りしめていた「どうせ私なんて」という石が、少し欠けた気がした。
「……ありがとう」
リーナはようやく言った。
声は掠れていた。
「私、ずっとあなたが怖かった」
「知ってる」
カリナは笑う。
初めて、太陽じゃない笑い方。
ただの女の子の笑い方。
「でも怖がりながら出てきた。……それが一番ムカつくくらいすごい」
「ムカつくは余計」
「褒めてるの」
カリナはそう言って、ふっと視線を逸らした。
取り巻きたちが遠巻きに見ている。
彼女はその視線を一瞬だけ見て、肩をすくめた。
「……これから、簡単には勝てない相手が増えるわよ」
「うん」
「学園の華って、座ってるだけじゃ維持できないの。私も、また戦う」
カリナは唇を引き結ぶ。
「次は負けない」
宣言。
敗北の中に、次の火が生まれている。
それがカリナという人間の誇りだ。
リーナは、その誇りが眩しく感じた。
でも、前みたいに羨むだけじゃない。
「次も、勝つよ」
リーナが言うと、カリナは目を細めた。
「言うようになったじゃない」
「……自信、ついた」
「いいことよ」
その瞬間、観客席から大きな歓声が上がった。
自分の名前を呼ぶ声。
拍手。
旗が揺れる。
リーナは空を見上げた。
青い空。
同じ空なのに、さっきより少しだけ優しく見える。
――私は、壁際のままでも勝てる。
――でも、もう壁際に戻らなくてもいい。
地面に刻んだ世界が、リーナを支えている。
そして今、リーナの胸の中にも、目に見えない“世界”ができていた。
それは誇りという名前の、静かで確かな地盤だった。
誰の目にも映らない線。
誰の耳にも届かない沈黙。
それでも確かにそこに存在する、見えない秩序。
リーナは、足裏でそれを感じていた。
自分が刻んだものが、地面の下で呼吸している。
蜘蛛の巣みたいに広がった術式が、静かに“その時”を待っている。
カリナはまだ派手な炎の中にいる。
火炎球を撃ち、火炎柱で囲い、火炎蹴りで押し切る。
観客は沸き、太陽の勝利を信じている。
けれどリーナは知っている。
勝敗を決めるのは、派手さじゃない。
“起動条件”だ。
リーナが作った地雷原の起動条件は、カリナ自身の魔力。
炎を出すたびに、カリナの魔力が地面へ染みる。
その染みた魔力を“鍵”にして、罠が開く。
――だから、撃てば撃つほど、あなたは自分で扉を開ける。
リーナは呼吸を一つだけ深く吸い、足を止めた。
逃げ続ける影が、初めて“止まる”。
「……終わりにしよう、カリナ」
リーナの声が結界の中で響くと、観客席がざわっと波打った。
カリナは笑う。
でも、その笑いは薄い。
炎の熱の向こうで、目だけが冷たく光っている。
「今さら強がり? もう逃げ道、ないわよ」
「逃げ道は……作るものじゃなくて、奪うもの」
リーナは言って、指先を床へ落とした。
見える術式じゃない。
最後の“鍵”を回すための、ほんの一線。
――起動。
ぴし、と空気が裂けるような音が、結界の内側で確かに鳴った。
派手じゃない。爆発もしない。
ただ、世界の重力が一瞬だけ逆転するみたいに、空気の流れが変わった。
カリナの炎が、跳ねた。
「……っ、なに……?」
カリナが目を見開く。
火炎球が、リーナに向かうはずの軌道で、ふっと歪んで――反転した。
まるで鏡にぶつかったみたいに、火が跳ね返る。
火の塊が、カリナ自身の足元へ落ちる。
熱が床を舐め、彼女の靴底を焦がす。
「っ……!」
カリナは反射的に跳び退く。
いつもの優雅さじゃない。
生き物としての本能的な回避。
観客席が「え?」とざわめく。
さっきまで太陽を称えていた声が、混乱の声に変わる。
「今の……カリナ様の炎、戻った?」
「反射……? 何が起きたの?」
「リーナ、何したの……?」
リーナは答えない。
答えられない。
説明すれば、罠は“見える”ものになる。
見えた瞬間、相手に対策される。
でもカリナは、察した。
察しが早い。
それが彼女の強さでもある。
「……地面」
カリナは歯を噛み、視線を足元へ落とした。
見えないのに、感じ取っている。
「地面に……何かしたのね」
「うん」
リーナは短く頷いた。
「あなたの魔力で起動する罠。撃つほど、自分を追い込む」
カリナの瞳が、わずかに揺れる。
焦り。
そして、怒り。
「ふざけないで」
カリナの声が低くなる。
「私の炎を……私の武器を、利用するなんて」
「利用じゃない。戦術」
リーナは言った。
声はまだ震えている。
でも震えは、恐怖だけじゃない。
誇りの震えだ。
「戦術って言えば何でも許されると思ってる?」
「許されるとかじゃない。勝つための方法を選んでるだけ」
カリナが一歩踏み出す。
その踏み出しにすら、罠が反応しそうになる。
カリナはそれを感じて、歯を食いしばった。
「私は正面から勝つ。正面から勝つのが強さでしょ」
「正面から勝てる人が、正面を選ぶだけ」
「……っ」
カリナの炎が膨らむ。
空気が熱で歪み、観客席から「熱い」と声が漏れる。
結界の内側が、夏の昼みたいに息苦しくなる。
カリナは手のひらを突き出した。
でも、火炎球じゃない。
火を“尖らせる”。
炎が槍になる。
細く、鋭く、一点に集中する火。
広く燃やすためじゃなく、穿つための炎。
「なら、穴を空けるまでよ」
カリナは笑った。
その笑いは、太陽の余裕じゃない。
傷ついた獣の笑いだ。
「地面の罠に穴を空けて、私の道を通す」
炎槍が床へ突き刺さる。
ドン、と地面が鳴った。
白い石が赤く焼け、熱が波のように広がる。
それでも、リーナの罠は消えない。
“世界”は地面の表面じゃなく、魔力の層に作られている。
カリナは舌打ちした。
「硬い……!」
「当然。私はそれに全部賭けてる」
リーナは言った。
「あなたの火力に勝つ方法は、これしかないから」
「じゃあ、賭けに負けたら終わりね」
「うん。だから勝つ」
二人の声が結界の中でぶつかる。
観客はその空気に飲まれ、さっきまでの歓声が消えていく。
祭りの熱が、戦いの熱に変わる。
カリナが炎槍を連続で突き立てる。
一本、二本、三本。
地面に穴を開けようとする。
罠の連鎖を断ち切ろうとする。
リーナは走った。
走りながら補修する。
断ち切られた線を繋ぎ直し、起動条件を微調整する。
罠を張るだけじゃない。
戦場で培った“修復”の感覚。
――焦るな。
――見ろ。
――全体を。
前世で培った癖が、ここで最大に生きる。
一箇所に目を奪われない。
炎槍の一点を見ない。
カリナの呼吸を、足運びを、焦りのリズムを読む。
「カリナ、あなた……焦ってる」
リーナが言うと、カリナの目がぎらりと光る。
「焦ってない」
「焦ってるよ。火が尖りすぎてる」
「うるさい!」
カリナが踏み込む。
火炎蹴り。
リーナは避ける。
避けるけれど、もう“逃げ”じゃない。
誘導じゃない。
迎え撃つための位置取り。
そして、リーナは足を止める。
カリナの正面で。
「っ……!」
観客が息を呑む。
太陽の前に影が立つ。
潰される、と誰もが思う。
でも、リーナは微笑んだ。
小さく。
震える唇で。
それでも確かに。
「……ここ」
リーナは囁くように言った。
「あなたが一番火を出した場所」
カリナの瞳が、理解で揺れる。
遅れて、顔が青くなる。
「まさか……」
「起動条件は、あなたの魔力」
リーナは一歩だけ踏み込んだ。
最後の“押しボタン”みたいに。
ぴしっ――では終わらない。
カリナの足元から、見えない力が一斉に立ち上がった。
地雷の“ズレ”が連続し、重心が乱れる。
拘束罠が絡みつき、足首を奪う。
干渉陣が喉の奥の魔力を乱し、炎の詠唱が詰まる。
「……っ、く……!」
カリナが膝をつきそうになる。
それでも、彼女は諦めない。
火炎を尖らせ、槍にして、全力で地面を穿つ。
「開けなさいよ……!」
炎が爆ぜる。
熱が弾け、結界が揺れる。
観客席から悲鳴が上がる。
司会が叫ぶ。
「結界強化! 結界強化!」
火と罠がぶつかり合う。
太陽と地面が、互いを砕こうとする。
リーナは歯を食いしばり、魔力を流し込む。
腕が痛い。
頭が割れそう。
でも止めない。
「あなたは強い!」
リーナは叫んだ。
「火力も、才能も、努力も! だから私は――仕組みで勝つ!」
「仕組みって言葉で、私を見下してるの!?」
カリナが叫び返す。
目に涙が滲んでいる。悔しさの涙。
「私は、ずっと正面で勝ってきた! それが私の誇りなの!」
「見下してない!」
リーナも叫ぶ。
「私は羨ましかった! あなたみたいに堂々と立てるのが! でも私は、私の誇りを選んだ!」
二人の言葉が、炎の音に負けないくらい熱くぶつかる。
観客が黙る。
教師たちの顔も真剣になる。
これはただの試合じゃない。
生き方の衝突だ。
そして――クライマックスが来た。
カリナが最後の炎槍を突き立てた瞬間。
リーナが最後の魔力を流し込んだ瞬間。
二つの力が、同じ場所で重なった。
――ドン。
爆発。
音が遅れて耳を殴り、光が視界を白く塗りつぶす。
熱風が全身を叩き、髪が舞い、制服が揺れる。
結界がきしむ音がした。
観客の悲鳴が遠くなる。
煙が立ち、砂埃が舞う。
白い床が黒く焦げ、中心の魔法陣が一部欠けている。
沈黙。
司会の声も止まる。
誰も息ができないみたいに、空気が凍った。
最初に動いたのは、リーナだった。
リーナは立っていた。
膝は震えている。
腕は痺れている。
制服は焦げ、袖が破れている。
でも、立っている。
そして――カリナは、膝をついていた。
肩で息をし、髪が乱れ、額に汗が光る。
太陽が、地面に落ちた姿。
カリナはゆっくり顔を上げた。
瞳は悔しさで濡れている。
でも、その奥にあるのは、崩れていない誇りだった。
「……負けたわ」
カリナの声は震えていた。
だけど、逃げない震えだ。
「私の負け。……リーナ・アルシェイドの勝ちよ」
歓声が、遅れて爆発した。
でもその歓声は、ただの熱狂じゃない。
驚きと、納得と、震えが混じった歓声だった。
リーナは、勝った実感が遅れてやってきて、喉の奥が熱くなった。
泣きそうになる。
でも今は泣かない。
泣いたら、前世の自分が戻ってきそうだから。
審判が勝利を宣言し、結界が解かれる。
係員が駆け寄り、救護班がカリナを支えようとする。
でもカリナは手を払った。
「大丈夫。……自分で立てる」
その言葉が、彼女の誇りそのものだった。
カリナはゆっくり立ち上がり、リーナの前まで歩いてくる。
周囲が息を呑む。
何か言われるんじゃないか。
嫌味か。涙か。怒りか。
カリナは、リーナの前で立ち止まり――深く息を吸った。
「……私は、あなたの勝ち方が嫌いだった」
正直な言葉。
観客席がざわっとする。
「だって、私の強さを、私の火を、仕組みで絡め取る。……それが怖かった」
リーナは黙って聞いた。
言い返さない。
カリナが今、初めて“本音”を出していることが分かるから。
「でも」
カリナは続けた。
「今日、分かった。あなたは逃げてなかった。
正面から勝てないから背を向けたんじゃない。
あなたはあなたの誇りで、正面に立っていた」
リーナの胸が、ぎゅっとなる。
誇り。
その単語が、涙腺を揺らす。
カリナは、まっすぐリーナを見た。
「だから、私は二つ負けた。
試合に負けた。
そして……あなたの生き方に負けた」
その言葉は、敗北宣言だった。
でも、負け惜しみじゃない。
負けを受け入れる強さの言葉。
リーナは小さく息を吐いた。
胸の奥で、何かがほどける音がした。
前世の真凛が握りしめていた「どうせ私なんて」という石が、少し欠けた気がした。
「……ありがとう」
リーナはようやく言った。
声は掠れていた。
「私、ずっとあなたが怖かった」
「知ってる」
カリナは笑う。
初めて、太陽じゃない笑い方。
ただの女の子の笑い方。
「でも怖がりながら出てきた。……それが一番ムカつくくらいすごい」
「ムカつくは余計」
「褒めてるの」
カリナはそう言って、ふっと視線を逸らした。
取り巻きたちが遠巻きに見ている。
彼女はその視線を一瞬だけ見て、肩をすくめた。
「……これから、簡単には勝てない相手が増えるわよ」
「うん」
「学園の華って、座ってるだけじゃ維持できないの。私も、また戦う」
カリナは唇を引き結ぶ。
「次は負けない」
宣言。
敗北の中に、次の火が生まれている。
それがカリナという人間の誇りだ。
リーナは、その誇りが眩しく感じた。
でも、前みたいに羨むだけじゃない。
「次も、勝つよ」
リーナが言うと、カリナは目を細めた。
「言うようになったじゃない」
「……自信、ついた」
「いいことよ」
その瞬間、観客席から大きな歓声が上がった。
自分の名前を呼ぶ声。
拍手。
旗が揺れる。
リーナは空を見上げた。
青い空。
同じ空なのに、さっきより少しだけ優しく見える。
――私は、壁際のままでも勝てる。
――でも、もう壁際に戻らなくてもいい。
地面に刻んだ世界が、リーナを支えている。
そして今、リーナの胸の中にも、目に見えない“世界”ができていた。
それは誇りという名前の、静かで確かな地盤だった。
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そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
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