ベスティエンⅢ

熒閂

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#24:Die schmerzlose Bestie

Never knows a stab 03

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 喫煙コーナーへ行った渋撥シブハツがなかなか戻ってこなかった。
 バッティングの次は、プリントシール機コーナーへ行きたい彼女たちは待つのも限界。あとどのくらい待っていれば渋撥が戻ってくるのか見当も付かない。彼女たちには門限がある。無限に待機することはできない。どうせ喫煙コーナーはプリントシール機コーナーへの動線途中にあるのだから、移動がてら覗くことにした。

 喫煙コーナーとは名ばかりの、フロアの隅に間仕切りも無く、腰より少し低い高さのスチール製の灰皿が置かれただけのエリア。そこで渋撥は、ふたりの女と灰皿を囲んでいた。

「あ。お兄はん女の人に声かけられてはる」

 最初にそれを見つけて声を上げたのは和々葉ワカバだった。
 モミジと和々葉の後ろを歩いていた伊予イヨは、ふたりの間を縫って顔を出した。

「え、ドコドコ? 声かけられてんの? 声かけたんやのォて?」

「だって1対2やもん。囲まれてる感じ。アレはかけられてるほうえ」

 レイ夜子ヨルコは伊予と三人で会話しながら歩いていた。偲は前方の椛と和々葉に加わったため、ふたりだけ並んでいた。
 夜子が禮を見ると、他人事のようにキョトンとしている。禮にとって渋撥は初恋であり、初めての恋人であり、自分以外の女と一緒にいるというのにそれがどういうことなのか実感が湧かない。妬き方も知らない。……という禮の心境が、夜子には手に取るように分かった。

「渋撥はん、モテはるんやねえ」

「えっ。あ、うん。そう、みたい……?」

 ――しょうのない子。
 夜子は少々困ったように眉尻を下げた。夜子が見透かした禮の心境はやはり当たっているようだ。同い年の少女の情緒としてはやや心許ない。

「お兄はんみたいな人て、やっぱああいうタイプがお好きなんやろか」

「強めメイクの肉食系ギャルっぽいかんじ? 禮ちゃんとはぜんぜんタイプちゃうね」

 椛と和々葉は悪気なく、渋撥を囲む女子高生と禮とを比較した。
 禮は、ぜんぜんタイプが異なるとは事実を述べているだけであって優劣の話ではないと分かってはいても、何となく居心地が悪かった。

「禮、お兄はん呼んできて」

 突然伊予からそう言われ、禮は「え、今ッ?」と聞き返した。

「バット振って疲れたし喉渇いた。早くプリクラ撮って何か飲みに行こ」

「でもいま何か話してるし」

「禮はカノジョなんやから遠慮なんか要れへんやん。禮が呼んでこおへんならお兄はんは置いてく」

「ええ~~……」

「カ・ノ・ジョ!」

 伊予は、禮が否定的な声音を出したのが気に入らなかったか、一回り声量を大きくして被せた。
 禮は抵抗は無駄だと悟った。項垂れて小さな声で「ハイ……」と返した。
 禮を半ば無理矢理送り出した伊予は、その背中を仁王立ちして見守った。禮のトボトボとした足取りは明らかに気が進まなさそうだ。

「禮と渋撥はんの邪魔するのはやめたん?」

 夜子が伊予に尋ねた。伊予は面白くなさそうに目を細めた。

「お兄はんみたいなのは禮に相応しくない。むしろ悪影響。せやから早いとこキレイサッパリ別れたらええのにと心の中では強く願ってる。願ってるケド……」

「自分本位な子やわ」

「ウチが丹精こめて〝王子〟に育てた禮と付き合うてるのに、あんな目の周りが真っ黒い不健康オバケに目移りするなんか許さへんッ!」

 伊予はグッと拳を握って力説した。




 石楠セキナン女学院ジヨガクインの少女たち曰く、不健康なまでにメイクが濃い女子高生たちは、スマートフォンを手に持ってしきりに喫煙中の長身の男に話しかけた。男からのリアクションは薄かったが気にしなかった。
 彼女たちが簡単に引き下がらなかったのは、その男が何者であるか一目見て分かったからだ。特徴的な白い学生服に、見上げるほど背が高く、厳つい人相――――荒菱館コーリヨーカン高校の眉なしの大男といえば、かの有名な暴君で間違いない。

「スマホ出してよ。ID教えるし」

「あ、ウチもウチも」

「要らん」

 渋撥は彼女たちのほうへ顔を向けようともせずフーッと煙を吐いた。

「えー、そんなこと言わなくていーじゃん」

「オーミくんめっちゃ有名じゃん。たまに遊ぼーよ」

 若い娘のほうから声をかけられたら普通の男は悪い気はしないのかもしれない。しかし、渋撥は一切の興味がなかった。むしろ食傷気味だ。有名だから、喧嘩が強そうだから、荒菱館だから、その手の誘いには飽き飽きしている。
 渋撥がまったくスマートフォンを取り出そうとしないものだから、彼女たちはやり方を変えることにした。バッグからペンと小さな紙切れを取り出した。壁に向かって紙切れに名前と思しき平仮名と英数字の羅列を書きつけた。
 渋撥の手を両手で取ってその紙切れを握らせた。

「じゃあコレ、ウチのID。好きなトキに送って」

 彼女たちは全力の愛嬌を振りまき、対照的に渋撥は無表情で無言だった。これで気が済んだなら立ち去ってくれないか。下心はないとはいえ、女から手を握られているところなど見られたら禮やその友人たちにどう思われることか。
 そのようなことを考えていると、背中に気配が生まれた。

「ハッちゃ~ん……」

「オウ。終わったんか」

 渋撥は女の掌中からパッと手を引き抜いて背後を振り返った。
 禮が浮かない表情をしているのが嫌な感じだ。悪い想定どおりになってやしないか。女連れにも拘わらず節操のない行動をしたなどと思われては困るのだが。

「伊予ちゃんが、何か飲みに行こうて」

 禮は渋撥に話しながらも視線は女子高生のほうへ向いていた。
 そうか、と渋撥は禮の視線を遮るように半歩動いて肩に手を置いた。
 女子高生たちは〝有名人〟に話しかけた少女に興味津々。渋撥の大きな身体を避けて禮を覗きこんだ。

「なに、この中学生」

「妹? 似てなさスギ」

 ――ていうかすっげええ美少女。
 女子高生たちは禮を凝視して固まった。禮の容貌を一目見て、似てない妹という可能性は捨て去った。そうなると〝有名人〟と幼気な女子中学生との接点は何も思いつかない。

「俺のオンナや」

「マジィッ?」

 女子高生たちは盛大に聞き返した。
 渋撥は彼女たちに手渡されたメモをクシャッと握り潰して灰皿のなかに捨てた。煙草の先端をメモごと灰皿に押しつけて火種を潰した。

「あッ!」「ちょっと!」と彼女たちは非難の声を上げた。
 渋撥はそれを一切無視した。禮の肩に手を置いたまま、彼女たちにクルリと背を向け歩き出した。

「ウチも髪染めよかな……」

「急に何言い出すねん」

 渋撥は禮の独り言を耳にして眉根を寄せた。

「ハッちゃんは、ああいうお姉ちゃんが好き?」

「禮が好きや」

 渋撥は禮と目を合わせて臆面もなく断言した。禮はうっと押し黙って渋撥から顔を背けた。

「今のままで充分カワイイけど、禮がしたいなら好きなカッコしたらええ。どーせカワイイからな」

 渋撥は禮の二の腕を掴んで引き寄せ、耳にチュッと軽く口付けた。
 禮は「うぎゃあっ」と声を上げて顔面を真っ赤にして一歩飛び退いた。その信じられないという表情を見て、渋撥はクッと笑みを溢した。

 渋撥が立ち去ったあと、女子高生ふたり組は顔に皺を刻んで怒りに打ち震えていた。必死で媚びを売って得意の愛嬌を振りまいていたのが馬鹿みたい。目も合わせない、歯牙にも掛けない、一切の関心を引き出せなかったばかりか、まだ女にも成っていないような少女を目の前で明らかに特別扱いするのは侮辱と同義。袖にされるだけならまだしも、あの所業は腹に据えかねる。

「はあああッ? あんなチューガクが《荒菱館コーリヨーカン近江オーミ》のオンナ⁉」

「何なのあの断り方! ちょっと有名だからってナメんなよッ」

 女子高生のひとりはスマートフォンをトトトンとタップしたのち、耳に当てた。

「ウチちょっとカレシ電話する」

「たった今他の男に乗り換えよーとしてたのによくカレシに電話できるね」

「だってダメだったじゃん」

「アンタえぐくない?」

「何でか知んないけど《荒菱館の近江》見たら連絡しろって言われてんだよねー」




 少女たちがプリントシール機で満足ゆくまで遊び追えたあと、一行はゲームセンター近くのコーヒーショップに入店した。
 ドリンクを買って席に着くなり先程撮影したばかりのシールの展覧会の始まり始まり。シールと一緒にテーブルの上に出されたのはカラフルなペンケース。ぱんぱんに膨らんだペンケースから、色も種類も異なる何本ものペン、ステープラー、のり、小型のハサミまで出てきた。渋撥にはこれほど大量の文具を何に使うのか分からなかった。この少女たちはこれらをすべて使いこなしているのか。そもそも学校とはこれほどたくさんの道具が必要だっただろうか。
 椛はプリントシールをハサミで几帳面に等分に切り分けた。

「ハイ、禮ちゃんの分」と差し出されたものを禮が受け取る前に、渋撥が横からヒョイと奪い取った。

「あっ。勝手に見んといてよハッちゃん」

「変や。目がデカイ」

「変とか言うの禁止! そーゆー風に写るモンやの」

「ちゅうかごっつ白いな」

「それもそーゆー風に写るもんですよって」

 夜子は、怪訝そうにしている渋撥をフフフと笑った。
 禮は渋撥の手からシールを奪い取って口を尖らせた。椛と和々葉は、変ではない、可愛いよ、とフォローした。渋撥に対する緊張もだいぶ解け、打ち解けてわいわいと笑顔もあった。
 伊予ひとりだけがテンション低く、じと~っと批判的な目を渋撥に向けた。

「お兄はんの断り方ってエグイ」

 伊予がそのようなことを言い出し、全員の視線が彼女に集まった。

「さっきプリクラんトコで女の子に何かメモ渡されてはったやん。アレケー番とかIDなんでしょー? 目の前で捨てるとかちょっとカワイソー」

「何が可哀想なんや」

「禮の前やから受け取れへんいうのは分かるケド、あんな露骨に目の前で捨てはるなんて」

「要らんもんは捨てるやろ」

「本人の前で捨てるのはどーかなてことデスよ。あとで見えへんとこで捨てたらええのに」

「どこで捨てても一緒や」

「自分の渡したモン目の前で捨てられたらフツー傷つくやん。たとえ要らんもんでも」

「?」

 ポンポンと続いたラリーが渋撥の番で途切れた。渋撥は苛立つでも腹を立てるでもなく、純粋に意味が分からないという表情。
 伊予は眉をひん曲げ、ゆうに数十秒は渋撥を凝視した。渋撥はその間、まずいことをしたという素振りは一切なく恬然としていた。

「まさかウチが言うてる意味ほんまに分かれへんわけじゃ……?」

「さっきから必死に何の話してんねん」

 伊予の両腕を悪寒が駆け抜けた。共感はゼロ、何も理解し合えない、まるで人ならざるものと接しているようで寒気がした。

「う、うわわわわわわっ恐い! 恐スギ! 鳥肌立ったーッ! お兄はん人の心の痛みとか分かれへん人間なんやー! 冷血! ロボット!」

 伊予は身を縮めて自分の腕をしきりに摩ながら好き放題に放言した。
 著しく思いこみが激しいのも歯に衣着せないのも彼女の性格だ。共にいる時間が長い友人たちはもうどうにもならないと諦めている。
 情緒不安定な小娘だ、と渋撥は内心思ったが最早何も言わなかった。




 ドッドッドッドッドッドッ。
 渋撥たちが店から出ようとして自動ドアが開いた途端、大きなエンジン音が耳を突いた。
 そのまま店外に出ると、此方を見てくる視線を感じた。気配を感じたほうへ目を向けると、バイクに跨がったり降りて地面に座りこんだりした、ざっと数えて7人程度の男たち。全員が渋撥に視線をロックオンしていた。
 男たちは何やら申し合わせ、此方に近づいてきた。彼らは三方に別れた。ひとりは渋撥の真正面で足を止め、残りは渋撥を取り囲むようにして左右に分かれた。

「荒菱館の近江シブハツ君。お久し振りィー」

 真正面に立った男が言葉を発した瞬間、渋撥の表情がにわかに険しくなった。
 禮は瞬時に空気がピリッと緊張したのを察知した。彼らは渋撥にとって敵なのだ。出逢った瞬間に牙を剥いて威嚇し合うほどに決定的な敵なのだ。
 左右に分かれた男たちは、渋撥の後ろにいる少女たちが視界に入った。鮮明な真っ青の制服が目に付かないわけがなかった。

「チューガク生なんか連れてどうした。激しく似合わねーぞ」

「ウワッ。コレ石楠じゃん」

 ひとりの男が椛の腕を掴んだ。キャッと細い悲鳴が漏れた。
 椛の隣にいた和々葉が、触らないで、と声を上げた瞬間、なにかが高速で目の前を通過した。
 バッキィインッ!
 渋撥は振り向き様に、椛に触れた男を殴り飛ばした。
 キャァァアアアーッ、と椛や和々葉、伊予から甲高い悲鳴が上がった。

「何してんだテメーッ!」

 殴られた男と別の人物は渋撥の行動を見て動揺した。慌てて和々葉の腕を掴まえ、楯にするように自分のほうへ力任せに引き寄せた。和々葉は「イヤァッ!」と必死に抵抗した。

「女連れでケンカするつもりかボケナスがッ!」

「知るか」と渋撥は吐き捨てた。
 大きく硬い拳が、和々葉の頭上を通過して男の顔面を捉えた。
 ガキャアンッ!

「げあァッ‼」

 殴られた男は衝撃で和々葉から手を離し、地面に背中から倒れこんだ。
 和々葉は男から解放されても恐怖で身体が硬直した。

「逃げろ。死ぬ気で走れ」

 渋撥の低い声が頭上から降ってきてハッと我に返った。和々葉は反射的に禮の後ろに隠れた。
 自分の足で走って逃げろというのに。この少女たちは本当に王子から守られるのが習慣づいているらしい。完璧と賞賛する強くて優しい王子がいつも傍におり、如何なるときも勇敢に守ってくれる。しかも王子は見返りも求めないのだからこういうことにもなるか。
 渋撥は男たちへ身体の正面を向けてバキバキッと指の骨を鳴らした。
 男たちは渋撥と真正面から対峙し、ジリッとわずかに後退した。現実に後退した距離よりも気持ちはさらに後退した。圧倒的有利な情況でありながらプレッシャーを押し返せなかった。

「ハッちゃん……ッ」

 渋撥が一歩進み出た瞬間、禮が声をかけた。
 その声が渋撥の足を停めさせた。考える必要が無いと切り捨てたものを惹起させた。いくら逃げろと言ったところで、14,15の少女の足で何処まで行ける。相手は此方より頭数が多い上、バイクという機動力も備えている。か弱い少女が万事逃げ切れるはずがない。
 禮以外を守るつもりはない。禮以外に大切なものなど無い。禮だけが助かればそれで充分だ。それが渋撥の本音だ。しかし、禮が友人を見捨てはしないことは分かり切っている。もしも自分がそれをしたなら、禮に薄情者と非難される。殴られるよりも耐え難い。
 分かっている、善意じゃない。善人であるはずがない。老若男女分け隔て無く博愛主義の覆面愛好家のヒーローなんてクソくらえ。禮に嫌われたくないから、禮に今生恨まれたくないから、禮に悪者だと非難されたくないから、そのような狡い理由により握った拳を下げるのだ。

 男のひとりが、地面に倒れている仲間の許にしゃがみこんだ。仲間は完全に意識を失っていた。

「クソッ。コイツもうダメだ。パンチ一発喰らっただけで……ッ」

 男たちは重々警戒しつつ渋撥との距離を徐々に詰めてゆく。弱味を握り優勢であっても、渋撥の一撃必殺の破壊力は恐ろしい。

「石楠ってことァ、ソイツらいいトコのお嬢さんだろ。キズ物になんかなったら困ンだろ。そうなりたくなかったらおとなしく俺たちについてこい」

 男たちは渋撥に自身の優勢を言い聞かせた。暴力で以てこの暴君を制御することはできない。質を取ることでしか抑制できない。
 渋撥にとって最も重大な理由は男たちの思惑とは異なっていたが、自身の情況をよく理解できる程度には冷静だった。
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