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三話 ディアルガと母
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遠い昔のように感じられる幼いころに起こった事件から始まった二人の婚約は、つい昨日終わった。
恐れられる外見と一層増して堅物になったディアルガとは対照的に、うつくしくてかわいらしく、性別や年齢を問わず人々の庇護欲を掻き立てて仕方のないミティルニアの婚約はどこか異質ではあったが社交界の誰もが知り、ほほえましく見守っていたものであっただけに大きな衝撃を与え、噂が広まるのは一晩あれば十分だった。
「もう噂が回ってしまったのね。ミティルニアさんのところには朝から釣書が山のように届いているそうよ?」
「…そうですか」
出回った噂の結果まで耳にしたらしいラルドラ侯爵家の女主人、つまりはディアルガの実母ビアンカはじっとりとした目線を息子に送る。
「まったく! 寡黙とは良く言うものね、わたくしにはお前はただの優柔不断な愚図にしか見えなくてよ」
「優柔不断とは…? 俺は、何かを決めなければらない状態ではないと思うのですが」
あまり好きではないが押し付けられたので仕方なく珈琲を口にしながら聞こえるか聞こえないかくらいの微かな声量で呟くと、ラルドラ家の女主人は目尻をぐいっと吊り上げる。しまった、と思っても時は既に遅く、大きくため息を吐いたビアンカは捲し立てるようにディアルガに詰め寄る。
「お前が今しなくてはいけないことなど、決まっているでしょう。ミティルニアさんに縋るでもなんでもして、婚約を再び結ぶのです! このままではアーレンフェスト伯爵はすぐにでも次の婚約者を決めてしまうわ」
「婚約の解消は俺も了承したことですし、それにミティルニアには想い慕う相手がいるとのことですのでそのような事は」
「そんなもの、奪ってしまえばそれまでよ。それに、ミティルニアさんがそんな不誠実とも言える理由で婚約を解消するだなんて信じられないわ。貴方がそんなにも無口で、気の利く言葉の一つも言おうとしないから婚約を解消するためにそんなことを言ったのでしょう」
どうしてもディアルガがミティルニアとの婚約解消に頷いたことが気に食わないビアンカはやれ手紙をかけだの伯爵家に迎えだのと言い立てるがディアルガはまるで聞こえていないかのようにそれらを黙殺する。それが余計に火に油を注ぐのだが、ディアルガはどうしても母親の言う通りに行動する気にはならなかった。
「俺は、確かに淑女の感情の機敏には疎いかとは思います。ですが、ミティルニアが誰かに恋情を抱いているのは…確かなことです。それを、無視するようなことは俺にはできません」
「あのねえ…好いた女の幸せを願うのは大変に結構だけれど、後で後悔しても何にもならないのよ? それこそ、我が家門よりも優れ…、何よ?」
貴族らしからぬ小綺麗な言葉を並べる息子に再び説教を聞かせようとするビアンカは言葉半ばでぴたりと口を閉じる。何処か飽きたような面立ちでビアンカの言葉を聞く姿勢を見せていたディアルガが、突然に立ち上がった為である。
不振な様子の息子にビアンカは幾度か声をかけるがディアルガは反応を示さず、動揺したように瞳を頼りなくあちこちへとさ迷わせている。
「母上は、俺がミティルニアを好いていると仰るのですか…?」
どれほどの間そうしていたのかは分からないが、暫く経ってようやくディアルガは多少なりとも正気を取り戻したのか再び一人掛けのソファに腰を下ろし、既に飽きて手元で茶菓子を遊ばしていたビアンカにそう尋ねる。
「その通りでしょう、何かおかしいことでもあって?」
反対に、やっと退屈から解放されるかとぱっと視線を上げたビアンカはそんなことを聞く方がおかしいとばかりにディアルガを見やる。
「俺は、ミティルニアも含め、誰も好いてなどいません」
「はぁ…?」
常に上品に微笑を浮かべているラルドラ家の女主人は恐らく、初めて心の底からの素っ頓狂な声を出した。
恐れられる外見と一層増して堅物になったディアルガとは対照的に、うつくしくてかわいらしく、性別や年齢を問わず人々の庇護欲を掻き立てて仕方のないミティルニアの婚約はどこか異質ではあったが社交界の誰もが知り、ほほえましく見守っていたものであっただけに大きな衝撃を与え、噂が広まるのは一晩あれば十分だった。
「もう噂が回ってしまったのね。ミティルニアさんのところには朝から釣書が山のように届いているそうよ?」
「…そうですか」
出回った噂の結果まで耳にしたらしいラルドラ侯爵家の女主人、つまりはディアルガの実母ビアンカはじっとりとした目線を息子に送る。
「まったく! 寡黙とは良く言うものね、わたくしにはお前はただの優柔不断な愚図にしか見えなくてよ」
「優柔不断とは…? 俺は、何かを決めなければらない状態ではないと思うのですが」
あまり好きではないが押し付けられたので仕方なく珈琲を口にしながら聞こえるか聞こえないかくらいの微かな声量で呟くと、ラルドラ家の女主人は目尻をぐいっと吊り上げる。しまった、と思っても時は既に遅く、大きくため息を吐いたビアンカは捲し立てるようにディアルガに詰め寄る。
「お前が今しなくてはいけないことなど、決まっているでしょう。ミティルニアさんに縋るでもなんでもして、婚約を再び結ぶのです! このままではアーレンフェスト伯爵はすぐにでも次の婚約者を決めてしまうわ」
「婚約の解消は俺も了承したことですし、それにミティルニアには想い慕う相手がいるとのことですのでそのような事は」
「そんなもの、奪ってしまえばそれまでよ。それに、ミティルニアさんがそんな不誠実とも言える理由で婚約を解消するだなんて信じられないわ。貴方がそんなにも無口で、気の利く言葉の一つも言おうとしないから婚約を解消するためにそんなことを言ったのでしょう」
どうしてもディアルガがミティルニアとの婚約解消に頷いたことが気に食わないビアンカはやれ手紙をかけだの伯爵家に迎えだのと言い立てるがディアルガはまるで聞こえていないかのようにそれらを黙殺する。それが余計に火に油を注ぐのだが、ディアルガはどうしても母親の言う通りに行動する気にはならなかった。
「俺は、確かに淑女の感情の機敏には疎いかとは思います。ですが、ミティルニアが誰かに恋情を抱いているのは…確かなことです。それを、無視するようなことは俺にはできません」
「あのねえ…好いた女の幸せを願うのは大変に結構だけれど、後で後悔しても何にもならないのよ? それこそ、我が家門よりも優れ…、何よ?」
貴族らしからぬ小綺麗な言葉を並べる息子に再び説教を聞かせようとするビアンカは言葉半ばでぴたりと口を閉じる。何処か飽きたような面立ちでビアンカの言葉を聞く姿勢を見せていたディアルガが、突然に立ち上がった為である。
不振な様子の息子にビアンカは幾度か声をかけるがディアルガは反応を示さず、動揺したように瞳を頼りなくあちこちへとさ迷わせている。
「母上は、俺がミティルニアを好いていると仰るのですか…?」
どれほどの間そうしていたのかは分からないが、暫く経ってようやくディアルガは多少なりとも正気を取り戻したのか再び一人掛けのソファに腰を下ろし、既に飽きて手元で茶菓子を遊ばしていたビアンカにそう尋ねる。
「その通りでしょう、何かおかしいことでもあって?」
反対に、やっと退屈から解放されるかとぱっと視線を上げたビアンカはそんなことを聞く方がおかしいとばかりにディアルガを見やる。
「俺は、ミティルニアも含め、誰も好いてなどいません」
「はぁ…?」
常に上品に微笑を浮かべているラルドラ家の女主人は恐らく、初めて心の底からの素っ頓狂な声を出した。
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