和を以て貴しと為す

雨宿り

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第二章

第九話 墨子糸に泣く

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 初めて、食事というものに対して美しいという感想を持った。


 顔を洗って、念入りに顔の赤みが引いているかを確認してからキッチンに戻ると、机の上には二人分の料理が並んでいて、白米が装われた茶碗を両手に持った蓮見は、それを机に起きながら、さらりと言う。

 「とりあえず今日は適当に作ったから、文句は後で言ってね」

 これが、適当だと言うのか。
 衝撃の発言に愕然としながらも、昨晩の夕食が早い上、一食分足りていなかった御厨は、その美しい食卓に吸い寄せられるように席についていた。

 「これ、食っていいのか」
 「もちろん。召し上がれ」
 「いただきます…」

 涎が垂れていてもおかしくないような勢いで尋ねると、先程の笑みはとっくになくなった、いつものぼんやりした表情の蓮水が促すように手を広げている。今は恥ずかしさよりなにより、目下の食欲に突き動かされて慌てて手を合わた。
 箸を手に取り、料理に手をつける前、なんとなく向いに座る蓮水を盗み見ると、目を伏せた蓮水も手を合わせている。

 何故かその時思った。
 この瞬間は、一生忘れられないような気がする、と。


 「いただきます」


 独り言のような小さな声を追いかけるように、御厨ももう一度、いただきます、と呟いた。




 第九話  墨子糸に泣く



 美味い。
 言葉を失うほどに、美味い。食事からじんわりと熱が移るように温まるのはお腹に留まらず、手足から心臓の方までじんわりと広がる温もりを感じた。
 白身の焼き魚のあまりの素朴な味わいの良さに、箸が止まったのを見た蓮水は、上目使いで眉を寄せる。

「口に合わない?」
「だい、じょう、ぶ」

 話し方まで忘れてしまうほどの衝撃だった。
 味噌汁のようなものに口をつけると、今まで自分が食べてきたものはなんだったのだろうも思う程に全身に染み渡って行き、つい深いため息めいたものが零れてしまう。

   「ん、よかった。鯵が売ってたから食べたくなってさ。和食にしちゃった」

 まだ残ってるからそっちで煮付けも作りたいなあ、と呟く様はやけに楽しそうだった。魚を口にしながら、自分で作った料理に対して満足そうに薄く微笑んでいて、胸の辺りが妙なざわめきを覚える。

 それからは会話もなく、というか御厨がなにも発さなかった為、互いに無言のまま皿の上のものを平らげしまった。決して気まずさがあるわけではなく、必死に食事に食らいついていたら、つい言葉を忘れてしまったのだ。

 御厨の暮らしてきた環境で、こういった食事を誰かと囲んだことはなかった。
 ふわふわとしていてあっさりとした味付けの焼き魚も、溢れんばかりに盛られた炊きたての米も、具材が沢山入った味噌汁も、見た目もつやつやと美しい、なにか出汁のような味がする卵焼きも、何もかもが新鮮だった。量も蓮水の分より明らかに多いようだったが、米と味噌汁はすぐに食べきってしまい、目が合った蓮水はまた薄ら口角を上げながらおかわりをよそってくれた。

   「ごちそうさまでした」

 一足先に食事を終えていた蓮水は洗い物をしながら、食器を運んでくるように言う。そろそろと食器を動かしながら、そういえば食器が足りないといったことを言っていた気がするが、この皿はどうしたのだろう。

  「どうだった?口に合った?」
  「まあまあ…うま、かった」

 そう口走ってしまった瞬間、心の中で膝を着いて崩れ落ちる。
 めちゃくちゃ美味しかった。自分で言っておいていざ食べて味が苦手だったらどうしたものかと思っていたが、あまり食べた事のない味だったのにも関わらず、驚く程にしっくりときた。

  「まあまあならよかった」
  
 何かを食べて安心感を得たのははじめてのことだった。
 自分の知らない好みを教えてもらったようで、これからの日々にこの食事があると思うと、なんだか頑張れるような気がする。
 そう、伝えればよいものを、洗い物する蓮水の横顔をじっと見ていることしか出来なかった。
 視線に気がついたのか不思議そうにこちらを見返す。

  「なに?なんかあった?」
  「いや、その………あ、対価っていうのか、それはどうしたらいいか、と…」
  「あ、食費?ちょっと待ってね」

 そう言いながらエプロンで手を拭うと、ぱたぱたと駆け足で部屋に戻っていった。
 何かと思って追いかけようと立ち上がった矢先、すぐにリビングに帰ってきた蓮水は、ダイニングテーブルの上に白い紙を置く。細長いそれは、どうやらレシートだった。文字を目で辿ると、間違いなくこの食事に使われている食材と、その他にも肉や野菜、調味料などが並んでいる。

  「これって…」
  「とりあえず分かりやすいように買ってきてみたけど、今日の朝夜の二人分。食材費はこんなもん」
  「はぁ?!一日でこれ?!食堂一食分じゃねえか!」
  「そう!この学校はおかしいんだよ。あまりにも学食が高い。そういう生徒の為のヤマガミ様なんだよ。まあ今自炊してるのは僕だけらしいんだけどね」

 自分で料理をするという発想がそもそもない。殆どの生徒がそのはずだ。ここは、普通の学園ではない。
 蓮水が料理をするのを見る前は、どうにか学食やその他から部屋までデリバリーをする手段はないかと頭を悩ませていたほどだ。

 そして、ずっと気になっていたことについて、やっと質問ができた。
 レシートの1番上、やたら渋い書体で記されたカタカナを指す。

  「ヤマガミって、何かの店?」
  「寮のすぐ側にある売店だよ。学校行く道と反対側にあるから、存在知らない人もいるって聞いてたけど、初めに案内されなかった?僕は兄も同じ学校だったから、前に聞いてて知ってたけど」

 あの副会長のスカした笑顔がちらついて不快な気持ちなる。しかし、蓮水は兄が卒業生という、新しい情報をひとつ手に入ったことが嬉しく、気になることを加えて聞いた。

  「お前しか行かないのになんで色々売ってんだ」
  「お客さんいないわけじゃないからね。お菓子とか日用品とかを買う人が殆どらしい。高いものは申請はいるけど、ネットショッピングみたいに使ったりも出来るしね。今日の魚は頼んだのじゃなくて、職員寮の寮母さんが沢山買うおこぼれがあると、たまに安く買わせてもらってるんだ」

 ありがたい限り、と真剣な面持ちで手を合わせる蓮水からは切実さが滲んでいた。
 話を聞いていると、やたら金銭を節約しているようだった。食事にかかる金額のことなんて、しっかりと考えたことはなかったかもしれない。

 「今後は、俺が全部出す」
 「ダメ」
 「なんでだ。俺が買って、蓮水が作るんだからトントンだろ」
 「趣味でやってんのに、仕事になるでしょ。それだとやる気出なくなっちゃうから」

 謙遜している様子がないせいで、御厨はどう説得するべきか分からなかった。食事というのは、当然金がかかるものと思っているし、作る人間への対価は必要だと思う。だが、言いすぎて作らなくなられてしまっては本末転倒であるし、今のところ彼の言い分を飲む以外の選択肢はないのかもしれない。

 「変なやつだな、お前。何が楽しいんだよ」
 「…多分。僕にはこの時間が必要なんだ。必要だから、やってるだけ」
 「…わかった。申請?だかなんだか済んだらひと月分の額は渡すから、それ以上かかったときはちゃんと言え。絶対多く払ったりするなよ」
 「はあい」


 自分のプライドをさらけ出したつもりだったが、蓮水はあしらうようなおざなりな返事をしてきた。
 こいつ本当に大丈夫かと訝しむ目をしていると、「あ、でも」と言葉を繋いで、ちらりと視線をこちらに移す。

 「御厨、食べ方綺麗だから嬉しかったよ。お粗末さまでした」

 とてもさり気ない物言いだった。

 そんなことを言われたのは初めてだった。


 全く言葉が出てこなくなってしまって、ぼんやりとしたその顔を見つめていると、不思議そうな顔をした蓮水はぷいと視線を逸らしながら、キッチンを片付けはじめている。

 返事をしろ!俺!なんでだ!
 胸に手を当てるとやけに鼓動が早くて、妙な緊張を覚えていたことを知る。なんだ、なんなんだこの気持ち。


 「あ、リクエストとかあったら言ってね。その方が助かる」
 すっ」
 「す?」

 何を言い出しかけたのかは自分でも分からなかったが、言ってはいけないことのような気がして口を塞いでいた。
 どうした。どうしたんだ、自分。せめていつもの調子に戻らなくては。


 「スペアリブ…」
 「あはは、それは流石に食堂じゃない?本当に変なやつだね、御厨って」

 笑った。普通に笑っている。なんだこれ。笑っただけなのに、まるで世界中に花が咲いたみたいに空気が綻ぶ。幸も影も薄かったはずの顔が、表情ひとつでこんなに変わるなんて。
 やはり動悸がする。ま、まずい。返事をしなくては。もう、なんでもいいから!


  「な、何笑ってんだ気持ち悪っ!変なのはお前だろ!」


 なんでもいい訳ないだろ!
 お前が何言ってんだよ気持ち悪い!
 瞬時に出てしまった言葉に、少し顔を顰めて口元を押さえる姿を見て、襲いかかる罪悪感に頭を抱えた。
 普段、思ったこと全て口から出るくせに、何故か蓮水の前だと言い方が悪くなってしまう。最悪だ。あまりにも凹みすぎて、一度部屋に逃げ帰ってしまった。

 またしても、またしても全ての返答を失敗した。
 何度目だ、これ。
 美味しかったのに。嬉しかったのに。昨日のこともあったのに、まるで友人のような距離感でいてくれて、ほっとしたのに。
 まともに感謝も伝えられなければ、かなり酷いことを言ってしまった。反省する要素しかない。

 今まで関わってきた人間と、蓮水和という生徒がどこか違うと分かっている。まだ理由は分からないが、他の変な目で見てくる輩とは全く違う、いいルームメイトでいてくれる貴重な、嫌われてはならない存在のはずなのに。
 他人と関わり問題を起こしても反省することの出来なかった御厨は、彼といるとそればかりを繰り返している。

 やはり、変わらなくてはいけない。

 そう決意して扉を開けると、ブレザーを羽織った蓮水が部屋を出るところだった。

 「お、おい」
 「ん?」
 「さ、さっきのさ」
 あー。いいよ、言われ慣れてるから」

 言われ慣れている、とは何をだ。驚いて黙っていると、眉を下げて、蓮水が続けた。

 「俺笑顔変でしょ?昔から家族に言われてるから、あんまり笑わないようにしてるんだけど、スペアリブはさすがに面白くて笑っちゃった。気をつけるわ」
 「は?」

 何をどう見たら、あの笑顔が変なのだ。気持ち悪いなどと言った御厨が言えたことではないが、この少年が普段家でどんな扱いを受けてるのか心配になってしまった。確か兄は卒業生と言っていたが、もしや自分が嫌な思いをしたからってこの地獄みたいな学園に入れられてしまったのではないか。そうなると、こんな普通なやつがここにいる理由もついてしまう。
 妄想を膨らましている間にも、蓮水は支度を済ませて玄関にいた。

 「いやまあ作ろうと思えば作れるかなぁ。山賀さんに聞いてみるか」

 訂正を入れる間もなく、何かぼそぼそと話しながら靴を履いた蓮水は、カバンを手にドアを開けていた。

 「ま、待て」
 「なに?」
 「俺も出るところだから!ちょっと待て!」
 「いや、先いくよ」

 何となく自分が近くにいてやらないといけない気がしたのに、簡単に断られて撃沈する。がっくりしていると、蓮水は玄関の縁に置いていたビニール袋を持ち上げ言った。

 「尾長さんのところにお礼と、これ返しに行くからさ。じゃあ、お先に」

 ドアが閉まった瞬間、ひらひらと手を振られて無意識に振り返していたことに気が付き、妙な羞恥心に襲われる。


 「クソ、上手くいかねえ…」


 その笑顔は気持ち悪くなんてないと、ただ一言を伝えるのに一体どれだけの月日がかかるのか。
 想像しただけで落ち込んでしまい、蓮水が尾長に対して嬉しそうに礼を言う姿を想像して何故か余計に凹んでしまった。



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