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第二章
第八話 筐の水
しおりを挟む「おい、は、蓮水。真田川ってやつが荷物届けにきたぞ」
ドアの前で発した言葉は、気合を入れすぎて震えていて、自分のことながら情けなくなり顔に熱が集まっていく。何でこんなにもざわざわとした気持ちにならなくてはいけないのか。
しかし、返事は無い。重苦しい空気に耐えられず、何度か名前を呼び声をかけるが静けさだけが残っている。初めて学園にきたときのことを思い出した。後に、倉敷に言われたことを思い出す。普通は門に登るんじゃなくて、門が開くか、他に扉がないか試すものだ、と。
寮の部屋は全てが電子式になので、鍵がかかっているかは扉についているランプの色で分かる。
光は緑だ。
今目の前にあるこの部屋に、鍵はかかっていない。
第八話 筐の水
これはあくまで生存確認だ。
早退した同室者を何度呼んでも返事がない訳だから、なにかあったら心配なのは当然で、なので仕方なく、家主の許可はないがドアを開けさせてもらうだけ。脳内で留めなく言い訳を並べながら、ドアノブを掴むと、やはり扉は動いた。
「入るぞ!」
隙間からはっきりとそう声をかけても、やはり帰ってくる言葉はない。不安とともに、驚かさないようにゆっくりとドアノブを引くと、室内は電気もついておらず、差し込む高い位置の窓からの西日に照らされていた。
蓮水は、ベッドの中のようだ。一先ず部屋にいて安心する。
散々声をかけたのに出なかったのは、寝ていたのか。細く息を吐いて、スクールバッグを分かりやすいように机の上に置こうかと悩んでいると、布が擦れる音がする。
「だれ?…みくりや?」
か細く、心許ない声も聞こえて部屋の脇に目をやると、掛け布団から顔の上だけを覗かせて、眩しそうに瞳を細める蓮水から出たものだった。
ぎょっとした御厨は、相も変わらず最悪な言葉ばかりを選んでしまう。
「じゅ、授業サボってお昼寝かよ。いいご身分だな」
動揺したのには、突然名前を呼ばれたこと以外にも理由があった。
真っ赤なのだ。蓮水が。目元しか出していないのに、目は涙を蓄えているように濡れて少し充血しているし、肌にも赤みがさしていて、まるで沢山泣いたあとみたいな、今から泣き出すみたいな顔をしている。
今まで見た蓮水の顔は、いつもぼーっもしていて締まりもなく、ぱっと印象に残らないものだったが、泣き腫らしたみたいに赤らんだ顔は、なんだか見てはいけないものを見てしまった気持ちになってしまった。
決して大きくはないが、薄茶色の瞳は夕焼けに照らされて、不思議な色に染まっている。
「なんで、部屋いるの…」
掠れた声は少し震えていて、しかし驚いた含みも多い。
一方の蓮水は御厨の言葉をどうにか理解しようと、一生懸命寝起きの頭を働かせていた。
不安そうに黒目をを揺らすと、やはり涙がこぼれてしまいそうだ。喉の奥から競り上がってくる感情をどうに押さえつけ、押さえつけて、押さえつけまくって。
「荷物届けにきてやったんだろ!早退とか、サボりか!」
御厨の性格は、そんな捻くれたことばかりを捻り出して、真っ直ぐに人にぶつけてしまう。
自分が吐き捨てた全てがあまりにどうしようもなくて、どうにか言い直そうとするも、それよりも先に蓮水が口を開く。
「…うん。そうかも」
上半身を起こしていた蓮水の口元を隠していた布団は気が付けば胸まで下がっていて、やけに儚げに微笑んでいた。
頬を染めて、困ったように笑う顔を見ていられなくなり、置いたばかりのスクールバッグを再び手に取り、蓮水に向かって投げつけると、手元が狂い顔の方に飛んでいったらしい。
ぎゃ、と小さな悲鳴が聞こえ、思わず言い訳が飛びでた。
「あ、わ、わざとじゃねえから!もういいから寝とけ!」
「え?うん。ありがとう」
わざわざ部屋に入るなら、なんで泣いてるんだ、と聞けたならよかった。
謝るなら絶対にこちらだというのに、何故かぷんすかと怒りを抱えたような素振りで廊下に出て後ろ手に扉を閉めてから、全ての言葉を間違えた事実が耐えられず、幼い子供のように床に転がり、頭を抱える。
チャイムが鳴ったのはすぐのことで、またあの同級生かよ、と鼻息を荒くしてインターフォンを確認すると、思わぬ人物がそこにいた。
「尾長…サン」
『おー御厨。蓮水は?まだ寝てるか』
「…寝てます」
嘘をついたわけではない。寝ておけと促した手前、下手なことを言って起こすのはあまりよくないと思っただけ。
寮監の尾長は御厨の転校の際に起きた困り事を、かなり手助けをしてくれた。ただ、あまりのさっぱりと軽やかな優しさや明瞭さは、乱雑な物言いが常の御厨にとっては会話をしていると気後れしてしまうところがある。
苦手ではあるが、恩はあるので御厨にとっては珍しく強く出られない相手なのだ。
『あぁ、そう。寝られてるなら良かった。で、御厨にもちょっと話があるからいれてもらってもいいか?』
学園で彼だけはマスターキーを持っているので、どの部屋でも自由に入れるらしいが、思えばいつも必ず確認をしているから、思春期の男子高校生を思ってのことなのであろう。普通であれば頼るべき大人であるはずなのに、御厨はその真っ当さすら疑ってかかってしまう。
とはいえ断って押し入られるのも怖いので仕方なく玄関を開けると、よすよすーなどと適当な挨拶もそこそこに、尾長は手に持っていた金具を紐で閉じた茶封筒を手渡してきた。
「これ、蓮水に渡してくれ」
「またお使いかよ…」
「またってなにが?」
「いや。これ、なんすか」
余計なことを言ってしまいわざと逸らしたようになったが、実際にそれは聞きたいことだった。
そこそこ重量を感じる封筒の中が少し気になって視線が行ってしまうが、尾長はさらりと中身を言う。
「頼まれてたやつ。あ、別に気になるなら見てもいいけど御厨は面白くないと思う。レシピまとめたもんだから」
「わ、渡しせば、いいんだろ。見ねえし、気になってねえし」
「お願いな。ていうかさ…」
何を言われるのかと眉を潜めると、そう言えばと言った風に御厨を見下ろした尾長も似たような顔をしていた。
「お前人に会う時は変装するって言ってなかったか?」
「わ!これは!お、尾長さんは知ってるし、別に」
「はぁ。脇甘いと苦労するぞ。約束してただろ、あの人と。あんまり心配かけるなよ」
素顔を元々知っていることもあってか、呆れるまでに留まった尾長だが、内心御厨はパニックだった。一日にこんなにもやらかしが続くと流石に落ち込む。
「わかってるよ!もういい?俺眠いし」
「あと、飯な。蓮水から聞いてるぞ、昼飯食ってないんだろ?持ってきた。こっち、蓮水の分は冷蔵庫入れておいて。で、こっちがお前の分な。レンジとか使えるか知らねえからもう熱々にしといた。すぐ食え。ヤマガミで買ったもんだから変なもん入ってねえよ」
ほれ、と渡された2つのビニール袋に入っていたのは、なにやら市販の弁当で、もうひとつは小さな鍋ごと入っている。やけに色々持っていると思えば、食事までも用意してくれるらしい。寮監とはここまでしてくれるのがふつうなのか。
お金を払おうと学生証を取り出すが、尾長は顔を顰めて受け取りを拒んだ。ただのお節介だから気にされても困ると、心底嫌そうだったので奢られることにする。
「ありがとうございます。いただきます…?」
「うん」
「じゃあ…お、お疲れ様でした」
それとなく追い出そう不慣れな敬語で辿たどしく促すと、何か考えるようにしていた尾長が、あっ、と思い出したように呟いて御厨を見下ろす。
「そうだよ。一番言おうと思ってたことあった。御厨」
「は、はい」
「お前、今日の騒ぎで朔間兄弟に目つけられたみたいだぞ」
蓮水は首を傾げる。知らない名前が突然飛び出してきて、目をつけられてるときた。
「さくま?」
「アイツらは本当にやばいから気をつけろよ。ことあの兄弟は治外法権だから、俺も助けられるか分かんねえし」
「気をつけろって、どうすれば…」
会ったこともないその兄弟のイメージを思い浮かべる。この尾長すらも助けられないとなると、余程権力をもっているということになる。寮監も為す術がない相手って、そもそも生徒なのだろうか。
一体目をつけられたらどうされてしまうのか。
「ま、大人しくしてる事だな。ほんで、今みたいに気ぃ抜くなよ。しっかり隠し通せ。な?」
「いてっ」
言いたいことをいい終えて満足したのか、急にでこぴんを食らわせてきた尾長は歯を見せて笑うと、ほんじゃーなーなどとまたも適当な挨拶をしながら、さっさと部屋を去ってしまった。
いなくなってから、もう少し詳しく聞けばよかったと後悔する。サクマ兄弟。兄弟で、やばくて、治外法権。あまりにも謎が多い。今日だけで御厨のキャパシティは限界だと言うのに、これ以上変な奴らと関わりたくなんてない。
リビングのテーブルに預かったものを一度置いてみると、自分の空腹を思い出した。まだ暖かい弁当は、質素なように見えるがかなり食欲を刺激される。
鍋の方は、意外と触っても熱くない。言われたとおり冷蔵庫にいれておく。
そして封筒を手に、再び蓮水の部屋に向かった。
ノックをするが、返事は無い。
寝ろといったのだから当然だし、起こしたくもなかったので、部屋に戻って自分のノートを破り、伝えることを書き記しておく。二度も無断で入出する気は起きなかった。
和食の弁当は、ボリュームもあって、普段食べることがないのもありかなり美味しかった。市販のものだと言っていたが、学園の周囲に買う場所があるのだろうか。御厨は入学当初案内された場所を思い出すが、食事は食堂で、としか言われなかったので他の選択肢を知らない。今となっては心底行きたくない場所だし、避けられるなら避けたい。蓮水の料理に縋りついたのもそのためだ。
そういえば、蓮水もどこかで自炊の材料を調達している。やはり尾長に色々聞くべきだった。当人を前にすると言いたいことが言えないのは御厨の性格上よくあって、心底直したい部分でもある。
というか、今思えば蓮水は大丈夫なのだろうか。満腹になると次第に色々冷静になって言って、初めに不安を覚えたのは部屋に入った時のあの顔だった。
早退して、顔も赤らんでいたのは、体調のせいではないのか。心許なく潤んだ目のせいでてっきり泣いたあとか何かと思ったが、熱でもあったんじゃ無かろうか。どうしよう。元気の無い相手に、強く当たってしまった。あろうことか顔面にカバンまでぶつけた。
常に虚勢ばかりを掲げて、自分を大きく見せて、そうやることでしか自分を守る術を知らなくて、それだけしか出来なかった。だから、こういうときにかける優しい言葉も、気遣いのできる行動も、謝り方さえも、御厨は知らないのだ。
もやもやとした気持ちのまま備え付けられているシャワーを浴びて寝支度を整えるが、廊下を通る度に蓮水の部屋に視線をやってしまう。
少し物音が聞こえると起きたかと思い耳を澄ますが、大抵は気のせいだった。
十一時を回っても、結局蓮水は起きてこない。
寝ているのなら、それでよかった。体調に問題があっても、きっと尾長になら頼れるだろうし、一応明日の朝は声をかけよう。
どうにか自らを納得させて、目を閉じると、一日の蓄積した疲れがどっと降り掛かってきて、すぐさま眠りへと誘われてしまった。
・
あまりにも優しい匂いに包まれ、御厨の意識は寝ぼける間もなく朝に引き起こされる。
リビングの方から聞こえる物音で、更に昨日の記憶が蘇る。はっと身を起こした勢いで、寝起きの格好そのままに、慌てて部屋の外に出て、覚束無い足取りで共有スペースの戸を開いた。
匂いの元はやはりキッチンで、昨夜の憔悴した様子とは打って変わった別人のような蓮水は、けろっとした顔で振り向いて、薄らとした笑みを口許に敷いて言った。
「おはよう、御厨。昨日はありがとうね」
「えっ…あぁ。うん」
「もうすぐ出来るから、顔洗ってきな?」
お、お母さん?
つい口を付いて出そうになるも、ぐっと堪える。ワインレッドの、本人のイメージとは少しちぐはぐな色のエプロンを身に着ける蓮水は、正に家庭的といった印象を欲しいままにしており、本人のぱっとしなさも謎の加点を生み出して、寝起きの心臓が変な音を立てた。
凝視しながら立ち尽くす御厨に気付いた蓮水は少し怪訝な顔で首を傾げる。
一度そう見ると、なんだがそういう風にしか見えなくて困った。
「なにしてんの。早く行きなって」
「あっ…うん…いや」
「どうしたの」
上の空な返事をしながらも、やはり気になった。
「何、笑ってんだよ」
振り向いた蓮水は、えー?と唇の端を指で抑えて、笑ってないよ、と言うが、確かに笑っている。動揺のあまり睨むようにして追求すると、分かりやすく右斜め上に視線を逸らして、やはり薄らと笑いつつ、白状するように呟いた。
「御厨、その感じで字綺麗なの、おもしろい」
恥ずかしさで気を失いそうになった御厨は、思わず叫んでから洗面所へ向かった。
うるせぇ!笑うな!と。真っ赤な顔で。
・
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