優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々

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第六章 これから

第5話 自己嫌悪

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 腫れぼったい目、鏡に映る自分の姿はいつもより酷い。部屋から出るのも億劫になる程度に、昨晩のやりとりが重くのしかかる。

 ――在琉とどうに顔を合わせよう。謝っていた、謝った。けれど解決した気持ちにはなっていない。
 ただ在琉のために、そう思ったことが全て裏目に出た。鏡の前から動かずに織理は自分に目を向けたままぼんやりと考える。

「学校、行きたくない……」

 休みたい、気力が湧かない。在琉に合わせる顔もない。同棲しているから避けることはできないが、今だけでも距離を置きたい。

 仲良くなった、そう思ってから怒らせるのは、最初から嫌われていた時とは比べ物にならないほど織理の気分を重くさせた。

 ――考えてみれば攪真や弦さんは俺に対して怒ったことがないんだ。こちらが邪推して怒らせてる、と思うことはあっても本当に怒った時を見ていない。だからこんなに、在琉の態度にショックを受けているのかも。
 言葉にしてみるとなんとも甘えた理由に眉間に皺がよる。いつの間にかそれを当然の様に過ごしていた事実に気がついてしまった。

 時計を見ると、普段ならば登校し始める時間に差し迫っていた。
 着替えもせず廊下に出る、在琉はもう登校しているはずの時間。織理の中ではもう休むことが決定していた、なので軽くご飯を食べようと一階に降りる。空気が僅かに暖かい。そして僅かに良い香りがする。

 リビングに顔を出せば攪真が朝食を食べているところのようだった。片手にマグカップを持ち、視線は手元の携帯に向けられている。目の前には空いた皿がある。

「おはよう、攪真」
「おはようさん、えらい遅い起床やけど休むん?」

 カップを置いて、彼はへら、と笑う。織理はその言葉に頷き、キッチンの方へ。そして冷蔵庫から、茹で調理のウインナーを取り出して茹で始める。1人で食べるものに手間をかける気がなかった。
 カウンター越しに2人だけ、けれど攪真と織理の間に会話はなかった。元々話すのが苦手な織理は話題を切り出すこともなく、攪真は攪真で4人揃ってならまだ話しやすいが2人きりで話せるほどまでは気持ちの整理ができていない。

 茹で終えたウインナーを皿に盛り、テーブルに運ぶ。攪真の前で1人それに齧り付いた。

「ご飯とか炊かへんの?」
「うん、これでいい」

 終わり。特に話すことがない。何処となく気まずいのか攪真はカップを流しに持っていき洗い始める。
 ――前は攪真と何話してたっけ。いや、話してないんだっけ。ふと思い返すは同棲を始めた頃のこと。あの頃の、何をしても怖くて苦しかった感覚はもうない。それと同時にあの初めてを攪真に捧げたときのような高揚感もない。

 ――そう言えば、攪真とはエッチな事、したんだっけ。朝食中に考えるには少し下世話な記憶が蘇る。
 ただ、それっきり誰ともしてない。在琉のあれはエッチなのかわからない。とても気持ちよかったが、とても恥ずかしかった。弦さんとはキスまでしかしてない。
 あれ、自分は恋人として囲われているのでは無かったっけ。最近自分は何か恋人らしい事をしたか? ただの居候になってないか?

 こんな事を考え始めたが、別に織理は恋人らしい事をしたいわけでは無かった。ただ「当初の役目」がいつのまにか霧散している事実に気がついたのだ。織理はこのままでもいい、けれど他の3人は? 今の俺たちの関係ってなんだろう。俺は彼らにもっと恋人らしい事をしなくてはならなかったのでは……?

 所謂、義務と権利の話だ。
 この家に住む、食事をする、服を買う、ゲームが出来る。これらは同棲前なら難しい事だった。シンプルにお金がない、バイトをしても経費と家賃に消える。値引きされた食パンを買って、冷凍庫に冷やして日保ちさせて少しずつ食べる。お風呂はいつもシャワーで、湯船など無い。ベッドだけは頑張って買った安物。身だしなみだけは整えるためにちゃんと服などはそこそこ新調していたが、言って仕舞えばそこに消えた。

 そんな人生が一変して、ゆとりある生活を送らせてもらえている。なのに、自分は何も返していない。そこにいるだけでいいという言葉を段々と鵜呑みにし始めて、この生活を当然のものにしてしまっていた。

 かつん、と箸が皿に突き立てられる。自覚し始めると恐ろしくなるほどに何もしていない自分。誰にも何も言われないからそのままにしているけど、恥知らずもいいところだ。在琉を怒らせて、家主の弦を守ることもできず、攪真とは話も碌にできない。

 リビングから出ていく攪真の背を見送り、織理も自室に戻る事にした。自分で考えよう、おそらく弦に相談すれば「そのままでいい」と言われて終わる。優しい、そして織理から見ると無欲な人。

「……というか、弦さんって俺と」

 ――えっちなことする気がないのかな、あの人。前に聞いたときは写真を取って終わったけれど、本当にそれで良かったんだろうか。
 


 ――――



 と考えてはいたものの、今弦にそんな事を聞く気にもならなかった。そんなことより休みたいだろう彼に「えっち、したくないですか?」なんて聞くのは幾ら何でもゴミだ。クズだ、自分の存在理由を確かめるために病人にそんな事を提案できるわけがない。何より別にえっちがしたいわけではない、単純にこれしか思い浮かばなかっただけだ。 

 自室のベッドの上でノートを広げ、織理は思考を書き溜める。こうしてノートを無駄に使えるのもこの生活ならではの贅沢だ。

 紙に弦さん、と書きその横に彼に対する感情や記憶を書き連ねていく。
 ――余裕があって、優しくて、自分の気持ちを言葉にしてくれる。人との会話が上手、この人みたいになりたいと思える人。嫌いなところ……特に思いつかない。よくハグをしてくれる。キスしたのはいつだっけ、あれ……。

「……あれ?」

 本当に最初の頃に、自分からキスした記憶はある。それ以外で、弦からはされてない、気がする。
 頭も撫でてくれる、抱きしめてくれる、何よりも織理を好きだと言葉で、雰囲気で伝えてくれる。なのにそれ以上のことがない。

 ――本当にこれでいいのか? 弦さんはこれで満足できているのか? 攪真なんて俺のことを抱きたくて仕方ない、みたいな雰囲気を出してたのに? それとも攪真がおかしいのか?

 言葉にしてみるとわかる、自分と弦のよくわからない関係。自分は弦を好意的に見ているし、彼に誘われれば体を差し出したって嫌ではないくらいに好きなのに。いやでも、それは在琉に言われても差し出してしまうかもしれない。彼らになら何をされても許してしまえる。

「……俺ってもしかして、変態なのかな」

 えっちしたいわけじゃないのに、彼らにならと思ってしまう頭がある。攪真とえっちをした時の様な幸福感に包まれる体験を彼らとしてみたい。……自己嫌悪が湧いてきた。ただでさえ卑しい自分の、更に汚らわしい一面を垣間見た気がする。吐き気がするとはまさにこのことだ。

 織理は自身の胸につけてあるピアスに触れる。在琉に無理矢理開けられたピアス、これを開けられた時に彼に言われた言葉。

「娼婦のほうが、お似合い……」

 あの時は正直痛みに気を取られて、気にしてもいなかった。だが今の自分の思考を見ているとその通りなのかもしれないと思ってしまう。

 ――やめよう、これ以上考えるのは。弦のことは時間が解決してくれると信じて、在琉の事はとにかく謝って元に戻るように頑張る。攪真は、何か話題を見つけて自分から改善しにいく。それが行動方針だ。

 織理は坩堝に巻き込んでくるノートを閉じた。思考を整理する事、それ自体は悪くないが次はもう少し気楽な話題でやろうと決意した。
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