優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々

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第六章 これから

第6話 共感のための

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 夕方、惰眠を貪った織理は目を覚ました。もう在琉が帰ってくる頃になっている。

 折角の休みを睡眠で潰した事に勿体無さを感じつつ、ベッドから降りた。廊下に出ると、まな板に包丁が当たる刻み良いい音が聞こえる。今日の食事当番は攪真のはずだ。

 ――在琉、帰ってきてるかな。

 織理は隣の部屋を叩く。在琉が部屋にいることは少ないのだが、帰宅してすぐなら着替えの為にこちらに居るはず。

 少し待っていると中からドアノブがさがった。 

「織さんか。どうかしたの?」

 いつも通りの無表情。昨日のことが尾を引いているのかも判断できない。だが、逃げていても仕方ない。

「少し、話したくて」

 そう伝えれば在琉はそのまま扉を開けて織理を招いた。床にクッションを置き、そこに座る様に指示される。

「話って?」
「あの、昨日のことで……」

 興味なさそうに頬杖をつく彼はその言葉にも特に反応はなかった。雰囲気的には怒っていない気がする、けれど寡黙な反応は少し怖い。

「在琉のこと……勝手に話題にしてごめんなさい。でも本当に、心配だっただけで……」

 織理はおどおどと謝る。何を言っても言い訳の様に聞こえるのが心苦しい。しかし在琉は気にした様子もなかった。

「それは昨日謝ってくれたしオレも謝ったつもり。それじゃダメなの?」

 確かに、昨晩は謝りあって終わった。だが受け入れられていない謝罪はただの枷でしかなく気が晴れることはなかった。もっと根本的なところがすれ違っている事をなんとなくで織理は感じた。

「……俺は今の在琉しか知らない。から、不満とか無いよ。……ただ本当に……俺が何かできるならって」
「……うん。わかってる。アンタはそう言うところが真面目だから。オレも頭ではわかってる。わかってるけど……」

 在琉は頭に手を当てて深く息を吐く。そして仕方ないか、とばかりに口を開いた。

「オレは能力を無くした事自体は良かったと思ってる。結果論だけどね、そうでなければこうして織さんに会うこともなかったから」

 ――「無くなってよかった」その言葉に理解が追いつかなかった。寂しいって言ってたのに。能力者から能力が消えたら何になると言うのか。俺に出会う事もなかったって何。
 ただ在琉の笑う顔に何も言えなかった。気になる単語があるのに、語りを遮りたくなくて口を挟めない。
 織理のきゅっと結ばれた唇に在琉は笑う。

「……変な顔。あは、前に過去が気になってたよね? オレの過去、教えてあげる」

 気にはなっていた、でもあの時はそれどころではなくなってしまって聞きそびれていた。それを今、聞ける。心臓がどくどくと激しく音を立てる。興奮している、彼のことを知れる事に。

「オレの役目は、物事を記憶して、計算して、最適解を提示する事にあったんだよ。誰が何処で何をしてる、カメラの映像から人を照合して監視したり、何桁もの計算をやり続けたり」

 ――なんの話? 過去の話をし始めたはずなのに機械の話をされている? 思っていた始まり方と違うそれに織理は先ほどの興奮より疑問が上回る。ぽかん、とでも形容できそうな表情でただ聞きに徹した。何にもわからないから、口を挟めない。

「オレはお父さんから大切にされてきたの。壊れない様にずっと家の中で、埃が積もらない様に綺麗にしてもらって。よくできたら褒めてもらえる。よくできなかったことなんてないよ、だから愛されてた」

 何処か他人事の様に言う在琉に織理は戸惑う。悲観もない、懐かしむ声なのに淡々としている。ただ辛い過去ではない様に語る。

 だが聞いている方からすると違和感しかない。それは殆ど物に対する優しさのような、少なくとも人に対しての振る舞いを語っている様に聞こえなかった。

「一度だけ、外に連れ出された。その時に能力を削られたんだ。そうしたら、もうオレはジャンク品になっちゃった。記憶したって計算を吐き出せない、処理する頭が無くなっちゃったから。そうしたら、外に出してもらえる様になったんだ。もう、要らないんだって」

 そこで漸く織理は理解した。これは監禁されて能力だけに価値を見出されてきた子供の話なのだと。しかもそれが親に、となればもう何も言えない。寂しいと言うのはおそらく、捨てられた事に関してだけ。

「要らないって、なに」
「不要って意味。どうしたの織さん、そんな基本的なところ」
「そうじゃなくて……」

 言葉にしていいのだろうか。織理のことを玩具と呼んでいた在琉の過去、自分自身が道具なのだと語っていた彼の言葉の意味が漸く理解できた。

 在琉は能力を失ったから価値が無くなって捨てられた。だから昨晩、少し取り乱していたのだろうか。織理は俯き掌に爪を立てる。その手を在琉は重ねて解いた。見上げると、彼は笑っていた。いつもの冷笑ではなく、何処か嬉しそうに。

「オレは愛されてこなかったって弦は言ってたけど、どうなんだろうね。少なくともオレはこれを可哀想とは思わない、でもあの頃に戻りたいわけでもないから可哀想なのかな」

 彼は本当に悲しんでいなかった。少しの寂しさを浮かべる昏い目は、嘆きや怒りを含んでいない。怒りなどの負の感情は織理にもわかる、けれどそれらが無いのだから彼にとってこれは過去なのだろう。

 ――可哀想と言う言葉は言いたくない。織理の人生でも散々言われてきた侮辱の言葉だ。在琉の人生を可哀想の一言に収めるには言葉が軽すぎる。
 織理が何も言えないまま苦々しく顔を歪めていると、今度は頬を包まれた。

「別に感想とか言わなくていいよ。ただ織さんに話しておきたくなっただけだから。」

 その言葉に小さく頷く。せっかく聞かせてもらえたのに何も言えない自分が情けない。気の利いた言葉を考えなくては、そう考えていると在琉の指が織理の唇を塞いだ。

「ねぇ、織さんのも教えてよ。語り合おうって言ったんだから。悲しい過去なら無理に言わなくていいけどさ」

 ニヤ、と笑った彼に目を見開く。

「俺の……過去?」

 そうだ、語り合おうって言ったなら同じくらい話そう。面白くも無いけれど、在琉の様にやるせ無い過去でも無いけれど。けれど彼に自分を知って欲しい。そう思ってしまった。

 織理はゆっくりと口を開き、話し始めた。

「俺は……児童保護施設で育った。母親だった人が俺のこと忘れちゃったから。で、あとは普通にバイトして生きてきたんだけど……」

 語ると大した物でもなさすぎる。省いた部分は割と面倒くさい部分だけ。要約してしまうとあまりにも中身のない過去に織理は顔を顰めた。

「へぇ、それも能力のせい? 織さん、記憶消すの得意だもんね」
「……うん、初めて使ったのは母親だった人に、かな。気分が楽になるように、したかったんだけど……」

 ――言ってしまえば母親はヒステリックな人だった。当時はよくわからなかったが、この年になると流れも分かってくる。
 彼の母親は売春婦だった。好きな男の子供を身籠り、それが理由で捨てられた、たまによくある子供のまま大人になった人同士の話。だから邪魔だった、織理さえいなければ捨てられなかったのにと常々言われて殴られて。

「なんであの人が辛いのかよくわかってなかった。だから、嫌なことを忘れます様にって使った。そうしたら」
「織さんが忘れられちゃったんだ? たまに聞くね、そう言うクズの話」

 織理は頷く。母親は明るくなった、けれど織理を認知できなかった。知らない子として警察署に連れて行かれて、迷子扱いになった。警察も身元を確認して何度も母親を訪ねたけれど「知らない子供」を認知するわけがない。何度かのやり取りの後嘘をついていない様子のそれに、結局施設に入る事になった。

 ――あれを後悔してない、だって自分は要らない子供だった。実際生まれなければ良かったのに。俺のせいであの女は狂ったんだとわかっていた。代償に払った左目も、痛かったけれどそれでいいと思えた。

 施設も楽しくはない。左目がなくて、痣だらけで見窄らしい子供。話すのも下手で可愛くもなくて、そんな子供、暴力の対象になるのは当然だった。でも別に悲しくもない、だって知らない人達だしそれが当然だったから。今なら嫌かもしれないけれど、赤の他人に何されようとどうでも良かった。

「居心地悪くて逃げ出した。少しバイトして生きてきたよ」
「アンタ以外と生命力強いんだね、触ったら折れそうなのに」

 在琉の手が織理の腕に触れる。そっと掴む様に握られて織理は息を吐いた。何故だろう、とても心臓がうるさい。

「在琉に言われたくない……」

 同じ様に腕を握り返した。熱い手のひら、綺麗な肌。

「オレ、織さんにずっとシンパシー感じてたんだ。だから嫌いだった。でも間違ってないみたいだ、やっぱり近いものがある」

 それは同族嫌悪で始まった興味。それを彼は認識しなかったが言って仕舞えばそう言う事だった。
 織理は微笑み返す。あれだけ痛いことをされても彼を避けきれなかった原因。ずっと彼を可愛いと思ってしまった理由。

「……うん、同じにしていいのかわからないけど。俺も要らない子なの、でも在琉達は俺を必要としてくれるでしょ」
「オレには必要だよ。可愛い織さん、きっとアンタの能力がなくても変わらなかった」

「俺も在琉の事、……能力で見てないから。可愛いのは在琉の方、大好き……ずっと一緒にいてほしいって……思ってる」

 顔を近づける。体が密着する。いつかの時の様に自然と彼らは体を重ねた。座っていた姿勢はどちらともなく倒れていき、乗り上げる。
 互いの心臓の音がうるさく聞こえるほどに密着して、その熱を分かち合う。

「大好き……在琉。ずっと……」

 ――ずっと俺のものでいて。そう言いかけた言葉は在琉の唇に塞がれた。
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