優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々

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第六章 これから

第7話 裏で巻き起こる疑惑

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「夕飯できたんやけどどうしたらええと思います?」

 鍋を片手に持ちながら攪真はリビングに居る弦へ話しかける。

「そっとしておきなよ」

 普段殆どの時間をリビングで過ごしている在琉がこの時間になっても降りてこない。織理は彼の部屋に入った。昨晩の様子を知っている弦は、なんとなく察するものがあった。

 攪真はとりあえず自分と弦の分だけを皿に乗せる。今日は肉じゃがだ、じゃがいもとインゲン、白滝にネギ、少ないけれど豚肉も入っている。ほんのり茶色に染まったそれは出汁が良く染みていることが見て取れる。

 弦はフォークでじゃがいもを突き刺した。箸はまだ安定して使えないため致し方なく。芯まで通ったジャガイモは簡単に分かれた。

「ん……これ美味しい」

 落ち着く味、自然と笑みが溢れる。弦のその表情に攪真も口元に笑みを浮かべた。

「そら良かったわ。冷めてまうけど、しゃーないわ」

 そのまま鍋をキッチンに戻して彼も着席する。我ながら美味しい肉じゃがができた。だからこそ少し残念だった。みんなで一緒に食べたかったな、と思う心がある。

「まぁ……喧嘩した後のセックスは燃えるって言うしな」

 そのあんまりな発言に弦は苦笑いを浮かべる。

「…………攪真ってなんか、その……性に奔放すぎない?」
「そないなことあらへんやろ……いや寧ろ俺高校生やで? こんなもんやろ」
「そうかな……」

 納得いっていない様子の弦に、攪真の方も疑問が湧く。

「もしかして弦先輩って性欲あらへんの?」
「何、急に」

 攪真の突拍子もない発言に流石の弦も表情を失った。
 この家で織理を抱いていないのは弦だけだ。と攪真は思っている。もちろん在琉と織理がどのようなことをしているのかは知らないが、以前織理が抱かれた様な事を言っていた為に攪真の中では抱いた判定になっている。だと言うのにこの先輩はその気配がないのだ。流石にキスくらいは済ましているはずだが、あまりにも清廉潔白。そもそも性欲があるのかも怪しくなるくらいに、攪真は弦から性の匂いを感じたことがない。これだけ介抱するために常に一緒にいたのに。
 そもそも浮ついた話を聞かない。なんて不健全な男子なのだろう。そういった前提があっての切り出しだった。

「織理のこと抱いたことないやろ」
「無いよ」

 気にした様子もなく弦はまたフォークを白滝に刺す。どうでもよさそうに答えられてしまった攪真は目を座らせた。

「……童貞?」

 これは本心ではない。なんとなく弦は遊んでいそうな雰囲気がある様な、でも清楚なイメージもある様な……攪真にとってここは割と判断ができなかった。でも童貞にしては経験豊富に見える。

「……まぁ、そうだね。誰とも、した事ない」

 しかし返ってきたのは肯定する物だった。少しだけ顔を俯かせ、パク、とフォークを咥える。どう取り繕うにもいざ聞かれると恥ずかしいものがあったのだ。攪真は珍しいものを見てしまったとばかりに凝視した。その視線から逃れる様に、彼は横を向く。

「別にいいでしょ……攪真からしたら好きな子が自分としか……その、……セックス、してないわけなんだから」

 しどろもどろになりながら続ける弦の顔は仄かに赤い。正直なところ弦はこの手の話題が強くなかった。純粋に恥ずかしい、単語に抵抗感がある。人からの話を聞いて咀嚼する分には平気だが、自分から発信するとなると何故か口が回らなくなる。

「なんでアンタそこで照れとるんや……? 意外と純情派なん?」
「遊び慣れてる攪真とは違うからね……」

 少し圧を感じる返事に、まぁそんな事もあるか、と攪真は流しかけた。いやまさかこの食えない先輩がこんなに純情ぶるとは。面白いものを見たとばかりに攪真はニヤけた。

 と同時に思い出すことがあった。
 あの時、織理を演じた彼の仕草とセリフ。実際に事に及んでないとはいえ、快楽に身を任せる様な言葉選びで攪真を弄んだ筈の弦。

「……え? アンタそれであんな演技できるんか。怖……」

 織理の蕩けた姿を知らないくせに、織理の再現がやけにうまかった。まるで自分の理想を体現したかの様な淫靡で従順な織理だったのに。

「あれは冗談だからね」

 迷いなく言い放つ。恥ずかしがるところとそうでないところの差がよくわからないなと攪真は口をまごつかせた。

 微妙な反応をする攪真に、弦は少しだけ考える素振りを見せた。フォークを一度置き、胸元に手を握る。やや視線を下に、脇を閉めて体を縮こませる。どこかオドオドとしたような仕草。そして服の襟元を僅かに広げ、攪真を下から目線だけで見上げた。

「俺の初めて……貰ってくれる?」

 少し潤んだ瞳、自身なさげに開かれた口。
 瞬間、攪真の脳はフリーズした。いつもの弦の揶揄い、けれどそのセリフは、攪真が織理の初めてを貰った時の台詞だった。仕草まで同じだ。
 ――なんで? なんでこの人がそれを知っとるん?

 あの夜のことを思い出して熱が上がる、なのに恐怖で背中には冷や汗をかいている。

 何一つ動かなくなった攪真の前で弦は手を振る。
「……おーい、攪真? 大丈夫?」

 ハッ、として攪真は息を吐いた。けれど疑問は尽きない。監視カメラでもあったのか? それとも織理が言いふらしたのか。いやそんなわけない。あの織理が恥も知らずに語るとは思えない。じゃあやっぱり監視されていたのか?

「ダメです……なんでアンタがその台詞と仕草を知っとるんかもわからん」
「え? いや普通に織理が誘うならこんな感じかなって……ビンゴ?」

 素直に疑問を口にすれば、まさかの回答が返ってきた。
 面白そうに笑う弦に攪真は頭を抱えた。――これはやっぱり、アレなんやろか。前々からずっと思っていたことがある。織理は弦を無意識にコピーしているのでは無いかと。性格も見た目も全然違うのに、仕草や言動がなんでこんなにも似せられるのか。

 攪真は怖くなった、いずれ本当に弦と織理の境界を見失いそうで。いや、好きなのは織理なのだが、たまに魔が刺しそうになる。好きな子の雰囲気を再現して、より理想に近づけてくる仕草は思春期男子には少し刺激が強い。

「……処女なら貰ってあげられますけど」
「いや本当に抱かれる気はないからね。一生処女で良いから」

 弦は攪真の目がマジなことに少しだけ恐怖した。攪真がおかしいのではない、弦と在琉の性欲が少ないから異常に見えるだけだ。別に弦に攪真への恋愛感情は何一つないし、攪真も別に弦を恋愛的に好きなわけではない。ただの男同士の戯言だ。

「本当は、織理を抱きたい気持ちはあったんだけどね……手を出すのが怖くて、結局もうその気持ちも消えちゃった」
「枯れるの早く無いですか。その歳で」
「枯れてないよ……ただ、きっと俺は快楽に依存しちゃうタイプだから。手を出したら2度と今みたいに穏やかには笑っていられなくなりそうで……怖いんだ」

 ――手を出したら最後、織理との和やかな日々は終わる。どこへいっても付きまとう、「人を抱いた」と言う汚くて責任の生じる事実に耐えきれない気がした。性行為を含まない関係こそが真の愛である、などとは思わないが自分の性質を見たときにその一線を越えることは自分の中で何かを変える事になると弦は考えてしまった。

 だから手を出さない。手を出せない。自分の未知の性格を受け入れるだけの心が育っていない。

「……よくわからんわ。そんなん、変わらんと思うけど」
「いいの、今は。もう少し自分が大人になったら、その時織理にお願いするから」

 そんな日が来るのか、本当に。攪真は思うことがなくもなかったが、いまいち分からなかったので触れるのをやめた。とりあえずこの先輩は若干拗らせてしまって可哀想な人だ、と言う解釈だけを残して。
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