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【3‐2】騒動
振りかざす正義の行方
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種の研究所の深層。空気の流れを読みながら奥へ進む。ツナ油の焼けるいい匂いのせいか、ジェフリーが浴びた返り血のせいなのか、羽虫が寄って来るようになった。
虫除けの魔法はないし、ましてやランタンではないのだからうまく避けられない。
ジェフリーは正直、服を脱ぎたいとも思っていた。だが、肌寒いだろうし、このジャケットは脱ぎ捨てる気にはなれない。
むず痒さを感じ、ジェフリーは汗でまとわりついた前髪を払おうとする。だが、ここでも神経を使う。キッドはジェフリーの前髪を払った。
「ったく、しょうがないわね。そんな手で顔とかいろいろ触んない方がいいわよ」
今日のキッドはやけにジェフリーの世話を焼く。普段から言い合いになりがちのせいか、ジェフリーはどうもキッドの優しさが受け止められない。だが、今は言葉に甘えるしかない。キッドの気遣いを素直に受け止めた。
「水を飲むのも神経使う。今日は飯もうまけりゃ風呂も身に染みるだろうな」
キッドが注意するのも無理はない。長時間で汗をかいても拭えないし、返り血に何が混ざっているかわからない。ここで自分が倒れでもしたらと考えると背筋が凍る。こんなことを考えるのも、何かの見過ぎと言われて流されたらそれまでなのかもしれない。ジェフリーは不安に駆られていた。
ジェフリーは進んでダクトのあった場所、高い天井を仰いだ。さすがにランプの光は届かない。
「確かここであっているはず。金網が落ちているし」
金網と言って地面に目を向けたローズ。何かに気が付いたようだ。壁の上部を眺め、来た道に視線を向ける。
「ライフラインの、パイプ、デス?」
天井に近い所を太いパイプが通っている。壁も床も白く、パイプも白くて目立たない。
ハーターは待っていましたとばかりにコートの内側から細長い筒を取り出した。テープで長い導火線が止められている。
明らかに爆発物、ダイナマイトだ。危険なものを目にし、壱子が目を丸くした。
「センセ、なぜそのような物騒な物を?」
「ぼくは非力だし、知識だけでどうにもできないことは実力行使するのさ。だから、日曜大工とかも得意だよ」
「センセのプライベートは別にいいのですけれど。まさか、お手製ですか?」
物珍しそうに見つめる壱子を尻目に、ハーターは巻いてある導火線を解き始めた。ここでマッチを持っていた理由が一つつながった。
「お手製じゃなかったらこんなに長い導火線にはしないよ」
「発破を使ったら、猛ダッシュで脱出しないといけませんよ?」
「ダクトに放り込んで破壊するのならこれでいいだろうけど、主な目的はこの施設の破壊だからね。ローズが言うライフラインのパイプがどこにつながっているか。それ次第でこれを使う場所が決まる。ってことで、ここで使うのはよくないだろうね」
導火線を再び巻いたハーターは一同の顔をうかがう。こういうものを持っているという示しだけになった。
ショコラがダイナマイトに興味を示す。
「ハーさぁん、その導火線はどれくらいの時間、燃えそうなのぉ?」
ショコラは時間を聞いている。賢い猫だ。時間を聞くとなると、この案は悪くないと考えているようだ。
「どういう仕掛け方をするか、具体的にわからなかったから適当に長く作ったけど五分はあるんじゃないかな? でも確実に燃えるようにするんだったらだけど、油を含ませるだろうから実際はもっと短いかもしれない。ランタンの予備油割っちゃったからありったけのツナ油だろうけど」
ハーターは言ってから、ジェフリーに向き直った。
「つまり、帰りは切込み包丁クンが明かりを手に先導して、猛ダッシュする。責任重大だけど、体力は回復したかい?」
「なるほど。そういうことなら、俺も腹を括らないといけないな」
ここを潰しておしまいではない。最後の一手はハーターの爆弾かもしれないが、そのあとの脱出はジェフリーにかかっている。重い責任、預かるのはここにいる仲間、全員の命だ。
ジェフリーは責任による重圧と緊張に胃酸が戻って来そうになった。その心境を読み取ったのか、キッドはジェフリーの背中を叩く。
「しっかりしなさい。走れない人が出たら、あたしが引っ張るから。あたしは多少離れていても、目がいいんだから大丈夫よ」
ジェフリーはキッドに励ましを受けた。これではいつもと逆だ。ジェフリーは拍子抜けた顔をした。これは、困惑か驚きか。複雑な心境だ。
脱出の計画は追々考えるとして、先に進もうとなる。だが、ローズだけはどうもその件を引きずりそうだ。
「どー考えてもこの中で一番運動神経が悪いのはワタシデスネ」
恨めしい声だ。まだまだ体力面は補えていない。皆の役に立ちたいのに、どうも足を引っ張りがちだと自覚していた。
ハーターは皆に提案をし、先へ進もうと言う。
「とりあえずあのパイプを辿ってみようか。ツナ缶が軽くなって来たし、先を急ごう」
摘まんでいるランプから香ばしい匂いはするが、重さは持っている本人にしかわからない。ハーターが言うのだから、ローズが持っている缶だって大差はないだろう。
白いパイプを追っていくと、ジェフリーは知らない道だった。監禁されたときに行かなかった道だ。さらに奥があって、違う道を行かないといけないとは考えものだ。この研究所が複雑な構造だったことをあらためて思い知らされた。ただ、道自体は複雑ではないし、何か仕掛けが遮っている様子もなかった。それだけが幸いかもしれない。
大きな扉に遭遇した。白くて、飾りや物々しさを感じない。だが、重要な扉であることは予想できる。扉の横をパイプが途切れ、中に通じているように見えた。
扉を前に過敏な反応を見せたのはショコラだ。ジェフリーの肩で耳を立て、警戒するように言う。
「何か音がするのぉん? 注意したほうがよさそうだなぁん」
「そっか。ばあさんは猫だし、耳がいいよな」
「電気みたいなものが動く音と、変な音もするのよぉ」
「変な音?」
ショコラは耳を立てながら首を傾げている。いくら猫でも、音の正体は正確にわからないようだ。
ハーターは扉を開けようと調べている。
「何でもいいさ。電気みたいな音ってことは、ここでビンゴみたいだからね」
ハーターと壱子が扉に力を入れるが重く閉ざされている。押しても引いてもびくともしない。扉は左右に二枚、カードキーやセンサーで開きそうなものだがその様子はない。
「うん。動かないね。もうここで爆破してやりたいくらいだよ」
「オニーチャン、荒っぽいデス」
ハーターの気持ちはわからなくもないが、確認してからの方がいい。壱子が扉の端に鋏を引っ掻けて隙間を作ろうとしている。
「こちらも無理のようです。中から何か、底知れない圧を感じますね」
壱子のやり方もだいぶ荒っぽい。圧を感じるという言葉に、ローズは顔をしかめる。
「この中に圧があるのなら、開けるのは難しいデス。温めると開くかもしれないデス」
ローズの言葉を聞き、キッドは首を傾げた。やけに日常生活に近いものを連想した。
「何だかジャムの瓶みたいね、それ」
「似たような物かと。ほいっと」
ローズは摘まんでいたツナ缶を傾け、扉の淵に油を零した。そのまま継ぐように火を点けて少し燃やす。すると、扉の繋ぎ目が緩んだ。微動もしなかった扉は触れると音を立ててガタついた。強い力を与えれば壊せるかもしれない。
ローズはジェフリーとキッドの肩を叩いた。この中で最も気迫と息が揃いそうな二人だと判断したようだ。
「何で、あたし」
「その怒り、こいつにぶつけてやれ」
舌打ちする程ガラは悪くないが、キッドは明らかに嫌そうな顔をしている。タイミングを崩したら体を悪くしそうだ。ジェフリーは合図をした。
「行くぞ! せぇ」
「のっ!!」
二人は息を合わせて強烈な蹴りを繰り出した。鉄の扉が轟音とともにぐらついた。そのまま向こう側へ倒れるかと思ったら、扉の枠から真っ黒な影が湧き出て来た。
わらわらと現れたのは触覚の生えた茶色や黒の虫、そう、ゴキブリだ。
「ひぃぃぃっ!!」
ローズが驚きのあまりランプを落とした。そんなに油が残っていなかったのか、音も軽く、火は消えた。
虫が嫌いな人なら、失神してもおかしくない。だが、ローズ以外は平気な様子。ショコラが言っていた『変な音』の正体は虫の蠢きだったのだ。
ただ、平気とは言ってもこの量は驚く。床に転がったツナ缶をショコラが目で追うも、すっかり食欲がなくなってしまったようだ。
扉の向こうでモニターといくつものパイプが見えるが、それよりも手前に衝撃的なものがあった。壁に赤黒い文字で『ごめんなさ』と書かれてあり、さらにスプラッターが掛かっている。書きかけで絶命したのだろう。気になったのは、空気があまり澱んでいない。虫を潰した跡もあるし、誰かがここに立ち入った痕跡がある。
ハーターはまたもショックを受け。立ち尽くす。
壱子が違うものを発見する。
「センセ、あちらを」
「あぁすまない」
ハーターはまた表情を強張らせる。モニターのぼんやりとした明かりで、ランプがなくても肉眼で確認できたが、白くよく知っているものがいくつも散らばっている。
ジェフリーは白い物の前で立ち止まった。
「人骨、あっちに頭がある」
ジェフリーが目を向ける先には顎の骨、散った歯、どこの骨かわからないが肋骨のように歪曲した骨が散っている。その先では動物の骨が綺麗な形で朽ちていた。
冷静でいられず、取り乱しているのはローズだ。
「あ……あぁ……」
こんなものを見て平気でいられる方がおかしいかもしれない。冷静だが、信じられないというのがハーターだ。狂っていると軽く言ったが、本当に狂っている。
動物の骨を見てキッドがぽつりと言う。
「大きい犬ってところかしら」
犬と言われ、ジェフリーが反応する。
「犬だったら心当たりがある」
「竜次さんと言っていたこと?」
キッドの推測に心当たりがあり、ジェフリーは深く頷いた。
壱子が物陰に何かを発見し、近付いた。
「おや?」
壱子は赤黒い染みの付いて大きく裂かれている白衣を見付け、ポケットから何か取り出した。ネームプレートのようだ。金具は錆び、中に入っている写真やカードはくすんでしまっている。解読は不可能だった。
壱子はローズに歩み寄って渡す。だが、彼女は恐怖のあまりびくびくしている。
「もしかしたらこの人はケーシス様や、あなただったかもしれない」
庇うようにキッドが間に入った。
「ちょっと執事のお姉さんっ!!」
壱子の視線はローズに向いたままだ。
「過ちに気が付いて抜け出して、よかったですね」
ローズは顔を覆って咽び泣いた。キッドがローズの背中をさすって落ち着かせようとする。向き合っているものがあまりにも大きい。そして重い。
他に何か目ぼしいものはないか、壱子が離れ、探索を続ける。呆然と立ち尽くしているハーターを叱るわけでもなく。
変化を訴えたのはショコラだった。
「のぉん、ジェフリーさん」
ショコラはジェフリーの首元にすり寄って来た。
「ばあさんはこういうの大丈夫なのか?」
ショコラの様子がおかしい。何かを求めるように、ジェフリーにすりすりと体をこすりつけている。
「のぉ……」
力なく鳴いている、そして震えている。
「あ、あの子の魔力が弱っておるのぉん」
「なっ!! ばあさん?!」
探りを入れたいが、そう時間は待ってくれないようだ。ショコラがよろめくので抱きかかえる。
「しっかりしてくれ、ばあさんの補助がないと、俺は……」
「いつまでも甘えるでないのぉん」
頼みの綱だったショコラが瀕死だ。サキに何かあったようだ。不安がよぎる。
壱子はパネルを触っていた。
「ふむ、ここがマザーみたいですね」
むやみに触って大丈夫なのだろうかと疑問だ。文字に沿ってスワイプさせ、文字を眺めている。ふと手が止まった。壱子にしては真剣な眼差しで考え込んでいる。
「ウイルスを、ノックスに、撒いた?」
壱子の言葉に目が覚めたようにハーターが駆け寄った。
「い、今、何て!? こ、これは、そういうことだったのか」
モニターを見て瞬時に判断したハーターが仕事人の顔に戻った。
「センセ、今までの状況からして、あの男がここで何かプログラムをして行ったみたいですね」
「あぁ、ハッキングできるかもしれない。一分だけくれ」
「怖いお仕事されておりますね。やはり敵に回したくないです」
後ろで痺れを切らせているジェフリーが荒声を上げる。
「急いでほしい!! サキに何かあったらしい」
ハーターと壱子を急かす。
急がせればそれだけ自身の首を絞めるようなことだが、もう黙っていられない。ジェフリーはもどかしく思った。
焦っているときの時間は早いものだ。
一分と少し経過したくらいでハーターがため息をついた。
「すまない。現状ではここまでしか解除できないみたいだ」
「センセ、これは正気とは思えませんが?」
「ぼくも信じたくはない。ただ一つ言えることは、今日中にここを破壊しないとフィリップスに人の存在を壊す『何か』がばら撒かれるってことだよ」
ハーターが先程のお手製爆弾を取り出し、導火線を雑に解く。彼も焦りの色が見え始めた。
「情報は得た。もっと見たかったけど、ここを出よう。準備はいいかい?」
「わたくしはオーケーです。ずらかればいいだけでしょう?」
「いい鋏を持っているから、怪しい線やパイプを見付けたら傷付けてもらいたい」
「念には念をですか。お仕事ですからね」
「あの男が仕掛けた罠だろうから、報酬なんてないかもしれないね」
冴えない冗談に壱子が真顔になった。よく考えなくてもその可能性は高い。ギルドから出ていた仕事ではないのかと深く考え込みたいが、今は違うことに頭を使った方が良さそうだ。
相談するまでもなく、会議をするわけでもなく、ここを破壊する結論にいたる。
ぼんやりとするジェフリーに、壱子が声をかける。
「坊ちゃん、準備はよろしいですか?」
ジェフリーは軽く首を振った。今は雑念を振り払わねばならない。
「今は頭を切り替える」
「逞しくなられましたね」
壱子はジェフリーを見て目を細めている。ジェフリーはその目が気になった。
「ずっと疑問に思っているんだが、あんたは俺のことを知っていたのか?」
ショコラを左腕に抱え、魔石のストックを確認しながら話す。壱子は竜次や正姫、マナカ、光介の世話係をしていた。家族を知っているみたいだったが違うのだろうか。
「わたくし、情報屋ですよ? わたくしが定期的に城を開けて仕立てたジェフリー様の成長日記、あとで見ますか? 研究所に身を置き、根を詰めながらもあなたのことをずっと気に掛けていてくれたのですよ? シルビナ様の忘れ形見ですからね」
「おふくろを知っているのか?」
「えぇ、もちろんです。お仕えしておりましたからね」
「また一つ生きて帰る理由ができた」
壱子はにんまりと笑う。もともと怪しい執事だとは思っていたが、この笑い方が胡散臭くて面白い。いつまでも中二病をこじらせているようなケーシスと対等に渡り合えるのだから、この人だってよほどの人なのだろう。
生きて帰る理由ができた。壱子から母親の話を聞きたい。ケーシスが語ることが少なかった情報が知りたかった。ジェフリーは自分の家族を知りたいと思った。雑念が多すぎる。こうしている間にも、爆破と逃走の話が進んでいる。
導火線を誤爆しないように間隔を開けて蛇腹に仕掛け、マッチをかまえているハーター。
「準備はいいかい?」
気になるのは精神的に参っているローズくらいだろうか。キッドが引っ張ると言っていたので、彼女を信じる事にした。
ハーターがショコラの頭を撫でる。
「悪いね。帰ったら活きのいい魚でも釣ってあげるよ」
「のぉん」
ハーターの謝罪はツナ缶を片してしまったことに対してなのだろう。
ショコラはそんなことよりも、供給される魔力の低下に衰弱していた。ジェフリーは抱っこしているが、気を緩めたら落としてしまいそうだ。
ことの流れを見て、キッドは自身の役割を思い出した。
「あたしは一番後ろを行くわ。頼むわよ!」
ジェフリーはキッドの言葉で目が覚めた。今までは、誰かが助けてくれた。クディフやアイラ、ケーシスだってそうだ。だが、今頼れるのはここにいる仲間だけ。いや、頼ってはいけない。自分が皆を引っ張るのだ。先導し、命を預る立場としての責任。魔石を握る手に無駄に力が入る。手汗も尋常ではなかった。大きく息を吸って走り出す。
「キッド、後ろは任せた!!」
「りょーかいっ!! 前だけ見て、走んなさい!!」
ジェフリーが指を弾く。帰りは魔力で付けた目印を回収するのだから、戻れば戻るほど回復するだろう。集中さえしていれば大丈夫だ。指先で心許ない光を放つ。今は目印になってくれさえすればいい。
途中まではハーターが先導する。そのうしろをジェフリーと壱子が走る。
「さあ、ぼくたちも行くよっ!!」
「わたくしの方が少し早いですからね、センセ、お先にどうぞ」
壱子の手には巨大な鋏。念には念を入れて、怪しいところを破壊しながら進むつもりらしい。言っていることは極めてシンプルだが、実行しながらでは難しい。
ハーターは持っているありったけのマッチを擦って絶対に着火するように仕掛け、走り出した。着火を確認し、壱子がキッドとローズに振り返る。
「参りますよ、お嬢様方」
壱子が行ったことを確認し、キッドがローズの手を強く握った。精神的に参っているローズはただ何も言わずに引き摺られるように走っている。キッドがどこまで引っ張れるだろうかにかかっている。
道中での崩れはまだない。時間は五分くらいと言っていた。崩落が始まる前に脱出したい。
ジェフリーは三つばかしポイントを回収して少し余裕が出た。うしろがちゃんと付いて来ているか、確認のために振り返る。走るハーターの背後に鋭い刃を輝かせる壱子までは見えた。むしろこの時点で、壱子に追い駆けられているような変な感覚に襲われる。ジェフリーは振り返り、ローズとキッドを確認した。
ジェフリーが背後を気にしていることについて、ハーターが注意をする。
「前を見るんだっ!!」
ハーターは帯に手を添えた。ジェフリーは刃物が光ったのを確認した。ジェフリーの横を血肉が走った。びしゃりと血が散る。犬なのか、オオカミなのかわからないが四つ足の動物が裂かれ、床に散った。まだ残党が生きているようだ。
「いいから走るんだ!! ぼくが援護する」
「センセ、お先に」
壁を鋏の大きな刃で走る不気味な姿の壱子が死体を確認する。完全にホラー映画の殺人鬼のようになっている。こんな人間離れした動作ができるなんて信じられない。
再び前を向いて走り出したジェフリーは、どうしてもキッドとローズが気掛かりだった。それこそ、スプリングフォレストで言い合った、仲間を置いて逃げるようで胸騒ぎを抑えていた。
開けた部屋に出た。二匹のライオンが朽ちているのが見える。中間地点と考えていたが、半分を過ぎただろう。あと少しだ。
ジェフリーは一瞬だけ振り返る。すると、キッドもローズも見えた。少し走るペースを上げてもいいかもしれない。
先を行くハーターと壱子。たびたびお互いの様子を確認する。
「いい仕事をするね」
「怪しいものは壊しておりますよ。先程、逆側にも線がありましたので破壊しておきました。非常灯が消えましたので、悪くないかもしれませんね」
息を切らせながら言葉少なく話すハーターに対し、壱子は息を乱していない。
「ぼくが仕事で頑張っても歯が立たないはずだ」
「愚痴ならここを出てからゆっくりお聞きしますよ、センセ?」
壱子は不気味に笑う。この中で一番敵に回したくないのも彼女だと断定していい。
最初にネズミの大群を焼いた場所が見えた。ここを通ったのは間違いない。ショコラが少しだが元気を取り戻した。汗だくのジェフリーを見上げている。
「ばあさん、大丈夫か?」
「のぉん?」
ショコラの回復を確認した。サキから離れているゆえに、魔力の供給はジェフリーから受けている。複雑な関係だが、魔力の印を回収したジェフリーからならば多少の回復は見込める。
ジェフリーは足を止めて耳を澄ます。先方で争う音がする。何か出て来たのだろうか。足を止めていると、ショコラが耳を立てた。
「始まったのぉ」
天井を地鳴りのような音が走った。崩落が始まろうとしている。ジェフリーが足を戻す頃には壱子とハーターが丸々としたネズミを蹴散らしていた。白い壁や床に血が飛散している。
「先生、怪我はないか!?」
「上から降って来るものだからびっくりはしたけど、大丈夫だよ。そっちは大丈夫かい?」
「俺とばあさんは大丈夫だ!」
ハーターも壱子もうしろを気にしていた。ジェフリーはキッドとローズを待つが、一向に見える様子がない。
「何があった」
ジェフリーがさらに戻ろうとするが、明かりを失くすのも困りものだ。
前方では出口の確保と探索が進んだ。
「おや?」
壱子が金属の筒を拾い上げる。摘まんで観察し、捻った。カチッと音がしたと思ったら心許ないが明かりが点いた。
ハーターは壱子の持っている筒が気になった。
「ペンライト? どうしてここに?」
「そう言えばこちら、床に入り乱れた跡がありますね」
壱子がそのままライトで足元を照らす。そのままずらし、ジェフリーがまとっているフェアリーライトに向けた。
ジェフリーはそのライトを見て首を傾げた。
「もしかして、そのライトは兄貴の?」
「お口を拝見するものでしょうかね」
「上から何か落ちて来て、兄貴は驚いて転んだ、とか? まさかな」
ジェフリーは恨めしく天井を見る。だが、地鳴りが大きくなって来ることしかわからない。少し揺れたような気もした。
竜次がヘマでもしてペンライトを落としたなら、彼はランタンを持っているのだからそこまで気が回らないだろうと予想できる。ペンライトなんて小さいものを落としても気が付かないかもしれない。
それはそうと、あとが来ない。さすがにジェフリーは焦りを見せる。
「二人は先に行って出口の確保と安全確認を頼んだ」
「ええええ、ちょっと切込み包丁クンっ!!」
追い駆けようにも、ハーターは明かりを持っていない。
壱子はこんなときでも与えられた役目を成し遂げようとする。
「お待ちしておりますね」
従順で必要以上の口出しをしないのは、ジェフリーにも敬意を払っているからだ。壱子は先へ進んだ。戸惑いながら、ハーターもあとを付いて行った。
あれだけ茶番を挟んでもローズとキッドが来ないのはおかしい。ジェフリーは足を戻す。白い壁に白い天井。遠くはほの暗く、ぼんやりとしか見えない。
「ジェフ君っ!!」
ぼんやりとうした白い存在。白衣から見えたがローズだ。床に座り込んでしまっている。なぜ一人なのだろうか。ジェフリーは戻ってローズを確認する。
「博士、キッドは!?」
明かりを向けて息を飲んだ。白いコンクリの天井が崩れている。先程の天井を走った地鳴りも揺れた気配も気のせいではなかった。その割には音がなかったような気がする。視界もあまり曇っていない。
ジェフリーは一枚手に掛けたが軽い素材だ。腐敗しているのかもしれない。変な所で助かった。
「博士、キッドはどの辺りだ!!」
「わ、わからな……」
壁を伝ってローズが立ち上がる。だが、ローズも右足を大きく擦り剝いている。床に激しく擦った跡がある。崩落して来た天井パネルから守るために、ローズを突き飛ばしたに違いない。
「キッド!! 返事してくれっ!!」
ジェフリーの声が届いたのか、かすかに崩れる音がした。ショコラがピクリと耳を立て、床に下りる。猫特有の嗅覚と音から捜索に加わる。隙間から覗き込むようにして探りを入れている。望みはあるらしい。これだけでも今は希望を繋ぐことができた。
ローズはキッドの捜索に加わるわけでもなく、震えている。
「な、何で、生きている価値もないようなワタシなど……」
ローズは放心状態に陥っている。ジェフリーは大声を上げた。
「博士、手を貸してくれ。今はそんな泣き言なんていいっ!!」
「ワタシなんて、もっと早くに死ぬべきだった」
自分の生きる意味を否定し始めてしまった。ローズは震えながら涙を零す。
ジェフリーはそんなローズでも見捨てようとしない。怒ってどうにかなるわけではないのはもうわかっているからだ。キッドを探すのはいったんショコラに任せ、ジェフリーはローズに言い聞かせる。
「この世に生きてちゃいけない人間なんていないっ!! 博士は罪を償おうと正しいことをしようとしていた。俺たちはずっと助けられていたんだ! 博士は俺たちの大切な仲間だ! だから、立って一緒にキッドを助けてくれ!!」
ジェフリーは立ち上がり、ショコラが待つ瓦礫に向かう。数枚の瓦礫をどかしたところで隙間から手が覗いた。
「キッド! 返事をしろ!!」
その手が声に反応しない。かなりぐったりとしているようだ。砂を被り、擦り傷がうかがえる。
ショコラは尻尾と耳を立て、急かすように言う。
「ジェフリーさぁん、遠くが崩れるのぉっ!!」
ショコラの言葉の直後に大きな揺れを感じ、上を警戒した。パラパラとコンクリ片が落ちる。もういくらも時間が残っていないと示された。
ジェフリーは舌打ちをする。
「クソが……」
がらりと音を立て、瓦礫を避ける。ジェフリーはやっとキッドを掘り当てた。だが彼女はぐったりとしながら、諦めるような声を上げる。意識があるようだ。だが、頭から血を流している。
あまりにぐったりとしているものだから、ジェフリーはキッドの腕を掴み、胸に耳を当てた。
そこで、キッドはぴくりと動いた。
「……やめてくれる? 変態」
「キッド!! よかった」
「あんた、あたしを掘り当てるなんて、犬?」
キッドは目を開けないが、憎まれ口をたたいて口元を笑わせる。腰から下が埋まっているが、ジェフリーが抱え込んでようやく引っ張り出した。
「あたしなんて助けて、どうすんのよ」
「どいつもこいつも勝手なこと言いやがって」
「置いて行きなさいよ、こんな足でまとい」
「仲間を見捨てるなんてできるわけがないだろ!! キッドが、俺に言ったくせに!」
「変なこと、覚えてるのね。馬鹿のくせに」
頭を打った以外は大丈夫のようだ。だが、手も足もジェフリーに背負われることを抵抗していた。それでもジェフリーは強引にキッドの手を引き、首に回した。
その頃合いでショコラが叫んだ。
「ジェフリーさぁん!! 大きい崩れが来るのぉっ!!」
「博士もっ!!」
ショコラは自力で走れるまでになっていた。魔力の印は置いてある。帰り道を先導してくれるようだ。
ローズは、ジェフリーに腕を掴まれ、諦めて一緒に走る。足を引き摺り、泣きながらこんなに情けなく小さくなっているローズは見る機会があまりない。自信満々なハイスペックな彼女がただの女性にまで成り下がっている。それでもジェフリーは全員を連れて脱出するつもりだ。
女性二人に気を配り、走り抜けるにはどうしても無理がある。
「ジェフリーさんッ!! 上なのぉ!!」
ショコラの注意によって、ジェフリーは天井の亀裂に気が付いた。点所が崩れるのなら、防御壁を張らなくてはならない。そのため、ジェフリーは手を空けることを選んだ。そのためには、背負っているキッドに協力をしてもらうしかない。
「キッド、俺を絞め殺すつもりでその手を離すな!」
「ど、どうして?!」
キッドには何が起きているのか見えていない。目を開けられないのかもしれない。ジェフリーは一瞬だけキッドに振り返り、さらに言う。
「今は兄貴の代わりに、俺がキッドを守る!!」
「しょうがないわね……」
キッドの腕に力が入ったことを確認した。キッドはジェフリーの腰のポーチに足を引っかけている。落ちないように協力をしたようだ。
ジェフリーはありったけの魔石を手に持ち、この魔石を持たせてくれた人へ感謝をする。
「サキに感謝しないといけないな」
手が焼けてしまってもいいくらいだ。ジェフリーは前方少し上に向かって障壁を展開しながら走った。
崩れ落ちる天井、壁にも大きな亀裂が走った。先を行くショコラはジェフリーに振り返る。
「ここを右に、まっすぐ行けばもう出口なのぉっ!!」
最後の魔力の印を拾った。振り上げている右手が熱い。それに気付いたとき、一段と大きな崩れが起きた。
ジェフリーは焦りを感じた。あと少しというのに、手の中の残りの魔石が少ない。これでは脱出は間に合わないだろう。そう思いながらも、どこかで諦めてはいなかった。
ジェフリーの焦りを見て。ローズはつないでいた手を解き、自分の足で走り出した。
「ジェフ君っ!!」
ローズは白衣のポケットからいつもより大きな試験管を取り出し、進行方向に投げた。
「アイシクルリンク、デス!!」
ジェフリーの顔に冷たい風を感じた。ローズが投げた媒体は砕け、広がり、目の前に氷の道ができる。ローズと目が合ったときは、泣きながら笑っていた。
「走るより早いハズ! 足、踏ん張ってくださいデス!!」
「博士、すまない」
「ケーシスと同じ目をしてマス」
ローズは遠慮がちに笑う。
父親のケーシスを知る人は、似ていると言う。ジェフリーにその実感はない。
自分は父親をほとんど知らなかった。あれだけ親しかったローズが言うのだから、それは正解なのかもしれない。
ほったらかしにされて、見初められて何不自由なく暮らして、理不尽を味わった。自己満足で剣術学校の一番厳しいクラスを卒業したが、落ちぶれたことに変わりはない。同じように生きることを諦めて、廃人同然になった竜次に寄り添った。これはただの居候だったかもしれない。自分のお金ではなくお小遣いで、しかも浪費して、ちっとも覚悟を持って生きていなかった。この旅で自分は何を学んで、何を得ただろうか。
ローズに言われたように足を踏ん張り、スケートのように滑り進む。くだらないことを考える余裕ができた。
本当にくだらない。
どうしてこんなことを思うのだろう。責任感を持ったからだろうか。ジェフリーはぼんやりと考えながら鉄の扉の向こうに出た。
隣にはローズ、背中にはキッドがいる。足元にはショコラもいた。
出口の確保と安全の確認をしていたハーターと壱子が迎える。
「大将!! こっちだ」
「ジェフリー坊ちゃん、お待ちしておりましたよ!!」
ジェフリーは緊張が緩み、フェアリーライトを消してしまいそうになった。だが、壱子の持っていたペンライトを見て集中力を取り戻す。全員の姿を確認した。みんな生きている。
よかった、本当に。ひとまずここで安心した。
これからもうひと波あるというのに、まだ気付かないまま。
虫除けの魔法はないし、ましてやランタンではないのだからうまく避けられない。
ジェフリーは正直、服を脱ぎたいとも思っていた。だが、肌寒いだろうし、このジャケットは脱ぎ捨てる気にはなれない。
むず痒さを感じ、ジェフリーは汗でまとわりついた前髪を払おうとする。だが、ここでも神経を使う。キッドはジェフリーの前髪を払った。
「ったく、しょうがないわね。そんな手で顔とかいろいろ触んない方がいいわよ」
今日のキッドはやけにジェフリーの世話を焼く。普段から言い合いになりがちのせいか、ジェフリーはどうもキッドの優しさが受け止められない。だが、今は言葉に甘えるしかない。キッドの気遣いを素直に受け止めた。
「水を飲むのも神経使う。今日は飯もうまけりゃ風呂も身に染みるだろうな」
キッドが注意するのも無理はない。長時間で汗をかいても拭えないし、返り血に何が混ざっているかわからない。ここで自分が倒れでもしたらと考えると背筋が凍る。こんなことを考えるのも、何かの見過ぎと言われて流されたらそれまでなのかもしれない。ジェフリーは不安に駆られていた。
ジェフリーは進んでダクトのあった場所、高い天井を仰いだ。さすがにランプの光は届かない。
「確かここであっているはず。金網が落ちているし」
金網と言って地面に目を向けたローズ。何かに気が付いたようだ。壁の上部を眺め、来た道に視線を向ける。
「ライフラインの、パイプ、デス?」
天井に近い所を太いパイプが通っている。壁も床も白く、パイプも白くて目立たない。
ハーターは待っていましたとばかりにコートの内側から細長い筒を取り出した。テープで長い導火線が止められている。
明らかに爆発物、ダイナマイトだ。危険なものを目にし、壱子が目を丸くした。
「センセ、なぜそのような物騒な物を?」
「ぼくは非力だし、知識だけでどうにもできないことは実力行使するのさ。だから、日曜大工とかも得意だよ」
「センセのプライベートは別にいいのですけれど。まさか、お手製ですか?」
物珍しそうに見つめる壱子を尻目に、ハーターは巻いてある導火線を解き始めた。ここでマッチを持っていた理由が一つつながった。
「お手製じゃなかったらこんなに長い導火線にはしないよ」
「発破を使ったら、猛ダッシュで脱出しないといけませんよ?」
「ダクトに放り込んで破壊するのならこれでいいだろうけど、主な目的はこの施設の破壊だからね。ローズが言うライフラインのパイプがどこにつながっているか。それ次第でこれを使う場所が決まる。ってことで、ここで使うのはよくないだろうね」
導火線を再び巻いたハーターは一同の顔をうかがう。こういうものを持っているという示しだけになった。
ショコラがダイナマイトに興味を示す。
「ハーさぁん、その導火線はどれくらいの時間、燃えそうなのぉ?」
ショコラは時間を聞いている。賢い猫だ。時間を聞くとなると、この案は悪くないと考えているようだ。
「どういう仕掛け方をするか、具体的にわからなかったから適当に長く作ったけど五分はあるんじゃないかな? でも確実に燃えるようにするんだったらだけど、油を含ませるだろうから実際はもっと短いかもしれない。ランタンの予備油割っちゃったからありったけのツナ油だろうけど」
ハーターは言ってから、ジェフリーに向き直った。
「つまり、帰りは切込み包丁クンが明かりを手に先導して、猛ダッシュする。責任重大だけど、体力は回復したかい?」
「なるほど。そういうことなら、俺も腹を括らないといけないな」
ここを潰しておしまいではない。最後の一手はハーターの爆弾かもしれないが、そのあとの脱出はジェフリーにかかっている。重い責任、預かるのはここにいる仲間、全員の命だ。
ジェフリーは責任による重圧と緊張に胃酸が戻って来そうになった。その心境を読み取ったのか、キッドはジェフリーの背中を叩く。
「しっかりしなさい。走れない人が出たら、あたしが引っ張るから。あたしは多少離れていても、目がいいんだから大丈夫よ」
ジェフリーはキッドに励ましを受けた。これではいつもと逆だ。ジェフリーは拍子抜けた顔をした。これは、困惑か驚きか。複雑な心境だ。
脱出の計画は追々考えるとして、先に進もうとなる。だが、ローズだけはどうもその件を引きずりそうだ。
「どー考えてもこの中で一番運動神経が悪いのはワタシデスネ」
恨めしい声だ。まだまだ体力面は補えていない。皆の役に立ちたいのに、どうも足を引っ張りがちだと自覚していた。
ハーターは皆に提案をし、先へ進もうと言う。
「とりあえずあのパイプを辿ってみようか。ツナ缶が軽くなって来たし、先を急ごう」
摘まんでいるランプから香ばしい匂いはするが、重さは持っている本人にしかわからない。ハーターが言うのだから、ローズが持っている缶だって大差はないだろう。
白いパイプを追っていくと、ジェフリーは知らない道だった。監禁されたときに行かなかった道だ。さらに奥があって、違う道を行かないといけないとは考えものだ。この研究所が複雑な構造だったことをあらためて思い知らされた。ただ、道自体は複雑ではないし、何か仕掛けが遮っている様子もなかった。それだけが幸いかもしれない。
大きな扉に遭遇した。白くて、飾りや物々しさを感じない。だが、重要な扉であることは予想できる。扉の横をパイプが途切れ、中に通じているように見えた。
扉を前に過敏な反応を見せたのはショコラだ。ジェフリーの肩で耳を立て、警戒するように言う。
「何か音がするのぉん? 注意したほうがよさそうだなぁん」
「そっか。ばあさんは猫だし、耳がいいよな」
「電気みたいなものが動く音と、変な音もするのよぉ」
「変な音?」
ショコラは耳を立てながら首を傾げている。いくら猫でも、音の正体は正確にわからないようだ。
ハーターは扉を開けようと調べている。
「何でもいいさ。電気みたいな音ってことは、ここでビンゴみたいだからね」
ハーターと壱子が扉に力を入れるが重く閉ざされている。押しても引いてもびくともしない。扉は左右に二枚、カードキーやセンサーで開きそうなものだがその様子はない。
「うん。動かないね。もうここで爆破してやりたいくらいだよ」
「オニーチャン、荒っぽいデス」
ハーターの気持ちはわからなくもないが、確認してからの方がいい。壱子が扉の端に鋏を引っ掻けて隙間を作ろうとしている。
「こちらも無理のようです。中から何か、底知れない圧を感じますね」
壱子のやり方もだいぶ荒っぽい。圧を感じるという言葉に、ローズは顔をしかめる。
「この中に圧があるのなら、開けるのは難しいデス。温めると開くかもしれないデス」
ローズの言葉を聞き、キッドは首を傾げた。やけに日常生活に近いものを連想した。
「何だかジャムの瓶みたいね、それ」
「似たような物かと。ほいっと」
ローズは摘まんでいたツナ缶を傾け、扉の淵に油を零した。そのまま継ぐように火を点けて少し燃やす。すると、扉の繋ぎ目が緩んだ。微動もしなかった扉は触れると音を立ててガタついた。強い力を与えれば壊せるかもしれない。
ローズはジェフリーとキッドの肩を叩いた。この中で最も気迫と息が揃いそうな二人だと判断したようだ。
「何で、あたし」
「その怒り、こいつにぶつけてやれ」
舌打ちする程ガラは悪くないが、キッドは明らかに嫌そうな顔をしている。タイミングを崩したら体を悪くしそうだ。ジェフリーは合図をした。
「行くぞ! せぇ」
「のっ!!」
二人は息を合わせて強烈な蹴りを繰り出した。鉄の扉が轟音とともにぐらついた。そのまま向こう側へ倒れるかと思ったら、扉の枠から真っ黒な影が湧き出て来た。
わらわらと現れたのは触覚の生えた茶色や黒の虫、そう、ゴキブリだ。
「ひぃぃぃっ!!」
ローズが驚きのあまりランプを落とした。そんなに油が残っていなかったのか、音も軽く、火は消えた。
虫が嫌いな人なら、失神してもおかしくない。だが、ローズ以外は平気な様子。ショコラが言っていた『変な音』の正体は虫の蠢きだったのだ。
ただ、平気とは言ってもこの量は驚く。床に転がったツナ缶をショコラが目で追うも、すっかり食欲がなくなってしまったようだ。
扉の向こうでモニターといくつものパイプが見えるが、それよりも手前に衝撃的なものがあった。壁に赤黒い文字で『ごめんなさ』と書かれてあり、さらにスプラッターが掛かっている。書きかけで絶命したのだろう。気になったのは、空気があまり澱んでいない。虫を潰した跡もあるし、誰かがここに立ち入った痕跡がある。
ハーターはまたもショックを受け。立ち尽くす。
壱子が違うものを発見する。
「センセ、あちらを」
「あぁすまない」
ハーターはまた表情を強張らせる。モニターのぼんやりとした明かりで、ランプがなくても肉眼で確認できたが、白くよく知っているものがいくつも散らばっている。
ジェフリーは白い物の前で立ち止まった。
「人骨、あっちに頭がある」
ジェフリーが目を向ける先には顎の骨、散った歯、どこの骨かわからないが肋骨のように歪曲した骨が散っている。その先では動物の骨が綺麗な形で朽ちていた。
冷静でいられず、取り乱しているのはローズだ。
「あ……あぁ……」
こんなものを見て平気でいられる方がおかしいかもしれない。冷静だが、信じられないというのがハーターだ。狂っていると軽く言ったが、本当に狂っている。
動物の骨を見てキッドがぽつりと言う。
「大きい犬ってところかしら」
犬と言われ、ジェフリーが反応する。
「犬だったら心当たりがある」
「竜次さんと言っていたこと?」
キッドの推測に心当たりがあり、ジェフリーは深く頷いた。
壱子が物陰に何かを発見し、近付いた。
「おや?」
壱子は赤黒い染みの付いて大きく裂かれている白衣を見付け、ポケットから何か取り出した。ネームプレートのようだ。金具は錆び、中に入っている写真やカードはくすんでしまっている。解読は不可能だった。
壱子はローズに歩み寄って渡す。だが、彼女は恐怖のあまりびくびくしている。
「もしかしたらこの人はケーシス様や、あなただったかもしれない」
庇うようにキッドが間に入った。
「ちょっと執事のお姉さんっ!!」
壱子の視線はローズに向いたままだ。
「過ちに気が付いて抜け出して、よかったですね」
ローズは顔を覆って咽び泣いた。キッドがローズの背中をさすって落ち着かせようとする。向き合っているものがあまりにも大きい。そして重い。
他に何か目ぼしいものはないか、壱子が離れ、探索を続ける。呆然と立ち尽くしているハーターを叱るわけでもなく。
変化を訴えたのはショコラだった。
「のぉん、ジェフリーさん」
ショコラはジェフリーの首元にすり寄って来た。
「ばあさんはこういうの大丈夫なのか?」
ショコラの様子がおかしい。何かを求めるように、ジェフリーにすりすりと体をこすりつけている。
「のぉ……」
力なく鳴いている、そして震えている。
「あ、あの子の魔力が弱っておるのぉん」
「なっ!! ばあさん?!」
探りを入れたいが、そう時間は待ってくれないようだ。ショコラがよろめくので抱きかかえる。
「しっかりしてくれ、ばあさんの補助がないと、俺は……」
「いつまでも甘えるでないのぉん」
頼みの綱だったショコラが瀕死だ。サキに何かあったようだ。不安がよぎる。
壱子はパネルを触っていた。
「ふむ、ここがマザーみたいですね」
むやみに触って大丈夫なのだろうかと疑問だ。文字に沿ってスワイプさせ、文字を眺めている。ふと手が止まった。壱子にしては真剣な眼差しで考え込んでいる。
「ウイルスを、ノックスに、撒いた?」
壱子の言葉に目が覚めたようにハーターが駆け寄った。
「い、今、何て!? こ、これは、そういうことだったのか」
モニターを見て瞬時に判断したハーターが仕事人の顔に戻った。
「センセ、今までの状況からして、あの男がここで何かプログラムをして行ったみたいですね」
「あぁ、ハッキングできるかもしれない。一分だけくれ」
「怖いお仕事されておりますね。やはり敵に回したくないです」
後ろで痺れを切らせているジェフリーが荒声を上げる。
「急いでほしい!! サキに何かあったらしい」
ハーターと壱子を急かす。
急がせればそれだけ自身の首を絞めるようなことだが、もう黙っていられない。ジェフリーはもどかしく思った。
焦っているときの時間は早いものだ。
一分と少し経過したくらいでハーターがため息をついた。
「すまない。現状ではここまでしか解除できないみたいだ」
「センセ、これは正気とは思えませんが?」
「ぼくも信じたくはない。ただ一つ言えることは、今日中にここを破壊しないとフィリップスに人の存在を壊す『何か』がばら撒かれるってことだよ」
ハーターが先程のお手製爆弾を取り出し、導火線を雑に解く。彼も焦りの色が見え始めた。
「情報は得た。もっと見たかったけど、ここを出よう。準備はいいかい?」
「わたくしはオーケーです。ずらかればいいだけでしょう?」
「いい鋏を持っているから、怪しい線やパイプを見付けたら傷付けてもらいたい」
「念には念をですか。お仕事ですからね」
「あの男が仕掛けた罠だろうから、報酬なんてないかもしれないね」
冴えない冗談に壱子が真顔になった。よく考えなくてもその可能性は高い。ギルドから出ていた仕事ではないのかと深く考え込みたいが、今は違うことに頭を使った方が良さそうだ。
相談するまでもなく、会議をするわけでもなく、ここを破壊する結論にいたる。
ぼんやりとするジェフリーに、壱子が声をかける。
「坊ちゃん、準備はよろしいですか?」
ジェフリーは軽く首を振った。今は雑念を振り払わねばならない。
「今は頭を切り替える」
「逞しくなられましたね」
壱子はジェフリーを見て目を細めている。ジェフリーはその目が気になった。
「ずっと疑問に思っているんだが、あんたは俺のことを知っていたのか?」
ショコラを左腕に抱え、魔石のストックを確認しながら話す。壱子は竜次や正姫、マナカ、光介の世話係をしていた。家族を知っているみたいだったが違うのだろうか。
「わたくし、情報屋ですよ? わたくしが定期的に城を開けて仕立てたジェフリー様の成長日記、あとで見ますか? 研究所に身を置き、根を詰めながらもあなたのことをずっと気に掛けていてくれたのですよ? シルビナ様の忘れ形見ですからね」
「おふくろを知っているのか?」
「えぇ、もちろんです。お仕えしておりましたからね」
「また一つ生きて帰る理由ができた」
壱子はにんまりと笑う。もともと怪しい執事だとは思っていたが、この笑い方が胡散臭くて面白い。いつまでも中二病をこじらせているようなケーシスと対等に渡り合えるのだから、この人だってよほどの人なのだろう。
生きて帰る理由ができた。壱子から母親の話を聞きたい。ケーシスが語ることが少なかった情報が知りたかった。ジェフリーは自分の家族を知りたいと思った。雑念が多すぎる。こうしている間にも、爆破と逃走の話が進んでいる。
導火線を誤爆しないように間隔を開けて蛇腹に仕掛け、マッチをかまえているハーター。
「準備はいいかい?」
気になるのは精神的に参っているローズくらいだろうか。キッドが引っ張ると言っていたので、彼女を信じる事にした。
ハーターがショコラの頭を撫でる。
「悪いね。帰ったら活きのいい魚でも釣ってあげるよ」
「のぉん」
ハーターの謝罪はツナ缶を片してしまったことに対してなのだろう。
ショコラはそんなことよりも、供給される魔力の低下に衰弱していた。ジェフリーは抱っこしているが、気を緩めたら落としてしまいそうだ。
ことの流れを見て、キッドは自身の役割を思い出した。
「あたしは一番後ろを行くわ。頼むわよ!」
ジェフリーはキッドの言葉で目が覚めた。今までは、誰かが助けてくれた。クディフやアイラ、ケーシスだってそうだ。だが、今頼れるのはここにいる仲間だけ。いや、頼ってはいけない。自分が皆を引っ張るのだ。先導し、命を預る立場としての責任。魔石を握る手に無駄に力が入る。手汗も尋常ではなかった。大きく息を吸って走り出す。
「キッド、後ろは任せた!!」
「りょーかいっ!! 前だけ見て、走んなさい!!」
ジェフリーが指を弾く。帰りは魔力で付けた目印を回収するのだから、戻れば戻るほど回復するだろう。集中さえしていれば大丈夫だ。指先で心許ない光を放つ。今は目印になってくれさえすればいい。
途中まではハーターが先導する。そのうしろをジェフリーと壱子が走る。
「さあ、ぼくたちも行くよっ!!」
「わたくしの方が少し早いですからね、センセ、お先にどうぞ」
壱子の手には巨大な鋏。念には念を入れて、怪しいところを破壊しながら進むつもりらしい。言っていることは極めてシンプルだが、実行しながらでは難しい。
ハーターは持っているありったけのマッチを擦って絶対に着火するように仕掛け、走り出した。着火を確認し、壱子がキッドとローズに振り返る。
「参りますよ、お嬢様方」
壱子が行ったことを確認し、キッドがローズの手を強く握った。精神的に参っているローズはただ何も言わずに引き摺られるように走っている。キッドがどこまで引っ張れるだろうかにかかっている。
道中での崩れはまだない。時間は五分くらいと言っていた。崩落が始まる前に脱出したい。
ジェフリーは三つばかしポイントを回収して少し余裕が出た。うしろがちゃんと付いて来ているか、確認のために振り返る。走るハーターの背後に鋭い刃を輝かせる壱子までは見えた。むしろこの時点で、壱子に追い駆けられているような変な感覚に襲われる。ジェフリーは振り返り、ローズとキッドを確認した。
ジェフリーが背後を気にしていることについて、ハーターが注意をする。
「前を見るんだっ!!」
ハーターは帯に手を添えた。ジェフリーは刃物が光ったのを確認した。ジェフリーの横を血肉が走った。びしゃりと血が散る。犬なのか、オオカミなのかわからないが四つ足の動物が裂かれ、床に散った。まだ残党が生きているようだ。
「いいから走るんだ!! ぼくが援護する」
「センセ、お先に」
壁を鋏の大きな刃で走る不気味な姿の壱子が死体を確認する。完全にホラー映画の殺人鬼のようになっている。こんな人間離れした動作ができるなんて信じられない。
再び前を向いて走り出したジェフリーは、どうしてもキッドとローズが気掛かりだった。それこそ、スプリングフォレストで言い合った、仲間を置いて逃げるようで胸騒ぎを抑えていた。
開けた部屋に出た。二匹のライオンが朽ちているのが見える。中間地点と考えていたが、半分を過ぎただろう。あと少しだ。
ジェフリーは一瞬だけ振り返る。すると、キッドもローズも見えた。少し走るペースを上げてもいいかもしれない。
先を行くハーターと壱子。たびたびお互いの様子を確認する。
「いい仕事をするね」
「怪しいものは壊しておりますよ。先程、逆側にも線がありましたので破壊しておきました。非常灯が消えましたので、悪くないかもしれませんね」
息を切らせながら言葉少なく話すハーターに対し、壱子は息を乱していない。
「ぼくが仕事で頑張っても歯が立たないはずだ」
「愚痴ならここを出てからゆっくりお聞きしますよ、センセ?」
壱子は不気味に笑う。この中で一番敵に回したくないのも彼女だと断定していい。
最初にネズミの大群を焼いた場所が見えた。ここを通ったのは間違いない。ショコラが少しだが元気を取り戻した。汗だくのジェフリーを見上げている。
「ばあさん、大丈夫か?」
「のぉん?」
ショコラの回復を確認した。サキから離れているゆえに、魔力の供給はジェフリーから受けている。複雑な関係だが、魔力の印を回収したジェフリーからならば多少の回復は見込める。
ジェフリーは足を止めて耳を澄ます。先方で争う音がする。何か出て来たのだろうか。足を止めていると、ショコラが耳を立てた。
「始まったのぉ」
天井を地鳴りのような音が走った。崩落が始まろうとしている。ジェフリーが足を戻す頃には壱子とハーターが丸々としたネズミを蹴散らしていた。白い壁や床に血が飛散している。
「先生、怪我はないか!?」
「上から降って来るものだからびっくりはしたけど、大丈夫だよ。そっちは大丈夫かい?」
「俺とばあさんは大丈夫だ!」
ハーターも壱子もうしろを気にしていた。ジェフリーはキッドとローズを待つが、一向に見える様子がない。
「何があった」
ジェフリーがさらに戻ろうとするが、明かりを失くすのも困りものだ。
前方では出口の確保と探索が進んだ。
「おや?」
壱子が金属の筒を拾い上げる。摘まんで観察し、捻った。カチッと音がしたと思ったら心許ないが明かりが点いた。
ハーターは壱子の持っている筒が気になった。
「ペンライト? どうしてここに?」
「そう言えばこちら、床に入り乱れた跡がありますね」
壱子がそのままライトで足元を照らす。そのままずらし、ジェフリーがまとっているフェアリーライトに向けた。
ジェフリーはそのライトを見て首を傾げた。
「もしかして、そのライトは兄貴の?」
「お口を拝見するものでしょうかね」
「上から何か落ちて来て、兄貴は驚いて転んだ、とか? まさかな」
ジェフリーは恨めしく天井を見る。だが、地鳴りが大きくなって来ることしかわからない。少し揺れたような気もした。
竜次がヘマでもしてペンライトを落としたなら、彼はランタンを持っているのだからそこまで気が回らないだろうと予想できる。ペンライトなんて小さいものを落としても気が付かないかもしれない。
それはそうと、あとが来ない。さすがにジェフリーは焦りを見せる。
「二人は先に行って出口の確保と安全確認を頼んだ」
「ええええ、ちょっと切込み包丁クンっ!!」
追い駆けようにも、ハーターは明かりを持っていない。
壱子はこんなときでも与えられた役目を成し遂げようとする。
「お待ちしておりますね」
従順で必要以上の口出しをしないのは、ジェフリーにも敬意を払っているからだ。壱子は先へ進んだ。戸惑いながら、ハーターもあとを付いて行った。
あれだけ茶番を挟んでもローズとキッドが来ないのはおかしい。ジェフリーは足を戻す。白い壁に白い天井。遠くはほの暗く、ぼんやりとしか見えない。
「ジェフ君っ!!」
ぼんやりとうした白い存在。白衣から見えたがローズだ。床に座り込んでしまっている。なぜ一人なのだろうか。ジェフリーは戻ってローズを確認する。
「博士、キッドは!?」
明かりを向けて息を飲んだ。白いコンクリの天井が崩れている。先程の天井を走った地鳴りも揺れた気配も気のせいではなかった。その割には音がなかったような気がする。視界もあまり曇っていない。
ジェフリーは一枚手に掛けたが軽い素材だ。腐敗しているのかもしれない。変な所で助かった。
「博士、キッドはどの辺りだ!!」
「わ、わからな……」
壁を伝ってローズが立ち上がる。だが、ローズも右足を大きく擦り剝いている。床に激しく擦った跡がある。崩落して来た天井パネルから守るために、ローズを突き飛ばしたに違いない。
「キッド!! 返事してくれっ!!」
ジェフリーの声が届いたのか、かすかに崩れる音がした。ショコラがピクリと耳を立て、床に下りる。猫特有の嗅覚と音から捜索に加わる。隙間から覗き込むようにして探りを入れている。望みはあるらしい。これだけでも今は希望を繋ぐことができた。
ローズはキッドの捜索に加わるわけでもなく、震えている。
「な、何で、生きている価値もないようなワタシなど……」
ローズは放心状態に陥っている。ジェフリーは大声を上げた。
「博士、手を貸してくれ。今はそんな泣き言なんていいっ!!」
「ワタシなんて、もっと早くに死ぬべきだった」
自分の生きる意味を否定し始めてしまった。ローズは震えながら涙を零す。
ジェフリーはそんなローズでも見捨てようとしない。怒ってどうにかなるわけではないのはもうわかっているからだ。キッドを探すのはいったんショコラに任せ、ジェフリーはローズに言い聞かせる。
「この世に生きてちゃいけない人間なんていないっ!! 博士は罪を償おうと正しいことをしようとしていた。俺たちはずっと助けられていたんだ! 博士は俺たちの大切な仲間だ! だから、立って一緒にキッドを助けてくれ!!」
ジェフリーは立ち上がり、ショコラが待つ瓦礫に向かう。数枚の瓦礫をどかしたところで隙間から手が覗いた。
「キッド! 返事をしろ!!」
その手が声に反応しない。かなりぐったりとしているようだ。砂を被り、擦り傷がうかがえる。
ショコラは尻尾と耳を立て、急かすように言う。
「ジェフリーさぁん、遠くが崩れるのぉっ!!」
ショコラの言葉の直後に大きな揺れを感じ、上を警戒した。パラパラとコンクリ片が落ちる。もういくらも時間が残っていないと示された。
ジェフリーは舌打ちをする。
「クソが……」
がらりと音を立て、瓦礫を避ける。ジェフリーはやっとキッドを掘り当てた。だが彼女はぐったりとしながら、諦めるような声を上げる。意識があるようだ。だが、頭から血を流している。
あまりにぐったりとしているものだから、ジェフリーはキッドの腕を掴み、胸に耳を当てた。
そこで、キッドはぴくりと動いた。
「……やめてくれる? 変態」
「キッド!! よかった」
「あんた、あたしを掘り当てるなんて、犬?」
キッドは目を開けないが、憎まれ口をたたいて口元を笑わせる。腰から下が埋まっているが、ジェフリーが抱え込んでようやく引っ張り出した。
「あたしなんて助けて、どうすんのよ」
「どいつもこいつも勝手なこと言いやがって」
「置いて行きなさいよ、こんな足でまとい」
「仲間を見捨てるなんてできるわけがないだろ!! キッドが、俺に言ったくせに!」
「変なこと、覚えてるのね。馬鹿のくせに」
頭を打った以外は大丈夫のようだ。だが、手も足もジェフリーに背負われることを抵抗していた。それでもジェフリーは強引にキッドの手を引き、首に回した。
その頃合いでショコラが叫んだ。
「ジェフリーさぁん!! 大きい崩れが来るのぉっ!!」
「博士もっ!!」
ショコラは自力で走れるまでになっていた。魔力の印は置いてある。帰り道を先導してくれるようだ。
ローズは、ジェフリーに腕を掴まれ、諦めて一緒に走る。足を引き摺り、泣きながらこんなに情けなく小さくなっているローズは見る機会があまりない。自信満々なハイスペックな彼女がただの女性にまで成り下がっている。それでもジェフリーは全員を連れて脱出するつもりだ。
女性二人に気を配り、走り抜けるにはどうしても無理がある。
「ジェフリーさんッ!! 上なのぉ!!」
ショコラの注意によって、ジェフリーは天井の亀裂に気が付いた。点所が崩れるのなら、防御壁を張らなくてはならない。そのため、ジェフリーは手を空けることを選んだ。そのためには、背負っているキッドに協力をしてもらうしかない。
「キッド、俺を絞め殺すつもりでその手を離すな!」
「ど、どうして?!」
キッドには何が起きているのか見えていない。目を開けられないのかもしれない。ジェフリーは一瞬だけキッドに振り返り、さらに言う。
「今は兄貴の代わりに、俺がキッドを守る!!」
「しょうがないわね……」
キッドの腕に力が入ったことを確認した。キッドはジェフリーの腰のポーチに足を引っかけている。落ちないように協力をしたようだ。
ジェフリーはありったけの魔石を手に持ち、この魔石を持たせてくれた人へ感謝をする。
「サキに感謝しないといけないな」
手が焼けてしまってもいいくらいだ。ジェフリーは前方少し上に向かって障壁を展開しながら走った。
崩れ落ちる天井、壁にも大きな亀裂が走った。先を行くショコラはジェフリーに振り返る。
「ここを右に、まっすぐ行けばもう出口なのぉっ!!」
最後の魔力の印を拾った。振り上げている右手が熱い。それに気付いたとき、一段と大きな崩れが起きた。
ジェフリーは焦りを感じた。あと少しというのに、手の中の残りの魔石が少ない。これでは脱出は間に合わないだろう。そう思いながらも、どこかで諦めてはいなかった。
ジェフリーの焦りを見て。ローズはつないでいた手を解き、自分の足で走り出した。
「ジェフ君っ!!」
ローズは白衣のポケットからいつもより大きな試験管を取り出し、進行方向に投げた。
「アイシクルリンク、デス!!」
ジェフリーの顔に冷たい風を感じた。ローズが投げた媒体は砕け、広がり、目の前に氷の道ができる。ローズと目が合ったときは、泣きながら笑っていた。
「走るより早いハズ! 足、踏ん張ってくださいデス!!」
「博士、すまない」
「ケーシスと同じ目をしてマス」
ローズは遠慮がちに笑う。
父親のケーシスを知る人は、似ていると言う。ジェフリーにその実感はない。
自分は父親をほとんど知らなかった。あれだけ親しかったローズが言うのだから、それは正解なのかもしれない。
ほったらかしにされて、見初められて何不自由なく暮らして、理不尽を味わった。自己満足で剣術学校の一番厳しいクラスを卒業したが、落ちぶれたことに変わりはない。同じように生きることを諦めて、廃人同然になった竜次に寄り添った。これはただの居候だったかもしれない。自分のお金ではなくお小遣いで、しかも浪費して、ちっとも覚悟を持って生きていなかった。この旅で自分は何を学んで、何を得ただろうか。
ローズに言われたように足を踏ん張り、スケートのように滑り進む。くだらないことを考える余裕ができた。
本当にくだらない。
どうしてこんなことを思うのだろう。責任感を持ったからだろうか。ジェフリーはぼんやりと考えながら鉄の扉の向こうに出た。
隣にはローズ、背中にはキッドがいる。足元にはショコラもいた。
出口の確保と安全の確認をしていたハーターと壱子が迎える。
「大将!! こっちだ」
「ジェフリー坊ちゃん、お待ちしておりましたよ!!」
ジェフリーは緊張が緩み、フェアリーライトを消してしまいそうになった。だが、壱子の持っていたペンライトを見て集中力を取り戻す。全員の姿を確認した。みんな生きている。
よかった、本当に。ひとまずここで安心した。
これからもうひと波あるというのに、まだ気付かないまま。
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