トレジャーキッズ ~救いしもの~

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【3‐3】救済

桃色事件簿

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 夜が明け、ローズの家に帰った。何やら家の中がバタついている。
 ジェフリーはもう少し転寝しようと思っていた。だが、そうはいかないようだ。一階の奥から変な声が聞こえて来た。
「や、あぁ、気持ち、いい……」
 ミティアの艶っぽい声がする。ジェフリーは聞き耳を立ててしまった。当然サキも変な顔をする。
「この声は、ミティアさん?」
「そう言えば、いないな」
 暖炉の前のソファーにミティアの姿はない。そして圭馬がそわそわしている。
「え、何? あれはミティアお姉ちゃんの声?」
 奥からガチャガチャと音がする。
「先生、痛い!」
「そんなに強かったですか? 濡らし足りません?」
「あっ、そこ気持ちいい」
 竜次の声もする。そしてミティアの高くなる声。語尾にハートマークでも付きそうな声に、妙な空気になった。
 好きな部類の話だが、思わず小声になる圭馬。
「お兄ちゃん先生、そういう趣味あるの? 禁断の愛? もしかして、ミティアお姉ちゃんに未練があるの?」
 内心ちょっと期待しているらしいが、ミティアは怪我をしているのだからそんなことは絶対にはない。ジェフリーは投げやりになりそうな感情を抑え込んだ。
「ふぁっ、気持ちいいよぉ……」
 手前の台所でミエーナが、朝ご飯を仕立てながらそわそわと奥を気にしている。何事なのかと気になるのは、ミティアの声が尋常ではないからだ。
 圭馬は尻尾を振りながら、期待に満ちた目を向ける。なぜか、ジェフリーではなく、サキに。
「えっちな声だね。お姉ちゃんってあぁやって喘ぐのかな?」
「圭馬さんも好きですね、そういうの」
「聖人君子のキミだって、一応オトコノコでしょ?」
「それはそうですけど、体か顔でも拭いてもらっているのかもしれませんね。だって、いないのは先生だけじゃないみたいですし」
 サキは冷静でさらりと話題を流して三階に上がって行った。すぐに朝食に呼び出されると思うが、少しでも楽な格好に戻りたいようだ。
 サキが席を外し、ジェフリーはあくびをしながら眠気眼を擦る。襲い来るまどろみで遅れて意味を理解した。
「ん? 兄貴が?」
「お姉ちゃんの体を?」
 なぜか圭馬がこの場に残っている。ジェフリーを見上げ、反応を待った。
 ジェフリーは無言で眉間にしわを寄せている。
「…………」
「ジェフリーお兄ちゃん、顔!」
「あいにく、俺の顔はもともと悪い」
 ジェフリーは一応、真相を確かめようと奥へ足を運んだ。案の定ひどい光景だった。
 だいたいはサキの予想通りだった。ミティアが髪と顔を洗ってもらっているようだ。携わっている人数の多さに驚いた。竜次と、コーディとローズまで手伝っていた。
 ミティアは椅子に座り、天井を仰ぐように身を任せていた。
 最初にジェフリーがいることに気が付いたのは竜次だった。
「おや、ジェフ、おかえりなさい」
 椅子を洗面台ギリギリにかまえ、コーディが椅子の足を押さえている。これでは喋るのは難しいだろう。ローズはミティアの服にお湯が飛ばないようにタオルを押さえていた。そして竜次は、ジェフリーに顔を向けた。手にはシャンプーのボトルを握っている。
 ミティアが洗面台から頭を上げた。
「はぁ。さっぱりしました」
 ミティアは温泉にでも入ったように顔色がよく、周辺に花でも咲きそうな和みっぷりだ。竜次はミティアの体を気遣った。
「お風呂は難しいですからね。こんな感じでよかったのですか?」
「はい。気持ちよかったです。潮風でべたべたしていたので」
 別の臨場かと思ったくらいにはややこしい。自分の方こそ何を期待していたのかと、ジェフリーは大きく肩を落とした。
 竜次はジェフリーに声をかけた。
「どうしたんですか、ジェフ?」
 竜次とジェフリーの間でちょっとした誤解が生まれている。だが、それをあえて悪化させる者がいた。圭馬だ。
「お兄ちゃん先生、ジェフリーお兄ちゃんがお姉ちゃんの声で変な想像をしてました。性的なご指導くださーい!!」
「えっ? あー……」
 竜次はやっと気が付いたようだ。そしてジェフリーは憤慨してこの場から出て行った。
 一時的なものだが、ジェフリーもわかっていて怒っている。完全に嫉妬だ。
 圭馬はやけに悪絡みをする。そのノリは竜次に向いた。
「お兄ちゃん先生、ボクも洗って」
「お断りします。もぉ、ジェフが怒っていましたよ?」
「と、言うか、女の子にそんな声出させるなんてテクニシャンだね」
 圭馬のかまってくれが加速する。今度は竜次が肩を落とした。大きくため息をついている。
「昔、病床の彼女によくやってあげましたからね」
「あ、ごめん」
「別にいいです」
 竜次もへそを曲げてしまった。圭馬は、自分が少し出しゃばり過ぎた点をここで後悔し、反省もした。
「私はかまいませんけれど、ジェフにはちゃんと謝っておくべきだと思いますよ」
「そ、そうするよ」
 こういうところはしっかりと大人な竜次。それはさておき、ジェフリーは数日前まで舌打ちや悪態をついていたような者だ。根に持つだろうし、下手をしたらかまってくれなくなるかもしれない。
 竜次がそういったケアに長けているのは、誰もが意外に思った。案外その分野には明るいのかもしれない。怪我の治療や応急処置はまだまだ経験の不足が目立つ。
 病床の恋人を看取ったなら、その経験はこういったことに生かされているのだろう。現に、怪我をして視界の悪いキッドは文句を言わない。


 ジェフリーは二度寝する気も失せてしまったので、地下書庫で整理をしていた。足元では圭馬が縋りつくように訴えていた。
「ねーねぇ、だから、ゴメンって」
「怒ってない。面倒だと思っただけだ」
 ジェフリーは悪態をつきながら、散乱した本を棚に戻していた。圭馬にしつこく言い寄られ、機嫌が悪い。
 本棚が地震のせいで傾いていた。床には本が散らばっている。埃が舞って視界も空気も悪い。
 ジェフリーは咳をし、圭馬に声をかけた。
「少し扉を開けてほしい。埃がすごいな」
「ガッテン承知ぃ」
 ジェフリーは空咳をしながら傾いた本棚を戻した。だが、どういうわけか、建付けが悪い。ぐらつく本棚が何かを踏み付けているのに気が付いた。
「ちょっといいか?」
「なにー?」
 ドアに煉瓦の欠片を挟み、ストッパーにしてから圭馬が下りて来た。
 ジェフリーは本棚の下を気にしている。明らかに何かが挟まっていた。
「本棚の下に何かあるみたいなんだが、取れないか?」
「んー、一瞬だけ持ち上がる?」
「それなら何とか」
「いいよー。ボクを潰さないでね」
「大事な仲間を潰すかよ」
 これ以上ジェフリーの機嫌を損ねないように、圭馬が率先して挑もうとしている。ジェフリーも何が挟まっているのか気になったので、息を合わせようとする。
「いくぞ? せぇ、の、で」
「ほいっと」
 持ち上げると。フサフサの毛並みが下に縮こまって素早く出た。こういう素早さを求められる作業は手際がいい。圭馬は鈍色に光った何かを持っていた。
 見る前に下ろした本棚から数冊、ジェフリーの頭に落ちて埃が散った。
「ったく、クソが!」
 気質をあらためようと心がけて数日、よくなったと思えばすぐにリバウンド。ジェフリーの悪態と舌打ちがごくごく自然に出た。むしろ、隠すのは難しいかもしれない。本人はこの素が出る度に嫌悪感を抱く。
 ジェフリーはぶつかったところをさする。それからしゃがんで、圭馬が持っているものを確認した。
「何だ、それ? ゴミじゃないよな? 金属のボタン?」
「金属のブローチ? ちょーっと歪んでるけど、これは花じゃない?」
 ジェフリーは金属の花と予想し、摘み上げる。手の平に乗せてみると、金属部分はくすんでしまっているのにやけに存在感があった。潰れてしまっているが、どうやらブローチのようだ。ピンは腐食して途中で折れてしまっている。
 広がっている花だが、明らかにこれだとわかる特徴があった。
「この形は、ユリか! もしかして、シンボルフラワー?!」
「あぁ、あの人のじゃない? 旧国ヒアノスの、えーっと、銀髪黒マント野郎」
 ローズとハーターの家ならこのブローチの持ち主は自然と予想がついた。この古さはクディフの物だろう。クディフはローズとハーターの父親だ。だが、ここにあるのは説明がつかない。地震があって、本棚が動いたから出て来た。もしかしたら、まだ何か見落としがあるかもしれない。だが、時間を考えてまたにしよう。
 二度寝をするまでもなく、朝ご飯に呼ばれた。
 特に暗い話でもないので、サキと使い魔二匹で今朝の状況を説明する。ショコラが有能な働きをした件は、誰もが驚いた。
 情報に敏感なコーディは深く頷いた。
「ギルドの速報より信用があるね」
 コーディの率直な意見に、壱子も握り拳を作りながら同調する。
「まったくです。猫語を学んでみましょうか」
「壱子さん真面目だね」
 ギルドの賞金ハンターのコーディとギルドの情報屋の壱子が納得の頷きをする。ショコラのお手柄なのは間違いない。情報にはうるさいハーターも深々と頷いた。
「今の状況では貴重な汚染されていない情報だね。思惑の入り混じった人間と違って動物は正直だから。それにしても、ずっと光っているってことは、今もかな?」
 ホットドックを頬張ったまま、コーディが窓の外を見た。そして首を傾げる。
「一応見えるけど、日中はよくわからないかも?」
 太陽の光で空は明るい。そのせいで、光の柱の存在感は薄いようだ。
 ハーターはにやりと笑いながら言う。
「まぁ、その辺はギルドの調査が入るだろうから情報を待とうか。案外行ったら、もうある程度の情報が出ていたりしてね。どれだけデマが混ざっているのかも楽しみだ」
 答えを知っているからこその気楽さだ。
 手分けして出掛ける流れになり、サキがまるで発言権を求めるような挙手した。
「僕、大図書館に行きます! なので、誰か、一緒の方がいいですか?」
 サキはジェフリーをじっと見て意見を求めた。一応リーダーはジェフリーだと皆は考えている。誰かが指名したわけでもないが、自然とそうなった。
 ジェフリーはサキに同行者をつける判断に迷った。
「エロウサギとばあさんが一緒だし、行き先は大図書館だ。別に一人でも大丈夫じゃないのか?」
 一応の危機は去っている。サキは単独行動をしていても幻獣たちがいるのだから、厳密には一人ではない。
 大丈夫ではないかとジェフリーは話を進めようとする。すると、ミエーナが控えめに挙手をした。
「あ、アタシ、サキさんと一緒に行ってもいいですか?」
 このときばかりはポニーテールが控えめな揺れ方をする。
「『時越え』を調べてくださるのでしたら、お手伝いくらいはして当然ですので」
 ミエーナは控えめながらも強い意志を持っていた。手伝いたいと申し出ること自体は悪いことではない。
「意識が高いな」
 ジェフリーは知り合って間もない頃の、フィラノスでの出来事を思い出した。ミティアは自分のことを調べてくれているのに、あまり手伝える状況ではなかった。
 今はこれだけ人手があるから手伝うなどできる。ミエーナの意識が高いのは悪いことではない。
「いや、まぁいいか。危ないことをされるよりはいい」
 ジェフリーはミエーナがサキに同行するのを承諾した。一人、コーディだけが目を見開いて『何で!?』とでも訴えたい表情をしているが、あとでフォローしておこう。
 分散してタスクの消費をしてくるのはいいが、別の用事もある。ローズが竜次にお願いごとがあるようだ。
「あ、先生サン、医薬品のお使いを頼まれてくれませんかネ?」
「あぁ、そうですね。少し遅くなりそうですが、忘れないようにします」
 ローズがここに残るようだ。竜次にお使いを頼んでいた。メモを渡しているが、買い物は普通に必要なので覚えておこう。
 ジェフリーも頭の片隅に置いた。
 出かける前に身支度を整える。
 ジェフリーは一階のソファーにずっと寝ていたミティアを抱きかかえて移動する。シャンプーのいい香りがする彼女を、二階のキッドの隣のベッドに移した。いくら何でも話し相手くらいはほしいだろう。
 竜次もキッドの世話をしていた。
「起こし気味に、座っているようにでしたら、仰向けになってもいいのですけれど? どうしますか?」
「ホント? やっと上を向いていいの?」
「床ずれを起こしたら大変ですからね。では、クッションを背中に挟みますよ?」
 キッドも竜次に状態を起こしてもらっていた。ずっとうつ伏せのままだと気分が悪いだろう。起こしてもらえてうれしそうだ。
「気分が悪くなったら、遠慮しないでローズさんに言いなさいね?」
「うん、早くよくなりたいから。そこは我慢しないし、じっとしてるわ」
 キッドは話にも行動にも参加できずに歯痒いだろう。だがミティアが隣にいると知って、寂しくはないようだ。相変わらず視界が悪そうだが、手を振って出かける一同を見送った。

 拠点には負傷中のミティアとキッド、面倒を見る名目でローズが残った。三人だけになって静かになってしまった。
 ローズはもともと口数がない方だが、ベッドの間で設計図を見直していた。彼女は医者だが他のスキルも多く持っている。先読みをして、おそらく船を作ることは頓挫しない。むしろみんなで行こうという思いが加速することを考慮していた。
 タブレット端末をパチパチと操作し、作業をしている。
 そのローズを隔て、ミティアとキッドが会話を交わす。
「ねぇ、キッド?」
「ん? なぁに? 動けないとつまんないわね」
 親友の会話が繰り広げられる。親友同士の女子トーク、いわゆる恋の話でも始まるのかと思ったが、少し違った。
 ミティアはキッドの『変化』に疑問を持っていた。
「前のキッドだったら、這ってでも一緒に行くって言ってそうだなって」
「あっはは、そうだったかもね」
 キッドは陽気に笑い飛ばす。
 ローズもミティアと同じことを思っていた。一瞬だけ手が止まるがすぐに作業を再開する。黙って聞き耳を立てていた。
「自分一人の体じゃないって、無茶をするなって少しお説教されちゃった」
「先生に?」
「そうだけど?」
 ミティアが女の子らしい控えめな笑い方をする。傷に気を遣っているせいかもしれないが、彼女らしくない上品な笑みだ。
「わたしが言っても聞かなかったくせにぃ」
「べ、別にいいじゃない! 悲しませたくないから」
「悲しませたくない、かぁ。わたしも無茶しちゃったなぁ」
 今さら反省をしているのか、ミティアが大きなため息をつく。彼女だって早く行動に参加したい思いでいっぱいだ。
 キッドはもっと大きなため息をついた。そして目を瞑って俯いた。
「ミティア、怒らないで聞いてね?」
 何かを覚悟するような声質だ。ミティアは頷きつつ、身構えてしまった。
 キッドはベッドのシーツを握って話した。
「あいつはこんなあたしでも見捨てなかった。あたしも正直助からないと思った。だけど、あいつのおかげで、今ここにいる」
 キッドが言う『あいつ』とは、ジェフリーのことを指す。ミティアもこれを知っていて、心情を汲み取った。
「ジェフリーが好き?」
 ミティアは自分で訊ねておきながら、心の奥に痛みを感じた。これは嫉妬。人間の汚い感情。理解しないといけない心だ。
 華やかな恋の話かと思いきや、思わぬ方向へ展開した。これにはローズも居心地が悪い。なぜなら、キッドの答えによっては、修羅場へ発展するからだ。
 キッドは自身の思いを包み隠さず話すことにした。
「そうね。好きかもしれない。だから、ミティアが好きになる理由がわかったし、ミティアを幸せにしてくれるかもしれないって思ったわ」
「キッド?」
「仲間なのに、いがみ合ってばかりで、あいつのことを理解しようとしなかったわ。もったいないわね。何も知らないもの」
 ミティアは眉間にしわを寄せ、首を傾げた。
「つまり、キッドは何がしたいの?」
「好きなものも趣味も知らない」
「だから?」
「あたし、あいつに助けてもらったお礼をちゃんとしたいの。もちろん、あいつの性格だから、そんなものはいらないって言うだろうけど」
 キッドなりの気遣いと悩みだった。だが、ミティアはこれに答えることができない。なぜなら、ミティアもジェフリーの多くを知らないからだ。ミティアの視線は自然とローズへ向かう。
「ムムッ?」
 ローズは小難しく考え、思いついたことを控えめに言う。
「ウーム、ジェフ君は調べ物をするのがお好きな気がしますネ。サキ君と大図書館へ足を運ぶのもそうですケド、ギルドで情報収集するのも積極的な気がしますヨ?」
「情報収集、そうか。そうね」
「でも、いつもメモなどの筆記具を持っていない気がしますネ」
「あっ!!」
 ローズの思わぬ提案にキッドはヒントを得たようだ。何度か頷き、自身が元気になったらきちんとお礼を言おうとあらためて思った。その考えでもう一つ、キッドは自分の今後の方針を述べた。
「あたし、このままよくならなかったら、ここでドロップかな」
「えっ!? いっ! たた……」
 キッドの言葉にミティアが飛び起きそうになった。だが傷が痛み、顔を歪ませる。驚いたのはローズも一緒だった。
 キッドは顔を背け、肩を震わせて泣いていた。
「竜次さんは一緒にいてくれるって言ってくれた。でも、本当はみんなと一緒にいたい。だって、まだ終わってないんでしょう?」
 キッドが怪我をしたのは自分のせいだ。ローズは自分を責められずにはいられない。
「ワタシが走れなかったせいで」
「違うの。それはあたしが勝手にしたこと。体は動くし完全に見えないわけじゃない。ただ、このままじゃ一緒にはられない。ほら、あたしって、目がいいことがウリだったでしょ?」
 ローズは悪くないとフォローする。だが、責任は感じている。ローズは眼鏡を外し、辛辣な表情を浮かべる。沈む空気、悲しい声、すすり泣く親友にミティアは前向きな言葉を掛ける。
「誰も足手まといだなんて思わないよ。それに、まだ治らないって決まってないよ? もう諦めちゃうなんて、キッドらしくないね」
 キッドは息を飲んで泣き止んだ。ミティアは続ける。
「わたしは大切な人が死の淵にいても、助けられなかった。今でもずっと気にしているの。今度は落ち込んだ親友も助けたい。そんなんじゃ、わたしはまた禁忌の魔法が使えるようになりたく思っちゃうよ。キッドの馬鹿! 頑張ろうよ?」
 親友がこんなにも励まし、寄り添ってくれる。それなのに、自分がこんなに弱気になるなんて本当にどうかしてる。キッドはかぶりを振った。
「ありがと。さすがあたしの親友は言うことは違うわね」
 弱気だったのに、離脱まで考えたのに、いつも引っ張っていた親友に、今度は自分が引っ張られるとは思わなかった。キッドは感傷に浸っていた。
「あいつも、竜次さんも、みんなも優しいわね。」
「キッドだって仲間思いじゃない。そんなに悲しまないで。また一緒に頑張ろうよ」
「一番優しいのはミティアよ。わかった。わかったから」
「えへへ、治ったらおっきいパフェ、食べに行きたいね!」
 ミティアからの言葉が前向き過ぎて、キッドはうれし泣きになってしまっていた。そしてミティアは肝心なことも忘れていない。
「ローズさんも!! そうだ、女子で!!」
 ミティアが油断していたローズにまで話を振った。巻き込みが始まる。逃げるようにローズは席を立った。
「り、リンゴジュース持って来るデス」
 ローズは少し下品にバタバタと一階に下りて行ってしまった。ローズには、同年代はおろか、女性の友だちがほとんどいない。ゆえに、どう話に乗っていいのかわからないのだ。
 昔はあんな風にときめいていた時代が自分にもあった。だが、もう覚えていない。
 長く生きていると、昔を忘れてしまう。あのときはこんな風に話し込んだだろうか。それ以前に、友人は彼女たちのように優しかっただろうか。
 そんなローズは種の研究所の研究員だった。彼女がその道を志した理由は、まだぼんやりとした人伝の話だけでしか語られていない。実はきちんと話していない。
 ローズはまだ、心の闇を語りはしない。
 

 昨日の嵐が嘘のようだ。空は晴れ渡り、からっとしている。水溜りはあるが、空気は澄んでいて気持ちがいい。
 情報収集と用事を済ませに向かう。途中でサキとミエーナが別行動だ。
「それじゃ、僕たちはここで」
 サキはフィリップスの城の方を向く。ミエーナが続いてぺこりと一礼した。
 竜次は軽く注意をした。
「念のため、気を付けてくださいね? サキ君もお怪我をしているのですから」
「はいっ!! 行って来ます」
 竜次に注意されるも、サキは未知の情報を楽しみにしていることが滲み出ている笑顔で頷いている。
 コーディのモヤモヤが止まらない。ミエーナに謎の注意をした。
「あー、ミエーナ、そいつ、よーく見張っておいてね!! 時間を気にしないで、ずっと本にかじりつくタイプだからっ!!」
「えっ、あ、うん。わかったよ」
 まだ何か言いたそうだった。だが、サキだけがさっさと進んでしまった。コーディは慌てているが、サキ本人はまったく気にしていない。
 ミエーナは慌てながらサキのあとを追った。ポニーテールが左右に揺れて小さくなる。その背中を見て、コーディは脱力した。
 竜次とジェフリーがコーディの行動が気になり、声をかけた。
「サキ君が好きなら、好きって言ってしまえばいいのに?」
「世の中の誰もが、兄貴みたいに思ったことを素直に言えるわけじゃないと思うが?」
「そうですか? 女心は難しいですねぇ」
 竜次とジェフリーに挟まれ、コーディは縮こまっている。
 まるで兄二人が、妹を慰めるような絵面だ。傍から見てもコーディの日ごろの行いが跳ね返って来ているようにも思える。意地を張っているといいことがない。だが、何もなびかないサキにも問題があるようにも思える。
 この光景には壱子も悩ましい反応を示す。
「ふむ、純愛でもなく、少し歪んだ愛もまた一興でございますね」
 恋愛の事情などどこでもつきまとう。この一行も例外ではない。
 ハーターはどちらかというとこの光景を楽しんでいた。
「まぁ、御一行がこの調子なら、ウサちゃんが楽しむのも無理はないか」
 勝手がわかって来たのか、人間関係を面白がっている。コーディは沈んでいるが、あまりからかい過ぎるのもよくない。
 だが、この空気の中で、竜次は追い打ちをかけるようなことを言う。
「コーディちゃん、サキ君に何も言っていないのですか?」
「よ、呼び捨てにしてほしいとは言った」
「ふーむ、もっと積極的になってみてはどうですか?」
 竜次に何か言われたところで彼は『リア充』の領域だ。あまり説得力がない。ジェフリーも気には掛けてみるが、うまい言葉が見付からない。
「別にいいんじゃないのか? おせっかいだろうし、俺たちが首を突っ込みすぎることはないだろう? なぁ、コーディ?」
「た、たぶん、ミエーナはサキのことが好きだと思う!!」
「は、はぁ?」
 コーディは歩きながら、もごもごと口を尖らせた。その展開は読んでいなかった。竜次もハーターも驚いている。だが、壱子だけは察しがついていたのか驚かない。早めに指摘してもらいたかった。
 ジェフリーは呆れつつも、否定はする。これこそが余計なお世話かもしれない。
「いや、あいつ、フィラノスであんなに慕われていた後輩にすら、見向きもしなかったくらいだぞ? 好みなんてあるのか?」
 ジェフリーは言っていて思い出した。サキの好みは、プロフィールに記入欄でもあったら女性像を書かず、ミティアと書いてしまいそうな勢いだ。今でも、暗闇でぶつかったことを運命的な出会いだと思っているに違いない。
 つまり、サキの好みはミティア一択。コーディもミエーナも、ましてやメルシィという後輩も好みには入らない。そういった意味では、ジェフリーもサキには心を許し切っていない。
「一応聞くが、どうしてあいつが好きなんだ?」
「えっ、あ、えーっと、ど、どうしてだろう?」
 コーディは顔を真っ赤にして、照れた。こういうところは年頃の女の子と変わらない。理由が言えないのは困ったものだが。
 答えを聞かないままギルドに着いてしまった。いまだにコーディはモヤモヤしていた。壱子に宥められながら、一緒になってカウンターで精算を頼んでいる。。
 すぐにカードのような紙を渡された。呼び出しに時間がかかるようだ。ギルドの従業員たちはカウンターの中で忙しそうに作業をしている。当然だろうが、ホットワードは光の柱なのだから忙しくても納得だ。そして今日はギルドに人が多い。
 待っているための椅子に空きが少ないので、必然的に立ち話になる。
 ジェフリーは大きくため息をついた。
「これじゃあ依頼をするのも、清算も時間がかかるみたいだな」
 先ほど渡されたカードは番号札だ。呼び出しは二十番。持っている番号は百番台。サキは長そうだ。待ち時間になった。今朝の地震や光の柱のせいかもしれないが、ラジオがつけっぱなしになって交通情報が読み上げられている。船は乱れ、陸路での馬車が混雑しているようだ。
 待ち時間に、竜次はしっかりと情勢をチェックしていた。
「しばらくこの混乱は続きそうですね。昨日の嵐は全国的だったみたいです。ミグミ火山がまた崩れたそうですよ」
 そろそろ、拠点に新聞を取った方がいいくらいには世界情勢に敏感だ。壁の張り出しを熟読している。
 竜次が口にした出来事はほんの一握りだ。ジェフリーも並んで張り出しを眺めるが、沙蘭も近くの小川が氾濫したとある。心当たりがあるのは、スプリングフォレスト方面で抜けている川だろう。被害は出ていないらしく、安心はした。昨日は全国的に定期船も見送ったとある。
 何も手段を持たない人は馬車を頼るだろう。陸路では限界があることは知っている。スプリングフォレストや北の山道では命の危機を感じた。
 面識があるおかげかもしれないが、コーディだけが呼び出された。
 呼び出しは一時的なものだったようだ。一部清算でもされたのだろうか、茶封筒を持ってジェフリーと竜次に合流する。壱子とハーターも気になるようだ。集まって話す。
 コーディは封筒を差し出した。
「お兄ちゃんたち宛てらしいよ? 名前がないけど、ちょっと汚い字だね」
 竜次が受け取って封筒を眺める。子どものような整わない文字で『セーノルズさま』と書かれてあった。竜次は首を傾げる。
「誰の字でしょう?」
「拝見してよろしいですか?」
 壱子が横から入って来た。竜次から封筒を受け取り、あらゆる角度から眺めている。
「ふーむ……」
 壱子には心当たりがないようだ。ならば、ジェフリーが中身を予想する。
「じゃあ、俺たちに向けてのファンレターか?」
 ジェフリーはあまり重要とは思っていなかった。それは竜次も同じだった。
「ね、子どもの字みたいですし。もしそうでしたら、うれしいですね」
 のんきな考えをする兄弟。壱子はずっと首を傾げている。
「少なくとも御親族の文字ではないものですね」
 ジェフリーが一応、気になって尋ねる。
「親父の字でもないのか?」
「ケーシス様でしたら、もう少し尖ったな書き方をなされると思います」
 ジェフリーは、壱子が言う『尖った書き方』は想像がついたので言及を止めた。
 竜次は念のため、警戒をしながら封を切った。変なものが入っているわけではなさそうだ。くしゃっと不格好に折り畳まれた紙が一枚だけ摘み出される。
 封筒の中を確認するが、他には何も入っていない。
 退屈しているハーターも内容が気になる。
「本当にファンレターかもしれないね」
 ファンレターはかまわない。だが、コーディは、どうもその手の話には敏感になりがちだ。
「お兄ちゃんたち、カノジョがいるじゃん」
 竜次はやっと紙を開く。表情が強張り、眉をひそめた。
 ジェフリーは竜次の変化に首を傾げる。
「どうしたんだ、兄貴?」
「…………?」
 竜次は紙を折り畳み、首を傾げたり横に振ったりしている。考えて、考え抜いて、それでもわからないとジェフリーに紙を渡した。
「ごめんなさい、どういうことなのか、よくわからなくて」
 竜次は苦笑いをしている。
 ジェフリーは紙を広げ、内容を見た。ギルド内のざわつきや、ラジオの音など気にならなくなるくらいのことが紙には書いてあった。
「え、は、は?」
 ジェフリーは言葉を失う。ジェフリーの横から覗き込む壱子も、眉間にしわを寄せている。
「坊ちゃん、わたくしは陸路でケーシス様にお会いしに行った方がよろしいかもしれませんね」
 壱子が今にも出て行きそうだ。だが、竜次が手をつかみ、強引に引き止めた。
「いったん落ち着きましょう! いえ、私も落ち着かないといけませんが」
 ざわつく三人。コーディとハーターはまだ事情がわかっていない。
 ギルド内の端に寄って邪魔にならないように囲った。まずはハーターが質問をする。
「それ、何だったんだい?」
 表情から悟ったのか、コーディは心配をしている。
「もしかして、脅迫状?」
 コーディの冗談にも思えた言葉。だが、ジェフリーは否定をしない。
「ある意味、脅迫状みたいなもんだ」
 ジェフリーはコーディに紙を渡す。
 ハーターも覗き見た。冗談を言う余裕がなくなった。

『おかあさんと、まってます。エリーシャ・カーリア・セーノルズ』

 落ち着く方が無理だ。この少ない情報で何が導けるだろうか。そしてこの文字と名前が意味するものは何だろうか。
 竜次とジェフリーは壱子に頭を下げた。
「壱子様、何かご存知なら答えてください。これが、誰であるのか」
「俺からも頼む」
 コーディもハーターも見守る中、壱子は首を振ってあとずさる。兄弟につられるように頭を下げた。
「申し訳ありません。わたくしから申し上げることはできません」
 もちろん、こんな言葉で竜次は納得しない。自然と壱子に迫ってしまう。
「壱子様っ!」
「この問題はセーノルズ家のお話です。わたくしが入り込んでよい問題ではございません! ただ、わたくしはケーシス様を連れて来る命令があれば、お受けするつもりです」
 壱子は自分の口からは何も言えない、答えるつもりはないと筋を通すつもりだ。しかしながら、気になって仕方ない一方で彼女が言っていることは正しい。ジェフリーは納得していないらしく、竜次をじっと見ていた。
「お父様から聞かなければならないのは確かです。壱子様が言っていることは正しいと思います。だけど、一つだけ教えてください。姫子たちは、これを知っていますか?」
「兄貴っ!!」
「ジェフ、壱子様を問い詰めても全貌は知らないでしょう。真実はお父様から聞くべきです。あなただって、お父様から聞きたいことがあるのでしょう?」
 質問の途中だ。ジェフリーを威圧し、いったんおとなしくさせる。壱子はタイミングを見計らい、ゆっくりと首を横に振った。
「正姫お嬢様たちは、このことを知りません。ケーシス様とわたくしと、亡くなった奥様しか知りません」
「それだけわかれば、今はいいです」
 竜次は熱を冷ますように、大きく息をついた。それからにっこりとしながらコーディたちに向き直った。番号札を持っているのはコーディだ。
「まだ、かなり待ちますよね?」
「う、うん」
「近隣なので、先に買い物を済ませて来ます。ジェフ?」
 少なくとも清算と状況の確認が終わらないことには進まない。竜次はそう判断した。もちろん清算をしていない意味で、壱子も動かないだろう。
 竜次はジェフリーとギルドの外へ出た。買い物もそうだが、少しジェフリーの頭を冷やさせた方がいいだろう。
 複雑な心情とは違い、空はすっきりと晴れている。燦々と輝く太陽を見てしまうと、しんみりとしているのが馬鹿らしい。ジェフリーは竜次の顔色をうかがう。
「一応聞くけど、兄貴は知っていたのか?」
「知っていたら、おそらく今ここにいませんよ。私だって、本当は混乱しているのですから」
 ギルドの前で話し込む。今日は外まで人が待っているくらいだ。昨日嵐だったせいもあるだろうし、今朝の騒動だって終息していない。それでなくても、毎日腕の立つ人に依頼を持ち掛けたい人はたくさんいるだろう。
 兄弟は歩きながらぽつぽつと言葉を交わす。
「な、なぁ、兄貴……」
「あなたがしょげたら、私まで元気なくなってしまいます」
「憶測でものを言ってもしょうがないんだが、あれは誰だと思う?」
「私が生まれるよりも前の人。かもしれません」
 言葉は冷静だが、表情は険しい。竜次は『何となく』を口にした。
「本当にぼんやりとでしかないのですが、ときどき、私にはお姉さんがいたのではないかと思うことがありました。うまくは言えません。だからと言って、今が変わるわけではないですし、ジェフが私の弟であることも変わりません」
 長男として、しっかりしようと振る舞っていた。それでもどこか、しっかりしていない。人に依存する。誰かに甘えたくて仕方ない。でも自分は一番上の兄弟だから。そんな意地の中で生きて来た。竜次の『何となく』は、ジェフリーには伝わらない。
「兄貴にしてはよくわからないことを言うな?」
「私にだってうまく説明できないものはあります。でも、こればかりは本当にどう説明していいのかわからない。もしかしたら、全然違うのかもしれませんけれど」
 小難しい表情だ。竜次の個人的な感覚。本当に何となくでしかない不安定で不確かなもの。ジェフリーは別のことも気になっていた。
「兄貴はさっき、あの執事の人にしつこく問い詰めなかったな?」
「え? ジェフは私が問い詰めると思いました?」
 意外な反応だ。ジェフリーも竜次も、お互いを冷静だと判断した。そう。熱を帯びて、あの場で冷静さを欠く。何が正しいのかわからなくなる。結果、仲間が割れてしまう。これは旅の道中で学んだ一つだ。
 竜次は自身に呆れるように肩を揺らし、両手を上げた。そのまま頭のうしろで手を組む。そして、笑った。
「だって、『大人』ですから。公共の場で、しかも、自分の家族の話で騒ぐことはないでしょう?」
「ま、まぁそうだよな。特に今は落ち着いて行動しないといけないのもあるし」
「壱子様だってすべてを知っているとは限りません。セーノルズ家の問題。壱子様はお父様のお付きです。だから、その子どもである私たちには、あまり話してはくれないでしょうね。壱子様の他に、昔のお父様を知っている方がいればいいのですけれど」
「昔の親父?」
 もう少しで大きな薬局だというところでジェフリーが足を止めた。心当たりがある。
「俺たちが知っている範囲でいる、な?」
「えっ?」
 竜次は驚きながら振り返った。記憶の中で心当たりがあるとすれば。
「あっ、そうですねぇ」
 竜次も思い出したようだ。ジェフリーと顔を見合わせ頷く。だが、肩を落とした。誰を指すのか、お互いに意見が一致した。
「でも、まぁ、知ったから何だってなってしまうかもしれませんね」 
「色違いの懐中時計を持ってたから、知らないってことはなかっただろうな。あんまり好きじゃないって言っていたし」
 少なくともケーシスに対し、いい印象は持っていなかった。ケーシスもどちらかと言うと嫌いだったようだし、人間関係は難しい。誰を指すのかというと、サキの師匠である、アイラだ。竜次もジェフリーもアイラには世話になった。頭が上がらないし、これ以上頼るのもどうだろうかと一歩引いてしまう。遠慮かもしれない。
「保留ですね。今、焦ってそこまでの情報を求めることはありません」
「確かにそうだな、親父に直接聞ければ、これは済む話だ」
「マダムにはもう少し新生活を楽しんでいただきたいじゃないですか。ダメだったときにしましょう?」
 兄弟して納得しながら薬局に入った。ジェフリーはついでに来たという感じだが、会計のカウンターの前を食い入るように見ている。
 竜次はジェフリーをそっちのけにした状態で買い物を進める。
「これ、お願いします」
 自身の医者のライセンスとローズから預かったメモ、竜次が個人的に買いたい薬も一緒に注文する。薬剤師は薬を探しに奥へ引っ込んだ。
 ここでも待ち時間が発生する。
 素行の悪いジェフリーは勝手に売り物の本を読み始めた。待ち時間でどうしてもやることがない竜次は、ジェフリーが読んでいる本を見た。
「料理の本ですか?」
「漢方とか薬膳料理って書いてあるな」
「ふぅん。でも、立ち読みは感心しませんね」
 一応値札シールが付いている。カウンターの前で堂々と立ち読みなど、感心するはずがない。
 しかも辞書に似たそこそこの分厚さを誇る。ある意味凶器になりそうだ。
「いや、まぁ、昨日エロウサギと話して、商会の人からもらった黄金ニンジンを怪我人に食わせたらいいって。ミティアはあれだけ食えば治りが早いだろう。キッドは難しいかもしれないが、少しでも改善させてやりたいと思う」
 ジェフリーは熱の入った自分の意見を言った。仲間に対する賢明な姿勢は、竜次も感銘を受ける。
「クレアは頭を切っていますし、頭から背中を強打したせいで血が溜まって血行が悪く、脳を圧迫しています。視界が戻らないのもそのせいかと」
「キッドはせっかく勉強して文字が読めるようになったんだ。どうせなら、夢を叶えてやるくらいの手伝いはしたい」
 ジェフリーは血行改善のページを熟読している。
 竜次はジェフリーの言葉に疑問を持った。
「クレアの夢?」
 待ち時間で立ち読み、雑談、何でもない会話のはずが、竜次にはとても重要な話をしているような気がしてならない。
 ジェフリーは本に目を向け、顔を上げないまま淡々と答えた。
「あいつ、頑張って勉強して兄貴のカルテを読むって言ってた」
「えっ?」
「どうせ薬にも限界があるんだろうから、食べるものでちょっとでも快方に向かったらいいかなって」
 竜次は無言で本を取り上げた。ジェフリーはやっと顔を上げたが、竜次の目が潤んでいると気が付いた。涙脆い兄だ。特に最近は。
「それは、本当にクレアが?」
「余計なことを言ったのなら、謝る」
 ジェフリーは竜次を見上げながら、軽く謝った。確実に余計なことだろう。だが、いい意味での余計なことだ。
 竜次は首を横に振って言う。
「いいえ。私も余計なことを言ってもいいですか?」
 ジェフリーから取り上げた本を持ったまま、思い詰めた表情だ。ジェフリーは軽く頷いた。
「クレアが治らなかったら、私は旅を一緒に抜けるつもりでいたのです。でも、心苦しくて。これだけ苦楽をともにした仲間と離れるなんて、悩んでいました。せめて彼女が寂しい思いをしないように、寄り添ってどこかで静かに暮らそうと思っていました。もう少しで真相に迫れるかもしれないのに。志半ばで、苦渋の選択です」
 ジェフリーは馬鹿らしい、と吐きそうになって言葉を飲み込んだ。キッドはおそらく自分なりの答えを出そうとしたのだろう。竜次はそれに寄り添う覚悟をしたに過ぎない。だが、ジェフリーも責任を感じていた。
「あいつ、目がいいから、俺が必要以上に頼りにしていた。知らない間に重荷にしてしまっていたなら、そう思わせた責任がある。その場で何も処置ができなかったし、もしかしたら、手荒に運んだせいで悪化したのかもしれない」
 あの場でもっと自分にできることがあったのかもしれない。ジェフリーはキッドに申し訳ないと思いながら、言えなかったことを懺悔した。
「キッドに謝らないといけないと思った。でも、言い出せなかった」
 竜次は驚いた。ジェフリーがそんな責任を感じていたなど、想像もしなかったからだ。
「ジェフ、それはクレアに言わなくていいことですからね?」
「どうして?」
「だって、ジェフはクレアを助けた。運び出してくれた。見捨てないでくれた。あの場に残った者として、責任を果たしてくれた。誰も、欠けないという」
「……」
「それに、ジェフがその責任を感じているのなら、私は『彼』を殺せなかったせいで、ミティアさんに大怪我をさせてしまった。『彼』が生きている可能性は高い。だから、大きな傷跡を残してしまったと、後悔しています。また、ミティアさんやクレアがつらい思いをしてしまう」
 しんみりとした空気になってしまった。ジェフリーは取り上げられた本を気にしながら、ため息をついた。
「あーもう、責任がどうのこうの、馬鹿みたいだな。この話は終わりにしよう」
 竜次も同意見だ。
 ただでさえ、父親絡みの厄介な案件が舞い込んで来たと言うのに。終わったことをいつまでも引きずるのはどうだろうか。
 竜次は手に持っている本を気にしていた。『おいしく食べる! 薬膳料理』著者は『カイ・ルーヴェ』とある。もちろん知らない。だが、知らない著者だから買わないと流してしまっていいものか。
 弟のジェフリーと腹を割って話し、理解を深めた。これも何かのきっかけだと信じたい。竜次はとある決断をする。
「ジェフ、お願いがあるのです。これも何かのきっかけだと信じて、賭けに出てもいいですか?」
 竜次は本を持ち上げ、空いている手でポケットを探り、財布を出した。
 ジェフリーは恨めしそうに竜次を見る。
「でもそういうのは無駄遣いに入るんじゃ?」
 指摘を受け、竜次はチラリと本の値札を見た。特殊な本が高いのは知っている。需要が少ないこういった本は普通の本よりもっと高いし、出費は痛い。だが、竜次は自分の財布を覗かずにさらに言う。
「あとは何が必要ですか? 薬草なら市場に行ったときにでも見ましょう」
「兄貴……」
「ジェフ、あなたを信じています」
 竜次に潤んだままでの目を見て言われ、ジェフリーは何度か瞬く。ここまで言われて腹を括れないと、逆に気分が悪い。
「うまくやれるか、わからないけど……」
「あぁっ、もぉ、ジェフ大好きっ!! 最っ高の弟ですっっっ!!」
「ひ、引っ付くな! 誤解されるっ!!」
 薬局で、しかもカウンターの前。兄弟で抱き合っている。ただ薬を買いに来ただけのはずなのに、大事になった。
 これがきっかけとなり、ジェフリーにとって、大きな転機になろうとは思いもしなかった。これはまだ、序章に過ぎない。

 
 ミエーナとサキはフィリップスの大図書館で調べ物をしていた。
 図書館という施設なだけあって、静かで利用者も頭のよさそうな人ばかりだ。
 高い天井に規則正しく並ぶ本棚、階段式の梯子もあり、高い所の本をそのまま読む熱心な者も見受けられる。
 窓は大きく、太陽の光が入り、設備も整っているため綺麗に思える。そして、広い。あまりにも広いため、調べ物は手分けしていた。
 サキは以前にも利用歴があり、だいたいの場所は覚えているのかさっさと進んでしまう。今のところ、色恋沙汰なシチュエーションはまったくない。
「あ、サキさん。これなんてどうでしょうか。超常現象の本みたいですよ?」
 先程からミエーナが本を勧めるが、サキは手に取ってもざっと読んですぐに本棚に戻すことを繰り返していた。そのたびに、ミエーナはしょんぼりとする。
 なかなか期待に応えられないので、嫌われているのかとそわそわしていた。
 本を探し見て、何かおかしいと感じたのか、圭馬がカバンの中からこっそりと顔を出した。そのままサキと会話を交わす。
「ないね」
「そうですね。どこなんだろう?」
 サキは周囲に警戒しながら小声で答えた。ショコラも不審に思っている。
「前に来たときとは微妙に配置が違うような気がするのぉん」
「あのときはそんなに気にならなかったけど、今回は求めているものがそれなりのものなので。なぜ前あった場所にないのか気になりますね」
「ほぉむ」
 何のことを話しているのか、把握していないのはミエーナだけだ。
「えっと、何の話ですか?」
 もしかして、自分が一緒にいるのが悪いのだろうか。ミエーナは心配になって来たらしく、そわそわと落ち着きがない。ポニーテールでも観測できた。アンテナのように感情も仕草もわかりやすい。
 そんな彼女を落ち着かせるわけでもなく、サキは顎に手を添えながら俯いた。
「歴史の街、王都フィリップス。だけど、肝心の歴史の本が極端に少ない。前は超常現象や、奇妙な事件を記した本を見たのに」
 以前は超常現象、ノックスのことをジェフリーと調べに来た。圭馬と加わったばかりのショコラが一緒だったのを覚えている。
 しかも、ずいぶんと手前にいるような気がする。少し奥に進むと沙蘭から寄贈された本のコーナーがあった。本が移動されているのを確認した。前に来てからずいぶんと経過しているのだから、場所の移動はあるだろう。
 サキはあまり気落ちせず、奥へ進んだがここでも変化が見られた。
「あれ?」
 本棚があって、ショコラの本が並んでいた思い出のあった本棚がなくなって閲覧スペースになっている。新調したのか、真新しいテーブルと椅子が並んでいた。
「うーん、未開の地に来たみたいだなぁ」
 せめて手ぶらで帰らないようにしたいところだ。サキは新しく書き換えられていた館内案内図を目にする。だが、目にした瞬間にため息をついた。
「本、自体が減ってるみたいですね」
 以前の配置だったのだろう四角いスペースにはバツ印が付いている。これは厳しいかもしれない。一応『歴史』というカテゴリーに足を運んでみたが、本が減った理由をそこで知った。本棚には隙間が目立つ。一方で、運び出し待ちの本が紐で括ってあった。行き先は『魔法都市フィラノス』だ。文字を見て、サキは額に手を付いた。
「そうかぁ、そうだった。フィラノスの大図書館、あんなにしちゃったもんなぁ」
 フィラノスの大図書館は閉鎖されている。本も減ってしまっただろう。大図書館と名を打っているのだから、本がなくては困る。フィリップスの大図書館も本が多いのだから、ある程度は移動させて、本の量を調整するのだろう。だが、自分がやったこととは言え、それがこんなに苦しめられるなんて思いもしなかった。これは的を絞った方がいいかもしれない。
「ないものから情報は仕入れられない。今からこの紐を解くのは迷惑だろうし。本が移動したあとで、フィラノスに足を運ぶしかないのかな」
 サキはどっと肩を落としている。圭馬は辺りをうかがいながら、小声で提案をした。
「とりあえず見てみようよ。それでもダメで、それこそ手ぶらだったらまた考えたらいいじゃん」
 圭馬に言われ、サキは渋りながら頷いた。辺りに人がいないか一応確認するも、今日は人が少ないように感じる。
 利用する人がいない訳ではなさそうだが、この少なさはやはり今朝の騒動のせいかもしれない。お陰で圭馬やショコラが多少騒いでも大丈夫そうだ。
 サキは珍しく弱音を吐いた。
「今日はどうも思考が鈍くて。怪我が治っていませんし、集中力が持つかなぁ」
 知らないことを知ろうとする、サキらしい悩みだ。案外そう思いながら、うまく調整するのではないだろうか。
 圭馬はサキの勝手を知りつつ、意外な褒め方をする。
「でもさ、あの変態にボッコボコにされて、大丈夫なんてすごいよ。まだ多少は痛む? あんなに顔殴られたら、口の中切ったでしょ。口内炎になっていそうだね」
「右の奥に大きいのがありますよ。舌噛まないようにしていたら、自然とこうなってしまいますからね」
「よくあの状況で舌噛まないと思ったら、意識していたんだ?」
「舌噛んだら詠唱しにくいですから、そこはね! 魔導士にとって、詠唱ができないのは致命的ですから」
 殴るというか痛めつけられたというか、打撃は受けた。まだ見えないところの傷は癒えていないが、何も考えていなかったわけではない。うまく受け流して、ダメージは最小限にしたつもりではあった。
 ミエーナは本棚に目を向けるフリをしながら、横目で圭馬と砕けた口調で話すサキをチラチラと見ていた。話の輪に入ろうと試みる。
「さ、サキさんって、意外と策士ですか?」
 ミエーナは疑問に思っていた。魔法を使う人はどうしても打たれ弱く、倒れてしまったらそれまでという印象を抱いていたからだ。質問に答えたのはサキではなく、圭馬だった。
「この子はやられたらどうやってやり返そうか、常に考えているタイプの子だよ。やられっぱなしが嫌という人意識が人一倍高いね」
「わ、わぁ!」
 ミエーナは自分より年下なのに、こんなにスペックの高い人間がいるのかと驚いているようだ。圭馬も認めているくらいなのだから相当なものだろう。ミエーナはほんの一部しか知らないが、彼が勇敢に戦うところは見覚えがある。
 ミエーナはサキをじっと見ていた。サキはその視線が気になった。
「ど、どうかしましたか?」
「あ、えっ? や、年下なのにすごいなって」
「ミエーナさんと大して変わらないような?」
 サキはあまり壁を感じていないらしい。コーディとの壁は解いた。それにミティアやジェフリーのように年齢が離れているわけでもない。壁がないと知ったミエーナは、ポニーテールを大きく振りながらサキの手を取った。
「じゃ、じゃあ、お気軽にミエーナとお呼びくださいっ!!」
 ミエーナの声は声量があり、図書館の中に響いている。サキは首を傾げながら少し困ったように笑った。
「は、はい。じゃあ僕も呼び捨てにしてかまいません」
「そそ、そんなっ、サキさんはサキさんで!!」
「は、はぁ」
「す、好きな人っていますか?!」
「え、えっ?」
 唐突にミエーナの猛アタックが始まった。だが、サキには全然なびいてもらえない。これにコーディは苦労したのだが。
 サキは真面目に答えようか悩んではいたが、わずかに時間を置いて一応答えた。
「僕の好きな人は、ミティアさんです!」
 サキはにっこりと迷いなく言った。
 聞いたミエーナの表情が強張る。そんな彼女におかまいなく、サキは奥の本棚に進んで行った。
 ミエーナは唸りながら頭を抱えている。ミティアはジェフリーと相思相愛で、お世話になっている家では度々イチャイチャとしているところを見ている。そしてジェフリーはサキと親しい。この複雑な関係に頭を抱えていた。
 聞こえないだろうと想定し、圭馬が残ってフォローに入った。だが、話が複雑になるだけだった。
「まぁまぁ、深く気にしない方がいいよ。それに、無駄だと思うな。後輩に慕われても全然見向きもしないし。コーディもそうだし」
「えっえっ?」
「コーディもあの子のことが好きだよ。知ってたくせに」
「わぁうぅぅ……わかんない。わかんないよぉ」
 人間関係の整理が追い付かず、ミエーナはポニーテールをぶん回している。新参ゆえに圧倒的に不利だ。だが、ここでめげないのがミエーナだった。
「よ、よぉし!!」
「と、言うか、キミってそういうキャラだった?」
「い、いいんですっ!! お兄ちゃんに色々制限されるくらいなら、アタシはこのままここで生きていてもっ!」
 圭馬はそんなことだろうとは思っていたが、ミエーナは開き直ったのを認めた。サキを追っていく彼女の背中を見て、圭馬は深くため息をついた。
「それもどうかと思うけどね。時空干渉なんて、明らかに重罪だもん」
 圭馬はミエーナの存在を警戒していた。また魔界に呼び出され、エンマ様から追加の特命を受けるのではないかと。
 
 小難しい辞書を捲って手を止めるサキ。気になる項目を発見した。傍にミエーナの姿を確認して声を掛ける。
「ちょっといいですか?」
「は、はい、何ですかサキさん」
 全然関係のない料理の本を手に取ろうとしていたミエーナ。彼女は慌てながら向き直った。世間知らずゆえに、油断するとどこかに行ってしまいそうだ。ここが大図書館で助かった。
 サキはじっとページを見て頷く。そして顔を上げた。
「帰れますよ」
「えっ? どういうことですか?」
「見付かりました、時越えの方法」
 やけにあっさりだ。サキはカバンの中から革の眼鏡ケースを取り出し、中から眼鏡を取り出して掛けた。熟読するつもりだ。
 もっと手こずると思ったのに、こんなにあっけなく、すぐに方法が見付かるなんて思わず、ミエーナはそわそわと取り乱している。
 本を持ってテーブルに移動しようとするサキをショコラが呼び止めた。
「のぉん、主ぃ?」
 視線の先に見覚えのある本がある。
 ショコラの著した本が並んでいる。これは違う収穫がありそうだ。サキの探求心がくすぐられる。カバンの中から手帳を取り出し、万年筆のキャップを取って紙に走らせていた。
 その集中力に、ミエーナは唖然とした。
「あ、あの?」
「ミエーナ、突っ立ってないで、ショコラさんの本を全部持って来てくれませんか?」
「えっ、えぇっ?」
 サキにいいように使われた。所謂パシリである。ただでさえ、ほしい情報を見付けたサキのギャップに驚いているというのに。この荒さが際立って困惑する。
 呆れ気味の圭馬がミエーナに言う。
「あーあ、読書に夢中の発作が出たよ。行こ、ミエーナ。ババァの本は確か、コッチだったよ」
 しっかり圭馬にも呼び捨てにされた。ここで言い争うのもおかしいので、ミエーナは圭馬と本棚を見に行った。手伝いたいと言っていた、その目的が果たせるというもの。
 サキは手を動かしつつ、小声で文句を言った。
「ショコラさんも、自分の書いた本の内容、覚えていないのでしょうか?」
 カリカリしているわけではなさそうだが、ちょっとした苦言だ。そのショコラは、人目につかないように足元でおとなしくしている。首を傾げながら尻尾を揺らした。
「はて、ばばぁじゃから覚えておらんのぉん? 本当は何十冊と本を書いておるからのぉ」
「やっぱりショコラさんはハイブローだなぁ。見習わないと」
 鯖トラの老猫のくせにやたらと頭が切れる。普段はおっとりとしておとなしいが、いざとなったら指示もくれるし書籍もたくさん残している。
 圭馬より長生きだし、もしかしたら覚えていないだけで種族戦争だって体験しているのかもしれない。一体何歳なのだろうか。
 サキが得た情報によると、時越えの魔法は禍々しい歪みと関係があるらしく、条件が揃えば『世界』すら越えるとある。当然、サキの目にも止まった。
「世界を越えるってどういう意味なんだろう。僕の知っている世界はここだけのはずなのに」
 サキは万年筆を握る手を休め、キャップでトントンと紙の端を叩いた。世界を越える意味は、自分たちがいる世界とはまた違う世界を指すのだろうか。何か大切なヒントがあったはずなのに、思い出せない。怪我のせいか、どうも反応が鈍くなりがちだ。
「ほぉれ、あと少しなのぉん」
 やはりショコラは惚けたふりをしている。道だけ示し、あとは自分の足で歩めというよくも悪くも厳しい教え方だ。それでも探求心と向上心の塊であるサキにはこれくらいがちょうどいい。
 案外ショコラは何もかも知っているのかもしれない。今起きている全貌も、どんな運命を辿るのかも。ただ、今までずっと人間に寄り添っていながら、人間とは交流がなかった。もしかしたら、ショコラは動ける機会を待っていたのかもしれない。
 昔はもっと世界中に魔力が満ちていたと圭馬は言っていた。化身にならなくても人の姿で歩き回れると。それが今は魔力の満ちている幻獣の森や猫森くらいでしか実体を保てないくらいには魔力は落ちている。
 魔力の共有をしていなかったせいで、なかなか人里には出て来られなかったが今は違う。
 この世界自体が衰退していると行き着いた。圭馬は知っているのだろうか。あの様子だとおそらく気付いていないと思うが。
 サキは席を立って本を戻しに行った。その背中をショコラは眺める。まるで我が子の成長を楽しむような目線だ。サキと入れ違いで、ミエーナが十冊程積んで持ち運んでいる。手際が悪いし、腰を曲げている。一緒になって読み漁るジェフリーとは勝手が違うので、どうしても効率の悪さが生じた。
 サキは仕方がないと他の場所も見る。すぐ近くをガラガラと大きなワゴンを引く音がした。ワゴンを引くのは、紫のソバージュ髪で、気さくな雰囲気を漂わせる司書らしき人だ。長いマントを羽織り、裾が並状に広がる上品なローブを身にまとっていた。
 女性が引いていたのは、子どもが簡単に入ってしまうような大きさだ。フィラノスへ持ち出す本をまとめているのかと思った。だが、乱雑に本ではないものが入れられている。
 サキは何事かと思って話し掛けた。
「すみません、司書さん? それは?」
 サキの声で女性は足を止め、にこりと笑う。
「あぁ、これは廃棄するものです。ときどき本に紛れて、落書きや絵日記があるのはご存知ですよね?」
「は、はい」
「本の移動が増えましたから、そういった物が目立つと、王都の貴族に苦情をいただいたのでチェックをしているのです」
 司書の女性はワゴンを固定して手を添えた。
「見ますか? 捨てる神あれば拾う神ありですよ、大魔導士さん」
 ある程度は知れ渡っていたとは思ったが、この人はサキを知っていた。女性はワゴンから離れ、奥の本棚からチェックをしていた。
 サキはワゴンに積まれた物をぼんやりと眺める。
「捨てちゃう物、かぁ」
 ミエーナが戻った。ちょこちょこと走り寄ってワゴンを眺める。
「サキさん、本、持って来ましたけど、今度はどうしました?」
 ミエーナは圭馬も抱えていた。だが、人がいるのを気にしているのか、圭馬はぬいぐるみになりきっている。チラチラと警戒しながら小声で話し掛けた。
「な、なーにぃ? お兄ちゃん先生のラブレター探し、再び?」
 このワゴンに望みは薄い。だが圭馬の言葉にサキは無言で動いた。前はそういった物が貴重だとは思わなかった。竜次が看取った彼女の日記が見つかったときは驚いたが、よく考えればあれも厳密には本とは見なされない。
 図書の中に、落書きや絵日記が多いのはサキも把握している。きっとサキの卒業論文だって、寄贈したとは言え、遅かれ早かれ同じ道を辿っただろう。
 背表紙が砕けている物、色あせて劣化している物、子どもの落書きや絵日記、手帳、ノート、埋もれた中から一際目立つ物を見付けた。金の古いクリップで綴じられた紙束が気になった。きっとこれも大した物ではないとそのまま流しかけたが、持ち上げた瞬間に金属の腐食なのか、クリップが砕けた。バラバラと床に紙が散る。
「うわっ! 散らかしちゃいけない……」
 サキは大図書館の床を這う。散らばった紙はやけに古びていた。文字がかすんでいる紙もある。
 拾い集めていると興味深い単語が続々と目に入った。
『種族戦争が残した負の遺産』
『人の憎悪を背負い身に邪神龍を宿す生贄』
 サキは散らばった残りの紙を這うように掻き集めた。ミエーナも拾っていた。そのミエーナにサキは質問をする。
「あの、拾ってくれてありがとうございます。この論文のようなものを書いた人の名前はありますか?」
「あ、はい、これですか?」
 ミエーナは拾った紙の中から作者の名前らしきものを見付け、一番上にしてサキに手渡す。
 受け取ったサキは、名前を見て思わず眉間にシワを寄せた。書かれていた名前に、込み上げるものを抑えるように手を震わせた。鳥肌が立つ。それこそ、体中の毛穴が開いたような驚きと動揺だ。なぜなら、『そんなはずはない』と思ったからだ。
「リズ・ハーテス。おと、う、さん……」
 何の巡り合わせなのだろうか。もしいたずらではないとしたら、知らないうちに覚えていない父親の背中を追っていたことになる。同じ道を、自分が受け継ぐように辿ろうとしている。
 バラバラだった情報や想いがつながっていく。連鎖されるように、大切なことを次々に思い出した。
 父親は優れた大魔導士だった。ジェフリーや竜次の父親であるケーシスは、自分の両親と親しかった。ケーシスは世界の『向こう側』に行けるかもしれないと、サキに期待を寄せていた。ケーシスならきっともっと父親の情報を持っているはずだ。
 そしてもう一人、つながりのある名前をここで目にした。
『シルバーリデンス公に話を聞くことができた』
 シルバーリデンス公。つまり、クディフだ。対立したこともあった。今は中立でもあり、味方でもある。
 今まで歩んで来たものは、何一つ無駄ではなかった。自分と関わった人が巡りに巡ってさまざまなヒントを残してくれる。
 サキは紙の束をぎゅっと抱きしめた。
「お父さん、僕はあと何をしたらいいですか」
 もう少しで迫れる真実。自分が父親の領域に辿り着けるかはまだわからない。
 サキはもういない父親へ、思いを馳せた。
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