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8話
しおりを挟む――Myuze side――
三年前のあの日。
ベルリナへの恋心を自覚した僕は、すぐにクラレンス家へ婚約の申し入れをした。
クラレンス卿は爵位こそ継承しなかったけど、公爵家の長男であり、王国騎士団の団長を務めている。バックにはあのジルフォード卿もいるし、縁を結んでおきたい貴族は五万といるだろう。
それに、あんなに可愛くて天使のようなベルリナが、いつまでも放っておかれるはずがない。
婚約の申し入れをしてすぐに、クラレンス夫妻から一度会って話をしようと返信があった。仕事の日程を調整し、クラレンス卿の休みの日に予定を合わせて屋敷を訪ねると、サロンに案内された。
向かいの二人掛けのソファーに、クラレンス夫妻は腰を掛ける。本題に入ると、徐々にクラレンス卿の表情は険しくなった。
「私は、ベルリナを成人と同時に、ベラード公爵家に嫁がせるなんて反対だよ」
「クラレンス卿、僕はベルリナを愛しているんだ。僕の全てを懸けて彼女を幸せにすると誓う。どうか彼女との婚約を認めて欲しい」
「レオン様、素敵じゃないですか。ベルリナの男性の好みは私と同じですし、きっと大喜びしますっ!」
「サクラ…。ベルリナはまだ十二歳だ。決断するには早過ぎる」
サクラ夫人が満面の笑みでホクホクと賛成しているのに対し、クラレンス卿は決して首を縦に振らなかった。
でも、クラレンス卿に一度断られたからと言って、簡単に諦められるはずがない。
僕はベルリナの事が可愛くて可愛くて、大好きで堪らないんだ。その『大好き』が『愛』だったと分かったとなれば、尚更のこと。
僕が再度頭を下げようとすると、サクラ夫人が先に口を開いた。
「レオン様、愛に年齢は関係ありませんっ! それに、二人が結婚したら、ミュゼ様は私とレオン様の本当の息子になりますよ?」
「本当の息子?」
「ほら、いつだったか。私がミュゼ様に『私達の事はお父さんとお母さんと思って』と言った事があるでしょう?」
「ああ。覚えているよ」
「私はあれからずっと、ミュゼ様を本当の息子のように思っています! それが、ベルリナと結婚したら本当の家族になるんです」
サクラ夫人は朗らかに笑った。
今までサクラ夫人がベラード公爵領の立て直しの為に、様々な知恵を絞ってくれたのは、そんな想いがあったからなのだろうか。何故何の見返りも無く、僕に様々な知識を提供してくれるのか、ずっと不思議だった。
僕は親の愛なんて知らないけれど、こういうのがそうなのかな、なんて思ったら、何だか泣きそうな気分だった。
「君は本当にミュゼが可愛いんだな。何だか妬けてしまうよ」
「ふふふっ。世界で一番可愛いのはレオン様ですけどね」
クラレンス卿は年甲斐もなく、サクラ夫人の言葉に耳を赤くした。そんな二人を、僕はジト目で見つめる。いつも恒例の二人の仲睦まじさに充てられて、感動の涙なんてすぐに引っ込んだ。
「仲睦まじいのは分かったから。独り身の僕の目の前でベタベタしないでよ」
「すまない」
「サクラ夫人の言うように、年齢は関係ないよ。僕はベルリナだから大好きだし、お嫁さんになって欲しい。それに、クラレンス卿とサクラ夫人のような夫婦になれればと、心からそう思っているんだ」
「そうか。……分かった。君とベルリナの婚約はサクラがとても乗り気だし、認めたくは無いが、……ベルリナ自身もとても喜ぶだろう」
「では……!」
「但し、条件がある。正式に婚約するのは、ベルリナが成人するまで待って欲しい。それと、今後はエスコートで手を握る以外、物理的接触は禁止だ」
「えっ!? 成人するまで抱き締めたり、抱っこ禁止ってこと!?」
「そうだ。妹の様に思っているのならまだしも、女性として愛しているとなれば話は別だよ。ベルリナの体裁の事も考えて、これからはうちの屋敷に泊まるのも控えて貰いたい」
クラレンス卿の言葉に、僕は愕然とした。大切なレディーとして接していくと決めたけど。結婚まで一線は超えないにしても、抱き締めたり、もっと大きくなったら、口付けとか、男女のあれこれをするつもりだったのに……。
「約束……します……」
「ありがとう」
あと四年我慢すれば、あの可愛い天使が僕のお嫁さんになるのなら、この提案を受け入れるしかないじゃないか。
僕が苦虫を潰したような声音で返答するのに対し、クラレンス卿は満足気な表情を見せたのだった。
そんな話し合いの元、今に至る。
「ベラード公爵様、私の事が迷惑であれば、この場で言って欲しいのです」
「な、何故そんな風に思ったの!?」
僕はクラレンス卿との約束をきちんと守り、彼女の事を自分に出来る最上級の方法で、大切に接してきたし、好意を示してきたつもりだ。それなのに、何故迷惑なんて思ったんだろう。
焦るあまり、カップを置く際に盛大に音をさせてしまった。
「屋敷にもお泊まりにならなくなったし、…抱き締めてくれなくなりました」
「君を子供扱いしたくなかったんだ」
僕だって君を抱き締めたくて仕方なかった。
どんどん美しくなる君に、数ヶ月に一度しか逢えないのが辛かった。
今すぐに領地に連れて帰り、君の美しい瑠璃色の瞳に、僕以外映さないよう、その華奢な身体を僕の腕の中に閉じ込めてしまいたかった。
「お友達は、……もっと凄いことをしていますっ」
「凄いこと!?」
……僕だって君の全てを暴いて、君の全てを堪能したいに決まっているじゃないか!
君を手に入れるために頑張った事が、逆に君を傷つけているという事実を突きつけられる。
彼女の瞳には涙が滲んでいて、今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。
泣かせたいわけじゃない。
不安にさせたいわけじゃない。
「……………僕も君に触れたい」
ポツリと出た言葉は、紛れもなく僕の本心。
君を手に入れる為に、九年も我慢した。
だから、あと半年なんてあっという間に違いない。
それなのに。
「ベラード公爵様、お隣に、座っても宜しいですか?」
ベルリナは隣に座ると、距離を取ろうとする僕に、柔らかな肢体を寄せてくる。彼女に触れたくて仕方が無くて。彼女に逢うたびに、必死で暴れ狂う欲望を抑えつけているというのに。
太腿同士が触れ合い、そこに全ての神経が集まったかのように敏感になる。彼女はこんなにも柔らかで、こんなにも甘い香りがしていただろうか。
心臓がかつてない程早鐘を打つ。
頬が熱い。
「詳しく、教えて頂けませんか…?」
涙の渇き切らない瞳で、こんな可愛いベルリナに懇願するように見つめられたら、誰も逆らえないよ。
「キャロル、下がっていてくれ」
「……………」
「ここは見通しの良い庭だ。何もしない」
「かしこまりました」
キャロルは腰を折り、顔を上げる瞬間、僕に気の毒そうな視線を向けた。まあ、この可愛いらしい生物に迫られて、指一本触れられないんだ。そんな顔をしてしまうよね。
去り際に、キャロルは親指を立て、健闘を祈ると言わんばかりにウィンクをして去っていった。前から思ってたけど、キャロルって変わってる。
その後、三年前のクラレンス卿との約束を全て話し終えると、ベルリナは頬を染めプルプルと震えはじめた。
「あの、ベラード公爵様は私の事……」
「大好きだよ」
「最終確認なのですが、それって……」
僕のスーツを握る彼女の手は僅かに震えていて、期待を含んだ瑠璃色の瞳が揺れる。
「女の子として、女性として、君を愛している」
「嬉しい……っ!」
ベルリナは僕の腰に手を回し、ガバリと抱きつく。胸元に頬をスリスリと擦り付け、大きく息を吸うと僕の方を見上げてふにゃりと微笑んだ。
もう可愛い過ぎて、クラクラするんだけど。
「ダメだよ。クラレンス卿との約束が……」
「ベラード公爵様が私に触れるのはダメだけれど、私から触れるのは良いのではないですか?」
「それは……そうなのかな??」
ベルリナは良い事を思いついたのか、ハッと瞳を大きく見開き、頬を薔薇色に染めた。
「……閉じて……ください」
「ん?」
「目を……閉じて」
ベルリナは恥ずかしそうにオズオズと口を開く。この雰囲気の中目を閉じてすることなんて、一つしか思い浮かばない。
僕は言われた通り、大きな期待を胸にギュッと目を閉じる。ベルリナの息遣いをすぐ近くで感じながら、ドキドキしながら来るべき時を待った。
……が。
あれから数十秒は経過しただろうか。彼女からのアクションが無い。
僕はそっと薄めを開けると、力一杯目を閉じて、顔を真っ赤にさせたベルリナの顔が目の前にあった。
ほんの数センチ、顔を寄せれば唇が重なってしまいそうな距離。その数センチの距離を、十五歳のベルリナに縮めるのは難しいようだ。
そんな純粋で、可愛い天使の姿に、僕は思わず笑ってしまいそうになるのを必死で耐える。
「……ダメ、出来ません…」
とうとう諦めた彼女は、涙目で呟く。
残念だったけど、僕はどこかホッとした。
「ベルリナ、どうか初めての口付けは僕からさせて欲しい。半年後、君にプロポーズするから、その時まで待っていて」
彼女の濡羽色の髪を一房手に取り、口付ける。彼女を見上げるように微笑みかけると、ベルリナは顔を林檎のように真っ赤にさせ、両手で顔を隠して俯いてしまった。
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