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第23話 ファブリーズ
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こちらのローブを無理やり脱がせに掛かってきた長良さんから逃れつつ、『誰かがここに来たら自分たちの活動がバレてしまう。水中探索はもっと人気の少ない時間帯にしよう』と提案することで、どうにかその手を止めてもらうことに成功した。
──翌日。
今日も朝早くから長良さんが来訪し、午前は勉強に励む。
そして午後からは──
「ものすごく生臭いね……」
「ヌメリは全て洗い流したんですが……」
先ほど、ダンジョンの地下二階に出現する大ガエルを自宅へと持ち帰り、それを庭に置いた大鍋で煮込んでいる。
昨日、亀の甲羅と魔石を売る際に、マテ買のお兄さんに『ゴムのような魔物素材はないか?』と尋ねたところ、そのとき紹介されたのがこの大ガエルだった。
水中の探索を行うにあたり、足ヒレのような潜水補助具が欲しかったのだが、勿論そんなものはダンジョン用品店では売っていないため、自作することにした。
大ガエルの足先を煮込んでから、乾燥、ダンジョン装備用のワックスを塗布すると、求める材質へと変化するらしい。
本来この素材は、靴底やパッキンなどに用いられているようだが、今回はカエルの足先をそのまま『足ヒレ』として使わせてもらう。
「そっちはどんな感じです?」
「んー、どうかな? 可もなく不可もなく……」
長良さんがカエルの足を煮込んでくれている間、自分は庭先で木と甲羅を加工し、槍だか矛のような長柄武器を製作していた。
先日、冒険者ギルドで武器ロッカーを契約したおかげで、ようやく武器の持ち運び用ケースを借りられるようになり、こうして武器を自作しても良くなった。
街中では、たとえ粗末な短剣でも、定められたケースに収めていなければ、武器の携帯そのものが禁止されている。うっかりそれを破って警官に見つかれば、容赦なく銃刀法違反で引っ張られてしまう。
そして、いざ武器を作ってみると、木材の切り出しや甲羅の成形ひとつ取っても予想以上に手間がかかり、なかなか思い通りにはいかなかった。
小一時間ほどして2本の槍らしき武器の作成を終え、長良さんに声を掛ける。
「両端に穂先をつけた方がカッコよくない?」
「おや? そういった欲求が湧いてきましたか? でしたらすぐに底部にも穂先をつ──」
「いや、普通の槍にしとく……」
やはり、両端を槍にするのは厨二っぽかったか……。
それからさらに数分経過し、十分に煮込まれたカエルの足ヒレを摘み上げて長良さんは言う。
「あとはこれを陰干ししなくてはいけないのですが……、同じ生臭さが漂う、伊吹くんの自室で干しましょうか」
「え!? やっぱ俺の部屋って生臭いの!?」
ちゃんと毎日捨てているのに!?
「ふふ……冗談ですよ。すでに生臭さも消えたので、脱衣所にでも干しましょうか」
「いやちょっと待って! 俺の部屋は生臭いの?」
自分では気付けないと聞くが、本当に匂うのだろうか……。消臭スプレーか? 芳香剤か?
◻︎◻︎◻︎
明けて翌日。今週からは短縮授業が始まり、いつもより早く下校することになった。
制服を脱いでラフな服へと着替え、軽くパンを齧っていると、インターホンが鳴る。
玄関を開けると、長良さんがスーツ姿の女性を連れて立っていた。
「こちら、司法書士の先生です。今日は会社設立の書類をご確認いただきに参りました」
軽く会釈を交わし、隣家へ向かう。後見人はすぐ隣に住んでいるので、歩いて十秒ほどの距離だ。
門柱のインターホンを押すと、しばらくして中から声が返ってくる。
「ユーヤです。会社設立の許可をもらいにきました」
「はいはーい、いま行きますよー!」
間の抜けたほどに明るい声に、思わず隣の司法書士が吹き出しそうになったのを見逃さない。
ガチャリ、と玄関が開く。
中から顔を出したのは、未成年後見人の黒田ミナミ。
ショートボブに、落ち着いた色味のジャケットにロングスカート。普段のTシャツ短パン姿とはまるで別人のようで、思わず目を丸くする。
「お待たせしました。中へどうぞ」
「……ミナミさんって、普通の服を持ってたんですね」
「当たり前でしょう? 私は立派な大人なんだから」
そんなこと、自分の口で言ってしまうあたりが立派じゃないと思うんだけど……と、わざわざ口には出さなかった。
黒田ミナミさん──自分の未成年後見人であり、幼い頃から何かと世話になってきた人だ。
両親が亡くなったとき、真っ先に『私が引き取ります』と申し出てくれたのが彼女だった。
その気持ちは非常にありがたかったが、あのときは身近な人を失った喪失感でまともに考える余裕などなく、誰かと新たに“家族”になることに、どうしても気持ちがついていかなかった。
「それなら、後見人って形でもいいよ」
彼女はそう言って、家庭裁判所に必要な手続きを行い、正式に未成年後見人として認められたのは、それからすぐのことだった。
ミナミさんは今も隣の家にひとりで住んでおり、自分とは適度な距離を保ちつつ、何かあればすぐ駆けつけてくれる。
歳は──たしか、二十代の後半か、三十を少し越えているくらいだったと思う。正確な年齢はよく知らない。
というのも、彼女はそういうことを話したがらないし、自分もあまり深く訊いたことがなかった。
普段は家でゴロゴロしていて、まともに働いている気配もない。
とはいえ、生活が苦しそうに見えたことは一度もないし、法務や役所関係のことにも妙に詳しい。
きっと、自分が知らないだけで、それなりの稼ぎと経験があるのだろう──たぶん。
◻︎◻︎◻︎
応接間での雑談も一段落したところで、司法書士の先生が鞄から数枚の紙を取り出す。
「では、今回の会社設立にあたって作成した定款の叩き台をお持ちしました。こちらをご確認いただけますか?」
書類はホチキスで綴じられており、表紙には見慣れぬフォントでこう書かれている。
《株式会社⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎ 定款(案)》
──社名はまだ決まっていない。
自分の膝の上に書類を置き、めくっていく。ページの途中に「事業目的」として、次のような箇条書きが並んでいた。
第2条 当会社は、次の事業を営むことを目的とする。
1.【特定超常構造環境】内部における調査活動の実施および支援
2.魔物素材・魔石・希少鉱物等の採取、加工、販売
3.【特定超常構造環境】産素材の研究開発、鑑定および品質評価業務
4.魔物素材を用いた日用品・装備品・医薬品等の製造販売
5.【特定超常構造環境】探索に関連する教育・訓練・講習会の企画・運営
6.【特定超常構造環境】関連の映像、出版物、コンテンツの制作および販売
7.前各号に附帯関連する一切の業務
「なんか…………凄いですね……」
会社を作るための本物の文書とは、こう言うものなのかと素直に関心する。
隣で長良さんはスラスラと読み進めているが、自分は項目の意味をひとつずつ頭で訳すのに精一杯だった。
そこへ、ミナミさんがふと首を傾げながら指で紙面をとんとんと叩いた。
「ねえ、この条文に海外展開の項目がないけど、大丈夫なの?」
「…………へ?」
紙をまじまじと見返す。確かに、あの条文のどこにも「輸出」や「国際」なんて言葉は入っていない。
「定款に目的として書かれてないと、将来的にできないことも出てきちゃうから。第7項に、国際関連の一文を追加した方がいいと思うな」
──場が静まりかえる。
(あれ? もしかしてミナミさんって、ダンジョン事業のことに詳しい……?)
その空気を無言で共有しつつ、誰も何も言わなかった。
◻︎◻︎◻︎◻︎◻︎
──翌日。
今日も朝早くから長良さんが来訪し、午前は勉強に励む。
そして午後からは──
「ものすごく生臭いね……」
「ヌメリは全て洗い流したんですが……」
先ほど、ダンジョンの地下二階に出現する大ガエルを自宅へと持ち帰り、それを庭に置いた大鍋で煮込んでいる。
昨日、亀の甲羅と魔石を売る際に、マテ買のお兄さんに『ゴムのような魔物素材はないか?』と尋ねたところ、そのとき紹介されたのがこの大ガエルだった。
水中の探索を行うにあたり、足ヒレのような潜水補助具が欲しかったのだが、勿論そんなものはダンジョン用品店では売っていないため、自作することにした。
大ガエルの足先を煮込んでから、乾燥、ダンジョン装備用のワックスを塗布すると、求める材質へと変化するらしい。
本来この素材は、靴底やパッキンなどに用いられているようだが、今回はカエルの足先をそのまま『足ヒレ』として使わせてもらう。
「そっちはどんな感じです?」
「んー、どうかな? 可もなく不可もなく……」
長良さんがカエルの足を煮込んでくれている間、自分は庭先で木と甲羅を加工し、槍だか矛のような長柄武器を製作していた。
先日、冒険者ギルドで武器ロッカーを契約したおかげで、ようやく武器の持ち運び用ケースを借りられるようになり、こうして武器を自作しても良くなった。
街中では、たとえ粗末な短剣でも、定められたケースに収めていなければ、武器の携帯そのものが禁止されている。うっかりそれを破って警官に見つかれば、容赦なく銃刀法違反で引っ張られてしまう。
そして、いざ武器を作ってみると、木材の切り出しや甲羅の成形ひとつ取っても予想以上に手間がかかり、なかなか思い通りにはいかなかった。
小一時間ほどして2本の槍らしき武器の作成を終え、長良さんに声を掛ける。
「両端に穂先をつけた方がカッコよくない?」
「おや? そういった欲求が湧いてきましたか? でしたらすぐに底部にも穂先をつ──」
「いや、普通の槍にしとく……」
やはり、両端を槍にするのは厨二っぽかったか……。
それからさらに数分経過し、十分に煮込まれたカエルの足ヒレを摘み上げて長良さんは言う。
「あとはこれを陰干ししなくてはいけないのですが……、同じ生臭さが漂う、伊吹くんの自室で干しましょうか」
「え!? やっぱ俺の部屋って生臭いの!?」
ちゃんと毎日捨てているのに!?
「ふふ……冗談ですよ。すでに生臭さも消えたので、脱衣所にでも干しましょうか」
「いやちょっと待って! 俺の部屋は生臭いの?」
自分では気付けないと聞くが、本当に匂うのだろうか……。消臭スプレーか? 芳香剤か?
◻︎◻︎◻︎
明けて翌日。今週からは短縮授業が始まり、いつもより早く下校することになった。
制服を脱いでラフな服へと着替え、軽くパンを齧っていると、インターホンが鳴る。
玄関を開けると、長良さんがスーツ姿の女性を連れて立っていた。
「こちら、司法書士の先生です。今日は会社設立の書類をご確認いただきに参りました」
軽く会釈を交わし、隣家へ向かう。後見人はすぐ隣に住んでいるので、歩いて十秒ほどの距離だ。
門柱のインターホンを押すと、しばらくして中から声が返ってくる。
「ユーヤです。会社設立の許可をもらいにきました」
「はいはーい、いま行きますよー!」
間の抜けたほどに明るい声に、思わず隣の司法書士が吹き出しそうになったのを見逃さない。
ガチャリ、と玄関が開く。
中から顔を出したのは、未成年後見人の黒田ミナミ。
ショートボブに、落ち着いた色味のジャケットにロングスカート。普段のTシャツ短パン姿とはまるで別人のようで、思わず目を丸くする。
「お待たせしました。中へどうぞ」
「……ミナミさんって、普通の服を持ってたんですね」
「当たり前でしょう? 私は立派な大人なんだから」
そんなこと、自分の口で言ってしまうあたりが立派じゃないと思うんだけど……と、わざわざ口には出さなかった。
黒田ミナミさん──自分の未成年後見人であり、幼い頃から何かと世話になってきた人だ。
両親が亡くなったとき、真っ先に『私が引き取ります』と申し出てくれたのが彼女だった。
その気持ちは非常にありがたかったが、あのときは身近な人を失った喪失感でまともに考える余裕などなく、誰かと新たに“家族”になることに、どうしても気持ちがついていかなかった。
「それなら、後見人って形でもいいよ」
彼女はそう言って、家庭裁判所に必要な手続きを行い、正式に未成年後見人として認められたのは、それからすぐのことだった。
ミナミさんは今も隣の家にひとりで住んでおり、自分とは適度な距離を保ちつつ、何かあればすぐ駆けつけてくれる。
歳は──たしか、二十代の後半か、三十を少し越えているくらいだったと思う。正確な年齢はよく知らない。
というのも、彼女はそういうことを話したがらないし、自分もあまり深く訊いたことがなかった。
普段は家でゴロゴロしていて、まともに働いている気配もない。
とはいえ、生活が苦しそうに見えたことは一度もないし、法務や役所関係のことにも妙に詳しい。
きっと、自分が知らないだけで、それなりの稼ぎと経験があるのだろう──たぶん。
◻︎◻︎◻︎
応接間での雑談も一段落したところで、司法書士の先生が鞄から数枚の紙を取り出す。
「では、今回の会社設立にあたって作成した定款の叩き台をお持ちしました。こちらをご確認いただけますか?」
書類はホチキスで綴じられており、表紙には見慣れぬフォントでこう書かれている。
《株式会社⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎ 定款(案)》
──社名はまだ決まっていない。
自分の膝の上に書類を置き、めくっていく。ページの途中に「事業目的」として、次のような箇条書きが並んでいた。
第2条 当会社は、次の事業を営むことを目的とする。
1.【特定超常構造環境】内部における調査活動の実施および支援
2.魔物素材・魔石・希少鉱物等の採取、加工、販売
3.【特定超常構造環境】産素材の研究開発、鑑定および品質評価業務
4.魔物素材を用いた日用品・装備品・医薬品等の製造販売
5.【特定超常構造環境】探索に関連する教育・訓練・講習会の企画・運営
6.【特定超常構造環境】関連の映像、出版物、コンテンツの制作および販売
7.前各号に附帯関連する一切の業務
「なんか…………凄いですね……」
会社を作るための本物の文書とは、こう言うものなのかと素直に関心する。
隣で長良さんはスラスラと読み進めているが、自分は項目の意味をひとつずつ頭で訳すのに精一杯だった。
そこへ、ミナミさんがふと首を傾げながら指で紙面をとんとんと叩いた。
「ねえ、この条文に海外展開の項目がないけど、大丈夫なの?」
「…………へ?」
紙をまじまじと見返す。確かに、あの条文のどこにも「輸出」や「国際」なんて言葉は入っていない。
「定款に目的として書かれてないと、将来的にできないことも出てきちゃうから。第7項に、国際関連の一文を追加した方がいいと思うな」
──場が静まりかえる。
(あれ? もしかしてミナミさんって、ダンジョン事業のことに詳しい……?)
その空気を無言で共有しつつ、誰も何も言わなかった。
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