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1.お嬢様と深夜の任務です。
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「お嬢様、ご無事ですか」
あまり心配もしていないような声。実際信用と信頼はされているのだろう。しかし正直無事ではない。
「あのさぁ、あんた今私の頭見えてるよね?」
「ええ、まあ。でも頭の傷は浅くても出血が多くなるものです。失血死さえ防げば大丈夫ですよ」
「じゃあ早く包帯と消毒液ちょうだい!?」
頭からダラダラと血を流しながら、ラチカは白目を剥いて絶叫した。そんな彼女に少年は「しゃがんでください、俺がやります」と淡々と告げると、ポーチをまさぐった。
消毒液を霧吹きでかけられ、「いって」と呻きながら、ラチカは顔をしかめる。
「うー、まさかあんな崖から落ちるとはねぇ……自分のドジさ加減が嫌になるわ」
上空を見上げる。およそ10メートルくらいの小さな崖ではあるが、不意打ちで落ちたせいで受け身すら取れなかった。暗くて見えなかったといえばそれまでではあるのだが。
「でもこの程度の崖で、頭から落ちたんですか? 俺が見た感じだと足から着地してませんでしたっけ」
「……一回崖の壁で頭擦ったの」
「どんなドジですかそれ」
自分でもそう思う。しかし彼の言い方は完全に呆れ返っているようにしか聞こえず、どこか腹が立つ。それでも無事包帯を巻き終えてくれたようで、そこに関しては「ありがとう」と礼を告げた。彼は頷くと、ラチカの手を取って立たせる。
「さっき仕留めた奴で終わりですか?」
「ううん、まだ気配感じる。でもこの辺り、落ちて正解かも」
「……お嬢様って無駄にそういうラッキーを引きますよね」
「褒められてないよね絶対」
改めて、マッチを擦る。カンテラの火を強めると、世闇に橙の明かりが広がった。
「どっちにしろネクロマンサーの方とっ捕まえていないし、そいつどうにかしないと埒があかない。お願いね、シャイネ」
「はい、お任せください」
シャイネはカンテラを持つと、先陣を切って歩き出す。彼の背は、大きくなったと思う。十五年程前から彼はラチカに仕えているが、あの時は本当に小さな子どもだった。ラチカも彼とは二つ程しか歳が違わないが、小さかった彼の記憶の方が正直強い気もする。
この辺りは樹もなく、見晴らしもいい。ほぼ180度星空が見える。
彼の背を、追う。足音を立てないように、ゆっくりと歩く。カンテラの明かりの時点で居場所はバレているだろうが、どうもこの癖は抜けない。
「頭、大丈夫ですか」
「その聞き方本当に悪意無い?」
大丈夫だよ、と返せば彼が頷く気配。この関係性は、最近になって安定してきた。
……感じる、嫌な悪寒。立ち止まる。シャイネも振り返ってきた。
「もしかして」
「シャイネ、防護結界!」
シャイネは首に下げた赤い石を握りこむ。カッ、と可聴出来る程の衝撃がシャイネだけを包む結界を張った。
ラチカは腰の短剣を引き抜き、突進する。目の前に現れた、黒い靄……シャイネには見えず、自分にだけ見える存在。短刀で、靄を切りつける。靄を裂きながら、ちらちらと細かい光が生まれた。
空気が振動するかのような、悲鳴。
「大丈夫、もう消えた」
短剣を眺める。金の柄には細かい色とりどりの宝石が散りばめられ、真珠のような輝きを放つ刀身にほんの僅かだが靄が染みとして移ったような陰がある。戻ったら一度、清めた方が良さそうだ。
シャイネは結界を解くと、ラチカに歩み寄った。
「ありがとうございます。でもあれだけの距離があるなら、防護結界いらなかったんじゃ」
「念には念を、よ。シャイネには只でさえ耐性無いんだから……嫌だもの、もう憑りつかれた人間を見るの」
シャイネは眼鏡の奥の大きな瞳を優しく笑ませると、耳を澄ませた。
……亡霊の近くには、必ずそれを使役するネクロマンサーが居る。そしてそれは、人間だ。
「足音が遠のいていってますね。走っています……今なら追えますが、どうしましょうか」
ラチカは首を捻る。先程の短剣を思い出し、首を振った。
「方角的には、撤退よねそれ。追って迎撃されると、これが保つかどうか怖い。いくらネクロマンサーはシャイネにやってもらうにしても」
「じゃあ、次回にしますか」
「そうね。まあ放たれてた亡霊は全部撃退出来たわけだし、ひとまずは安全なはず……帰ろっか」
「畏まりました。崖は昇らずに下の道を通りましょう」
――亡霊は、ネクロマンサーなる人間の手によって保管された死者の魂。
遥か昔からこの大陸には、ネクロマンサーとしての人間が確かに存在していた。起源は邪教徒からとも、海の底からやってきた異種族とも言われる。後者はやはり伝説的で一般的には前者の説が有力とは言われているが、真実はそこまで定まっていない。
まずは、疫病と思われた。しかし千年程前に別大陸から現れた聖者がそれを亡霊の憑依であり病ではない、と指摘した。原因が突き止められ、そこからネクロマンサーの存在が割れた。
彼らはとくに組織化されているわけではなく、その都度に社会に適応して生活している。いわゆるダーティーな仕事、という事で裏家業としてその腕を振るっているようだった。
聖者側は何度もネクロマンサーの討伐を試みたが、彼らはやはり表舞台には決して出てこない。かつて、エヴァイアンの初代領主の暗殺を試みたネクロマンサーを捕縛し拷問の末自白されたのは、「唐突に素質に目覚め、その時偶々暗殺者として勧誘された」との事だった。
つまり、素質を持つ人間が生まれ続ける以上ネクロマンサーを減らす事は出来ない。それは通常の暗殺者にも言える事ではあるが、並の暗殺者よりも証拠などが残りにくく、また、死者の魂を扱うという事もあり、より道徳上許されざる位置にいる。
そして何より……素質とはネクロマンサーのものしか存在しない、という訳ではない。
「馬車が見えました」
エクソシスト。ネクロマンサーへの対抗手段として生まれた、表の職業。
元々亡霊を可視出来る者が勧誘される。そして一定の修業期間を経て、亡霊と闘う術を学ぶ。場合によっては超常現象を味方に付ける存在も居るとの事だが、ラチカは未だにそんな超人を見た事はない。
「馬車が無事……ってことは、やっぱり一人だったんだね。というか、今回の狙いは何だったんだろ」
「それについては分かりませんね。そもそもお嬢様の感知で奴が公国に侵入しているのが分かっただけですし……何かしら目的はあったのでしょうが、邪魔されそうになった為我々を先に始末しようと考えての戦闘だったのでしょう」
「戦闘って言ってもあっちはこそこそ亡霊撒いてただけだけどね」
馬車に乗り込む。シャイネが鞭を打つと、馬は歩みだした。
「今何時くらいだろ」
「空の感じからして、恐らく屋敷へ到着する頃には夜が明けるでしょうね。教会へ行く前に仮眠を取られては」
「いやもうこのまま寝たい」
移動用の馬車なので荷台が無く、ベンチ上の座椅子は人ひとり寝転がる分のスペースが無い。シャイネはわざとらしく溜息を吐きながら、眼鏡の奥の目を歪ませた。
「落ちないようにだけお気をつけください」
「ありがとね」
シャイネの肩に、頭を乗せる。短い、濃い灰色の髪がラチカの額を撫ぜる。それがどこか心地よく、あっという間に眠気に身を委ねた。
秋が始まった。十二の暦の、十番目に入ったところだ。つまり、あの季節が来る。
コーマス・エヴァイアンは改めて招待状を広げた。宛先は、自分と……妹である、ラチカ・エヴァイアンとなっている。まあ、それはそうだろう。妥当だ。
昨年は自分が出向いた。しかしそれはあくまで、当時エヴァイアン公国領主のただの令息だったからだ。父が隠居し自身が領主となった以上、あまりにも仕事が詰まっているせいで行けそうにない。というかこの招待状が到着するまで、この重要イベントの存在をすっかり忘れていたのが正直なところだ。
やはり、ラチカに行かせるべきか。まあそれでも問題は……一つで済む。何とかなる、と信じるしかない。
コーマスは公務室の、広い窓へと視線を向けた。あまりにも広い、夜。かつてに比べると街用ランタンが普及したとはいえ、やはり未だ暗い。しかしラチカいわく、この状態が一番身を隠せる上正々堂々と戦える、との事だった。
……亡霊相手に正々堂々も無いだろうに。
しかしそろそろ夜も明ける。順調であれば、そろそろ戻るだろう。寝かせてやりたいのはやまやまだが、こちらの用は急を要する。
「コーマス様、ラチカお嬢様とシャイネが戻られました。現在、馬車庫へ向かっています」
「分かった、こちらへ来るように伝えろ。あとミルクも温めて持ってきてくれ」
使用人は頭を下げ、公務室を出た。
……本当は、エクソシストなどせずとも。この家に生まれただけで、外で働く必要など無いのに。しかしもしラチカが何の素質も持たずにこの家に居たら、もし万が一家督の為の野心を宿したとしたら。きっと、ここまで彼女を肉親として愛でる事は無かっただろう。コーマスにとって、結局自身を邪魔する者すべてが敵だ。あの愛らしい妹を味方にさせてくれただけ、神には感謝すべきなのだろうか。
ノック音。「入れ」と命じると、げっそりとした愛らしい妹がシャイネと共に姿を現した。
「寝たい」
「帰宅の挨拶がそれか」
しかし、仕方無いだろう。二人をソファに座らせ、同時に入ってきた使用人にミルクを出させる。息を吹きかけながらすするラチカに、コーマスは招待状を手渡した。
「何これ」
「招待状」
広げてみる。宛先は自身と兄だ。しかし問題は内容だった。
「……ロドハルト? 建国十周年記念祭?」
ロドハルト公国とは、同じ大陸の中にある新興国だ。正確には前の家が途絶え、ロドハルト家が台頭したとの事だった。確かに、もう十年は経つか。
「え、でもこんなのやってるの? 十年だから?」
「毎年、建国祭自体は行われている。いつも俺や親父が出向いていたんだが、今年はそれが難しくてな」
ぎょっとして、ラチカはコーマスを見た。予想通りの反応だ。
「えっまさかこれ私一人で行けって事?」
「一人では行かさんさ、勿論。シャイネ」
シャイネは察したのか、うなずく。その顔はどこか硬かったが、確か彼はコーマスの事が苦手なはずだ。何か理由はあるらしいが、忘れてしまった。
いやそういうことでなく。
「え、これ私一人で行ったらまずくない? 何で領主である兄さんが来ないんだってならない?」
「祝い文を用意する。お前はそれを持っていってくれ。多分読み上げさせられるだろうがそこは頑張れ」
「うわー荷が重い……」
肩を落とすラチカの背を、シャイネは優しく撫でる。
「これもエヴァイアンの公務ですから。俺も行きますし、頑張りましょう」
「シャイネの言う通りだ。普段エクソシストの仕事ばかりなわけだし、息抜きと思って行ってきてくれ」
「結局仕事じゃないの……」
言いくるめられる形ではあったが、深夜の弱った頭では結局承諾しか出来なかった。手筈はまた打ち合わせをする、ということで開放してもらうと、シャイネと共に自室へと向かう。
「では、14時になったら起こさせて頂きますので。ゆっくりお休みになってください」
「分かった……ふぁ、すごく眠い」
自室の前でシャイネは一度頭を下げ、背を向けた。ラチカは扉を開き、中へと入る。
この時は、まだ予想もしていなかった。
……あんな、出会いがあるなんて。
あまり心配もしていないような声。実際信用と信頼はされているのだろう。しかし正直無事ではない。
「あのさぁ、あんた今私の頭見えてるよね?」
「ええ、まあ。でも頭の傷は浅くても出血が多くなるものです。失血死さえ防げば大丈夫ですよ」
「じゃあ早く包帯と消毒液ちょうだい!?」
頭からダラダラと血を流しながら、ラチカは白目を剥いて絶叫した。そんな彼女に少年は「しゃがんでください、俺がやります」と淡々と告げると、ポーチをまさぐった。
消毒液を霧吹きでかけられ、「いって」と呻きながら、ラチカは顔をしかめる。
「うー、まさかあんな崖から落ちるとはねぇ……自分のドジさ加減が嫌になるわ」
上空を見上げる。およそ10メートルくらいの小さな崖ではあるが、不意打ちで落ちたせいで受け身すら取れなかった。暗くて見えなかったといえばそれまでではあるのだが。
「でもこの程度の崖で、頭から落ちたんですか? 俺が見た感じだと足から着地してませんでしたっけ」
「……一回崖の壁で頭擦ったの」
「どんなドジですかそれ」
自分でもそう思う。しかし彼の言い方は完全に呆れ返っているようにしか聞こえず、どこか腹が立つ。それでも無事包帯を巻き終えてくれたようで、そこに関しては「ありがとう」と礼を告げた。彼は頷くと、ラチカの手を取って立たせる。
「さっき仕留めた奴で終わりですか?」
「ううん、まだ気配感じる。でもこの辺り、落ちて正解かも」
「……お嬢様って無駄にそういうラッキーを引きますよね」
「褒められてないよね絶対」
改めて、マッチを擦る。カンテラの火を強めると、世闇に橙の明かりが広がった。
「どっちにしろネクロマンサーの方とっ捕まえていないし、そいつどうにかしないと埒があかない。お願いね、シャイネ」
「はい、お任せください」
シャイネはカンテラを持つと、先陣を切って歩き出す。彼の背は、大きくなったと思う。十五年程前から彼はラチカに仕えているが、あの時は本当に小さな子どもだった。ラチカも彼とは二つ程しか歳が違わないが、小さかった彼の記憶の方が正直強い気もする。
この辺りは樹もなく、見晴らしもいい。ほぼ180度星空が見える。
彼の背を、追う。足音を立てないように、ゆっくりと歩く。カンテラの明かりの時点で居場所はバレているだろうが、どうもこの癖は抜けない。
「頭、大丈夫ですか」
「その聞き方本当に悪意無い?」
大丈夫だよ、と返せば彼が頷く気配。この関係性は、最近になって安定してきた。
……感じる、嫌な悪寒。立ち止まる。シャイネも振り返ってきた。
「もしかして」
「シャイネ、防護結界!」
シャイネは首に下げた赤い石を握りこむ。カッ、と可聴出来る程の衝撃がシャイネだけを包む結界を張った。
ラチカは腰の短剣を引き抜き、突進する。目の前に現れた、黒い靄……シャイネには見えず、自分にだけ見える存在。短刀で、靄を切りつける。靄を裂きながら、ちらちらと細かい光が生まれた。
空気が振動するかのような、悲鳴。
「大丈夫、もう消えた」
短剣を眺める。金の柄には細かい色とりどりの宝石が散りばめられ、真珠のような輝きを放つ刀身にほんの僅かだが靄が染みとして移ったような陰がある。戻ったら一度、清めた方が良さそうだ。
シャイネは結界を解くと、ラチカに歩み寄った。
「ありがとうございます。でもあれだけの距離があるなら、防護結界いらなかったんじゃ」
「念には念を、よ。シャイネには只でさえ耐性無いんだから……嫌だもの、もう憑りつかれた人間を見るの」
シャイネは眼鏡の奥の大きな瞳を優しく笑ませると、耳を澄ませた。
……亡霊の近くには、必ずそれを使役するネクロマンサーが居る。そしてそれは、人間だ。
「足音が遠のいていってますね。走っています……今なら追えますが、どうしましょうか」
ラチカは首を捻る。先程の短剣を思い出し、首を振った。
「方角的には、撤退よねそれ。追って迎撃されると、これが保つかどうか怖い。いくらネクロマンサーはシャイネにやってもらうにしても」
「じゃあ、次回にしますか」
「そうね。まあ放たれてた亡霊は全部撃退出来たわけだし、ひとまずは安全なはず……帰ろっか」
「畏まりました。崖は昇らずに下の道を通りましょう」
――亡霊は、ネクロマンサーなる人間の手によって保管された死者の魂。
遥か昔からこの大陸には、ネクロマンサーとしての人間が確かに存在していた。起源は邪教徒からとも、海の底からやってきた異種族とも言われる。後者はやはり伝説的で一般的には前者の説が有力とは言われているが、真実はそこまで定まっていない。
まずは、疫病と思われた。しかし千年程前に別大陸から現れた聖者がそれを亡霊の憑依であり病ではない、と指摘した。原因が突き止められ、そこからネクロマンサーの存在が割れた。
彼らはとくに組織化されているわけではなく、その都度に社会に適応して生活している。いわゆるダーティーな仕事、という事で裏家業としてその腕を振るっているようだった。
聖者側は何度もネクロマンサーの討伐を試みたが、彼らはやはり表舞台には決して出てこない。かつて、エヴァイアンの初代領主の暗殺を試みたネクロマンサーを捕縛し拷問の末自白されたのは、「唐突に素質に目覚め、その時偶々暗殺者として勧誘された」との事だった。
つまり、素質を持つ人間が生まれ続ける以上ネクロマンサーを減らす事は出来ない。それは通常の暗殺者にも言える事ではあるが、並の暗殺者よりも証拠などが残りにくく、また、死者の魂を扱うという事もあり、より道徳上許されざる位置にいる。
そして何より……素質とはネクロマンサーのものしか存在しない、という訳ではない。
「馬車が見えました」
エクソシスト。ネクロマンサーへの対抗手段として生まれた、表の職業。
元々亡霊を可視出来る者が勧誘される。そして一定の修業期間を経て、亡霊と闘う術を学ぶ。場合によっては超常現象を味方に付ける存在も居るとの事だが、ラチカは未だにそんな超人を見た事はない。
「馬車が無事……ってことは、やっぱり一人だったんだね。というか、今回の狙いは何だったんだろ」
「それについては分かりませんね。そもそもお嬢様の感知で奴が公国に侵入しているのが分かっただけですし……何かしら目的はあったのでしょうが、邪魔されそうになった為我々を先に始末しようと考えての戦闘だったのでしょう」
「戦闘って言ってもあっちはこそこそ亡霊撒いてただけだけどね」
馬車に乗り込む。シャイネが鞭を打つと、馬は歩みだした。
「今何時くらいだろ」
「空の感じからして、恐らく屋敷へ到着する頃には夜が明けるでしょうね。教会へ行く前に仮眠を取られては」
「いやもうこのまま寝たい」
移動用の馬車なので荷台が無く、ベンチ上の座椅子は人ひとり寝転がる分のスペースが無い。シャイネはわざとらしく溜息を吐きながら、眼鏡の奥の目を歪ませた。
「落ちないようにだけお気をつけください」
「ありがとね」
シャイネの肩に、頭を乗せる。短い、濃い灰色の髪がラチカの額を撫ぜる。それがどこか心地よく、あっという間に眠気に身を委ねた。
秋が始まった。十二の暦の、十番目に入ったところだ。つまり、あの季節が来る。
コーマス・エヴァイアンは改めて招待状を広げた。宛先は、自分と……妹である、ラチカ・エヴァイアンとなっている。まあ、それはそうだろう。妥当だ。
昨年は自分が出向いた。しかしそれはあくまで、当時エヴァイアン公国領主のただの令息だったからだ。父が隠居し自身が領主となった以上、あまりにも仕事が詰まっているせいで行けそうにない。というかこの招待状が到着するまで、この重要イベントの存在をすっかり忘れていたのが正直なところだ。
やはり、ラチカに行かせるべきか。まあそれでも問題は……一つで済む。何とかなる、と信じるしかない。
コーマスは公務室の、広い窓へと視線を向けた。あまりにも広い、夜。かつてに比べると街用ランタンが普及したとはいえ、やはり未だ暗い。しかしラチカいわく、この状態が一番身を隠せる上正々堂々と戦える、との事だった。
……亡霊相手に正々堂々も無いだろうに。
しかしそろそろ夜も明ける。順調であれば、そろそろ戻るだろう。寝かせてやりたいのはやまやまだが、こちらの用は急を要する。
「コーマス様、ラチカお嬢様とシャイネが戻られました。現在、馬車庫へ向かっています」
「分かった、こちらへ来るように伝えろ。あとミルクも温めて持ってきてくれ」
使用人は頭を下げ、公務室を出た。
……本当は、エクソシストなどせずとも。この家に生まれただけで、外で働く必要など無いのに。しかしもしラチカが何の素質も持たずにこの家に居たら、もし万が一家督の為の野心を宿したとしたら。きっと、ここまで彼女を肉親として愛でる事は無かっただろう。コーマスにとって、結局自身を邪魔する者すべてが敵だ。あの愛らしい妹を味方にさせてくれただけ、神には感謝すべきなのだろうか。
ノック音。「入れ」と命じると、げっそりとした愛らしい妹がシャイネと共に姿を現した。
「寝たい」
「帰宅の挨拶がそれか」
しかし、仕方無いだろう。二人をソファに座らせ、同時に入ってきた使用人にミルクを出させる。息を吹きかけながらすするラチカに、コーマスは招待状を手渡した。
「何これ」
「招待状」
広げてみる。宛先は自身と兄だ。しかし問題は内容だった。
「……ロドハルト? 建国十周年記念祭?」
ロドハルト公国とは、同じ大陸の中にある新興国だ。正確には前の家が途絶え、ロドハルト家が台頭したとの事だった。確かに、もう十年は経つか。
「え、でもこんなのやってるの? 十年だから?」
「毎年、建国祭自体は行われている。いつも俺や親父が出向いていたんだが、今年はそれが難しくてな」
ぎょっとして、ラチカはコーマスを見た。予想通りの反応だ。
「えっまさかこれ私一人で行けって事?」
「一人では行かさんさ、勿論。シャイネ」
シャイネは察したのか、うなずく。その顔はどこか硬かったが、確か彼はコーマスの事が苦手なはずだ。何か理由はあるらしいが、忘れてしまった。
いやそういうことでなく。
「え、これ私一人で行ったらまずくない? 何で領主である兄さんが来ないんだってならない?」
「祝い文を用意する。お前はそれを持っていってくれ。多分読み上げさせられるだろうがそこは頑張れ」
「うわー荷が重い……」
肩を落とすラチカの背を、シャイネは優しく撫でる。
「これもエヴァイアンの公務ですから。俺も行きますし、頑張りましょう」
「シャイネの言う通りだ。普段エクソシストの仕事ばかりなわけだし、息抜きと思って行ってきてくれ」
「結局仕事じゃないの……」
言いくるめられる形ではあったが、深夜の弱った頭では結局承諾しか出来なかった。手筈はまた打ち合わせをする、ということで開放してもらうと、シャイネと共に自室へと向かう。
「では、14時になったら起こさせて頂きますので。ゆっくりお休みになってください」
「分かった……ふぁ、すごく眠い」
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