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2.ロドハルトへ出発致しましょう。
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ロドハルト建国祭の会場は、中心都市……名前もそのまま、ロドハルト市で行われる。馬車を用いれば、半日程で入国出来る手筈だ。
……入国予定日の、早朝4時。ラチカは寝ぼけ眼で鏡台に座っていた。
「お嬢様、ドレスは何色に致しましょうか」
ラチカの自室に入る許可を得ている女性使用人は、この屋敷の中でも三人程だ。全員がこの一室に集まり、身支度を手伝っている。
シャイネは今、ラチカの入国手続き用の身支度で忙しいようだ。そもそも、男性使用人である彼は有事の時以外ラチカの自室に入る事は禁じられている。
「あー……青系」
「ですね。お嬢様の髪の色には寒色系の方がきっとお似合いになります」
改めて、自身の髪を見た。癖一つ無い、背中の真ん中まで伸びた真っすぐな橙色。まるで夕焼けの色のようだ、とかつてコーマスは言った。
両親は健在だ。兄は父の金髪と母の顔を受け継ぎ、自身は母の髪と父の顔を受け継いだ。二人とも今は田舎の方で悠々と暮らしている。現役で公国主とその夫人だった時に過ごせなかった時間を取り戻しているのかは、分からないが。
「この群青色とかはどうかしら」
「いいと思うけれど、合う靴があるかしら。見てみるわ」
使用人達がわいわいとはしゃぐ中、使用人長である妙齢の女性がラチカの背後に立った。その手には、ブラシが握られている。
「さあ、御髪を整えますよ。上げますか、それとも下ろしたままにしますか」
「うーん、下ろしていこうかなぁ」
「かしこまりました、なら宝飾を付けましょう。では、失礼致します」
22年間、ラチカはずっと蝶よ花よと愛でられて生きてきた。しかし使用人達は庶民出の者が偶然にも多く、曰く「公国には貴族よりも庶民の方が多いのだから、庶民としての常識を据えるべき」との事でエヴァイアン家の子息は代々その傾向が強い。
しかし他国から見ると、どうもやはりその辺りが芋臭く感じられるのだろう。馬鹿にされる事もやはり経験したが、それでも……自分達はおかしくない、とその度兄と信じてきた。
「香油はどれに致しましょうか」
「うーん、ジャスミン」
未だ眠気が飛んでいかない。ふんわりとした甘い香りが耳の後ろに塗られ、それだけでもう一度意識を持っていかれそうになる。どうせ馬車でもう一度眠る事になるのだろうが。
使用人長の手が、器用に髪飾りを髪に沿わせていく。その間にドレスと靴の用意が出来たらしく、使用人達がきゃっきゃっとはしゃぎながら持ってきた。
髪の支度を終え、化粧も整えてからドレスに袖を通す。そこで、ある事に気付く。
「ねえ」
使用人達が一斉にこちらを見る。無言で胸元を指さすと、皆首を傾げた。
「このドレス、こんな胸元ぎちぎちだったっけ」
「そうだったと思いますけれど、もしかすると少し……」
じとり、とした使用人の目。ハッとして、慌てて首を振った。
「ふ、太ってない太ってない太ってない断じて! 太って! ない!!」
「うーん、確かに腰回りは無事ですものね。恐らくお胸だけ成長されたか」
それならまだ救いようがある。しかし、元々そこまで大きくはないはずなのだ。よく踊り子として公国に招かれる女達は皆子どもの頭程の乳房の大きさをしているが、さすがにそこまでのものではない。
しかし、あからさまに谷間が協調されている。これはさすがに、どこか恥ずかしい。使用人長が、ひとつの大振りなネックレスを持ち出してきた。
「多分どのドレスもそのような感じですよ。さあ、これで胸元が多少は隠れるでしょう」
「うう、ありがとう」
ネックレスを首から下げると、大振りの宝飾がデコルテをほぼ覆ってくれた。その事に、少しホッとする。
扉がノックされた。使用人の一人が出向き、すぐに戻ってくる。
「シャイネが、用意が出来たかどうかと」
「あ、もう大丈夫よね?」
使用人長が頷く。鏡台から立ち上がり、扉を開いた。
「シャイネ、もういいよ」
「では、参りましょうか」
頷き、部屋を出る。
「朝食はもう済まされていますね。すぐに出発は出来ますか」
「あ、駄目。破魔短刀が」
シャイネは立ち止まり、ラチカに向き直った。その手には、短刀がある。受け取り、鞘から刀身を抜き出した。以前の穢れが、無事消えている。
「お嬢様が準備されている間に、教会へ引き取りに行ってきました」
「あんた本当に出来た子……」
「ただ、それは俺が持っておきます」
意味が分からず、シャイネを見る。眼鏡の奥の黄金色の瞳を曇らせる事なく、ラチカに言った。
「エヴァイアンからの使者である貴女が、いくらエクソシストの物とはいえ武器を持ち込めば信用問題に関わります。俺なら、護衛という名目で怪しまれずに済む」
「でも、もし何かあったら……」
「大丈夫」
シャイネの手が、ラチカの短刀に触れる。
「俺はお嬢様から片時も離れませんから。亡霊以前に、いつ不埒な輩が現れるか分かりませんしね。そうなれば俺の方が専門ですし」
「ふ、不埒……?」
じ、と彼の目がラチカのネックレス……というよりは、その奥の、胸元へと潜り込む。その視線が気になり、バッと手で胸元を隠した。シャイネは軽く笑うと、そんな彼女の手からそっと短刀を鞘ごと引き抜く。
「まあ、荷物持ちってくらいに考えておいてください。もう忘れものが無いようなら、行きましょうか」
短刀を持ちながら、シャイネは歩き出した。そんな彼の背を、わななきながらラチカは見つめた。しかしすぐに、足を動かす。
……やはり、彼は。いくら2歳程年下とはいえ、やはり、彼は。
羞恥心でほんの少し泣きそうになりながら、彼を追った。
数人の供を乗せたやはり馬車の中で少し寝て、そして夕方。夜の、手前。
巨大な関門が見えてきた。大陸の中心、しかも四割の領土を有するエヴァイン公国は、大概の国が隣国になる。丁度、ロドハルトとの関門だ。
門番の男が、馬車を見て敬礼する。シャイネが一足先に降りて、何やら文書を見せだした。門番は何度も頷いて読み込むと、関門を開いた。シャイネが戻ってきて、再び馬車が進みだす。
「お嬢様、あと三十分程でロドハルト市に入ります。もう少しのご辛抱を」
「ん、大丈夫」
あくびをしながら返すと、シャイネは苦笑した。その視線は未だに胸元にある気がしたが、きっと先程の事で意識し過ぎているのだろう。そう思い込む事にした。
「でもなんか、もうこの辺りからお祭ムードですね」
男の使用人が周囲を見渡しながら呟く。確かに、街のあちこちが花や垂れ幕が下がっている。
祭りは期間としては約一か月程続くが、メインプログラムは明日行われる。その為、今日ロドハルト市に到着すればすぐにコーマスの祝い文についての打ち合わせが行われる手筈となっていた。休み無しだが、終われば一週間程は祭を楽しんでいいとコーマスに言われている分、全員が浮足立っていた。
「久し振りのエクソシスト休業……ここでもし亡霊出たら国ごと滅ぼしてやる……」
「お嬢様、使者として絶対出してはいけない本音が出ています」
女性使用人の言葉を黙殺しながら、周囲を見渡す。しかし、本当に久々の連続休暇だ。これは、楽しむしかあるまい。正直内心燃えていた。
少しずつ、街が活気を帯びだしている。行き交う人や馬車も増えてきた。
「前夜祭って言ってましたね、そういえば」
成程、それでか。そして恐らく、中心都市に近付いているというのもあるのだろう。
隣国なだけあって、そこまでエヴァインと風景に差が無い。しかし、内政の事は正直おおまかにしかラチカも知らない。恐らく、コーマスが何か……意図的に隠している気がしないでもない。
シャイネが、口を開いた。
「そろそろ国主邸ですね。皆様、ご用意をお願い致します」
全員、頷く。一応全員シャイネより年長ではあるが、彼は唯一ラチカ付きに任命されている使用人である。この中ではリーダーのような立ち位置になっているが、シャイネはそれで驕るような人間ではない。
派手な装いの屋敷が見えてきた。広大な土地をふんだんに使った、大きな屋敷だ。迎えにきたロドハルト家の使用人に導かれ、馬車を納める。全員、降車した。
「使用人の皆さま方の専用客室をご用意しております、ご自由にお使いください」
シャイネは全員に許可を出し、新たに現れたロドハルト家の使用人に彼らをつけた。残されたのは、ラチカとシャイネ、そしてもう一人のロドハルト家の使用人……執事長のみだ。
「ラチカ・エヴァイアン様。遠路遥々お越し頂きまして、誠にありがとうございます」
「あ、いえ。あの、兄がちょっと来れなくて。祝い文あるんですけど」
「ええ、一足先にコーマス・エヴァイアン様から伝書鳩を頂いております」
じゃあ祝い文もそれで良かったのでは、と思ったがあえて口に出さずにおいた。執事長は邸宅の大きな玄関扉を手で示す。
「では、こちらへ。我らが領主、ギャムシア様がお待ちです。ご一緒に食事を望まれていますが、構いませんか」
断れる空気ではないが、一応シャイネを見る。彼は、小さく合図程度に頷いた。その様子を見、執事長は微笑む。
「勿論、お付きの方も是非ご同席ください。使用人の皆さまには、それぞれでご用意させて頂きますのでご安心を。えっと……」
執事長もまた、シャイネを見る。シャイネは「シャイネ・レヂェマシュトルと申します」と手を胸元に付けて頭を下げた。その名を聞き、執事長の細い目が関心深そうに大きく開く。
「ほう、レヂェマシュトル……成程、さすがエヴァイアン家だ。どうぞ、お進みください。段差にお気をつけて」
正直、この反応は予測していた。シャイネはとくに気にしていないようだが、どこか心が軋む。
大仰な扉を開くと、広大はホールが広がっていた。構造が何となく自邸と似ている気がした。そこに、ぽつん、と黒い衣服の男が立っている。
背はそれなりに高いが、細過ぎることはない。髪は夜闇のような漆黒で、目は昼空のようなすっきりとした青。その顔だちは、シャイネとは違う雰囲気ではあるが端正だった。彼はにやり、と笑うと歩み寄ってきた。
「予定通りの到着ですね、エヴァイアンの妹君」
「あなたは……」
男はラチカの前で立ち止まると、先程のシャイネのように胸元に手を当て頭を下げた。
「ギャムシア・ロドハルト。ロドハルトの領主です。兄君とは何度かお会いしたが、君とは初めてですね」
そういえば、兄からは名前しか聞いていなかった。というか、自身の妹を送るのにどこか情報を伏せている節があった気もする。
慌てて、ドレスの裾を持ち、頭を下げる。こういった所作は苦手なのだが、とくに違和感を感じている様子はない。しかし、どこか……目が、ラチカの頭の天辺から爪先まで何度も往復している。
品定め、だろうか。
「ずっと馬車だったなら、腹も減っているでしょう。ここに居る四人で晩飯にしましょう、準備は出来ていますよ」
正直、他国の領主に比べると……言っては何だが、そこまで丁寧な感じではない。しかしそれだとあまり気を遣う事も無さそうで、少し安心した。
ギャムシアは執事を伴い、先に歩き出した。その後について歩くラチカの背に、シャイネの手が触れる。彼を見ると、どこか厳しそうな目をしていた。そのまま、耳打ちしてくる。
「……何か不快な事があれば、即刻合図を」
その意味が分からず、首を傾げる。ひとまず頷くと、彼は安心したのか表情を少しだけ和らげた。
……入国予定日の、早朝4時。ラチカは寝ぼけ眼で鏡台に座っていた。
「お嬢様、ドレスは何色に致しましょうか」
ラチカの自室に入る許可を得ている女性使用人は、この屋敷の中でも三人程だ。全員がこの一室に集まり、身支度を手伝っている。
シャイネは今、ラチカの入国手続き用の身支度で忙しいようだ。そもそも、男性使用人である彼は有事の時以外ラチカの自室に入る事は禁じられている。
「あー……青系」
「ですね。お嬢様の髪の色には寒色系の方がきっとお似合いになります」
改めて、自身の髪を見た。癖一つ無い、背中の真ん中まで伸びた真っすぐな橙色。まるで夕焼けの色のようだ、とかつてコーマスは言った。
両親は健在だ。兄は父の金髪と母の顔を受け継ぎ、自身は母の髪と父の顔を受け継いだ。二人とも今は田舎の方で悠々と暮らしている。現役で公国主とその夫人だった時に過ごせなかった時間を取り戻しているのかは、分からないが。
「この群青色とかはどうかしら」
「いいと思うけれど、合う靴があるかしら。見てみるわ」
使用人達がわいわいとはしゃぐ中、使用人長である妙齢の女性がラチカの背後に立った。その手には、ブラシが握られている。
「さあ、御髪を整えますよ。上げますか、それとも下ろしたままにしますか」
「うーん、下ろしていこうかなぁ」
「かしこまりました、なら宝飾を付けましょう。では、失礼致します」
22年間、ラチカはずっと蝶よ花よと愛でられて生きてきた。しかし使用人達は庶民出の者が偶然にも多く、曰く「公国には貴族よりも庶民の方が多いのだから、庶民としての常識を据えるべき」との事でエヴァイアン家の子息は代々その傾向が強い。
しかし他国から見ると、どうもやはりその辺りが芋臭く感じられるのだろう。馬鹿にされる事もやはり経験したが、それでも……自分達はおかしくない、とその度兄と信じてきた。
「香油はどれに致しましょうか」
「うーん、ジャスミン」
未だ眠気が飛んでいかない。ふんわりとした甘い香りが耳の後ろに塗られ、それだけでもう一度意識を持っていかれそうになる。どうせ馬車でもう一度眠る事になるのだろうが。
使用人長の手が、器用に髪飾りを髪に沿わせていく。その間にドレスと靴の用意が出来たらしく、使用人達がきゃっきゃっとはしゃぎながら持ってきた。
髪の支度を終え、化粧も整えてからドレスに袖を通す。そこで、ある事に気付く。
「ねえ」
使用人達が一斉にこちらを見る。無言で胸元を指さすと、皆首を傾げた。
「このドレス、こんな胸元ぎちぎちだったっけ」
「そうだったと思いますけれど、もしかすると少し……」
じとり、とした使用人の目。ハッとして、慌てて首を振った。
「ふ、太ってない太ってない太ってない断じて! 太って! ない!!」
「うーん、確かに腰回りは無事ですものね。恐らくお胸だけ成長されたか」
それならまだ救いようがある。しかし、元々そこまで大きくはないはずなのだ。よく踊り子として公国に招かれる女達は皆子どもの頭程の乳房の大きさをしているが、さすがにそこまでのものではない。
しかし、あからさまに谷間が協調されている。これはさすがに、どこか恥ずかしい。使用人長が、ひとつの大振りなネックレスを持ち出してきた。
「多分どのドレスもそのような感じですよ。さあ、これで胸元が多少は隠れるでしょう」
「うう、ありがとう」
ネックレスを首から下げると、大振りの宝飾がデコルテをほぼ覆ってくれた。その事に、少しホッとする。
扉がノックされた。使用人の一人が出向き、すぐに戻ってくる。
「シャイネが、用意が出来たかどうかと」
「あ、もう大丈夫よね?」
使用人長が頷く。鏡台から立ち上がり、扉を開いた。
「シャイネ、もういいよ」
「では、参りましょうか」
頷き、部屋を出る。
「朝食はもう済まされていますね。すぐに出発は出来ますか」
「あ、駄目。破魔短刀が」
シャイネは立ち止まり、ラチカに向き直った。その手には、短刀がある。受け取り、鞘から刀身を抜き出した。以前の穢れが、無事消えている。
「お嬢様が準備されている間に、教会へ引き取りに行ってきました」
「あんた本当に出来た子……」
「ただ、それは俺が持っておきます」
意味が分からず、シャイネを見る。眼鏡の奥の黄金色の瞳を曇らせる事なく、ラチカに言った。
「エヴァイアンからの使者である貴女が、いくらエクソシストの物とはいえ武器を持ち込めば信用問題に関わります。俺なら、護衛という名目で怪しまれずに済む」
「でも、もし何かあったら……」
「大丈夫」
シャイネの手が、ラチカの短刀に触れる。
「俺はお嬢様から片時も離れませんから。亡霊以前に、いつ不埒な輩が現れるか分かりませんしね。そうなれば俺の方が専門ですし」
「ふ、不埒……?」
じ、と彼の目がラチカのネックレス……というよりは、その奥の、胸元へと潜り込む。その視線が気になり、バッと手で胸元を隠した。シャイネは軽く笑うと、そんな彼女の手からそっと短刀を鞘ごと引き抜く。
「まあ、荷物持ちってくらいに考えておいてください。もう忘れものが無いようなら、行きましょうか」
短刀を持ちながら、シャイネは歩き出した。そんな彼の背を、わななきながらラチカは見つめた。しかしすぐに、足を動かす。
……やはり、彼は。いくら2歳程年下とはいえ、やはり、彼は。
羞恥心でほんの少し泣きそうになりながら、彼を追った。
数人の供を乗せたやはり馬車の中で少し寝て、そして夕方。夜の、手前。
巨大な関門が見えてきた。大陸の中心、しかも四割の領土を有するエヴァイン公国は、大概の国が隣国になる。丁度、ロドハルトとの関門だ。
門番の男が、馬車を見て敬礼する。シャイネが一足先に降りて、何やら文書を見せだした。門番は何度も頷いて読み込むと、関門を開いた。シャイネが戻ってきて、再び馬車が進みだす。
「お嬢様、あと三十分程でロドハルト市に入ります。もう少しのご辛抱を」
「ん、大丈夫」
あくびをしながら返すと、シャイネは苦笑した。その視線は未だに胸元にある気がしたが、きっと先程の事で意識し過ぎているのだろう。そう思い込む事にした。
「でもなんか、もうこの辺りからお祭ムードですね」
男の使用人が周囲を見渡しながら呟く。確かに、街のあちこちが花や垂れ幕が下がっている。
祭りは期間としては約一か月程続くが、メインプログラムは明日行われる。その為、今日ロドハルト市に到着すればすぐにコーマスの祝い文についての打ち合わせが行われる手筈となっていた。休み無しだが、終われば一週間程は祭を楽しんでいいとコーマスに言われている分、全員が浮足立っていた。
「久し振りのエクソシスト休業……ここでもし亡霊出たら国ごと滅ぼしてやる……」
「お嬢様、使者として絶対出してはいけない本音が出ています」
女性使用人の言葉を黙殺しながら、周囲を見渡す。しかし、本当に久々の連続休暇だ。これは、楽しむしかあるまい。正直内心燃えていた。
少しずつ、街が活気を帯びだしている。行き交う人や馬車も増えてきた。
「前夜祭って言ってましたね、そういえば」
成程、それでか。そして恐らく、中心都市に近付いているというのもあるのだろう。
隣国なだけあって、そこまでエヴァインと風景に差が無い。しかし、内政の事は正直おおまかにしかラチカも知らない。恐らく、コーマスが何か……意図的に隠している気がしないでもない。
シャイネが、口を開いた。
「そろそろ国主邸ですね。皆様、ご用意をお願い致します」
全員、頷く。一応全員シャイネより年長ではあるが、彼は唯一ラチカ付きに任命されている使用人である。この中ではリーダーのような立ち位置になっているが、シャイネはそれで驕るような人間ではない。
派手な装いの屋敷が見えてきた。広大な土地をふんだんに使った、大きな屋敷だ。迎えにきたロドハルト家の使用人に導かれ、馬車を納める。全員、降車した。
「使用人の皆さま方の専用客室をご用意しております、ご自由にお使いください」
シャイネは全員に許可を出し、新たに現れたロドハルト家の使用人に彼らをつけた。残されたのは、ラチカとシャイネ、そしてもう一人のロドハルト家の使用人……執事長のみだ。
「ラチカ・エヴァイアン様。遠路遥々お越し頂きまして、誠にありがとうございます」
「あ、いえ。あの、兄がちょっと来れなくて。祝い文あるんですけど」
「ええ、一足先にコーマス・エヴァイアン様から伝書鳩を頂いております」
じゃあ祝い文もそれで良かったのでは、と思ったがあえて口に出さずにおいた。執事長は邸宅の大きな玄関扉を手で示す。
「では、こちらへ。我らが領主、ギャムシア様がお待ちです。ご一緒に食事を望まれていますが、構いませんか」
断れる空気ではないが、一応シャイネを見る。彼は、小さく合図程度に頷いた。その様子を見、執事長は微笑む。
「勿論、お付きの方も是非ご同席ください。使用人の皆さまには、それぞれでご用意させて頂きますのでご安心を。えっと……」
執事長もまた、シャイネを見る。シャイネは「シャイネ・レヂェマシュトルと申します」と手を胸元に付けて頭を下げた。その名を聞き、執事長の細い目が関心深そうに大きく開く。
「ほう、レヂェマシュトル……成程、さすがエヴァイアン家だ。どうぞ、お進みください。段差にお気をつけて」
正直、この反応は予測していた。シャイネはとくに気にしていないようだが、どこか心が軋む。
大仰な扉を開くと、広大はホールが広がっていた。構造が何となく自邸と似ている気がした。そこに、ぽつん、と黒い衣服の男が立っている。
背はそれなりに高いが、細過ぎることはない。髪は夜闇のような漆黒で、目は昼空のようなすっきりとした青。その顔だちは、シャイネとは違う雰囲気ではあるが端正だった。彼はにやり、と笑うと歩み寄ってきた。
「予定通りの到着ですね、エヴァイアンの妹君」
「あなたは……」
男はラチカの前で立ち止まると、先程のシャイネのように胸元に手を当て頭を下げた。
「ギャムシア・ロドハルト。ロドハルトの領主です。兄君とは何度かお会いしたが、君とは初めてですね」
そういえば、兄からは名前しか聞いていなかった。というか、自身の妹を送るのにどこか情報を伏せている節があった気もする。
慌てて、ドレスの裾を持ち、頭を下げる。こういった所作は苦手なのだが、とくに違和感を感じている様子はない。しかし、どこか……目が、ラチカの頭の天辺から爪先まで何度も往復している。
品定め、だろうか。
「ずっと馬車だったなら、腹も減っているでしょう。ここに居る四人で晩飯にしましょう、準備は出来ていますよ」
正直、他国の領主に比べると……言っては何だが、そこまで丁寧な感じではない。しかしそれだとあまり気を遣う事も無さそうで、少し安心した。
ギャムシアは執事を伴い、先に歩き出した。その後について歩くラチカの背に、シャイネの手が触れる。彼を見ると、どこか厳しそうな目をしていた。そのまま、耳打ちしてくる。
「……何か不快な事があれば、即刻合図を」
その意味が分からず、首を傾げる。ひとまず頷くと、彼は安心したのか表情を少しだけ和らげた。
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