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番外編 三・ニエルの記憶を取り戻せ!
二
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愛馬に頑張ってもらいガルフィオン家に到着すると、丁度、真っ白い毛並みの馬を手入れしている最中だった。慌てて駆け寄り、特徴的な青い瞳と尻尾につけられた緑色の組紐で結ばれた鈴を目にして、ニエルの相棒であることを確認する。
「……あの、なにか?」
いきなり馬に跨ったまま現れたユージンに驚きつつ、馬をブラッシングする手は止めずに話しかけられる。下馬してからポケットを探った。
「この馬の手入れもお願いできるだろうか」
「え? ええ、わかりました」
飼育担当の従業員にチップを手渡し、手綱を任せると、ユージンは建物に向かって歩き出した。
頑丈な作りの扉の中央についている、金具の取っ手でできたノッカーという叩き金を四、五回鳴らすと、程なくして中から応答してもらえる。
「どちら様ですか?」
「ユージン・アイアンズです」
「……ユージン様?」
名前を告げた途端、すぐさま扉が開かれる。ガルフィオン家の家令に出迎えられる。
「ニエルはいますか」
「お部屋におりますが、なにか問題でも……?」
問いかけるなり、困惑した表情から怪訝そうな表情に変わったため、妙に引っかかった。結婚してからニエルはずっとアイアンズ家で暮らしているのだから、いきなり実家に帰れば心配するものだ。それなのに言動や表情に違和感が拭えない。
ニエルの私室まで急ぐと、扉の前で待機している守衛の制止を押し切り室内に進入する。
「……ニエル!」
最愛の人物は、シャワーを浴びて着替えたのか、髪の毛が湿っていた。ニエルが無事に見つかり、ひとまず安心する。
昨年の誕生日に贈ったアメジストのペンダントは、無造作にもベッドの上に置かれている。紫色の宝石にも変わりはない。ニエルに渡したペンダントは、祖母の形見でもあるのだが、ヒーラーに頼みある呪いを施してある特別なものだ。持ち主に何かあれば、身代わりになって厄災を引き受け、石が砕ける仕組みだ。石が無事ということは、なにも起こらず帰宅したということだ。
「……ユージン?」
いきなり部屋に進入してきたユージンに、ニエルは目を見開き驚いている。着替えている最中に人が入ってくれば、誰だって焦るだろう。そんなニエルに構わずに、ユージンは本題に入る。
「ニエル。どうして途中で帰ったの。しかも、実家に戻るだなんて」
そう詰め寄ると、ニエルはなぜか首を傾げて不思議そうにした。
「実家に戻るもなにも、十九年間住んでいる家だぞ?」
傍らで待機していた侍従も、困惑しながらこちらの様子を窺っている。ユージンが侍従に視線を向けると、ニエルの言葉を肯定するかのように小刻みに頷くのだ。なにが起きているのかわからない。
「というか、スクール卒業して以来、数える程度しか会ってなかったのに、急にどうしたんだよ」
「…………え? ニエル……何を言ってるの……?」
「だから、今の俺たちには、あまり接点がないだろ?」
(……なにを言ってるんだ……?)
後頭部をいきなり鈍器で殴られたような、強い衝撃に襲われる。ニエルと侍従は結託して自分を騙そうとしているのだろうか。俄かに信じがたい。
必死の思いでニエルとの恋を成就させたはずなのに、何もなかったかのような態度に胸がズキンと痛くなる。一時的な記憶喪失でニエルのことだけを忘れてしまったときも、彼に喪失感を与えてしまったのだと今更ながら思い知らされる。こんなのは耐えられない。間違いであってほしい。
「……それなら、湖畔にいた理由は?」
アメジストのペンダントが無事ということは、頭に強い衝撃を受けて忘れたわけではない。原因を早急に探る必要がある。
「俺、一人であそこにいたんじゃないのか? 気がついたら、身に覚えのないところにいたから、気味が悪くなって帰ったんだよ。うちの馬もいたし」
「僕と一緒に来ていたんだよ」
「そうなのか!?」
演技ではなく、口を大きく開けて本気で驚いている。ニエルの反応や家令の言動、冷や汗を浮かべた従者の姿を踏まえても、全員で嘘をついているわけではなさそうだ。
今思えば、アイアンズ家の従業員も、ニエルの名を告げた途端に神妙な面持ちになっていた。記憶が消えているのかもしれない。
ユージンの与り知れぬところで、何かよからぬことが起こってしまい、あれよあれよという間に世界が一変したのだろうか。それとも、先ほどまでが夢で、今が現実なのか――。
(そんなはずがない!)
大至急、街に住むヒーラーの元へと向かい、どうするべきか判断を仰ぐ必要がある。一秒でも早く元に戻りたい。
ユージンは、街へ繰り出す前に、ベッドに放置されていたアメジストのペンダントを手に取った。
「それ、さっきまで身につけてたんだけど、俺のものじゃないんだよな。もしかしたら、お前のか?」
「ニエルに贈ったものだよ」
そう告げると二度見された。
「え!? なんでだよ!?」
「十九回目の誕生日祝い」
「そう……なのか? 覚えてないや。え、でも、俺たちそんな仲じゃなかっただろ……?」
「話せば長くなるから、とりあえずペンダントは君が身につけていて」
「う、うん」
おっかなびっくりしながらも、ニエルはアメジストのペンダントをかけてくれた。これがあればひとまず安心だ。パブリックスクールを卒業してから接点がないというならば、ニエルの身の安全のためにも必要不可欠だろう。
「ニエル。少しの間だけでいいから、一緒に行きたい店があるんだ」
「え、俺? まあ、暇だからいいけど……」
「よかった」
困惑しているニエルの腕を取り、ヒーラーが営むこぢんまりとした店に向かった。
到着するなり異変を察知する。クローズの札が出されていないのに、店内の照明が消されていたのだ。まだ昼時なので営業時間内だ。
「なんだこれ……!?」
扉を開けて目に飛び込んできた光景に、ニエルとユージンは絶句する。店内には争った形跡が残されており、売り物が床に散らばったり、ガラスの破片があったり、床が濡れていたりとめちゃくちゃになっていた。
「これは酷い……」
「どうするんだ?」
「確か、二階に住んでいるはずだから、覗いてみようか。ヒーラーか青年か、どちらかがいるかもしれない」
「青年?」
「うん。時々見かけていたよね」
「いや、俺は知らない」
ユージンよりも少しばかり年上の青年が、ヒーラーの手伝いをしていたはずだが、ニエルに聞いても首を振られてしまった。ニエルも足を運んでいたはずだが、たまたま不在のときだったのだろうか。
ユージンは挨拶するだけだったが、何度か姿を目撃している。ヒーラーと同じく店内だというのにフードをかぶっており、外見はまったく目立たないがやたらと長身だった。ヒーラーに何気なく聞くと、見習い中の甥だと言っていた。さすがに名前は聞いていない。
二階の部屋を訪ねても、応答はなく、誰も出てくることはなかった。不在なのだろう。
とりあえず一階に戻り、すぐ隣の建物には別の店が入っているので、情報収集のために聞き込みすることにした。たまたま居合わせたお客さんが教えてくれた。
「売上金を持ち逃げされたとかで、シシリーさんが犯人を追いかけていなくなったんだよ」
ヒーラーの名前がシシリーだということを、今の今まで忘れていた。ついでに青年について質問すると、確かに先ほど見かけたものの、初めて見たので名前は知らないとのことだった。
これ以上の情報は得られないだろうと、ヒーラーの店に戻る。もみくちゃになった際に落としたのか、割れて小刻みにひびの入った水晶玉が気になる。床に転がっている。小さな破片も散乱している。
今、ニエルたちの記憶があやふやになっている理由は、これが原因ではなかろうかと勝手に想像する。なんとなく放置する気にはなれず、手巾を取り出し一つにまとめた。
「なんかよくわからないけど、現場検証とかやるためには、触らない方がいいんじゃないのか?」
「犯人は、ヒーラー本人がわかっているだろうから、大丈夫だよ」
「それもそうか」
被害者であるヒーラーが警察を呼んでいないのだから、ユージンが勝手に呼ぶことはできない。水晶玉だけは邪魔にならないよう避難させてから、店の扉にかけられた札をクローズに変えて退店した。
「で、結局どうするつもりなんだ?」
ニエルに問いかけられてふと考える。店に向かうまでの間に、恋人ができたフランクと、同じくドSの想い人にご執心のエリオットに遭遇していたが、二人とも漏れなく様子がおかしかった。フランクは、街中で花屋を営む彼女と急接近したのにお互いに無反応だったし、エリオットに至っては複数人の女性を侍らせて歩いていたのだ。
ユージン・アイアンズは、ヒーローキャラという特別な位置づけゆえに影響が出ないらしく、記憶は保持したままだ。ところが、その他の登場人物は、まるで王道ルートのクリア後の世界にいるかのようだ。正規ルートではニエルは死亡するため、アメジストのペンダントは絶対に外すべきではない。外に出る前に渡しておいてよかった。
「ヒーラーの行方を探そうか。ニエルは向こうを探してくれる?」
「えー……?」
ニエルにも一緒に探すように促したが、嫌そうな顔をされてしまった。それならばと、その辺にあるベンチに座ってもらい、近場にあった店に駆け込む。簡単にできそうなものを二つ三つ購入してから、急いで戻る。
「はい。どうぞ」
「こ、このクレープはなんだよ?」
「食べないかなと思って。人探しを手伝ってくれるのなら、なんでも好きなものをご馳走するよ」
大食漢にはこれが一番、効果覿面だ。苺バナナチョコと抹茶ティラミスと、クリームブリュレのクレープを前に、ごくりと生唾を飲み込んでいる。案の定、ニエルは素直に受け取った。
「……暇だし、付き合ってやるよ」
「ありがとう」
回帰前のニエルも、美食家でそこそこ食べ物に執着していたため、記憶が改竄されようとも本質は変わらないらしい。三つのクレープを交互に、美味しそうに頬張っている。可愛い。見ているだけで癒される。
ただ、ユージンはそこが心配だった。
「ニエル。僕以外から食べ物をあげるって言われても、素直に受け取ってついて行ったらダメだからね? 僕だけだからね?」
それだけは約束してほしかった。ニエルのような美しく可愛い男子より、筋肉質で逞しい男子が持て囃される世界ゆえに、好意を寄せる女性はいなくとも、同性はいないとも限らない。エリオットやフランク、ロイのように、誰かから口説かれない保証はどこにもない。結婚している事実がなかったことにされているため、その隙を狙われないだろうかと不安だった。
ペアの結婚指輪はあるものの、一度、外で失くして大変な目に遭ったので寝室に置いている。基本的に、外で体を動かす日は持参していない。
「お前は……幼馴染みだろ。知らない人じゃない。というか、母さんみたいなこと言うなよ!」
「ごめんごめん。確認したかっただけなんだ」
「変なヤツ」
「よく言われるよ」
他人行儀にされるのではなく、ニエルの口から幼馴染みだと言ってもらえて、ユージンの口元には笑みがこぼれる。記憶がなくても、ニエルはニエルなんだなと嬉しくなる。怪訝そうな表情をされてしまったので、クレープを完食するまでは黙って見守ることにした。
気を取り直して、二手に分かれてヒーラーの足取りを追うべく、店の近辺で聞き込みすることにした。その結果、港町方面のバスに乗ったのを見たという新証言を得た。ニエルが突然いなくなってからは、すでに三時間近く経っている。バスで港町に向かったのならば、途中でいくつかバス停を通過するので電気自動車よりも多少時間がかかってしまうものの、だいぶ進んでいるだろう。
一刻も早く元の世界に戻してもらうためにも、ヒーラーを追いかけるしかない。売上金が無事に戻らない限り、ヒーラーも帰らないことは目に見えている。
「ニエル。今から港町に行くと、車でも片道三時間かかるから、日帰りは難しいと思う。どうする? もしも僕と一緒に行くなら、宿泊費はこちらが出すし、夕飯も好きなものをご馳走するよ」
「行く」
即答されてしまったのでやっぱり心配になったが、せっかく一緒に来てくれるというので、ニエルの気が変わってしまう前に有言実行した方が賢明だろう。急ぎアイアンズ家に戻り、ガルフィオン家に使いを出すと同時に、港町へ向けて出発した。
「……あの、なにか?」
いきなり馬に跨ったまま現れたユージンに驚きつつ、馬をブラッシングする手は止めずに話しかけられる。下馬してからポケットを探った。
「この馬の手入れもお願いできるだろうか」
「え? ええ、わかりました」
飼育担当の従業員にチップを手渡し、手綱を任せると、ユージンは建物に向かって歩き出した。
頑丈な作りの扉の中央についている、金具の取っ手でできたノッカーという叩き金を四、五回鳴らすと、程なくして中から応答してもらえる。
「どちら様ですか?」
「ユージン・アイアンズです」
「……ユージン様?」
名前を告げた途端、すぐさま扉が開かれる。ガルフィオン家の家令に出迎えられる。
「ニエルはいますか」
「お部屋におりますが、なにか問題でも……?」
問いかけるなり、困惑した表情から怪訝そうな表情に変わったため、妙に引っかかった。結婚してからニエルはずっとアイアンズ家で暮らしているのだから、いきなり実家に帰れば心配するものだ。それなのに言動や表情に違和感が拭えない。
ニエルの私室まで急ぐと、扉の前で待機している守衛の制止を押し切り室内に進入する。
「……ニエル!」
最愛の人物は、シャワーを浴びて着替えたのか、髪の毛が湿っていた。ニエルが無事に見つかり、ひとまず安心する。
昨年の誕生日に贈ったアメジストのペンダントは、無造作にもベッドの上に置かれている。紫色の宝石にも変わりはない。ニエルに渡したペンダントは、祖母の形見でもあるのだが、ヒーラーに頼みある呪いを施してある特別なものだ。持ち主に何かあれば、身代わりになって厄災を引き受け、石が砕ける仕組みだ。石が無事ということは、なにも起こらず帰宅したということだ。
「……ユージン?」
いきなり部屋に進入してきたユージンに、ニエルは目を見開き驚いている。着替えている最中に人が入ってくれば、誰だって焦るだろう。そんなニエルに構わずに、ユージンは本題に入る。
「ニエル。どうして途中で帰ったの。しかも、実家に戻るだなんて」
そう詰め寄ると、ニエルはなぜか首を傾げて不思議そうにした。
「実家に戻るもなにも、十九年間住んでいる家だぞ?」
傍らで待機していた侍従も、困惑しながらこちらの様子を窺っている。ユージンが侍従に視線を向けると、ニエルの言葉を肯定するかのように小刻みに頷くのだ。なにが起きているのかわからない。
「というか、スクール卒業して以来、数える程度しか会ってなかったのに、急にどうしたんだよ」
「…………え? ニエル……何を言ってるの……?」
「だから、今の俺たちには、あまり接点がないだろ?」
(……なにを言ってるんだ……?)
後頭部をいきなり鈍器で殴られたような、強い衝撃に襲われる。ニエルと侍従は結託して自分を騙そうとしているのだろうか。俄かに信じがたい。
必死の思いでニエルとの恋を成就させたはずなのに、何もなかったかのような態度に胸がズキンと痛くなる。一時的な記憶喪失でニエルのことだけを忘れてしまったときも、彼に喪失感を与えてしまったのだと今更ながら思い知らされる。こんなのは耐えられない。間違いであってほしい。
「……それなら、湖畔にいた理由は?」
アメジストのペンダントが無事ということは、頭に強い衝撃を受けて忘れたわけではない。原因を早急に探る必要がある。
「俺、一人であそこにいたんじゃないのか? 気がついたら、身に覚えのないところにいたから、気味が悪くなって帰ったんだよ。うちの馬もいたし」
「僕と一緒に来ていたんだよ」
「そうなのか!?」
演技ではなく、口を大きく開けて本気で驚いている。ニエルの反応や家令の言動、冷や汗を浮かべた従者の姿を踏まえても、全員で嘘をついているわけではなさそうだ。
今思えば、アイアンズ家の従業員も、ニエルの名を告げた途端に神妙な面持ちになっていた。記憶が消えているのかもしれない。
ユージンの与り知れぬところで、何かよからぬことが起こってしまい、あれよあれよという間に世界が一変したのだろうか。それとも、先ほどまでが夢で、今が現実なのか――。
(そんなはずがない!)
大至急、街に住むヒーラーの元へと向かい、どうするべきか判断を仰ぐ必要がある。一秒でも早く元に戻りたい。
ユージンは、街へ繰り出す前に、ベッドに放置されていたアメジストのペンダントを手に取った。
「それ、さっきまで身につけてたんだけど、俺のものじゃないんだよな。もしかしたら、お前のか?」
「ニエルに贈ったものだよ」
そう告げると二度見された。
「え!? なんでだよ!?」
「十九回目の誕生日祝い」
「そう……なのか? 覚えてないや。え、でも、俺たちそんな仲じゃなかっただろ……?」
「話せば長くなるから、とりあえずペンダントは君が身につけていて」
「う、うん」
おっかなびっくりしながらも、ニエルはアメジストのペンダントをかけてくれた。これがあればひとまず安心だ。パブリックスクールを卒業してから接点がないというならば、ニエルの身の安全のためにも必要不可欠だろう。
「ニエル。少しの間だけでいいから、一緒に行きたい店があるんだ」
「え、俺? まあ、暇だからいいけど……」
「よかった」
困惑しているニエルの腕を取り、ヒーラーが営むこぢんまりとした店に向かった。
到着するなり異変を察知する。クローズの札が出されていないのに、店内の照明が消されていたのだ。まだ昼時なので営業時間内だ。
「なんだこれ……!?」
扉を開けて目に飛び込んできた光景に、ニエルとユージンは絶句する。店内には争った形跡が残されており、売り物が床に散らばったり、ガラスの破片があったり、床が濡れていたりとめちゃくちゃになっていた。
「これは酷い……」
「どうするんだ?」
「確か、二階に住んでいるはずだから、覗いてみようか。ヒーラーか青年か、どちらかがいるかもしれない」
「青年?」
「うん。時々見かけていたよね」
「いや、俺は知らない」
ユージンよりも少しばかり年上の青年が、ヒーラーの手伝いをしていたはずだが、ニエルに聞いても首を振られてしまった。ニエルも足を運んでいたはずだが、たまたま不在のときだったのだろうか。
ユージンは挨拶するだけだったが、何度か姿を目撃している。ヒーラーと同じく店内だというのにフードをかぶっており、外見はまったく目立たないがやたらと長身だった。ヒーラーに何気なく聞くと、見習い中の甥だと言っていた。さすがに名前は聞いていない。
二階の部屋を訪ねても、応答はなく、誰も出てくることはなかった。不在なのだろう。
とりあえず一階に戻り、すぐ隣の建物には別の店が入っているので、情報収集のために聞き込みすることにした。たまたま居合わせたお客さんが教えてくれた。
「売上金を持ち逃げされたとかで、シシリーさんが犯人を追いかけていなくなったんだよ」
ヒーラーの名前がシシリーだということを、今の今まで忘れていた。ついでに青年について質問すると、確かに先ほど見かけたものの、初めて見たので名前は知らないとのことだった。
これ以上の情報は得られないだろうと、ヒーラーの店に戻る。もみくちゃになった際に落としたのか、割れて小刻みにひびの入った水晶玉が気になる。床に転がっている。小さな破片も散乱している。
今、ニエルたちの記憶があやふやになっている理由は、これが原因ではなかろうかと勝手に想像する。なんとなく放置する気にはなれず、手巾を取り出し一つにまとめた。
「なんかよくわからないけど、現場検証とかやるためには、触らない方がいいんじゃないのか?」
「犯人は、ヒーラー本人がわかっているだろうから、大丈夫だよ」
「それもそうか」
被害者であるヒーラーが警察を呼んでいないのだから、ユージンが勝手に呼ぶことはできない。水晶玉だけは邪魔にならないよう避難させてから、店の扉にかけられた札をクローズに変えて退店した。
「で、結局どうするつもりなんだ?」
ニエルに問いかけられてふと考える。店に向かうまでの間に、恋人ができたフランクと、同じくドSの想い人にご執心のエリオットに遭遇していたが、二人とも漏れなく様子がおかしかった。フランクは、街中で花屋を営む彼女と急接近したのにお互いに無反応だったし、エリオットに至っては複数人の女性を侍らせて歩いていたのだ。
ユージン・アイアンズは、ヒーローキャラという特別な位置づけゆえに影響が出ないらしく、記憶は保持したままだ。ところが、その他の登場人物は、まるで王道ルートのクリア後の世界にいるかのようだ。正規ルートではニエルは死亡するため、アメジストのペンダントは絶対に外すべきではない。外に出る前に渡しておいてよかった。
「ヒーラーの行方を探そうか。ニエルは向こうを探してくれる?」
「えー……?」
ニエルにも一緒に探すように促したが、嫌そうな顔をされてしまった。それならばと、その辺にあるベンチに座ってもらい、近場にあった店に駆け込む。簡単にできそうなものを二つ三つ購入してから、急いで戻る。
「はい。どうぞ」
「こ、このクレープはなんだよ?」
「食べないかなと思って。人探しを手伝ってくれるのなら、なんでも好きなものをご馳走するよ」
大食漢にはこれが一番、効果覿面だ。苺バナナチョコと抹茶ティラミスと、クリームブリュレのクレープを前に、ごくりと生唾を飲み込んでいる。案の定、ニエルは素直に受け取った。
「……暇だし、付き合ってやるよ」
「ありがとう」
回帰前のニエルも、美食家でそこそこ食べ物に執着していたため、記憶が改竄されようとも本質は変わらないらしい。三つのクレープを交互に、美味しそうに頬張っている。可愛い。見ているだけで癒される。
ただ、ユージンはそこが心配だった。
「ニエル。僕以外から食べ物をあげるって言われても、素直に受け取ってついて行ったらダメだからね? 僕だけだからね?」
それだけは約束してほしかった。ニエルのような美しく可愛い男子より、筋肉質で逞しい男子が持て囃される世界ゆえに、好意を寄せる女性はいなくとも、同性はいないとも限らない。エリオットやフランク、ロイのように、誰かから口説かれない保証はどこにもない。結婚している事実がなかったことにされているため、その隙を狙われないだろうかと不安だった。
ペアの結婚指輪はあるものの、一度、外で失くして大変な目に遭ったので寝室に置いている。基本的に、外で体を動かす日は持参していない。
「お前は……幼馴染みだろ。知らない人じゃない。というか、母さんみたいなこと言うなよ!」
「ごめんごめん。確認したかっただけなんだ」
「変なヤツ」
「よく言われるよ」
他人行儀にされるのではなく、ニエルの口から幼馴染みだと言ってもらえて、ユージンの口元には笑みがこぼれる。記憶がなくても、ニエルはニエルなんだなと嬉しくなる。怪訝そうな表情をされてしまったので、クレープを完食するまでは黙って見守ることにした。
気を取り直して、二手に分かれてヒーラーの足取りを追うべく、店の近辺で聞き込みすることにした。その結果、港町方面のバスに乗ったのを見たという新証言を得た。ニエルが突然いなくなってからは、すでに三時間近く経っている。バスで港町に向かったのならば、途中でいくつかバス停を通過するので電気自動車よりも多少時間がかかってしまうものの、だいぶ進んでいるだろう。
一刻も早く元の世界に戻してもらうためにも、ヒーラーを追いかけるしかない。売上金が無事に戻らない限り、ヒーラーも帰らないことは目に見えている。
「ニエル。今から港町に行くと、車でも片道三時間かかるから、日帰りは難しいと思う。どうする? もしも僕と一緒に行くなら、宿泊費はこちらが出すし、夕飯も好きなものをご馳走するよ」
「行く」
即答されてしまったのでやっぱり心配になったが、せっかく一緒に来てくれるというので、ニエルの気が変わってしまう前に有言実行した方が賢明だろう。急ぎアイアンズ家に戻り、ガルフィオン家に使いを出すと同時に、港町へ向けて出発した。
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