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後編ークリスマス演習編ー
第二十四話
しおりを挟むそうしてあっという間に、二日目の朝がやってきた。普段の寮生活より一時間も早いラッパの音に叩き起こされた学生たちは、整列のために甲板に向かっていた。まだ夜の冷気が残る廊下を歩きながら、リースは胸ポケットの中で手をぎゅっと握りしめた。
昨夜のことが、何度も頭をよぎる。本当に嬉しかった。あの後ネイサンとレオンの二人がもう一度謝ってくれたのも、どうでもいいと思っていたはずなのに嬉しかった。初めての艦の上で過ごす夜だという興奮も相まって、昨日はなかなか寝付けなかった。
だが、アーサーの名前を出してしまったことだけは、やっぱり少しだけ後悔していた。必死になかったことにしようとしていた何かを、取り返しのつかない形に変えてしまったような気がしてならなかった。
「おい、リース!こっちだ、もう集合始まってる!」
甲板に出ると、冷たい潮風が顔を打った。朝焼けがまだ赤く、波が光を跳ね返している。ひと足先に集合してい三人が、既に三年生の後ろに列を作って立っていた。艦上は少しざわめいていて、皆今日の訓練に興奮と緊張の入り混じった顔をしている。リースは慌てて彼らに駆け寄って、後ろに並んだ。
「今日の訓練ってなんだっけ」
「配属訓練としか書いてなかったよな」
「実戦もあんのかな」
「さすがにここで砲術とかはないだろ、危ないし」
「じゃあ、航海とか通信とかか……いいな、全然テンション上がるな」
周りで交わされるそんな会話を聞いているうちに、リースもやっと目が覚めてきた。その時冷たい風の向こうから、白いコートの裾を翻して教官が現れた。甲板のざわめきが一瞬で静まりかえり、鋭い声が響く。
「これより、職務体験訓練の配属を発表する。二人組で行動、経験値などを考慮して、四年生は二年生と、三年生は三年生同士で、それぞれの寮監候補生に決めてもらった。では、前に出ろ」
その言葉に、それぞれの寮長が前に出る。
四年生と二年生。その言葉に、なんとなく、胸がざわめいた。
艦長と数名の教官が見守る中、アーサーは整列した学生たちを一人ひとり見渡した。その背筋は微動だにせず、手には名簿の綴り。金色の光を受けた瞳は淡く灰色がかっていて、相変わらず冷ややかに澄んでいる。目は合わない。当然だ。合っても困る。だが、リースの胸に渦巻く嫌な予感が手に汗を握らせる。
ーー頼むから、変なことしないでくれよ。
そう心の中で願った時、アーサーが口を開いて名簿を読み上げ始めた。その声は低く、艦の機関音よりも静かに、しかしはっきりと響いた。
「機関区――ネイサン・カーヴァー、ハロルド・ベインズ、航海制御室――ジュリアン・セインズ、エドワード・ペンブローク」
次々と名前が読み上げられ、列の中に小さな歓声やため息が漏れる。リースは唇を結んだまま、足元の鉄板を見つめていた。
「……整備区――レオン・ランカスター、ヒュー・リード……」
--なんで。
心臓がいっそう早く暴れて、思わずアーサーから目を逸らして地面を見つめた。
「……通信監視区画――リース・ハースト、アーサー・ケイン」
その瞬間、空気がぴたりと止まった。ほんの数秒の沈黙。風が頬を掠める音まで聞こえた気がした。リースは顔を上げられなかった。周りの学生がチラチラとこちらを見ているのがわかる。
「……以上。各自、指示に従い、行動開始」
アーサーは何事もなかったように名簿を閉じ、艦長に敬礼をしてから振り返る。その横顔は冷徹で、ひと欠片の感情も読み取れない。
一体、何を考えているのだろう。こんな周囲をざわつかせるようなことをする人だとは思っていなかった。みんなが見ている。少し優しくなったはずの世界が、また冷たくリースの体に張り付いていく。潮風が頬を刺し、制服の襟がひどく窮屈に感じた。
「……寮長、すごいな。大丈夫か?」
肩を叩かれて顔を上げると、ジュリアンがいた。その表情は心配八割、興味二割と言ったところだろうか。
「……だ、大丈夫……かな……」
「ごめん、僕にはなにもできないけど……がんばれよ」
彼に助けなんて求めても仕方ないのはわかっている。それでも、ポンと肩を叩いて去っていくジュリアンをどうしても引き留めたい衝動に襲われた。
その背中を虚しく見送っていた時、規則正しいブーツの音が近づいてきた。空気を一瞬で張り詰めさせるそれは、顔を上げなくても誰のものか分かる。
「……通信監視区画は、艦尾第二甲板だ。五分後に来い」
アーサーはそのまま踵を返して、背を向けた。艦の上を渡る風が、彼のコートを翻す。白い布が朝焼けを受けて、まるで海霧のように淡く光った。
--勘弁してくれよ。
この二週間、アーサーが何を言いたくて時折リースを見つめていたのか。考えるだけでも、またあの将来を揺るがされるような不安が襲ってくるのだ。だからこのまま逃げ続けていたかったのに、今こんな訓練の場で、どんな顔で隣に立てばいいんだろう。
リースは泣き出したいような気持ちに駆られながら、指定された場所へと歩き出した。
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