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6.侍女アニタは困惑する(3)
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夏を迎えたリルブロル。
フェリシア様は朝、お父様とお母様、それにご先祖様方に鎮魂の祈りを捧げられ、そのあとは、ずっと読書。
日中は気温が上昇し、乾燥した空気に、肌を刺すような日差しが照りつける。
だけど、ブナ林の木陰に入れば、心地よい涼しさが体を包み込む。
雨はほとんど降らず、聖堂の裏手にかけたハンモックでは、瓶底眼鏡をかけたフェリシア様がいつも本を開かれている。
パンパンッ!
と、わたしが手を打って、無理矢理にでも読書を中断してもらわないと、昼食も夕食もとらずに、ずっと夢中で本を読まれる。
「いや~、アニタは出来る侍女だねぇ」
と、砕けた物言いをされるフェリシア様に、わたしはまだ慣れない。
それに、
――これから、どうなされるおつもりですか?
と、わたしはまだ聞けずにいた。
わたしの知る美貌の公爵令嬢フェリシア・ストゥーレ様は、このままやられっ放しにされるようなお方ではない。
叔父君や従妹のディアナ様、それに理不尽な婚約破棄を突きつけた第3王子殿下に対して、なにか巻き返しを図られるはずだ。
だけど、正直なところ、
――このまま墓守として生きていくわ。
と、返答されるのが恐くて、聞くことができずにいた。
歴史を感じさせるちいさな聖堂の、淡い黄土色をした石積みの壁を見上げる。積まれた石の角は丸みを帯び、ところどころ雨染みが黒く残っている。
ストゥーレ公爵家は、400年前、この聖堂を時の国王陛下から賜ったことから始まったそうだ。
それ以外には、静かなブナ林が広がるだけのリルブロル。
――ご両親が眠られる古聖堂と一緒に、フェリシア様はこの地で朽ちていかれるおつもりなのでは……。
という想像は、もの悲しい気持ちにさせられる。
王都社交界の華。次期ストゥーレ女公爵。
わたしの憧れたフェリシア様は、今日もヒョロヒョロと本を物色されては、表情豊かに物語を楽しまれている。
「……たくさん、本をお持ちになられたのですね」
「そうね……。本邸の書庫にあったものは、全部持って来たわ」
「恋愛物語がお好きなのですか?」
「控えてきたのよ。実際、こんなことないしねぇ、貴族の恋愛だなんて。あるのは打算と駆け引きばかり。王都で読んだら、虚しくなっちゃうわ」
お話の重さに比べて、フェリシア様の表情は軽くて明るい。
いちばん近い血縁者である叔父君によるお家乗っ取りに対抗するためだけに、社交界で交誼を広め、後ろ盾を求められ続けた。
御父君の決められた第3王子殿下とのご婚約でさえ、その道具にされてきたのだ。
14歳から17歳という多感な時期に、恋で胸をときめかせたことなど一度もなかっただろう。
ありもしない物語の世界に耽溺される時間は、傷付かれたお心を癒すのに必要なのかもしれない。
用事を済ませると、わたしもお側で本を読む。
「そうねぇ、アニタにはこの本なんかいいんじゃない!?」
と、本を選んでくださるフェリシア様の笑顔を見ると、このまま僻地でふたり穏やかに暮らすのも悪くないと思ってしまう。
ふと、生け垣が不自然な揺れ方をした。
――犬のイェスペルが遊んでるのかしら?
と、立ち上がって、そっとのぞき込むと、目が合った。
男の人と。
「だ、誰ですか!?」
「い、いや、怪しい者では……」
パッと飛びのいて、近くに置いてた庭ぼうきを手に取る。
立ち上がった男の人は背が高くて、胸板が厚い。褐色の肌に、こげ茶色の髪の毛。翡翠のような緑色の瞳。
着ているものは上等そうだし、気品らしきものもある。
あわあわと慌てる様子からは可笑しみも感じられて、とりあえず害意があるようには見えなかった。
「バネル家の者ね?」
と、いつの間に近づかれていたのか、急にフェリシア様の声が耳元でして、ビクッと驚いてしまった。
「胸元の紋がバネル家のものだわ。私の見張りかしら?」
「み、見張りだなど……」
「男を連れ込んだりしてないわよ?」
凛とした声のハリは、わたしの知っている公爵令嬢フェリシア様のもので、瓶底眼鏡に三つ編みおさげの姿と噛み合わなくて、おもわず眉間にシワを寄せてしまった。
「ご……、護衛にございます」
と、褐色の男の人が片膝を突いた。
「あら? それはありがとう。えっと……、レンナルト様のお指図?」
「さっ、左様にございます……」
フェリシア様の口から出た〈レンナルト〉という名前が、咄嗟に思い出せなかった。
形式上のこととはいえ、主君の配偶者に対して非礼なことだと反省する。
ヒョロッとしたフェリシア様が、ダボッとしたルームワンピース姿で、凛としたお声を出された。
「お名前は?」
「レン……、レ……、レオンと申します」
「バネル家の従士ってところかしら?」
と、そのとき。もう一人、金髪をした細身の男性が現われて片膝を突いた。
洗練された身のこなしで、片眼鏡に切れ長の瞳。上流階級の者がする立ち居振る舞いに、すこし安心する。
「バネル家従士、ラグナル・トローレと申します」
「あら、はじめまして」
「……ははっ」
「見目麗しい殿方をふたりも護衛に寄越すだなんて、レンナルト様はわたしに愛人をつくらせるおつもりかしら?」
「そ、そんなことはありません!!」
と、褐色のレオンが叫んだ。
たしかに言われてみれば、ふたりとも美形だ。褐色のレオンは精悍な青年将校のようだし、片眼鏡のラグナルは知的な参謀タイプに見える。
「ふふっ、冗談よ。……レンナルト様が、それなりに私を大切に思ってくださっていることは解ったわ」
「……それは、幸いにございます」
「まあ、バレちゃったんだし、お茶でも飲んで行けば?」
と、涼やかに言われたフェリシア様の指示で、ふたりにお茶を淹れる。
たしかに護衛はいるに越したことがない。
フェリシア様は公爵位継承権第一位を保持されたままだ。まさかとは思うけど、刺客が飛ばないとも限らない。
フェリシア様は、またハンモックに揺られて読書を再開され、その側に置いた丸テーブルをわたしたち3人が囲んだ。
フェリシア様は朝、お父様とお母様、それにご先祖様方に鎮魂の祈りを捧げられ、そのあとは、ずっと読書。
日中は気温が上昇し、乾燥した空気に、肌を刺すような日差しが照りつける。
だけど、ブナ林の木陰に入れば、心地よい涼しさが体を包み込む。
雨はほとんど降らず、聖堂の裏手にかけたハンモックでは、瓶底眼鏡をかけたフェリシア様がいつも本を開かれている。
パンパンッ!
と、わたしが手を打って、無理矢理にでも読書を中断してもらわないと、昼食も夕食もとらずに、ずっと夢中で本を読まれる。
「いや~、アニタは出来る侍女だねぇ」
と、砕けた物言いをされるフェリシア様に、わたしはまだ慣れない。
それに、
――これから、どうなされるおつもりですか?
と、わたしはまだ聞けずにいた。
わたしの知る美貌の公爵令嬢フェリシア・ストゥーレ様は、このままやられっ放しにされるようなお方ではない。
叔父君や従妹のディアナ様、それに理不尽な婚約破棄を突きつけた第3王子殿下に対して、なにか巻き返しを図られるはずだ。
だけど、正直なところ、
――このまま墓守として生きていくわ。
と、返答されるのが恐くて、聞くことができずにいた。
歴史を感じさせるちいさな聖堂の、淡い黄土色をした石積みの壁を見上げる。積まれた石の角は丸みを帯び、ところどころ雨染みが黒く残っている。
ストゥーレ公爵家は、400年前、この聖堂を時の国王陛下から賜ったことから始まったそうだ。
それ以外には、静かなブナ林が広がるだけのリルブロル。
――ご両親が眠られる古聖堂と一緒に、フェリシア様はこの地で朽ちていかれるおつもりなのでは……。
という想像は、もの悲しい気持ちにさせられる。
王都社交界の華。次期ストゥーレ女公爵。
わたしの憧れたフェリシア様は、今日もヒョロヒョロと本を物色されては、表情豊かに物語を楽しまれている。
「……たくさん、本をお持ちになられたのですね」
「そうね……。本邸の書庫にあったものは、全部持って来たわ」
「恋愛物語がお好きなのですか?」
「控えてきたのよ。実際、こんなことないしねぇ、貴族の恋愛だなんて。あるのは打算と駆け引きばかり。王都で読んだら、虚しくなっちゃうわ」
お話の重さに比べて、フェリシア様の表情は軽くて明るい。
いちばん近い血縁者である叔父君によるお家乗っ取りに対抗するためだけに、社交界で交誼を広め、後ろ盾を求められ続けた。
御父君の決められた第3王子殿下とのご婚約でさえ、その道具にされてきたのだ。
14歳から17歳という多感な時期に、恋で胸をときめかせたことなど一度もなかっただろう。
ありもしない物語の世界に耽溺される時間は、傷付かれたお心を癒すのに必要なのかもしれない。
用事を済ませると、わたしもお側で本を読む。
「そうねぇ、アニタにはこの本なんかいいんじゃない!?」
と、本を選んでくださるフェリシア様の笑顔を見ると、このまま僻地でふたり穏やかに暮らすのも悪くないと思ってしまう。
ふと、生け垣が不自然な揺れ方をした。
――犬のイェスペルが遊んでるのかしら?
と、立ち上がって、そっとのぞき込むと、目が合った。
男の人と。
「だ、誰ですか!?」
「い、いや、怪しい者では……」
パッと飛びのいて、近くに置いてた庭ぼうきを手に取る。
立ち上がった男の人は背が高くて、胸板が厚い。褐色の肌に、こげ茶色の髪の毛。翡翠のような緑色の瞳。
着ているものは上等そうだし、気品らしきものもある。
あわあわと慌てる様子からは可笑しみも感じられて、とりあえず害意があるようには見えなかった。
「バネル家の者ね?」
と、いつの間に近づかれていたのか、急にフェリシア様の声が耳元でして、ビクッと驚いてしまった。
「胸元の紋がバネル家のものだわ。私の見張りかしら?」
「み、見張りだなど……」
「男を連れ込んだりしてないわよ?」
凛とした声のハリは、わたしの知っている公爵令嬢フェリシア様のもので、瓶底眼鏡に三つ編みおさげの姿と噛み合わなくて、おもわず眉間にシワを寄せてしまった。
「ご……、護衛にございます」
と、褐色の男の人が片膝を突いた。
「あら? それはありがとう。えっと……、レンナルト様のお指図?」
「さっ、左様にございます……」
フェリシア様の口から出た〈レンナルト〉という名前が、咄嗟に思い出せなかった。
形式上のこととはいえ、主君の配偶者に対して非礼なことだと反省する。
ヒョロッとしたフェリシア様が、ダボッとしたルームワンピース姿で、凛としたお声を出された。
「お名前は?」
「レン……、レ……、レオンと申します」
「バネル家の従士ってところかしら?」
と、そのとき。もう一人、金髪をした細身の男性が現われて片膝を突いた。
洗練された身のこなしで、片眼鏡に切れ長の瞳。上流階級の者がする立ち居振る舞いに、すこし安心する。
「バネル家従士、ラグナル・トローレと申します」
「あら、はじめまして」
「……ははっ」
「見目麗しい殿方をふたりも護衛に寄越すだなんて、レンナルト様はわたしに愛人をつくらせるおつもりかしら?」
「そ、そんなことはありません!!」
と、褐色のレオンが叫んだ。
たしかに言われてみれば、ふたりとも美形だ。褐色のレオンは精悍な青年将校のようだし、片眼鏡のラグナルは知的な参謀タイプに見える。
「ふふっ、冗談よ。……レンナルト様が、それなりに私を大切に思ってくださっていることは解ったわ」
「……それは、幸いにございます」
「まあ、バレちゃったんだし、お茶でも飲んで行けば?」
と、涼やかに言われたフェリシア様の指示で、ふたりにお茶を淹れる。
たしかに護衛はいるに越したことがない。
フェリシア様は公爵位継承権第一位を保持されたままだ。まさかとは思うけど、刺客が飛ばないとも限らない。
フェリシア様は、またハンモックに揺られて読書を再開され、その側に置いた丸テーブルをわたしたち3人が囲んだ。
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