12 / 307
第一章 王都絢爛
10.私の狼少女
しおりを挟む
時は少し遡る――。
郊外の森から自室に戻ったリティアの騎士服を、女官たちが手際よく脱がせていく。着替えには髪色に合った薄い夕暮れ色のキャミソールワンピースを選んだ。
アイシェ、ゼルフィア、クレイアの侍女3人は既に部屋の片隅に控えている。
女官長のシルヴァが、リティアお気に入りの紅茶を載せたティトレイを手に、静かに部屋に入ってきた。
「シルヴァ。事情はクレイアから聞いたか?」
「はい。あらましは」
栗色の髪をお団子にまとめたシルヴァは、25歳という若さを感じさせない落ち着いた手つきで、紅茶をポットからカップに注ぎながら答えた。
憂い顔に見えなくもないが、リティアの思考を邪魔しない佇まいは自ら訓練して身に着けたものだった。
「アイカは言うなれば生まれたばかりの子供と一緒だ。例えば我が王国で『侍女』と『女官』の意味が異なることなど、今教えるには複雑過ぎる」
「はい」
「どうやらアイカは昨日まで狼たちとだけ暮らしてきたようだ」
着替え終わったリティアは窓辺の椅子に腰かけ、下がろうとする女官たちをそのまま控えさせる。
シルヴァから手渡されたカップに口をつけ、止まることなく話し続けた。
「私の宮殿だけでも侍女、女官、侍従、従者、騎士、文官、儀典官、技師、諸々合わせて300人は暮らしている。王宮全体となると1万人はいるだろう。そんなところに、いきなり引き合わせても、アイカが混乱するだけだ。今日のところは侍女と護衛以外をアイカの目に触れさせるな」
「かしこまりました。皆に申し伝えます」
「それにこれは全部、私のせいではあるのだが……、アイカは王宮の中でもひときわ特殊な立場になった。陛下より格別の勅命が下ったことで、狼たちは【陛下の狼】となった」
「はい。うかがっております」
「それによってアイカは、私の侍女であると同時に【陛下の狼】専属の『御者』にもなった。狼の『御者』など、さすがに他の誰も代わりを務められない役目だ。さて、そこでだ……」
リティアは、悪戯っぽい笑みを浮かべて、シルヴァの方を見た。
シルヴァは、いつもの憂い顔を崩さない。
けれど、リティアがその笑顔を見せるときは、だいたい王宮の礼則を破るようなことをしでかすのだと、彼女は知っていた。
「歳は13らしいが、生まれたばかりの赤子と同じようなアイカに、自分の立場を理解して、つつがなく務めを果たすことは出来るだろうか?」
「すぐには無理かと」
「そうだ。すぐには無理だ。丁寧に繊細に扱いながら、複雑怪奇な王宮暮らしに馴染ませていく。陛下の面目を潰すことがないようにな」
「はっ」
「いきなり特別で特殊な立場になった娘だが、今言ったことを女官たちによく言い聞かせてくれ。決して、アイカに嫉妬するようなことのないようにな」
「かしこまりました」
リティアは着替えを手伝っていた女官たちにも微笑みかけて念を押す。
「お前たちも、よろしく頼むぞ」
「はっ」
女官長としてのシルヴァを信頼してない訳ではないが、少しでも多くの者の耳と口から自分の意向が伝わるように、下がろうとする女官たちを引き止めていたのだった。
シルヴァをはじめ女官たちが下がり、選び抜かれた調度品が並ぶ第3王女の自室に、リティアと侍女3人だけが残った。
手早く行った話し合いで、いくつか段取りと手配を確認して指示を出す。貧民街から侍女に取り立てられ急激な立場の変化を経験したクレイアが、主にアイカに付き添うことも決めた。
「よし。では、一人で不安にさせないうちに『私の狼少女』に会いに行こう」
リティアは笑みを浮かべ、少し遠くを見つめるような視線で立ち上がった。
新しいものや知らないものに向き合うとき、主君がこのような表情になることを侍女たちはよく知っている。そして、明るく快活な振る舞いに、気が付いたら周囲も巻き込まれている。
父王ファウロスから、リティアが最も色濃く受け継いだ、明るくはた迷惑に人を動かしてしまう性情だった。
郊外の森から自室に戻ったリティアの騎士服を、女官たちが手際よく脱がせていく。着替えには髪色に合った薄い夕暮れ色のキャミソールワンピースを選んだ。
アイシェ、ゼルフィア、クレイアの侍女3人は既に部屋の片隅に控えている。
女官長のシルヴァが、リティアお気に入りの紅茶を載せたティトレイを手に、静かに部屋に入ってきた。
「シルヴァ。事情はクレイアから聞いたか?」
「はい。あらましは」
栗色の髪をお団子にまとめたシルヴァは、25歳という若さを感じさせない落ち着いた手つきで、紅茶をポットからカップに注ぎながら答えた。
憂い顔に見えなくもないが、リティアの思考を邪魔しない佇まいは自ら訓練して身に着けたものだった。
「アイカは言うなれば生まれたばかりの子供と一緒だ。例えば我が王国で『侍女』と『女官』の意味が異なることなど、今教えるには複雑過ぎる」
「はい」
「どうやらアイカは昨日まで狼たちとだけ暮らしてきたようだ」
着替え終わったリティアは窓辺の椅子に腰かけ、下がろうとする女官たちをそのまま控えさせる。
シルヴァから手渡されたカップに口をつけ、止まることなく話し続けた。
「私の宮殿だけでも侍女、女官、侍従、従者、騎士、文官、儀典官、技師、諸々合わせて300人は暮らしている。王宮全体となると1万人はいるだろう。そんなところに、いきなり引き合わせても、アイカが混乱するだけだ。今日のところは侍女と護衛以外をアイカの目に触れさせるな」
「かしこまりました。皆に申し伝えます」
「それにこれは全部、私のせいではあるのだが……、アイカは王宮の中でもひときわ特殊な立場になった。陛下より格別の勅命が下ったことで、狼たちは【陛下の狼】となった」
「はい。うかがっております」
「それによってアイカは、私の侍女であると同時に【陛下の狼】専属の『御者』にもなった。狼の『御者』など、さすがに他の誰も代わりを務められない役目だ。さて、そこでだ……」
リティアは、悪戯っぽい笑みを浮かべて、シルヴァの方を見た。
シルヴァは、いつもの憂い顔を崩さない。
けれど、リティアがその笑顔を見せるときは、だいたい王宮の礼則を破るようなことをしでかすのだと、彼女は知っていた。
「歳は13らしいが、生まれたばかりの赤子と同じようなアイカに、自分の立場を理解して、つつがなく務めを果たすことは出来るだろうか?」
「すぐには無理かと」
「そうだ。すぐには無理だ。丁寧に繊細に扱いながら、複雑怪奇な王宮暮らしに馴染ませていく。陛下の面目を潰すことがないようにな」
「はっ」
「いきなり特別で特殊な立場になった娘だが、今言ったことを女官たちによく言い聞かせてくれ。決して、アイカに嫉妬するようなことのないようにな」
「かしこまりました」
リティアは着替えを手伝っていた女官たちにも微笑みかけて念を押す。
「お前たちも、よろしく頼むぞ」
「はっ」
女官長としてのシルヴァを信頼してない訳ではないが、少しでも多くの者の耳と口から自分の意向が伝わるように、下がろうとする女官たちを引き止めていたのだった。
シルヴァをはじめ女官たちが下がり、選び抜かれた調度品が並ぶ第3王女の自室に、リティアと侍女3人だけが残った。
手早く行った話し合いで、いくつか段取りと手配を確認して指示を出す。貧民街から侍女に取り立てられ急激な立場の変化を経験したクレイアが、主にアイカに付き添うことも決めた。
「よし。では、一人で不安にさせないうちに『私の狼少女』に会いに行こう」
リティアは笑みを浮かべ、少し遠くを見つめるような視線で立ち上がった。
新しいものや知らないものに向き合うとき、主君がこのような表情になることを侍女たちはよく知っている。そして、明るく快活な振る舞いに、気が付いたら周囲も巻き込まれている。
父王ファウロスから、リティアが最も色濃く受け継いだ、明るくはた迷惑に人を動かしてしまう性情だった。
207
あなたにおすすめの小説
魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
巻き込まれて異世界召喚? よくわからないけど頑張ります。 〜JKヒロインにおばさん呼ばわりされたけど、28才はお姉さんです〜
トイダノリコ
ファンタジー
会社帰りにJKと一緒に異世界へ――!?
婚活のために「料理の基本」本を買った帰り道、28歳の篠原亜子は、通りすがりの女子高生・星野美咲とともに突然まぶしい光に包まれる。
気がつけばそこは、海と神殿の国〈アズーリア王国〉。
美咲は「聖乙女」として大歓迎される一方、亜子は「予定外に混ざった人」として放置されてしまう。
けれど世界意識(※神?)からのお詫びとして特殊能力を授かった。
食材や魔物の食用可否、毒の有無、調理法までわかるスキル――〈料理眼〉!
「よし、こうなったら食堂でも開いて生きていくしかない!」
港町の小さな店〈潮風亭〉を拠点に、亜子は料理修行と新生活をスタート。
気のいい夫婦、誠実な騎士、皮肉屋の魔法使い、王子様や留学生、眼帯の怪しい男……そして、彼女を慕う男爵令嬢など個性豊かな仲間たちに囲まれて、"聖乙女イベントの裏側”で、静かに、そしてたくましく人生を切り拓く異世界スローライフ開幕。
――はい。静かに、ひっそり生きていこうと思っていたんです。私も.....(アコ談)
*AIと一緒に書いています*
転生幼女は幸せを得る。
泡沫 呉羽
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!?
今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
異世界に転生したら?(改)
まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。
そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。
物語はまさに、その時に起きる!
横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。
そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。
◇
5年前の作品の改稿板になります。
少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。
生暖かい目で見て下されば幸いです。
ペットたちと一緒に異世界へ転生!?魔法を覚えて、皆とのんびり過ごしたい。
千晶もーこ
ファンタジー
疲労で亡くなってしまった和菓。
気付いたら、異世界に転生していた。
なんと、そこには前世で飼っていた犬、猫、インコもいた!?
物語のような魔法も覚えたいけど、一番は皆で楽しくのんびり過ごすのが目標です!
※この話は小説家になろう様へも掲載しています
知識スキルで異世界らいふ
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ
子育てスキルで異世界生活 ~かわいい子供たち(人外含む)と楽しく暮らしてます~
九頭七尾
ファンタジー
子供を庇って死んだアラサー女子の私、新川沙織。
女神様が異世界に転生させてくれるというので、ダメもとで願ってみた。
「働かないで毎日毎日ただただ可愛い子供と遊んでのんびり暮らしたい」
「その願い叶えて差し上げましょう!」
「えっ、いいの?」
転生特典として与えられたのは〈子育て〉スキル。それは子供がどんどん集まってきて、どんどん私に懐き、どんどん成長していくというもので――。
「いやいやさすがに育ち過ぎでしょ!?」
思ってたよりちょっと性能がぶっ壊れてるけど、お陰で楽しく暮らしてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる