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第一章 王都絢爛
32.おおらか王家
しおりを挟む「それは……」
リティアは、正面に相対し部屋に差し込む夕陽に照らされる兄、バシリオスの言葉に絶句した。
旧都テノリクアから主祭神の依代を迎える役目を、今年はお前が務めよと告げられたのだ。それは長年、王太子である兄が務めてきた重い役目で、祝祭の挙行に必要不可欠な儀礼である。
バシリオスは、端正な顔立ちに浮かべた微笑を崩さず、
「旧都テノリクア行きを命じられたのだろう?」
と、言葉を重ねた。
「ですが、それはアイカの守護聖霊を審神けていただくためで……」
「陛下からは、正殿参詣の勅命も下ったはずだ」
「それは、そうですが……」
確かに正殿参詣も命じられていたが、それは旧都行きの名目だと受け止めていた。
リティアにとって、寝耳に水の話であった。
昨日起きた街頭での出来事を共有するため、朝一番に面会を求める使いを出した。二人の予定が合った夕刻になって、南宮10階の王太子宮殿を訪ねていた。
ただし、王太子と第3王女の会合自体は特別なことではない。
隊商たちを取り纏める『隊商の束ね』の任にあるバシリオスと、無頼たちを取り纏める『無頼の束ね』であるリティアは、不定期に会合を持っている。
無頼は街の厄介者であり、人気者でもある。犯罪者も、侠客めいた者もいるが、荷の積み替えを請け負う日雇い労働者としての一面もある。
『両束ね』の間で、雇用者側の隊商と労働者側の無頼との利害調整を行ってきた。
リティアは武力で統制するだけではなく、無頼の待遇改善にも意を尽くしてきた。
支払いを誤魔化す隊商に罰則を設けたり、当初の約束より早く仕事が終わった場合、残りの期間の給金の半分を渡すことと定めたり、不利な立場にある無頼の権利保護に努めている。また逆に、気まぐれな無頼を元締に管理させ、労働力の安定供給に繋げたことは、隊商側の利益になっている。
こうした施策は、王国が誇る経済力の源である、交易の安定化に成果を上げている。当初、『束ね』を置き、無頼を公認化することに眉を顰めていた者たちも、実績が黙らせた。
そして、バシリオスはこの1年で、歳の離れた異腹の妹リティアのことを高く評価するようになった。
その王太子から告げられた国王の意向に、リティアは戸惑っていた。アイカや侍女たちには見せない動揺も、父娘ほど歳の離れた兄の前では素直に溢れる。
――王太子の権威を削ごうと企む者が、君側にいる。
それが誰なのか、想像するまでもなかった。
ただし、戸惑いの原因はそれだけではない。実務上の問題も次々浮かぶ。主祭神の依代を旧都から迎える、その儀礼についてリティアの知識は皆無だった。また、そのために必要な人員の配置も、一切考慮せずに旅の準備を進めている。
ただ、既に下った国王の意向が、覆ることもない。
まずは滞りなく役目を果たせるよう、意を砕くほかないと、気持ちを切り替えた。
「兄上」
と、リティアは正面から助けを求めるように、立派な体躯を誇るバシリオスを見上げた。
「私は、依代を扱う儀礼を知りません」
「実は、定まった儀礼はないんだ」
苦笑いを浮かべる兄王太子の言葉に、リティアは虚をつかれた。
「初陣を果たした年に初めて命じられ、以来35年、大切に敬う気持ちで……、なんとなくやってきた」
兄が浮かべる、悪戯がバレた少年のような笑みは、リティアが初めて目にするものだった。
雄然とした態度を、いつも崩すことのなかった36歳年上の兄。その兄が初めて見せてくれる表情に、ついに大人の一員として認められたのかと、リティアは胸に大きく息を吸い入れた。
バシリオスは、話を続けた。
「戦争中には、形代に出来るものを持って行き忘れて、慌てて侍女の着けていたブローチを借りたこともある。誰も何も言わなかったし、主祭神『天空神ラトゥパヌ』の怒りに触れることもなかったよ」
旧都から依代を迎える儀礼は、列候領から召し上げた神像を王都に遷し『総候参朝』が執り行われるようになって、初めて必要になった。
というのも、世襲貴族たちの激しい反発で、旧都テノリクアに累代伝わる主祭神の神像を遷すことが出来なかったからだ。そのため、祝祭を王都で催すのに、主祭神の御魂を形代に遷した、依代が必要になった。
もとは国王か王弟が務めた役目であるが、戦争や軍略にしか興味を示さない国王と、実務肌で政略に才を発揮する王弟が、最も形式的な儀礼をぞんざいに扱っていたことは想像に難くない。
――面倒な雑事を、篤実で生真面目な若い息子に押し付けた。
というのが、当時の実相ではなかったかと、リティアは思い至った。
国王と王弟が、帷幕の中でバシリオスの肩に手をやり、
「お前の思うようにやればいい。お前の閃きこそ『天空神ラトゥパヌ』の思し召しであろうぞ」
とでも、尤もらしく言いくるめる、国王と王弟の顔が思い浮かんだ。
この新興の王家の根には、そういう『おおらかさ』がある。
リティアは、緩みかけた頬を引っ張るように天を仰ぎ、額を打った。
「だいたい、分かりました!」
「どうしても不安なら、第六騎士団の儀典官を連れて行けばいい」
「そうですね。そうします」
リティアは、神々を祀る祭祀に革新をもたらそうと野心を燃やす、自ら抜擢した儀典官の顔を思い浮かべた。
――イリアスなら、いつものしかめっ面で機嫌良く考えてくれるだろう。
今頃、『万騎兵長議定』で旧来の儀礼を墨守しようとする儀典官と、激しくやり合っているはずだ。
それにしても、王太子の権威を貶めようと考えた者と、儀式の実相を知る国王との間には意識の断絶がある。
国王にとってはリティアに直接下命するほどでもない、王太子を通じて伝える気軽な役目である。リティアはそう看破したが、王宮内や街の者の受け止めは、謀主の企図する通りに進むだろう。
あるいは、謀主は総て分かった上で仕掛けているのかもしれない。
「依代の護衛には、ヴィアナ騎士団からも人数を出そう。近衛騎士団からも出してもらうよう、陛下にも伝えてある」
王太子の申し出を、リティアは有難く受け入れた。『総候参朝』を控えて、どの騎士団も人手が足りてない。元々人員の少ない第六騎士団のことを思い遣る配慮であった。
――リティアが巻き込まれたら、嫌なだけ。
エメーウの言葉を思い起こすリティアは、敬愛する兄の権威を傷つけず、国王の側に侍る側妃サフィナの気分も害しない立ち居振る舞いについて、激しく頭を回転させ始めた――。
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