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第九章 山湫哀華
194.経験のない戦場
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カリュたちがあてがわれた部屋に、目だった見張りの者はいない。
食事もそれなりのものが供される。ただし、一皿ずつ、すべてをカリュが検分してから口にする。
チーナがカリュの手元をのぞき込んだ。
「その、料理にさしている棒のようなものは……?」
「ふふっ。……毒がはいっていたら、この棒の色が変わるのです」
「なんと、そのようなものまで……」
「アイラにも持たせております」
「……まさに間諜の深遠なる奥義」
そうして、数日がすぎた。
ときおり城内を散策しても咎められることはない。城内のものたちは、にこやかに応対してくれる。彼らは上の者から《カタリナからの客人》と聞かされているようであった。
部屋からすこし離れた回廊で、立ち止まったカリュとチーナが尖塔を見上げた。
先端にある窓が、春の陽光に照らされキラッと光った。
西候セルジュと家老パイドルは、わざわざにアイカを監禁した。しかし、いまのところ害意はみられない。
――迷いがある。
と、カリュは見ていた。
推測はできたが、まずは迷いの正体を見極めたい。
カリュは、カリトンとジョルジュに、中庭で剣の手合せをするように頼んだ。中庭ならば城のどこからでも見られる。
彼らの迷いが晴れたとしても、おいそれとは手出しできないよう、武力を見せつけておきたかった。
「派手にやれ……、ということですな」
ニヤリと笑ったジョルジュは、以前にも増して荒々しく突進していく。それをカリトンが、ヒラリとかわし流れるような剣筋で急所をねらう。
城の武人たちは2人の剣技に目を見張り、メイドたちは足を止めて美しいカリトンに目を奪われた。その意味で、ジョルジュは最高の引き立て役であった。
カリュはネビにも城での過ごし方を依頼した。
「ネビ殿が暗器の達人であることは、いざという時まで伏せておきたいのです」
「異論はない。知られていないほどに威力を増すのが暗器というもの」
「恐れ入ります。ネビ殿はぜひ、タロウとジロウと、戯れてお過ごしくださいませ」
眉がうすく強面のネビが、馬よりすこし小ぶりといった程度の大きな狼二頭と駆けたり、ならんで昼寝したりする姿は、城の者たちにの目に、実に異様に映った。
そして、チーナは、ひるんだ。
カリュが、ガーリーなワンピースを差し出してきたのだ。
「こっ……、これを着るのか? 私が?」
「はい。きっと、お似合いになりますよ」
男尊女卑の気風色濃いザノクリフ王国では、カリュとチーナに対する警戒感は元々うすい。
それに加えて、髪色にあわせた空色のワンピースを着こんだチーナは、眼帯はしているものの、無害なお嬢様にみえた。
カリュとならんで歩けば、美しさが目を惹くことはあっても、なにか企みを持っているとは思われない。異国の旅を満喫している女性2人の、気ままな散策という風情である。
そして、城の炊事場、洗濯場、そういった場所で働く女性たちから順に声をかけて回る。
カリュは庇護欲をそそらせるオドオドとした表情を浮かべ、それとない会話にまぎれて、次々に必要な情報を聞きだしていく。
ときにはお礼だといって、そっと金品を握らせた。接触した者は皆、まるで自然の流れのように籠絡されていく。
見事な手際に、チーナは舌を巻いた。
おそらく自分もその小道具として横に立たされているのだろう。しかし、悪い気はしない。いままでチーナが経験したことのない《戦場》に感じ入るところもあった。
「すてきなお城ですね」
カリュはニコリともせず、つぶやいた。
*
瀟洒な調度品がならぶ部屋。バルドル城の最上階、西候セルジュが窓から尖塔を見上げている。
「……いまごろになってイエリナ姫本人が現われるとは」
「ちと、やっかいですな……」
家老のパイドルが顎ひげをなでた。
この数日、主従はおなじ会話を繰り返している。
ザノクリフ王国の乱世を生き抜く、英雄のひとりと言ってよい西候セルジュ。だが、めずらしく優柔不断なところをみせている。
かつて意見の対立した弟の1人は毒をもちいて謀殺し、もうひとりの弟は攻め滅ぼした。その果断さがなりを潜めている。
パイドルは元は謀殺された弟の家臣であった。
しかし、寝返った。セルジュの持つ苛烈さは、乱世をおさめるのに必要な資質であると考えた。それだけに、今の姿はもどかしい。
「消えてもらうよりほか、ありますまい」
「……そうであるな」
「迷いは断てませぬか?」
「……なんとか、穏便にテノリアに引き取ってもらう方策はないものかの」
「先王の妹君にして、テノリアの王太后であるカタリナ陛下が、かの娘をイエリナ姫と認めておられます。それをなかったことにせよ……、とは聞き入れてもらえますまい」
「そうだのう……」
「書状には、すでに東候めも知っているとありました」
「それものう……」
パイドルが、グッとセルジュを見据えた。
今日こそ結論を得るつもりであった。
「なにを、そんなに恐れておられるのです?」
「うむ……」
「そろそろ、ご真意をお打ち明けくださいませ」
「…………血を流せば、精霊の怒りをかおう」
「精霊…………」
「そうじゃ……。イエリナ姫は、王家の正統にのこった唯一人の姫。その血を流せば、精霊の怒りをかう……」
パイドルは主君の口から出た予想外の言葉に呆れた。
先ごろ、東候エドゥアルドの本拠《ラドラム》の北東、要衝にある大領《ヴィツェ》をこちらに寝返らせることに成功した。これによって、さらに奥地にある《グラヴ》の動きを封じた。
その上、東候はつねに後背に刃を突き付けられた形となり、うかつに身動きがとれなくなった。
天下の形勢は、一気に西候陣営に傾いている。
パイドルにしても精霊を信仰していない訳ではない。しかし、大望を前にして怒りを恐れるほどではない。天下を手中におさめてから、盛大に祀ればよいのである。
いまさら……、という言葉を、パイドルは呑み込んだ。
神輿とかついだセルジュを、いまさら見放すことはできない。自分の立場にも突き刺さる言葉であった。
「なにか良い知恵はないか、パイドル」
眉間にしわを寄せ、腕組みしたセルジュが床を睨んだままで言った。
大きく息を吐いた後、パイドルが応えた。
「……精霊への信仰は大切ですからな」
「そうじゃ。……王位を前に、怒りをかうようなことがあってはならん」
主君の野心が消えた訳ではないことに、皮肉めいた笑みを浮かべたパイドルが声を潜めた。
「ならば、血を流さなければよいのですよ」
セルジュの視線があがり、パイドルの視線と絡み合った――。
*
「……おかしいですね」
アイカは凹んでいた。
自分の軽率な判断に、アイラとナーシャを巻き込んでしまった。
精霊に手をあわせて部屋を出ようとしたら、鍵が開かない。慌てたが、もう遅かった。自分が監禁されていることに気がついて愕然とした。
それから、数日――、
夜遅くなっても夕飯が届かない。監禁されてから、これまでにはなかったことだ。
ナーシャは優雅な微笑みを浮かべたまま動かない。
臣下たちにご飯を食べさせてあげられない。そのことにアイカは激しく動揺して、扉と窓とナーシャとアイラを、なんども見た。
ふと、アイラが手招きしていることに気がついて、そばに寄った。
アイラが自分の服の胸元を、クイッと引っ張った。豊かな膨らみと、その谷間がアイカの視線に入る。
「えっと……」
「のぞいてみろ」
「え? ……あ、はい……」
――こ、こんなときに何、言ってんスか――? さ、最後のご褒美ってことですか?
状況に反省していたし、ひどく落ち込んでいたが、心の中の騒がしさは変わらない。
ドキドキしながら、アイラの服の中をのぞき込んだ――。
食事もそれなりのものが供される。ただし、一皿ずつ、すべてをカリュが検分してから口にする。
チーナがカリュの手元をのぞき込んだ。
「その、料理にさしている棒のようなものは……?」
「ふふっ。……毒がはいっていたら、この棒の色が変わるのです」
「なんと、そのようなものまで……」
「アイラにも持たせております」
「……まさに間諜の深遠なる奥義」
そうして、数日がすぎた。
ときおり城内を散策しても咎められることはない。城内のものたちは、にこやかに応対してくれる。彼らは上の者から《カタリナからの客人》と聞かされているようであった。
部屋からすこし離れた回廊で、立ち止まったカリュとチーナが尖塔を見上げた。
先端にある窓が、春の陽光に照らされキラッと光った。
西候セルジュと家老パイドルは、わざわざにアイカを監禁した。しかし、いまのところ害意はみられない。
――迷いがある。
と、カリュは見ていた。
推測はできたが、まずは迷いの正体を見極めたい。
カリュは、カリトンとジョルジュに、中庭で剣の手合せをするように頼んだ。中庭ならば城のどこからでも見られる。
彼らの迷いが晴れたとしても、おいそれとは手出しできないよう、武力を見せつけておきたかった。
「派手にやれ……、ということですな」
ニヤリと笑ったジョルジュは、以前にも増して荒々しく突進していく。それをカリトンが、ヒラリとかわし流れるような剣筋で急所をねらう。
城の武人たちは2人の剣技に目を見張り、メイドたちは足を止めて美しいカリトンに目を奪われた。その意味で、ジョルジュは最高の引き立て役であった。
カリュはネビにも城での過ごし方を依頼した。
「ネビ殿が暗器の達人であることは、いざという時まで伏せておきたいのです」
「異論はない。知られていないほどに威力を増すのが暗器というもの」
「恐れ入ります。ネビ殿はぜひ、タロウとジロウと、戯れてお過ごしくださいませ」
眉がうすく強面のネビが、馬よりすこし小ぶりといった程度の大きな狼二頭と駆けたり、ならんで昼寝したりする姿は、城の者たちにの目に、実に異様に映った。
そして、チーナは、ひるんだ。
カリュが、ガーリーなワンピースを差し出してきたのだ。
「こっ……、これを着るのか? 私が?」
「はい。きっと、お似合いになりますよ」
男尊女卑の気風色濃いザノクリフ王国では、カリュとチーナに対する警戒感は元々うすい。
それに加えて、髪色にあわせた空色のワンピースを着こんだチーナは、眼帯はしているものの、無害なお嬢様にみえた。
カリュとならんで歩けば、美しさが目を惹くことはあっても、なにか企みを持っているとは思われない。異国の旅を満喫している女性2人の、気ままな散策という風情である。
そして、城の炊事場、洗濯場、そういった場所で働く女性たちから順に声をかけて回る。
カリュは庇護欲をそそらせるオドオドとした表情を浮かべ、それとない会話にまぎれて、次々に必要な情報を聞きだしていく。
ときにはお礼だといって、そっと金品を握らせた。接触した者は皆、まるで自然の流れのように籠絡されていく。
見事な手際に、チーナは舌を巻いた。
おそらく自分もその小道具として横に立たされているのだろう。しかし、悪い気はしない。いままでチーナが経験したことのない《戦場》に感じ入るところもあった。
「すてきなお城ですね」
カリュはニコリともせず、つぶやいた。
*
瀟洒な調度品がならぶ部屋。バルドル城の最上階、西候セルジュが窓から尖塔を見上げている。
「……いまごろになってイエリナ姫本人が現われるとは」
「ちと、やっかいですな……」
家老のパイドルが顎ひげをなでた。
この数日、主従はおなじ会話を繰り返している。
ザノクリフ王国の乱世を生き抜く、英雄のひとりと言ってよい西候セルジュ。だが、めずらしく優柔不断なところをみせている。
かつて意見の対立した弟の1人は毒をもちいて謀殺し、もうひとりの弟は攻め滅ぼした。その果断さがなりを潜めている。
パイドルは元は謀殺された弟の家臣であった。
しかし、寝返った。セルジュの持つ苛烈さは、乱世をおさめるのに必要な資質であると考えた。それだけに、今の姿はもどかしい。
「消えてもらうよりほか、ありますまい」
「……そうであるな」
「迷いは断てませぬか?」
「……なんとか、穏便にテノリアに引き取ってもらう方策はないものかの」
「先王の妹君にして、テノリアの王太后であるカタリナ陛下が、かの娘をイエリナ姫と認めておられます。それをなかったことにせよ……、とは聞き入れてもらえますまい」
「そうだのう……」
「書状には、すでに東候めも知っているとありました」
「それものう……」
パイドルが、グッとセルジュを見据えた。
今日こそ結論を得るつもりであった。
「なにを、そんなに恐れておられるのです?」
「うむ……」
「そろそろ、ご真意をお打ち明けくださいませ」
「…………血を流せば、精霊の怒りをかおう」
「精霊…………」
「そうじゃ……。イエリナ姫は、王家の正統にのこった唯一人の姫。その血を流せば、精霊の怒りをかう……」
パイドルは主君の口から出た予想外の言葉に呆れた。
先ごろ、東候エドゥアルドの本拠《ラドラム》の北東、要衝にある大領《ヴィツェ》をこちらに寝返らせることに成功した。これによって、さらに奥地にある《グラヴ》の動きを封じた。
その上、東候はつねに後背に刃を突き付けられた形となり、うかつに身動きがとれなくなった。
天下の形勢は、一気に西候陣営に傾いている。
パイドルにしても精霊を信仰していない訳ではない。しかし、大望を前にして怒りを恐れるほどではない。天下を手中におさめてから、盛大に祀ればよいのである。
いまさら……、という言葉を、パイドルは呑み込んだ。
神輿とかついだセルジュを、いまさら見放すことはできない。自分の立場にも突き刺さる言葉であった。
「なにか良い知恵はないか、パイドル」
眉間にしわを寄せ、腕組みしたセルジュが床を睨んだままで言った。
大きく息を吐いた後、パイドルが応えた。
「……精霊への信仰は大切ですからな」
「そうじゃ。……王位を前に、怒りをかうようなことがあってはならん」
主君の野心が消えた訳ではないことに、皮肉めいた笑みを浮かべたパイドルが声を潜めた。
「ならば、血を流さなければよいのですよ」
セルジュの視線があがり、パイドルの視線と絡み合った――。
*
「……おかしいですね」
アイカは凹んでいた。
自分の軽率な判断に、アイラとナーシャを巻き込んでしまった。
精霊に手をあわせて部屋を出ようとしたら、鍵が開かない。慌てたが、もう遅かった。自分が監禁されていることに気がついて愕然とした。
それから、数日――、
夜遅くなっても夕飯が届かない。監禁されてから、これまでにはなかったことだ。
ナーシャは優雅な微笑みを浮かべたまま動かない。
臣下たちにご飯を食べさせてあげられない。そのことにアイカは激しく動揺して、扉と窓とナーシャとアイラを、なんども見た。
ふと、アイラが手招きしていることに気がついて、そばに寄った。
アイラが自分の服の胸元を、クイッと引っ張った。豊かな膨らみと、その谷間がアイカの視線に入る。
「えっと……」
「のぞいてみろ」
「え? ……あ、はい……」
――こ、こんなときに何、言ってんスか――? さ、最後のご褒美ってことですか?
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