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55.湯船に浮かぶ模様(1)
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「あれは、私本来の剣筋とは、少し違うのです……」
と、イーリンさんは困ったような、申し訳ないような笑みを浮かべて、俺の方に目を向けた。
「私は本来、遮蔽物を活用し、相手の呼吸を乱しながら闘う『隠密剣』を得意にするのです……。今のような開けた場所で振る剣筋とは、少し異なるのです」
「へぇ!」
「速さが大切な剣筋なので、鎧も軽装のものを好んで使います」
なるほど、それでか。剣を振るうたびに、……揺れてました。ぶるんと。
「剣士長様からは、重装の鎧に替えるよう勧められているのですが……。どうしても、好きになれなくて」
と、イーリンさんは、困り顔の笑顔を俺に向けた。無茶苦茶、キュートな笑顔にドキッとしてしまう。
たぶん、イーリンさんの話の、本当に意味するところの半分も受け取れていないんだろうなと思う。
プロ女子テニス選手から、スイングの反省とラケット選びの悩みを聞かされてるようなもの、なんだと思う。全部分かったと思う方がどうかしている。
でもたぶん、剣士同士でそんな話をしたりしないんだろうな、とも思う。なので、俺が聞くことにも、きっと意味がある。小さくても。
イーリンさんは困ったような笑顔のまま話を続けた。
「この闘いも、最初は平場で迎え撃ってましたので、民家など遮蔽物も多くあり、もう少し自分らしい剣を振るえていたのですけど……」
「そうなんですね」
「……すみません。マレビト様から褒めていただいたのが嬉しくて、つい……、本当の私の剣筋も見ていただきたくなっちゃって。余計なことを申し上げました」
「ううん。余計じゃないです。俺も見てみたいです。だから、必ず、押し返しましょう。人獣たちを」
という、俺の言葉にイーリンさんはキョトンとしたあと、そうですねと笑った。
イーリンさんからすれば、俺の召喚前から、もう2週間以上、絶望的な闘いが続いている。斬っても斬っても現れる。一瞬でも集中力が途切れれば、やられる。友人も同僚も、たくさん亡くしている。
綱渡りどころか刃物の上を歩くような危うい状況を、かろうじて持ち堪えている。現に雨が降っただけで、押し込まれてきた。
押し返す――、という俺の言葉が、現実感のない夢のように響いたとしても、無理もない。けれど、その『夢』に、一瞬だけ希望を見てくれたんだとも思う。
フーチャオさん親娘が、俺の「退ける」という言葉に見せてくれた反応に通じるものがある。
イーリンさんの白い肌は湯に上気したのか少し赤みを帯びている。リラックスした表情になって、ちょっとだけ肩の荷を降ろしたような微笑みで、皆の方を眺めた。
たぶん、その時。俺とイーリンさんは同じことを思ってた。この皆でお風呂に浸かってる、馬鹿馬鹿しいくらい平和な時間が、いつまでも続きますようにって。
イーリンさんの視線が、ゆっくりと皆の間を漂う。
そして、ふと一カ所で止まった。わずかに眉を曇らせたように見えた。
イーリンさんの視線をたどると、その先には、いつも湯船の隅っこで無表情に浸かっている、黄色い髪をした女子がいた。
髪色と同じ鮮やかなエメラルドグリーンをしたイーリンさんの瞳には、心配しているように悲しげな色が浮かんでいた。
「あの娘は……?」
余計なことかもと思いつつ、俺はイーリンさんに尋ねた。
「あ、ごめんなさい……」
ごめんなさいは、……よして下さい。さっきまで「すみません」って言ってましたよね。と、思ったけど口には出さず、イーリンさんの言葉の続きを待った。
「……剣士の娘なのです。父親の剣士は、初日に城主様とリーファ姫を守ろうとして……。母親も早くに病で亡くしていて、今は宿舎に一人のはずです……」
……そういう娘か。
「父親はフェイロン様と長い付き合いだった方で、フェイロン様も気にかけてはいらっしゃいますが、この状況ですので……」
「そうでしたか……」
「はい。初日は松明も少なく、特に前線が混乱しておりましたから、ご遺体も戻らず……」
人獣たちの共食いを目にしたのは、つい数時間前、今晩のことだ。思い出したくないイヤな場面が、頭に思い浮かんでしまう。
俺はイーリンさんに、黄色髪をした女子の名前を尋ねた。
「シュエンといいます。本来は賑やかで、快活な娘です。けど、ここで久しぶりに会えたときには、あの様子で……」
シュエン――。唐突な災厄で、唐突に独りになって、それでも大浴場に来てシキタリを守ろうとしている。いや、自分に課せられた役目を果たそうとしている。
俺はイーリンさんの方に向き直った。……不意打ちのように、湯面越しに透けて見える、イーリンさんの立派なのに気を取られそうになったけど、それを押し殺して口を開いた。
「ここじゃアレなんで、一度、宿舎に訪ねてみます」
イーリンさんは、少しホッとしたような表情で、ありがとうございますと言った。
……細かな点は、イーリンさんにバレてないと、いいなと思う。
と、イーリンさんは困ったような、申し訳ないような笑みを浮かべて、俺の方に目を向けた。
「私は本来、遮蔽物を活用し、相手の呼吸を乱しながら闘う『隠密剣』を得意にするのです……。今のような開けた場所で振る剣筋とは、少し異なるのです」
「へぇ!」
「速さが大切な剣筋なので、鎧も軽装のものを好んで使います」
なるほど、それでか。剣を振るうたびに、……揺れてました。ぶるんと。
「剣士長様からは、重装の鎧に替えるよう勧められているのですが……。どうしても、好きになれなくて」
と、イーリンさんは、困り顔の笑顔を俺に向けた。無茶苦茶、キュートな笑顔にドキッとしてしまう。
たぶん、イーリンさんの話の、本当に意味するところの半分も受け取れていないんだろうなと思う。
プロ女子テニス選手から、スイングの反省とラケット選びの悩みを聞かされてるようなもの、なんだと思う。全部分かったと思う方がどうかしている。
でもたぶん、剣士同士でそんな話をしたりしないんだろうな、とも思う。なので、俺が聞くことにも、きっと意味がある。小さくても。
イーリンさんは困ったような笑顔のまま話を続けた。
「この闘いも、最初は平場で迎え撃ってましたので、民家など遮蔽物も多くあり、もう少し自分らしい剣を振るえていたのですけど……」
「そうなんですね」
「……すみません。マレビト様から褒めていただいたのが嬉しくて、つい……、本当の私の剣筋も見ていただきたくなっちゃって。余計なことを申し上げました」
「ううん。余計じゃないです。俺も見てみたいです。だから、必ず、押し返しましょう。人獣たちを」
という、俺の言葉にイーリンさんはキョトンとしたあと、そうですねと笑った。
イーリンさんからすれば、俺の召喚前から、もう2週間以上、絶望的な闘いが続いている。斬っても斬っても現れる。一瞬でも集中力が途切れれば、やられる。友人も同僚も、たくさん亡くしている。
綱渡りどころか刃物の上を歩くような危うい状況を、かろうじて持ち堪えている。現に雨が降っただけで、押し込まれてきた。
押し返す――、という俺の言葉が、現実感のない夢のように響いたとしても、無理もない。けれど、その『夢』に、一瞬だけ希望を見てくれたんだとも思う。
フーチャオさん親娘が、俺の「退ける」という言葉に見せてくれた反応に通じるものがある。
イーリンさんの白い肌は湯に上気したのか少し赤みを帯びている。リラックスした表情になって、ちょっとだけ肩の荷を降ろしたような微笑みで、皆の方を眺めた。
たぶん、その時。俺とイーリンさんは同じことを思ってた。この皆でお風呂に浸かってる、馬鹿馬鹿しいくらい平和な時間が、いつまでも続きますようにって。
イーリンさんの視線が、ゆっくりと皆の間を漂う。
そして、ふと一カ所で止まった。わずかに眉を曇らせたように見えた。
イーリンさんの視線をたどると、その先には、いつも湯船の隅っこで無表情に浸かっている、黄色い髪をした女子がいた。
髪色と同じ鮮やかなエメラルドグリーンをしたイーリンさんの瞳には、心配しているように悲しげな色が浮かんでいた。
「あの娘は……?」
余計なことかもと思いつつ、俺はイーリンさんに尋ねた。
「あ、ごめんなさい……」
ごめんなさいは、……よして下さい。さっきまで「すみません」って言ってましたよね。と、思ったけど口には出さず、イーリンさんの言葉の続きを待った。
「……剣士の娘なのです。父親の剣士は、初日に城主様とリーファ姫を守ろうとして……。母親も早くに病で亡くしていて、今は宿舎に一人のはずです……」
……そういう娘か。
「父親はフェイロン様と長い付き合いだった方で、フェイロン様も気にかけてはいらっしゃいますが、この状況ですので……」
「そうでしたか……」
「はい。初日は松明も少なく、特に前線が混乱しておりましたから、ご遺体も戻らず……」
人獣たちの共食いを目にしたのは、つい数時間前、今晩のことだ。思い出したくないイヤな場面が、頭に思い浮かんでしまう。
俺はイーリンさんに、黄色髪をした女子の名前を尋ねた。
「シュエンといいます。本来は賑やかで、快活な娘です。けど、ここで久しぶりに会えたときには、あの様子で……」
シュエン――。唐突な災厄で、唐突に独りになって、それでも大浴場に来てシキタリを守ろうとしている。いや、自分に課せられた役目を果たそうとしている。
俺はイーリンさんの方に向き直った。……不意打ちのように、湯面越しに透けて見える、イーリンさんの立派なのに気を取られそうになったけど、それを押し殺して口を開いた。
「ここじゃアレなんで、一度、宿舎に訪ねてみます」
イーリンさんは、少しホッとしたような表情で、ありがとうございますと言った。
……細かな点は、イーリンさんにバレてないと、いいなと思う。
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