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おまけ 2人のその後
彼の様子が変です
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私は、家に帰るとまずシャワーを浴びた。
以前、ハンドクリームを買ったときに、彼は私に「匂いが違う」と言って怒った。
匂いのせいで怒ったというよりかはハンドマッサージを受けたことに怒った、の方が適切なのかもしれないが、何にせよ不穏分子は取り除いていた方がいい。
あの時の彼といったら、こちらの言い分を聞かないで無言でひたすらに人の手を洗うので怖かった。
まあ、あの頃は、私もまだ、彼に簡単にものを言えなかったので色々と誤解されても仕方なかったかもしれない。
同棲当初と比べれば、私たちは随分と話せるようになった。
そうしみじみと思いながら、浴室から出ると、濡れた体を拭き、部屋着に着替えた。
彼は何時くらいに帰ってくるだろうか。
もうそろそろ帰ってきてもおかしくはないけれど、残業はあるのかな。
夕ご飯はどうしよう。
とりとめのない思考を頭の中で回らせながら、脱衣所から出る。
「…………」
「…………」
「……ただいま」
「え、あ、おかえりなさい」
するとそこには黙って立ち尽くしている彼の姿があって、驚いて何も言えなかった。
しかも彼の右手には、はさみが握られていた。
唖然としながらも彼の様子を見守る。
彼の左手は、固く握られていた。
私は首を傾げた。
はさみの用途には、思い当たる節があるが、まさか、という気持ちだ。
「もしかして、髪を切る用のはさみを買って来たんですか」
彼は、こくりと頷いた。
「もう、切っちゃいましたよ」
私は思わず笑った。
「これから練習する」
彼は、何となく面白くなさそうだ。
「どうやって練習するんですか……マネキンなんて買ってきてないですよね」
言いながらも彼ならそれくらいやってのけそうだと思って、戦慄した。
本当にマネキン何十体とか買ってきていたらどうしよう。こわい。
彼は静かに首を振って、知り合いの髪を切るのだと数人の名前を挙げた。
それってただただ迷惑なのでは、と心の内で思いながらも、彼はなかなか頑固なところがあるので言い出したからにはやるのだと思う……私は練習台になる人々に密かに合掌した。
会話に一区切りついたのだが、彼は動かなかった。
まだ言い足りないことがあるのだろうか。
しかし彼は一度沈黙すればなかなか口を開くことがない。
仕方ないので、私は先に自分のやりたいことをさせてもらうことにした。
「私、今日、ハンドマッサージのコツ、教えてもらったんです」
だから、してあげます。そう言って、私は彼の手首を掴むとリビングまで移動させて、ソファに座らせた。
それから、コツが書いてあるメモを取り出そうとバッグに手を突っ込んだ。
がさごそと中を漁る。
だが、ない。
「あれ……あれ?」
バッグをひっくり返して中の物を全て出したが、やっぱりない。
「ご、ごめんなさい。コツ、書いてもらったんですけど、メモ、なくしちゃったみたいで」
そう謝る私に、彼は首を振った。
「……コツなんか分からなくても、問題ないだろう」
問題ないらしい。
私は、ではクリームを取ってきます、と寝室へ向かった。
メモは、どこかで落としたのだろうか。
記憶にない。
せっかく書いてもらったのだから、その通りにして彼に喜んでもらいたかったなあ。
メモを無くしたことが悔やまれるが、彼がいいと言ってくれたのでよしとしよう。
ずっと眠っていたハンドクリームを取り出して、一階へ戻る。
やっと使えるねえ、と心の内で話しかける。
ウレシイヨーとハンドクリームの返事が聞こえてくるようだ。
リビングには、彼が全く同じ姿勢のまま座っている。
私は、彼の右隣に座ると、彼の右手を取った。
「いつまではさみ、持ってるんですか」
私はまた笑った。
そんなに私の髪を切りたかったのだろうか。
彼からはさみを取り上げると、彼は思っていたより随分あっさりと手放した。
しかし、視線はいつまでも私の持つはさみを追っている。
何となく、彼の様子が変だ。
「どうか、しましたか」
「……また、あの店に」
あの店、と言われて、私ははっとした。
「ああ!えっと、行くつもりなはなかったんですけど、イケメ……店員さんが、私のことを覚えてくれていて、ハンドクリームは全然使ってなかったので、買わなかったんですけど、コツを書いたメモを貰ったんです、なくしちゃったけど」
もちろん、マッサージは受けてないですよ、そう言って彼を安心させるように笑いかけると、彼はようやくはさみから目を離した。
するとその視線は腕を辿って私の目に移り、じい、と見つめられる。
「……どこか、触れられなかったか?」
そう、真剣に問われてドキリとする。
私は、いいえ、と答えそうになったが、肩を抱かれて少々強引に店に入れられたことを思い出した。
思わず、右肩を確認するように首を右に向けてしまう。
それから、あれ、もしかして彼は怒っていたりするのかしら、と不安に思った。
恐る恐る、彼の方へ向き直る。
彼は、私の右肩を凝視していた。
何か言わなければ、と口を開こうとしたのと、彼が私のTシャツの袖をずり下ろしたのは、ほぼ同時だった。
右肩が露わになる。
お風呂から上がったばかりの肌が、外気の冷たさに触れて小さく震えた。
以前、ハンドクリームを買ったときに、彼は私に「匂いが違う」と言って怒った。
匂いのせいで怒ったというよりかはハンドマッサージを受けたことに怒った、の方が適切なのかもしれないが、何にせよ不穏分子は取り除いていた方がいい。
あの時の彼といったら、こちらの言い分を聞かないで無言でひたすらに人の手を洗うので怖かった。
まあ、あの頃は、私もまだ、彼に簡単にものを言えなかったので色々と誤解されても仕方なかったかもしれない。
同棲当初と比べれば、私たちは随分と話せるようになった。
そうしみじみと思いながら、浴室から出ると、濡れた体を拭き、部屋着に着替えた。
彼は何時くらいに帰ってくるだろうか。
もうそろそろ帰ってきてもおかしくはないけれど、残業はあるのかな。
夕ご飯はどうしよう。
とりとめのない思考を頭の中で回らせながら、脱衣所から出る。
「…………」
「…………」
「……ただいま」
「え、あ、おかえりなさい」
するとそこには黙って立ち尽くしている彼の姿があって、驚いて何も言えなかった。
しかも彼の右手には、はさみが握られていた。
唖然としながらも彼の様子を見守る。
彼の左手は、固く握られていた。
私は首を傾げた。
はさみの用途には、思い当たる節があるが、まさか、という気持ちだ。
「もしかして、髪を切る用のはさみを買って来たんですか」
彼は、こくりと頷いた。
「もう、切っちゃいましたよ」
私は思わず笑った。
「これから練習する」
彼は、何となく面白くなさそうだ。
「どうやって練習するんですか……マネキンなんて買ってきてないですよね」
言いながらも彼ならそれくらいやってのけそうだと思って、戦慄した。
本当にマネキン何十体とか買ってきていたらどうしよう。こわい。
彼は静かに首を振って、知り合いの髪を切るのだと数人の名前を挙げた。
それってただただ迷惑なのでは、と心の内で思いながらも、彼はなかなか頑固なところがあるので言い出したからにはやるのだと思う……私は練習台になる人々に密かに合掌した。
会話に一区切りついたのだが、彼は動かなかった。
まだ言い足りないことがあるのだろうか。
しかし彼は一度沈黙すればなかなか口を開くことがない。
仕方ないので、私は先に自分のやりたいことをさせてもらうことにした。
「私、今日、ハンドマッサージのコツ、教えてもらったんです」
だから、してあげます。そう言って、私は彼の手首を掴むとリビングまで移動させて、ソファに座らせた。
それから、コツが書いてあるメモを取り出そうとバッグに手を突っ込んだ。
がさごそと中を漁る。
だが、ない。
「あれ……あれ?」
バッグをひっくり返して中の物を全て出したが、やっぱりない。
「ご、ごめんなさい。コツ、書いてもらったんですけど、メモ、なくしちゃったみたいで」
そう謝る私に、彼は首を振った。
「……コツなんか分からなくても、問題ないだろう」
問題ないらしい。
私は、ではクリームを取ってきます、と寝室へ向かった。
メモは、どこかで落としたのだろうか。
記憶にない。
せっかく書いてもらったのだから、その通りにして彼に喜んでもらいたかったなあ。
メモを無くしたことが悔やまれるが、彼がいいと言ってくれたのでよしとしよう。
ずっと眠っていたハンドクリームを取り出して、一階へ戻る。
やっと使えるねえ、と心の内で話しかける。
ウレシイヨーとハンドクリームの返事が聞こえてくるようだ。
リビングには、彼が全く同じ姿勢のまま座っている。
私は、彼の右隣に座ると、彼の右手を取った。
「いつまではさみ、持ってるんですか」
私はまた笑った。
そんなに私の髪を切りたかったのだろうか。
彼からはさみを取り上げると、彼は思っていたより随分あっさりと手放した。
しかし、視線はいつまでも私の持つはさみを追っている。
何となく、彼の様子が変だ。
「どうか、しましたか」
「……また、あの店に」
あの店、と言われて、私ははっとした。
「ああ!えっと、行くつもりなはなかったんですけど、イケメ……店員さんが、私のことを覚えてくれていて、ハンドクリームは全然使ってなかったので、買わなかったんですけど、コツを書いたメモを貰ったんです、なくしちゃったけど」
もちろん、マッサージは受けてないですよ、そう言って彼を安心させるように笑いかけると、彼はようやくはさみから目を離した。
するとその視線は腕を辿って私の目に移り、じい、と見つめられる。
「……どこか、触れられなかったか?」
そう、真剣に問われてドキリとする。
私は、いいえ、と答えそうになったが、肩を抱かれて少々強引に店に入れられたことを思い出した。
思わず、右肩を確認するように首を右に向けてしまう。
それから、あれ、もしかして彼は怒っていたりするのかしら、と不安に思った。
恐る恐る、彼の方へ向き直る。
彼は、私の右肩を凝視していた。
何か言わなければ、と口を開こうとしたのと、彼が私のTシャツの袖をずり下ろしたのは、ほぼ同時だった。
右肩が露わになる。
お風呂から上がったばかりの肌が、外気の冷たさに触れて小さく震えた。
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