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デート編
34.小さい私のはなし
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話が急に私のことに飛んで、思わず目を瞬かせました。
「そう、ジゼルがどんな子だったのか」
「私の子供の頃の話なんて面白くないですよ」
「それを決めるのはジゼルじゃなくて僕だよ。実際、僕にとっては面白くない僕の子供の頃の話をジゼルは興味深そうに聞いていただろう?」
「まぁ……それはそうですね。では、昔話をひとつ」
オウル様の仰ることは一理あります。本当に私の幼少期の話などつまらないと思いますが、ここはひとつご要望に答えて昔話をすることにしました。
「あれは私がフリージア夫人に師事し始めて間もない頃の話でした。その日、私はフリージア夫人のお屋敷に泊まっておりました。その晩、廊下を歩いていると窓の外の暗がりにぼうっと光る二つの丸い光が見えました」
「……怖い話?」
「怖いですか?」
「導入が怪談のそれだよ」
私としては当時見たものをそのままにお話ししているつもりですが、怪談話に捉えられてしまいました。まぁ、夜に謎の光を見たという話は古今東西にありますし、それらは鬼火の類いとされているので不自然な解釈ではありませんが。
「怪談は所詮作り話か人の勘違いが広まったものです。廃墟に出る幽霊の正体が白いカーテンだったようなものです。この話の二つの光の正体もちゃんと現実的なものなのでご安心下さい」
「イメージ通りだけど、ジゼルはそういうのに耐性あるね。続けて?」
「はい。当時の私は──迂闊でした。私がいたのは二階でしたし、まさか辺境伯の屋敷に侵入者がいるとも思いませんでしたから、よくわからないものの正体を突き止めようとして、窓を開けてしまったのです」
「それで?」
「そこにいたのは縞模様の猫でした」
「猫? ということは、その二つの光の正体って──」
「猫の目だろうねぇ。獣の中には暗闇で光る目を持つものもいる」
サリブお婆様の言葉に私は頷きました。
木の枝に座ってこちらをじっと見ていた縞猫の姿は今でもよく覚えています。
野良猫のようでしたが、街の人々に餌を貰っていたのでしょう。随分とずんぐりむっくりとした体型をしていました。
だから、私は油断して忘れてしまったのです。どんなに太っていても猫は猫だということに。
「光の正体はわかりましたが、大変だったのはその後でした」
「何かあったの?」
「その猫は巨体からは想像もつかないほど俊敏な動きで私の開けた窓から屋敷の中へ入ってしまったのです。そして屋敷内を縦横無尽に走り回り、荒らしました……」
「それは……大変だったね」
「フリージア夫人も使用人たちも物音に気づかれてお部屋から出て来られたのですが、猫という生き物は僅かな隙間から部屋へと入るでしょう? いくつもの部屋に入られ、大騒ぎになりました。私も含め、皆で捕まえようとしたのですがなかなか上手くいかず──」
「動物に人間の都合を計って貰うことは出来ないからね。猫は身軽だし、なかなか捕まえるのは難しいだろうね」
「ええ、追いかけても追いかけてもひらりふわりとかわされ続け──夜通しの攻防を経て最終的にフリージア夫人が捕まえました」
「あ、夫人が捕まえたんだ」
「見事な捕獲術でした」
フリージア夫人はいたずらに猫を追い回すことはせず、じっくりと動きを観察し、皆がへとへとになった夜明け頃に猫と対峙されました。
幼い私は体力の限界で寝ぼけ眼でしたが、フリージア夫人を横切ろうと跳ね上がった巨体を引き寄せるように腕の中に収めた動きは忘れられません。
激しい動作は一切ない優雅な所作でした。
「それでこの騒動は一件落着したのですが、フリージア夫人には不審なものに無闇に近づかないようにとお叱りを受けました」
この話は『フリージア夫人の猫騒動』として今もフリージア夫人のお屋敷に語り継がれております。
猫を邸内に招いてしまったのは私なのに、そんな名がついてしまい申し訳なくなりました。
フリージア夫人は不審なものに近づいたことを注意しましたが、猫が起こした騒動については私を責めませんでした。
正直なところ、すぐさま帰らされて淑女教育についても白紙にされると思っていたので、寛大なご沙汰に驚きました。もしこれが実家での出来事なら、一ヶ月はお母様にお説教を受けたことでしょう。
「その時私は深く反省し、慎重に思慮深く行動することを誓いました。私にとっての失敗談であり、己の行動を見つめ直す体験でもありましたね」
「ジゼルの体験は何事も学習することに結びつくんだね。そういえば、その猫はどうなったの?」
「しばらくの間、お屋敷に居着いて私がお世話をしていたのですが、いつの間にかいなくなっておりました。元々野良猫だったようですから、ずっとひとところに留まるのは性に合わないんだろうとフリージア夫人は仰ってました」
お前が招いた客だからとフリージア夫人に猫のお世話係に任命され、餌をあげたり毛繕いをしたりして、しばらく経つと膝に乗ってくれたり、お腹を撫でさせたりしてくれて、可愛らしいと思っていたのでいなくなってしまった時は寂しい気持ちがありました。
「──と言った話なのですが、やはりつまらなかったでしょう?」
「ううん。凄く面白いかったよ。気を悪くさせたら申し訳ないけど、ジゼルって昔からしっかりしてて勉強一筋って感じに見えたから、失敗したことがあったり猫の世話をしてたって話は意外だったな」
「私らしくありませんか?」
「誤解しないでね。いい意味で言ってるから。そういう一面があるって知れただけでも、ジゼルのことが今までよりもわかったよ。また今度、他の話も聞かせて欲しいな」
「お望みとあれば。──出来れば、オウル様のお話も聞きたいです」
「恥ずかしい話じゃなければいいよ」
笑顔で頷かれると、胸の内が温水に触れたように温かくなりました。
なんだか頬が緩む気がして、私は今どんな表情をしているのでしょう。
私の顔を見て、オウル様がいっそう優しい瞳になったので変な顔はしていないのでしょう。そのことに安心して密かに胸を撫で下ろしました。
「互いを知りたいと思うことは夫婦にとって大事なことだ。いい仲じゃないか。弥栄弥栄。ははは」
私とオウル様のやり取りを見ていたサリブお婆様の笑い声が、薬堂の天井へ響きました。
「そう、ジゼルがどんな子だったのか」
「私の子供の頃の話なんて面白くないですよ」
「それを決めるのはジゼルじゃなくて僕だよ。実際、僕にとっては面白くない僕の子供の頃の話をジゼルは興味深そうに聞いていただろう?」
「まぁ……それはそうですね。では、昔話をひとつ」
オウル様の仰ることは一理あります。本当に私の幼少期の話などつまらないと思いますが、ここはひとつご要望に答えて昔話をすることにしました。
「あれは私がフリージア夫人に師事し始めて間もない頃の話でした。その日、私はフリージア夫人のお屋敷に泊まっておりました。その晩、廊下を歩いていると窓の外の暗がりにぼうっと光る二つの丸い光が見えました」
「……怖い話?」
「怖いですか?」
「導入が怪談のそれだよ」
私としては当時見たものをそのままにお話ししているつもりですが、怪談話に捉えられてしまいました。まぁ、夜に謎の光を見たという話は古今東西にありますし、それらは鬼火の類いとされているので不自然な解釈ではありませんが。
「怪談は所詮作り話か人の勘違いが広まったものです。廃墟に出る幽霊の正体が白いカーテンだったようなものです。この話の二つの光の正体もちゃんと現実的なものなのでご安心下さい」
「イメージ通りだけど、ジゼルはそういうのに耐性あるね。続けて?」
「はい。当時の私は──迂闊でした。私がいたのは二階でしたし、まさか辺境伯の屋敷に侵入者がいるとも思いませんでしたから、よくわからないものの正体を突き止めようとして、窓を開けてしまったのです」
「それで?」
「そこにいたのは縞模様の猫でした」
「猫? ということは、その二つの光の正体って──」
「猫の目だろうねぇ。獣の中には暗闇で光る目を持つものもいる」
サリブお婆様の言葉に私は頷きました。
木の枝に座ってこちらをじっと見ていた縞猫の姿は今でもよく覚えています。
野良猫のようでしたが、街の人々に餌を貰っていたのでしょう。随分とずんぐりむっくりとした体型をしていました。
だから、私は油断して忘れてしまったのです。どんなに太っていても猫は猫だということに。
「光の正体はわかりましたが、大変だったのはその後でした」
「何かあったの?」
「その猫は巨体からは想像もつかないほど俊敏な動きで私の開けた窓から屋敷の中へ入ってしまったのです。そして屋敷内を縦横無尽に走り回り、荒らしました……」
「それは……大変だったね」
「フリージア夫人も使用人たちも物音に気づかれてお部屋から出て来られたのですが、猫という生き物は僅かな隙間から部屋へと入るでしょう? いくつもの部屋に入られ、大騒ぎになりました。私も含め、皆で捕まえようとしたのですがなかなか上手くいかず──」
「動物に人間の都合を計って貰うことは出来ないからね。猫は身軽だし、なかなか捕まえるのは難しいだろうね」
「ええ、追いかけても追いかけてもひらりふわりとかわされ続け──夜通しの攻防を経て最終的にフリージア夫人が捕まえました」
「あ、夫人が捕まえたんだ」
「見事な捕獲術でした」
フリージア夫人はいたずらに猫を追い回すことはせず、じっくりと動きを観察し、皆がへとへとになった夜明け頃に猫と対峙されました。
幼い私は体力の限界で寝ぼけ眼でしたが、フリージア夫人を横切ろうと跳ね上がった巨体を引き寄せるように腕の中に収めた動きは忘れられません。
激しい動作は一切ない優雅な所作でした。
「それでこの騒動は一件落着したのですが、フリージア夫人には不審なものに無闇に近づかないようにとお叱りを受けました」
この話は『フリージア夫人の猫騒動』として今もフリージア夫人のお屋敷に語り継がれております。
猫を邸内に招いてしまったのは私なのに、そんな名がついてしまい申し訳なくなりました。
フリージア夫人は不審なものに近づいたことを注意しましたが、猫が起こした騒動については私を責めませんでした。
正直なところ、すぐさま帰らされて淑女教育についても白紙にされると思っていたので、寛大なご沙汰に驚きました。もしこれが実家での出来事なら、一ヶ月はお母様にお説教を受けたことでしょう。
「その時私は深く反省し、慎重に思慮深く行動することを誓いました。私にとっての失敗談であり、己の行動を見つめ直す体験でもありましたね」
「ジゼルの体験は何事も学習することに結びつくんだね。そういえば、その猫はどうなったの?」
「しばらくの間、お屋敷に居着いて私がお世話をしていたのですが、いつの間にかいなくなっておりました。元々野良猫だったようですから、ずっとひとところに留まるのは性に合わないんだろうとフリージア夫人は仰ってました」
お前が招いた客だからとフリージア夫人に猫のお世話係に任命され、餌をあげたり毛繕いをしたりして、しばらく経つと膝に乗ってくれたり、お腹を撫でさせたりしてくれて、可愛らしいと思っていたのでいなくなってしまった時は寂しい気持ちがありました。
「──と言った話なのですが、やはりつまらなかったでしょう?」
「ううん。凄く面白いかったよ。気を悪くさせたら申し訳ないけど、ジゼルって昔からしっかりしてて勉強一筋って感じに見えたから、失敗したことがあったり猫の世話をしてたって話は意外だったな」
「私らしくありませんか?」
「誤解しないでね。いい意味で言ってるから。そういう一面があるって知れただけでも、ジゼルのことが今までよりもわかったよ。また今度、他の話も聞かせて欲しいな」
「お望みとあれば。──出来れば、オウル様のお話も聞きたいです」
「恥ずかしい話じゃなければいいよ」
笑顔で頷かれると、胸の内が温水に触れたように温かくなりました。
なんだか頬が緩む気がして、私は今どんな表情をしているのでしょう。
私の顔を見て、オウル様がいっそう優しい瞳になったので変な顔はしていないのでしょう。そのことに安心して密かに胸を撫で下ろしました。
「互いを知りたいと思うことは夫婦にとって大事なことだ。いい仲じゃないか。弥栄弥栄。ははは」
私とオウル様のやり取りを見ていたサリブお婆様の笑い声が、薬堂の天井へ響きました。
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