社畜の私は異世界でも社畜精神が残ったままだった

木嶋うめ香

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後編

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「朝は確か裏庭の花壇の手入れをしている? あれは、ゲームが始まらないとしてないのかな」

 鞄からドアの鍵を取り出し、鞄は置いて一人裏庭に出る。
 なんだかふらついている気がする、これ私かなりマズイんじゃないだろうか。
 もしかして、動けるのが不思議なほど頭の怪我酷いんじゃないだろうか。

「誰か、助けて」

 あまり人目につくのは困る、でも探せないのはもっと困る。
 小さな声で、ふらつきながら庭師を探していると、植え込みの影から体の大きな人が出て来た。

「今、助けてと言ったのは君かな」

 丈夫さだけが取り柄のような服装で両手で木桶を抱えている男性に、私の小さな声はちゃんと届いていたみたいだった。
 それが嬉しくて、何度も頷いた。
 本当に会えるとは思っていなかった、ゲームのスチル同様に優しそうな顔をしている。怯えてばかりの私には癒し以外のなにものでもない優しい顔だ。

「はい、私です。どうかこの指輪を代金として魔法薬を買って来てくれませんか」
「魔法薬? 怪我をしているのかな」

 そう言うと、素早く私を確認するように視線が動く。
 魔法薬で病気は治せないけれど、怪我ならかなり重症でも痕も残らずに治せる。

「はい、突き飛ばされて後ろ向きに倒れたもので頭を床に強く打ってしまいました。出血はしていないようですが、とても痛みが酷くて、歩くのも上手く出来なくて、やっとここまで来たのです」

 彼の顔を見て気が抜けたせいだろうか、話をするのも辛い。
 これだけ話すだけで、私は体力全部を使った気がする。

「頭を打った? 失礼どの辺りかな」
「ここ……いたっ」 

 私が教えた場所を、男性はそっと指先で触れると、その途端痛みが走った。
 え、たんこぶが出来てるとかじゃないの? こんな痛いとかあるの? あまりの痛さに顔をしかめながら倒れないようにと体に力を入れる。

「君、僅かだけど出血してるよ」
「そんな」

 出血と聞いて、途端に体が震え出す。
 まさか、私死んじゃうのだろうか、今は動けるけれどふらつくのはかなりまずい気がする。

「医務室……あまり動かない方がいいか、君今どこから来たのかな? 校舎から裏庭に生徒が簡単に出入り出来るところなんてあったかな」
「あの、あそこのドアから、私鍵を持っていますもので」

 言いながら、違う意味でまずい気がしてきた。
 この人は、生徒が簡単に出入りできる場所は無いと言っていたのと同じなのに、私は鍵を持っているのだから。

「鍵? 誰の指示で」
「あの、生徒会長様です」

 あなたの甥です。とは言えないし、あのクズの王太子殿下の名前を安易に口にするなんて恐ろしくて出来ない。

「その場所に案内……まさかあそこかな」

 ここから一番近いドアを、指さされて「はい」と返事をすると、二人でドアの前までゆっくと歩く。
 

「鍵を」
「こちらです」

 鍵を手渡すと、躊躇いなくそれで解錠し扉を開く。

「これは驚いた」
「あの」
「ここは、もと学園の小使いの宿直室だった。最近は王族も学園に通うようになり、専門の警備兵を置くようになったから使わなくなった部屋だ。ベッドなどの家具は運び出したはずだが、なぜ机がある?」

 それで納得した。
 この部屋にはお手洗いと小さな水場がある。
 この国は、さすがゲームの世界ともいうべきなのか魔法があり、水道もお手合いも魔石の力を使い前世の世界のようにどちらも使える。
 こんな小さな部屋にまでそういう設備が整っているのは、貴族が通う学園だからなのかと思っていたけれど、実は宿直室だったからなのか。

「私は生徒会役員ではありませんから、生徒会室には入れません。そのため、仕事をする部屋を作ってくださいました」

 私は頼んではいないけれど。その声に出さない声は正しく伝わったらしい。

「生徒会の仕事は、生徒会役員以外は関われないものだろう」
「はい、その通りですが、私はゼルカヴァ・ホルダー様と婚約している身、婚約者の仕事を手伝うのは当たり前だと」
「一人分には量があるが」

 自分から王太子殿下の失態を口に出来ないけれど聞かれたなら答えても良い筈だと、そう判断して「私が仕事を代わってしていると知った皆様から、その……」

 言って良いのだろうか、ここで婚約者だけだとておいた方がいいのでは。
 生徒会長は王太子殿下、副会長は宰相閣下の息子なのだから、大問題になるかもしれない。

「全部やれと言われたのか」
「その通りでございます。宿題、生徒会の仕事と量が増えていき無理だと申し上げたら、婚約者の手伝いを拒否するような者は、お前の有責で婚約破棄し慰謝料を請求すると。そして昨日は睡眠不足で仕事が進まず、それを婚約者に叱責され」

 演技ではなく、本当に涙が込み上げてきて思わず俯いてしまう。
 これで、向こうの有責になればいいけれど、世の中そんなに甘いわけがない。
 きっと、私が悪いことにされて、家に迷惑が掛かるんだ。
 どうしたらいいのか分からない。
 いっそ、死んだ方が家のためかもしれない。

「先程薬をと申し上げましたが、それはいりません。私が死んでしまったら、どうか窓の外から逃げていく姿が見えたと証言頂けないでしょうか」

 涙をボロボロと流しながらお願いする。
 私のせいで家族に迷惑はかけられない。

「証言?」
「はい、このまま生きていても、良いことはなにもありません。婚約者に日々恫喝され仕事をさせられて、少しでも返事が遅れれば私の有責で婚約破棄すると脅されているのです。これで結婚したらいつ殺されてもおかしくありません」

 今だって躊躇なく乱暴な扱いをされているのだから、この先何が起きてもおかしくない。
 ヒロインが私の婚約者ルートを選んでも、その先にあるのは私の死なのだから、だったら今死んでも同じことだ。

「そこまでのことを……まさか全員なのか」

 ブツブツと呟いているのを不安な気持ちで見ながら、部屋の外から聞こえてくる賑やかな声に体が震える。 

「今は授業中のはずだが?」
「宿題を預かっていますので、取りに来たのかもしれません」
「なるほど、それでは君は少し大袈裟に怯えたり会話して、彼らを少しの間引き止めてもらえるかな?」
「え、あ、あの」

 廊下側の扉が開くほんの少し前、私が返事をする前に裏庭に出る扉の向こうに彼は消えてしまった。
 見捨てられたのか、絶望の気持ちが一瞬持ち上がるけれど、彼はそんなことはしないと思い直す。
 ゲームで唯一の優しいキャラだった人、私があんな人に現実でも頼れたらと願った人なんだから彼を信じよう。

「仕事は進んでいるだろうな、何をぼーっと立っている!」
「も、申し訳ございません。ご不浄に行っていただけです。決して怠けていたわけでは」

 ゾロゾロと生徒会の役員全員が部屋に入ってきて、驚きのあまり目を見開いた。
 それぞれが乗馬用の鞭を持っていたのだ。
 まだ授業中だというのに、それを途中で抜け出してこの部屋に来た理由は何だろう。考えるのも恐ろしすぎて、今すぐ逃げ出したいのに足が動かない。

「王太子殿下、このようにこいつは最近生意気で言う事を聞きません。大切な生徒会の仕事を何と思っているのか」
「本当だな。見た目が悪いのだからせめて従順であればいいものを」
「言葉で分からないのであれば、畜生の様に躾けないといけないでしょうね」
「言う事を聞けない馬鹿は体に覚えさせる?」
「それがいいかもねえ」

 生徒会長、副会長、会計の双子。それに私の婚約者、彼は書記だっけ、その五人がニヤニヤと笑いながら私に近付いてくる。
 その顔はどれもお世辞にもヒーローとは呼べるものではなく、悪人顔でクズという言葉がぴったり過ぎるほどあっている。

「近付かないで!」
「騒ぐな不愉快だ、失点一だな。仕事をしないで怠けていたのは失点五、俺の宿題をしていなかったのは失点三くらいか? 素直に自分の非を認めないのは失点一。失点が十になったら落第だ」

 それはこの学園の校則、赤点を取ったり、遅刻をしたり、すると失点されていく。
 一年は、上期と下期に分けられていて、半期の間に失点が十となると落第になる。

「お前は私の婚約者から落第ってことだ。だが私は優しいからこれから日々の躾に耐え、私達の言う事をなんでも従うというなら、考え直してやるよっ!!」

 ビシッと音を立て、机の上に鞭を振り下ろす。 

「ひっ!」
「ほら、なんでも言うとおりにしますから、許してくださいと床に這いつくばって言え」

 ビシッとまた鞭が振り下ろされる。

「脅すだけじゃ足りないな、体に覚えさせなければ。うーん、腕なら分からない。いや魔法薬を持ってきたから顔でも問題ないか」
「じゃあ、俺は背中」
「僕たちは足!」

 王太子殿下はそう言うと、ヒュンと容赦なく私の顔めがけて鞭を振り下ろし、それに合わせて四方八方から鞭を振る音がした。
 びくりと体が震えるのに、恐怖で動けない。
 王太子殿下はにやにやと笑いながら、顔すれすれに鞭を振る。
 ひゅんひゅんと空気を切る鞭の音があちこちから聞こえ、じりじりと私に近づいてくる。
 そしてとうとう、五人に囲まれてしまった。
 五人全員が鞭を振り上げて、「これは躾だ」という王太子殿下の声が部屋に響いた。

「いやぁっ!」
「止めなさいっ!」

 私が頭を抱えしゃがみ込むのと同時に、勢いよく扉が開き、止める声がした。

「邪魔をする、お、叔父上?」
「お前達は何を」
「ち、父上っ」

 庭師の振りをした男性の後ろから、豪華な衣装をまとった男女が現れた。
 この人達ってまさか。

「すまない、遅くなった。二人を連れてくるのに時間がかかってね」

 時間がって、ここは学園でこの方々がいるのは王宮で、それなのにどうやって。

「お前達、女性一人にそれぞれが鞭を持ち何をしていた」
「ち、父上これはこの者が私に不敬を」

『……「本当だな。見た目が悪いのだからせめて従順であればいいものを」……』

 王太子殿下が言い訳をしようとした途端、何かが光り声が流れ始めた。

「これは?」
「これは、音を記録する魔道具だけど、ほんの僅かな時間しか記録出来ない。止めないとその上から重ねて記録してしまうんだ」

 そんなもの、いつの間においていったんだろ。
 知らなかった、それに王太子殿下が父上というのだから、この人達ってやっぱり国王陛下と王妃殿下なのだろうか。

「魔道具を発動してから、王宮に飛んで二人を説明なしに連れてきた」
「飛ぶ?」
「空間移動の魔法。この国では数人の魔法使いしか使えない」

 なんでもないことのように説明されたけれど、私の気持ちはいっぱいいっぱいで、寝不足と先程頭を打つけたことと、今の恐怖で限界を迎えてしまった。

「助けてくださり、ありがとうござ……ます」

 やっぱり助けてくれた、この人を信じて良かったと心から感謝して、お礼をとにかく言わなちゃと、それだけを頑張って口を開いたところで私の意識は途切れてしまったのだった。










 

「なんて豪華な天井、え、豪華?」

 目を開くと、見事な絵と装飾された天井が目に入ってきた。
 あまりのことに呆然としていると、私が目を覚ましたと気がついたのか、メイドのお仕着せを着た女性が声をかけてきた。

「お嬢様、お目覚めでしょうか」
「は、はい」
「ご気分はいかがでしょうか。悪いところがなければスープなどをお持ちいたします」

 優しい笑顔を浮かべたメイドにお願いすると、すぐに部屋を出て行った。

「ここどこなのかしら、沢山眠って霧が晴れたみたいに頭がすっきりしてるけれど、どのくらい眠っていたのかしら」

 目が覚めても、私はポローニアのまま、つまりこれは夢じゃない。
 ここが現実だとしたら、私の婚約はどうなったのだろう。
 意識を失う前が、大問題をおこしたということは分かるけれど、それで何が変わるのか分からない。
 ゲームの世界だとはいっても、ここは現実で、貴族社会だ。下の爵位の家は上の人達に逆らえない。前世の私が上司に逆らえなかった以上の厳しい上下関係が存在する。 

「私、流されちゃうからなあ」

 社畜根性が染み付いている。
 上の立場の人に強く出られると、それだけで従う理由が出来てしまうんだ。
 そして身を粉にして倒れるまで働いてしまう。

「はい、どうぞ」

 ノックの音にさっきのメイドさんかな? と、体を起こし気軽に返事をしたら入ってきたのは、きらびやかな服を着た庭師さんと、両親だった。

「目が覚めて良かった。頭の治療が遅れたから魔法薬を使ってはいても心配していたんだ」
「あ、あのこの度はご迷惑を、あの、なんで」

 なんでは、両親に向けて言った言葉なのに、答えたのは庭師さんに変装していた彼だった。
 彼は私の言葉を、良いように勘違いしてくれたみたいだ。

「すまなかったね。私はあんな格好をしていたけれど、実は学園長をしているんだ」
「学園長……あの、それは」
「ポローニア、こちらは恐れ多くも王弟殿下であらせられるんだよ」

 父がそそそっと私に近付き、そっと耳元で囁き教えてくれるけれど、彼もベッドの側に射るから聞こえているだろう。

「お、大変失礼を!」

 慌てた振りは得意だ。というか、今は自分の姿を思い出して慌てて毛布で寝間着を隠す。
 まさかここ王宮なんて言わないよね? 私の家の王都や屋敷は小さいし、こんなに豪華な部屋はない。
 そもそも今は社交のシーズンではないから、両親は領地にいたはずだ。
 まさか陛下たちを連れてきた時みたいに、この人が両親を連れてきてくれたのだろうか。

「気にするな、身分を隠していたし、未婚の令嬢に不躾に訪ねたのは私の方、謝罪するなら私だ」
「この格好で、お話を聞いても」
「勿論、伯爵夫人そちらにが肩掛けがある渡してあげて欲しい」
「畏まりました、ポローニア」
「お母様」

 じわりと涙が滲む。
 入学してからずっと辛い日々を過ごしていた、安心できる人を見て気が緩んでしまった。
 あぁ、私ポローニアなんだ。他人の体に乗り移ってしまったんじゃなく、最初から私はポローニアとしてこの世界に生まれてきたんだ。
 だって今、両親を見て私は本当に安心している。

「気なっているだろうから、先に話をしておく」
「は、はい」
「結果として、君の婚約は向こうの有責で破棄扱いになり慰謝料も支払われるが、公には白紙だ」
「白紙、と言いますと」

 白紙と解消の違いが分からなくて、聞いてしまう。

「あちらが廃嫡し平民になったから、婚約話が消えた。この国の法では廃嫡し平民に落とした場合はその家に最初からいなかったとされる。つまり存在していない者と婚約はできないから、白紙となり婚約すらしていなかったことになる」

 それは、ある意味破棄より有難いのだろうか。
 円満な解消だろうと、相手有責の破棄だろうと婚約していた事実は王宮が管理している貴族籍に残る。これは前世の戸籍みたいなもので、平民にはないけれど、貴族は細かく管理されている。
 血を残すのが貴族の役割だから、どことどこの血がどの家に入っているという記録を残しているのだそうだ。

「それは、ご配慮頂き有り難く存じます」
「王族が絡んでいることだからな、それに私も関わっているから、甘い処置は出来ない」
「甘い処置、あの殿下方はどのような」
「全て廃嫡、王太子殿下は離宮にて幽閉と決まったよ」

 そんなエンド、ゲームには無かった。
 これって、私のせいなの?

「わた、私のことだけではありませんよね」

 それだけで、こんな重い処罰はされない筈。
 私が婚約破棄になったことだけでも驚いているのに、王太子殿下が幽閉?

「良く分かったな。君は噂通り賢いのだろう」
「そんなことは、賢ければ逃げ道を見つけられていたと思います」

 私は従うだけだった。
 前世は、歯車の一つだと自分に言い聞かせ働き続けた。
 今世は、ただ強い者に逆らうことは無駄だと流され、働き続けた。

「実は王太子殿下の婚約者は私の姪なんだが、彼女から、生徒会が働いていないのでは、そう相談を受けた。それをきっかけに彼らを調べてみると、生徒会の予算の横領から始まり、どこかに書類を運び自分達は遊び呆けている。それだけでなく、学園の生徒を脅して金品を巻き上げ、娼館に入り浸り、挙句この国の情報を他国に流した」

 そ、そんなのゲームの展開に無かったと思うのだけど、そんなことしていたら廃嫡や幽閉になっても仕方がないのかな。

「様々な証拠が上がってきても、彼ら自身がやっていると証明出来ずにいたんだ。何が小さな罪でも彼らの罪だと証明出来れば、自白の魔法を使う許可が下りる。その機会を待っていた。音声を記録する魔道具は貴重だが、それを持ち歩いていたのも証拠を得るためだ」

 自白の魔法、そんな恐ろしいものがあるの。
 恐ろしすぎて、ベッドの上に座っているのに倒れそうなんだけれど。

「私はいい機会を作った?」
「そういうことだ。王太子殿下に王位が移ってからでは、証拠があっても罰することは出来なかっただろう。兄は健康だとはいえいつ何があるか分からないからな。君には怖い思いをさせたし、そのせいで魔法薬を使うのが遅くなってしまって申し訳なかった」
「い、いえ。私は助けていただいた身です。感謝以外の言葉はありません」
 
 あのクズと離れられた、それだけで嬉しい。
 これから、私自由だわ。
 恋愛は無理でも優しい人と結婚できる未来もあるのかもしれない。

「そうか……」 

 私が幸せな未来を想像して、ニンマリしていると、王弟殿下はちらりと両親に視線を向ける。

「え、お父様? お母様?」

 私に優しい顔で頷いて、そっと部屋を出ていく二人。
 残ったのは、王弟殿下だけ。

「君は、とても辛い目にあいながら、家のために耐えていた。助けを求めていた君に出会ったのが私で良かったと、神の采配に感謝している」
「あの?」

 急に手を掴まれて、急に距離が縮まる。

「これは運命なんだ。私と婚約して欲しい。いや婚約しよう」
「え」
「君を守りたい、乱暴なことはしないと誓うよ」

 そう言われたら、頷いてしまう。
 あのゲームの中で、私はこの人に現実でも会えたらいいのにと何度思ったか分からない。
 本当に助けてくれなくてもいいから、せめて私の辛い現状の話を聞いて欲しかった。そして「頑張っていて偉いね」と一言でいいから言って欲しかった。
 それだけで良かったのに、今の私はこの人に助けられた。夢じゃないかと思うけれどこれが現実だ。

「婚約してくれるね」
「は、はい」

 私の恩人だと分かっているのに、心のどこかから駄目だ、危険だと止める声が聞こえてくる。
 優しい言葉の中に不穏なものを感じ、心の中で警鐘が鳴る。
 返事をしてはいけないと思うのに、強く手を握られて、睨むように言われたら無理だとも駄目だとも言えなくなっていた。
 こんなところで、強い人に逆らえない、立場が上の人に逆らえない精神が出てきてしまう。
 でも、この人となら幸せになれる? 

「ありがとう。震えて助けを求める君、それから泣いている君の顔が忘れられなかったんだ」

 今、なんて言いました?
 私の泣いた顔? それを忘れられない?
 え、私やっぱり返事を早まった?

「怖いのに必死になっている姿に、うっとりしてしまった。泣き顔はこれから先は私以外には見せてはいけないよ」

 ぎゅうぎゅうと手を握る。その力の強さに顔をしかめてしまう。

「約束、してくれるね」
「あ、あの」
「君の泣き顔は私の、私だけのものだと」

 怖い、それってどういう。
 あれ? 王弟殿下、この人はお助けキャラだったよね。クズの攻略対象者じゃなかったはず。
 優しい顔でヒロインを励ます、お助けキャラ……だよね?

「約束、します」

 握られた手が痛くて、じわりと涙が滲む。

「約束してくれて嬉しいよ。大丈夫、痛いことも苦しいこともしない。だから私を信用して」
「はい」

 きっと、愛が強い人なんだ。
 この人はお助けキャラ、クズじゃない。
 自分に言い聞かせながら頷くと、満足そうに微笑んで、王弟殿下は私の目元をチュと吸った。
 え、今何したの? まさか私の涙を吸った?
 嘘でしょ。 

「え、あの、え?」
「涙も私のものだ」
「……はい」

 そう素直に頷くだけで、満足そうな笑顔が続くなら、きっと大丈夫。
 乱暴なことはしないと誓ってくれる分だけ、前の婚約者より遥かにマシだ。
 私は前世社畜、歯車の一つとして働いて働いてそして死んだ女。
 今世も、なんの疑問も持たずに従っていれば良い。
 そうすれば、今世は前世よりずっとずっと幸せになれる。 

 はず、だよね?



 終わり

※※※※※※
クズしか攻略対象者がいないゲームなので、お助けキャラもやっぱりクズ。
簡単に頷いてはいけなかったのです。
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