『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 王宮の庭園を彩る魔法の光が、夜の帳の下で宝石のように瞬いていた。軽やかな弦楽四重奏の調べが、貴族たちの楽しげな談笑とグラスの触れ合う音に溶け込んでいる。誰もが幸福と繁栄の薄い膜に包まれ、その下に潜む冷たい緊張には気づかない。

 ただ二人を除いて。

 セバスチャン・モランが、人垣の向こうからセラフィナに鋭い視線を送った。それはほんの一瞬の、他の誰にも意図を悟らせない微かな合図。だが、その瞳に宿る警告の光は、どんな言葉よりも雄弁に危険の到来を告げていた。

 『始まった』。

 セラフィナは、手にしていたシャンパングラスの縁を指でなぞりながら、内心でその言葉を反芻した。彼女の表情は完璧な淑女のそれ。穏やかな微笑みをたたえ、近くの侯爵夫人の退屈な噂話に相槌を打っている。しかし、その水晶のように澄んだ灰色の瞳の奥では、凍てつくような冷静さが燃えていた。

 ついに、ベルフォート公爵が動いた。セバスチャンの視線は、庭園の隅にある木陰へと一瞬だけ向けられた。そこでは、公爵が二人の屈強な男に何事かを囁き、彼らが闇に紛れて姿を消したところだった。あの男たちは、ただの護衛ではない。公爵が汚れ仕事に使う、瘴気を操る手駒だ。

 パーティーの喧騒が、まるで遠い世界の響きのように感じられる。セラフィナの意識は、研ぎ澄まされた刃のように、これから起こるであろう一点に集中していた。

 恐れはない。むしろ、待ち望んでいた。

 かつての彼女なら、この見えざる脅威に震え、セバスチャンの庇護を求めていただろう。だが、今の彼女は違う。公衆の面前で尊厳を砕かれ、泥水をすするような日々を経て、彼女の中に眠っていた何かが完全に覚醒したのだ。

 それは、ただの復讐心ではない。もっと冷徹で、もっと構造的な、自らの知性と技術が旧弊な権力に勝利するという絶対的な確信だった。彼女はもはや、運命に翻弄される哀れな獲物ではない。自ら設計した精緻な罠へと、愚かな獲物を追い込んだ狩人なのだ。

 周囲の貴婦人たちが、セラフィナがデザインした「アウラ」のドレスを褒めそやす声が聞こえる。

「まあ、ヴァレンシア様。この生地、本当に素晴らしいですわ。まるで月光をそのまま織り込んだよう」

「ええ、それにこのカッティング。私の古臭いドレスが、こんなにモダンに生まれ変わるなんて……魔法ですわ!」

 セラフィナは優雅に微笑んでみせる。

「ふふ、光栄ですわ。ドレスは時に、鎧にも、そして刃にもなりますから。皆様を最も美しく輝かせる、最高の鎧でございますように」

 その肌の下に、彼女は断罪の刃を隠している。このパーティー会場にいるベルフォート派の貴族たち――彼らが今、誇らしげに身にまとっている美しいドレスこそが、彼らの主君を破滅させるための証人となるのだから。

 セバスチャンが、何食わぬ顔で彼女のそばへと移動してきた。彼はセラフィナにだけ聞こえる声で、低く囁いた。

「工作員は二人。エーテルポート地区へ向かったはずだ。君のアトリエが狙いだ」

 セラフィナは静かに答える。彼女の視線は、少し離れた場所で取り巻きに囲まれ、得意げに笑うヴィヴィアン・ルクレールへと注がれた。ヴィヴィアンは、旧来のデザイナーによる、けばけばしく時代遅れなドレスを身にまとっている。彼女は「アウラ」のドレスを着た貴婦人たちを蔑むような目で見ているが、その視線には隠しきれない嫉妬と焦燥が滲んでいた。

 哀れな人。あなたも、あなたの婚約者も、そしてその父親も、本当の戦いがどこで行われているのか、まったく理解していない。

 セラフィナは小さく息を吐き、意識を集中させた。

 さあ、最後の幕を開けましょう。あなたたちが誇る、その古びた力とやらで、私の世界に触れてみなさい。

 ■ ■ ■ ■ ■ ■

 王都アストラリスが誇る最新鋭のビジネス街、エーテルポート地区。ガラスと鋼鉄の摩天楼が夜空にそびえ、その一角にアトリエ「アウラ」の瀟洒なビルは静かに佇んでいた。

 闇に紛れて現れた二人の男は、建物の裏手にあるサービス用通用口の前に立った。彼らはベルフォート公爵に長年仕える魔術工作員。その身にまとうのは、ただの黒衣ではない。他者の魔術探知を鈍らせる、特殊な呪詛が織り込まれた外套だった。

「警備システムは?」

 背の低い方の男が、相方に尋ねる。

「あの変人公爵が仕掛けた最新式とやらのようだがな。所詮は魔術を知らん者どもの張り子の虎よ。俺たちの『影渡り』の前では、ただの飾りだ」

 背の高い男が嘲るように言うと、その姿がゆらりと揺らめき、まるで濃い影が壁に染み込むかのように、音もなく建物の内部へと侵入した。もう一人もそれに続く。

 彼らの専門は、瘴気(ミアズマ)を用いた破壊と汚染。ベルフォート家が独占する旧式反応炉から抽出される、不浄で腐食性の高いエネルギー。それは、クリーンなエーテルを基本とする近代魔導技術とは対極に位置する、禁忌の力だった。

 建物内部は静寂に包まれている。自律型使い魔(エージェント・ファミリア)である水晶の小鳥たちが充電のために眠りにつき、生産ラインも停止している。

「ふん、見かけ倒しなものだ。こんなもので王都の流行が変わるなど、世も末だな」

 工作員の一人が、展示されていた優美なドレスを蔑むように一瞥した。彼らの頭には、公爵の命令が焼き付いている。

 ――あの小娘の事業の心臓部、中央エーテル演算機に、回復不能な魔術的汚染を施せ。二度と立ち直れぬよう、その才能の根を腐らせてやれ。

 彼らにとって、これは容易い任務のはずだった。女子供の遊び場に忍び込み、その玩具を壊すだけ。彼らは幾度となく、ベルフォート家の政敵に対して同じような妨害工作を成功させてきたのだ。

 最上階にあるサーバー室――アトリエの頭脳である中央エーテル演算機が設置された部屋へと、彼らは慎重に、しかし確信をもって進んでいく。

 扉には、複雑な魔術的封印が施されていた。

「ほう、少しは骨がありそうだ」

 工作員は口の端を歪め、その手にどす黒い瘴気の塊を練り上げた。それは生き物のように蠢き、鍵穴に触れると、甲高い悲鳴のような音を立てて封印を腐食させていく。

 数秒後、重厚な扉が静かに開いた。

 部屋の中央には、巨大な水晶の柱が鎮座していた。それが「アウラ」の全てのデザインデータ、顧客情報、そして革新的な魔術の源泉である中央エーテル演算機だ。無数の光の糸が柱の内部を走り、穏やかな鼓動のように明滅している。

「美しいものだな。だが、汚されればそれまでだ」

 工作員たちは、用意してきた呪詛の結晶を取り出した。それは、ベルフォート家の瘴気反応炉の炉心でしか生成できない、高密度の魔術的ロジックボム。

「これで終わりだ。小娘がどんな小賢しい玩具を弄しようと、公爵様が築かれた本物の力の前では無力だということを、その身に刻みつけてやろう」

 彼らは呪文の詠唱を開始した。一度発動すれば、エーテル回路の根源的な構造に寄生し、自己増殖しながら演算能力を暴走させる『魔術的ランサムウェア』の一種。最終的に水晶そのものを物理的に変質させ、ただのガラスクズに変えてしまう、回復不能の呪詛だ。

 部屋の空気が重く淀み、不快な臭気が立ち込める。どす黒い瘴気が、呪詛の結晶から立ち上り、巨大な水晶の柱へと蛇のように這い寄っていく。

 その瘴気の先端が、水晶の表面に触れた、まさにその瞬間だった。

 ――ピィンッ!

 空気を切り裂くような、高く澄んだ音が響き渡った。

 次の瞬間、水晶の柱が眩いばかりの純白の光を放った。それは瘴気を焼き尽くす聖なる光。工作員たちは思わず目を覆って後ずさる。

「なんだ…この光は…!? 聖印魔法か? いや、違う…こんな術式は見たことがない!」

 光は一瞬で収まった。だが、彼らが仕掛けようとした呪詛の結晶は、黒い煙を上げて跡形もなく消滅していた。

 しかし、本当の恐怖はそこからだった。

 彼らの足元から、床、壁、天井へと、無数の青白いルーン文字が光の速さで広がっていく。彼らが破壊した扉の封印は、実は巧妙な『魔術的ハニーポット』。侵入者を意図的にこの隔離結界、本物そっくりの偽のサーバー室へとおびき寄せるための罠だったのだ。

「まずい、この部屋そのものが罠だ! あの小娘…俺たちを最初から狩るつもりだったのか!」

 彼らが扉に駆け寄るが、もはや開かない。それどころか、壁そのものが意思を持ったかのように、彼らの脱出を拒んでいる。

 そして、部屋の中央に鎮座する水晶の柱が、再び光を放ち始めた。今度は、穏やかな光ではない。攻撃的で、分析的な、冷たい光。

 その光は、工作員たちの体をスキャンするように舐め上げた。彼らの魔術的特性、その身に染みついた瘴気の固有波形、そして彼らの魔力の源流がベルフォート家の紋章に繋がっていることまで、すべてを暴き立てていく。

「おのれ……! 嵌められたのか!」

 彼らは気づいた。自分たちは獲物を狩りに来たのではなかった。最初から、罠の中に誘い込まれたのだ。この部屋そのものが、巨大な捕獲装置だったのだと。

 ■ ■ ■ ■ ■ ■

 王宮のガーデンパーティー。華やかな喧騒は続いている。

 セバスチャンの持つ、カードケースサイズの薄型魔導端末の画面が、静かに点灯した。

 セラフィナは、侯爵夫人の長話に穏やかに耳を傾けるふりをしながら、その視線は端末に釘付けになっていた。

 画面に、赤い警告アイコンが点滅する。

 『侵入者検知』
 『第一防御結界(ハニーポット)、作動。対象を隔離』
 『第二防御システム、起動。対象の攻撃魔術を無力化』
 『第三システム、起動。対象の魔術的署名(シグネチャ)のスキャンを開始』

 来た。

 セラフィナの心臓が、一度だけ強く脈打った。

 セバスチャンが、彼女にだけわかるように小さく頷く。彼の指が、端末の画面を素早く操作する。

 そして、その時が来た。

 パーティー会場のあちこで、小さな、しかし無視できない異変が起こり始めた。

「あら?」

 ベルフォート公爵の派閥に属する、ある伯爵夫人が、怪訝な声を上げた。彼女は「アウラ」でリメイクしたばかりの、美しい夜会服の胸元を見つめている。ドレスに縫い込まれた精巧な銀糸の刺繍が、ぼんやりと、幽霊のような青白い光を放ち始めていた。

「まあ、あなたも?」

「私の袖口も……」

 囁きが、波紋のように広がっていく。一人、また一人と、自分たちのドレスが光っていることに気づき始める。それは、ベルフォート派に与する者たち、あるいはベルフォート家から金銭的な支援を受けている者たちばかりだった。彼らが身にまとう「アウラ」のドレスに仕込まれた「共鳴型診断サブルーン」が、主君の放った瘴気の魔術に共鳴し、一斉に断罪の光を放ち始めたのだ。

 光は決して派手ではない。シャンデリアのきらめきの中では、注意しなければ見過ごしてしまうほど微かだ。しかし、当人たちにとっては、自らの罪を白日の下に晒す烙印のように見えた。

「なんなのこの下品な光は!? 消えなさいッ! 私のドレスに誰がこんな真似を!」

 ヴィヴィアンが、金切り声を上げた。彼女と親しい取り巻きの令嬢たちのドレスもまた、同じように不気味な光を放っている。彼女は自分のドレスのスカートを必死に手で隠そうとするが、光は布地を透過して漏れ出してくる。

「ジュリアン様! どうにかしてよ、みっともないわ!」

 ジュリアンもまた、蒼白になっていた。彼自身はドレスを着ていないが、彼の周囲にいる味方たちが、まるで呪われたかのように光を発している。その光景は異様で、周囲の他の貴族たちが、好奇と不審の入り混じった目で彼らを見始めた。

「騒ぐな! どうせあの女の仕業だ! 安物のドレスだから、こんな欠陥が起きるんだ!」

 ジュリアンが叫ぶが、その声には焦りが滲んでいた。何が起きているのか、彼には全く理解できなかった。

 その混乱の真っ只中で、セラフィナとセバスチャンだけが、静かに世界の真実を見ていた。

 セバスチャンの端末には、信じられないほどの速度でデータが流れ込んでいた。

 『……共鳴反応を多数検知。対象:ガーデンパーティー会場』
 『個体識別コード007、015、023……計47名から瘴気共鳴波を確認』
 『侵入者の魔術的署名と、共鳴波のパターン、99.8%一致』

 この魔術的署名とは、術者固有の魔力波形(マナ・フィンガープリント)であり、リリア王国の最高法院において、指紋や血痕と同等の個人識別能力を持つと法的に認められている。その署名と、ベルフォート派貴族のドレスから発せられた瘴気共鳴波の『周波数』および『変調パターン』が、統計的に誤差の範囲内での完全一致を示したのだ。

 『証拠保全プロトコル、実行。全データは王立評議会が管理する、ブロックチェーン技術を応用した『改竄不能な魔術的台帳(クリスタル・レジャー)』へと暗号化転送され、未来永劫、誰もが検証可能な形で記録される……転送完了』

 反論不能な証拠。

 ベルフォート公爵の工作員が放った瘴気の魔術。それが、パーティー会場にいる彼の息のかかった者たちと共鳴したという、動かぬ証拠。これは、単なる妨害工作の証明ではない。ベルフォート家を中心とした、瘴気という汚染された利権に群がる者たちの相関図そのものだった。

 数秒後、ドレスの光はふっと消え、後には当惑と恐怖だけが残された。

 すべては、終わった。

 セラフィナは、狼狽し、うろたえるジュリアンとヴィヴィアンを一瞥した。かつて自分を奈落の底に突き落とした男と女。だが、今の彼女の瞳には、憎しみも、怒りも、そして憐れみすらもなかった。

 ただ、自らが設計した数式が、完璧な解を導き出したのを確認する科学者のような、絶対的な静けさがあるだけだった。

「行きましょう、セバスチャン様」

 セラフィナは、静かに彼に告げた。

「ああ。仕事は終わった」

 セバスチャンは端末をポケットにしまい、何事もなかったかのように彼女に腕を差し出す。

 二人は、誰に咎められることもなく、混乱の中心地から静かに歩み去った。彼らの背後で繰り広げられる滑稽な騒ぎは、もはや過去の遺物でしかなかった。

 王宮の門を出て、夜の冷たい空気に触れた時、セラフィナは小さく息を吐いた。

「ええ。これでようやく、古い設計図を破り捨て、新しい王国を描き始めることができますわ」

 彼女の声は、夜風のように穏やかだったが、その言葉には鋼鉄の意志が込められていた。

 セバスチャンは、愛おしそうに彼女を見つめた。

「見事な手際だった。まるで君の創るドレスのように、一切の無駄も乱れもない、完璧な『ざまぁ』の様式美だな」

 彼らの手には今、巨大な権力を根底から覆すための、光で編まれた剣が確かに握られていた。ベルフォート公爵家の長い夜は、もうすぐ明けようとしていた。
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