『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 王宮の喧騒を背に、セバスチャン・モランの紋章が刻まれた魔導馬車は、滑るように夜の闇へと溶けていった。

 防音と防振の魔術が施された車内は、外界の混乱が嘘のように静まり返っている。

「フッ……傑作だったな。あの連中の狼狽した顔は、しばらく忘れられそうにない」

 深い安堵と、抑えきれない興奮の入り混じった声でセバスチャンが呟いた。

 彼の目は、向かいの席に座るセラフィナに釘付けになっている。

 彼女はただ静かに窓の外を流れる王都の灯りを眺めていた。

 パーティー会場で目にした、自らが仕掛けた罠にかかり狼狽する者たちの姿は、もう彼女の意識にはない。

 その横顔は、勝利の女神というよりは、複雑な計算を終えたばかりの数学者のように、冷徹なまでの落ち着きを湛えていた。

「幕引きですって?とんでもない。やっと舞台の幕が上がったところですわ。主役が退場しただけの、第一幕の終わりに過ぎません」

 セラフィナはゆっくりと彼に視線を戻した。その灰色の瞳には、揺るぎない光が宿っている。

「ええ。ですが、手に入れた証拠だけでは、あの老獪な狐を仕留めるには不十分ですわ。きっと『掃除屋』を切り捨てて、それで終わりにするでしょうね」

「だが、昨夜のパーティーで、あれだけの貴族が『歩く証拠』になったんだ。評議会とて、見て見ぬふりはできんはずだ」

 セバスチャンの言葉に、セラフィナは微かに首を横に振った。

「ええ。ですが、彼らは言うでしょう。『我々は何も知らなかった。ベルフォート家から提供されたエネルギー源を使っていただけで、その汚染までは関知していなかった』と。瘴気は目に見えませんから、その言い分は通ってしまうかもしれません」

 彼女の指摘は的確だった。

 個人的な復讐は果たせるかもしれないが、その根源にある構造的な悪を断ち切るには、まだ決定打が足りない。

「君の言う通りだ。だが、我々はもう一つの『贈り物』を確保している」

 セバスチャンの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。

「アトリエに侵入した工作員たちだ。彼らは今頃、私の部下たちに丁重な『もてなし』を受けている頃だろう」

 その言葉を合図にしたかのように、馬車は速度を緩め、エーテルポート地区に聳え立つ、モラン公爵家が所有する黒曜石のようなビルの地下へと吸い込まれていった。

 ◇

 地下深くにあるセバスチャンの秘密の研究室は、王宮のどんな施設よりも高度な設備が整っていた。

 中央には巨大なエーテル・プロジェクターが鎮座し、壁一面が情報パネルで埋め尽くされている。

 研究室の隅にある強化ガラスで隔てられた一室で、ギルバート・ナイジェルは、パーティー会場から転移させられた工作員たちの魔術的署名――マナ・フィンガープリントの解析を終えたところだった。

「チッ……思った通り、公爵直属の陰気な『掃除屋』どもだ。こいつらの使う薄汚い瘴気のパターンは、ベルフォート家の紋章みてえなもんだ。間違いねえ」

 ギルバートは、吐き捨てるように言った。

 彼の顔には、弟子が仕掛けた壮大な罠の全貌を知ったことによる驚愕と、敵への嫌悪が浮かんでいる。

「それだけではありません、師匠」

 セラフィナはコンソールを操作し、メインスクリーンに膨大なデータを呼び出した。

 それは、パーティー会場のドレスに仕込まれた「共鳴型診断サブルーン」がリアルタイムで収集し、セバスチャンのサーバーに送り続けていた情報だった。

「これは……?」

 ギルバートが眉をひそめる。

 スクリーンには、王都の地図が立体的に表示され、無数の光の点が明滅していた。

「この子たちは、ただ光るだけの蛍ではございませんの。瘴気の『質』や『濃度』まで嗅ぎ分け、その巣がどこにあるのかを突き止める……私の小さな猟犬ですわ」

 セラフィナの指が空中で踊る。

 ニューロ・レンズを通して、彼女の思考が直接データを解析し、再構築していく。

「これらのデータを、王都の公式な環境測定データと照合します。すると……奇妙なことが起こります」

 スクリーンに、二つのグラフが重ねて表示された。

 一つはサブルーンが計測した実際の瘴気濃度。もう一つは、王立環境局が公表している公式データ。

 両者には、絶望的なまでの乖離があった。

「公式記録では、王都の瘴気レベルは常に安全基準値内。しかし、我々の実測値は、特にベルフォート家のエネルギー供給網に依存する地区で、危険水準を遥かに超えています」

 セバスチャンが、息を呑んでスクリーンを見つめる。

「……まさか。奴らは、王都の『目』そのものを欺いていたというのか……?」

「その通りですわ。ベルフォート家が王都に納入した公式測定装置には、自社の瘴気炉から発せられる特有の魔力パターンを検知し、その数値を自動的に減衰させる『選択的フィルター機能』が魔術的に組み込まれていたのです」

「他の発生源からの汚染は正確に測定されるため、これまで誰も不正に気づくことができませんでした」

 セラフィナは、続けてもう一つのウィンドウを開いた。

 それは「王都衛生局・極秘文書」と題された報告書だった。

「『原因不明の呼吸器疾患による死者、過去五年で七十三名。発生地域はベルフォート・エネルギー供給網に完全一致』……」

 セバスチャンが読み上げる。その声は硬かった。

 セラフィナは最後の証拠として、捕らえた工作員の一人に魔術的な自白剤を投与した際の尋問記録を再生した。

 朦朧とした意識の中で、工作員は恐るべき事実を告白していた。

『公爵様のご命令だ……瘴気炉の効率を最大化するため、安全装置は全て外してある……』

『公表されている排出量の、少なくとも五倍は出ているはずだ……』

『……公爵様は、市場地区の連中なぞ、足元の虫けらほどにしか見ておられん……』

 研究室に、重い沈黙が落ちた。

 これはもはや、産業妨害や政敵の追い落としといった次元の話ではない。

 王国の民の健康と命を犠牲にして、自らの利益を追求する、国家に対する重大な背信行為だ。

「……これで、全ての駒が揃った」

 セバスチャンは、拳を強く握りしめた。

 彼の瞳には、氷のような怒りの炎が燃え上がっていた。

「セラフィナ。明朝、王立評議会の緊急会合を招集する。君も、証人として出席してもらう」

「もちろんですわ」

 セラフィナは静かに頷いた。

 彼女の心には、もはやジュリアンやヴィヴィアンに対する個人的な感情は欠片もなかった。

 ただ、この腐敗しきった構造を根こそぎ破壊し、新しい時代を築くという、鋼のような決意だけがあった。

 ◇

 翌朝、王宮内にある王立評議会の議場は、異様な緊張感に包まれていた。

 革新派の旗頭であるセバスチャン・モラン公爵が、国王陛下の勅許を得て緊急会合を招集したのだ。

 議題は「国家の安全保障に関わる重大な脅威について」。

 伝統派の貴族たちは、不機嫌そうな顔で席に着いていた。

 彼らの多くは、昨夜のパーティーでの不可解な出来事に困惑しつつも、これをモラン公爵による政治的な揺さぶりだと高をくくっていた。

 ベルフォート公爵アレクサンドルは、病気を理由に欠席していたが、誰もが彼の差し金だと信じて疑わなかった。

「モラン公爵、これは何の茶番ですかな? 我々を貴殿の派閥争いに付き合わせるのは迷惑千万。お忙しいのは結構だが、他所でやっていただきたい」

 伝統派の重鎮であるマルティン辺境伯が、苛立たしげに口を開いた。

 セバスチャンは静かに立ち上がると、議場の中央に進み出た。

 彼の隣には、純白のシンプルなドレスを纏ったセラフィナが、凛として佇んでいる。

 その姿に、議場の一部がざわめいた。あの没落したヴァレンシア家の令嬢が、なぜここに。

「皆様に、見ていただきたいものがございます」

 セバスチャンが合図すると、セラフィナは静かにニューロ・レンズを装着した。

 彼女が軽く手をかざすと、議場の中央に巨大なエーテル・プロジェクションが投影され、鮮明な立体映像が浮かび上がった。

 最初に映し出されたのは、アトリエ「アウラ」に侵入した工作員たちの姿と、彼らが捕縛されるまでの記録映像だった。

「これは……!」

 議場がどよめく。

「次に、昨夜のガーデンパーティーの様子です」

 映像が切り替わり、伝統派の貴族たちが着ていた「アウラ」のドレスが一斉に不気味な光を放つ瞬間が、あらゆる角度からスローモーションで再生された。

 マルティン辺境伯の妻が、ヒステリックに叫び声をあげる姿も克明に記録されている。

「そして、これがその光が意味するものです」

 セラフィナの指が、空中で優雅な軌跡を描く。

 立体的な王都の地図が展開され、瘴気の汚染濃度を示す禍々しい紫色の雲が、ベルフォート家のエネルギー供給網に沿って渦巻いているのが可視化された。

 公式発表のデータがいかに偽りに満ちているかを示すグラフが、その横に突きつけられる。

「なっ……馬鹿な! このようなデータ、捏造だ!」

 マルティン辺境伯が叫ぶが、その声は震えていた。

 セラフィナは一切動じることなく、最後の証拠を提示した。

 工作員の自白音声、隠蔽された健康被害の報告書、そしてベルフォート家の内部会計資料から抜き出された、環境対策費を不正に流用し、瘴気炉の違法な高出力運転で得た利益を隠蔽するための裏帳簿のデータ。

 一つ、また一つと動かぬ証拠が示されるたびに、伝統派の貴族たちの顔から血の気が引いていく。

 セバスチャンは、工作員の自白が再生された後、静かに付け加えた。

「この自白はあくまで状況証拠の一つです。これがなくとも、我々が提示した物証とデータだけで、ベルフォート家の罪状は揺るぎません」

 彼の言葉は、彼らの戦いが感情的な糾弾ではなく、揺るぎない事実に基づいた正当な告発であることを議場に知らしめた。

 彼らは気づき始めていた。

 これは政治闘争ではない。

 自分たちが乗っていた船が、船長の手によって沈められようとしているのだという事実に。

 セバスチャンは、氷のように冷たい声で告げた。

「ベルフォート公爵アレクサンドル・デュマは、自らの利益のために王都の民を欺き、その命と健康を危険に晒した。これは、リリア王国そのものに対する反逆行為に等しい」

「我々は、王立評議会の名において、国王陛下に対し、ベルフォート公爵家の爵位剥奪を視野に入れた資産凍結、及び関係者全員の即時拘束を勧告することを、ここに要求する!」

 議場が静まり返る中、評議会議長はセバスチャンの提出した証拠の圧倒的な正当性を認め、満場一致で勧告を可決した。

 その報は直ちに国王に伝達され、国王の名において、王宮近衛騎士団に対する逮捕令状が発布された。

 ◇

 評議会で提示された情報は、セバスチャンが張り巡らせた情報網を通じて、瞬く間に王都を駆け巡った。

 エーテルポート地区にある魔導証券取引所では、パニックが起きていた。

 巨大なエーテル・ディスプレイに表示されたベルフォート家の株価を示す光の線が、垂直に近い角度で奈落へと突き刺さっていく。

 取引停止の鐘が鳴り響くが、もう手遅れだった。

「ベルフォート関連株を全て売れ! 今すぐにだ!」

「王立銀行が、ベルフォート公爵家への緊急融資を全て停止したぞ!」

「大手商会も債権回収に動いた! もう終わりだ!」

 怒号と悲鳴が渦巻く中、一つの巨大な経済帝国が、音を立てて崩壊していく。

 この破綻は、彼らに高価な魔晶石を独占的に供給していた旧守派の鉱山ギルドや、瘴気反応炉の維持管理を請け負っていた保守的な錬金術師ギルドにも連鎖的な経営危機をもたらし、伝統派全体の経済的基盤を根底から揺るがした。

 その報は、ジュリアン・ベルフォートがヴィヴィアン・ルクレールと共にいたタウンハウスにも届いた。

「嘘だ……父上が、そんなことを……」

 ジュリアンは、魔導通信機から流れるニュースを信じられないといった様子で、呆然と立ち尽くしていた。

「なんですのよ、これ! 全部あなたのせいよ! こんなことになるなら、あなたとなんて婚約するんじゃなかった! 私の輝かしい未来を返しなさいよ!」

 ヴィヴィアンは金切り声をあげ、ジュリアンに当たり散らした。

 彼女の父親であるルクレール男爵からは、既に「ベルフォート家とは今すぐ縁を切れ。さもなくば勘当する」という最後通牒が届いていた。

 ジュリアンは、ヒステリックに叫ぶヴィヴィアンの顔を、まるで初めて見るかのように眺めていた。

 自分が、セラフィナという計り知れない価値を持つ宝石を捨ててまで手に入れたかったものが、こんなにも醜く、浅ましいものだったのかと、今更ながら思い知らされていた。

 これまで彼を支えてきた、家名、財産、地位という名の地面が、足元から崩れ落ちていく。

 彼は、なすすべもなくその場にへたり込んだ。

 時を同じくして、昨日までベルフォート公爵に媚びへつらっていた貴族たちは、蜘蛛の子を散らすように離反を表明していた。

 彼らは競うようにモラン公爵に使者を送り、自分たちもまたベルフォートに騙された被害者であると訴え、忠誠を誓い始めていた。

 巨大な権力の崩壊は、かくも速く、そして無慈悲だった。

 ◇

 評議会を後にしたセラフィナとセバスチャンは、王宮の喧騒から離れたグランド・コルニーシュの遊歩道を並んで歩いていた。

 湾からの風が、彼女の髪を優しく撫でる。

 王都は、ベルフォート家の崩壊という一大ニュースに揺れているが、ここは嘘のように静かだった。

「これで、終わりではありませんわ」

 セラフィナは、きらめく水面を見つめながら言った。

 その声には、疲労の色はなく、むしろ新たな決意が満ちていた。

「これは、始まり。古いしがらみを断ち切り、本当の意味で、この国を前に進めるための」

 彼女が見据えているのは、復讐の先にある未来だった。

 クリーンなエネルギーが当たり前になり、血統ではなく、個人の才能と努力が正当に評価される社会。

 そのビジョンが、彼女の中でかつてないほど明確な形を結んでいた。

 セバスチャンは、そんな彼女の横顔を愛おしげに見つめ、そっとその手を取った。

 彼女は驚くことなく、その手を握り返した。

「君が創る未来を、ただ見ているだけでは足りない。……セラフィナ、君の隣で、その未来を共に創らせてほしい。君という光の隣こそ、俺のいるべき場所だ」

 セラフィナは、ただ静かに微笑んだ。

 その笑顔は、彼への最も確かな答えだった。

 その時、遠くから、複数のサイレンの音が聞こえてきた。

 王宮の近衛騎士団が、魔導装甲車で出動する音だ。

 評議会の決定を受け、国王の令状を携えた彼らが向かう先は、一つしかない。

 ベルフォート公爵アレクサンドル・デュマの屋敷。

 一時代の終わりを告げる音が、新しい時代の夜明けを祝福するように、王都の空に響き渡っていた。
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