透きとおる泉

小貝川リン子

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第四話:転②

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 恋をしたのはいつだろう。きっと、出会ったその瞬間から、透は恋に落ちていた。
 家族が増えると聞いてわくわくしていた。桜舞い散る春の日差しの中で出会った、今日から兄弟になるという同い年の少年を、透は一目で気に入った。想像もしていなかった新しい生活の始まりに、自然と胸が高鳴った。
 ある晩、透が泉に弱音を零した時のこと。
 死別した母親が恋しいなんて、心の中では思っていても、人前では滅多に口にしなかった。友人の前では虚勢を張ってしまうし、仮にそんなことを言ってお通夜のような雰囲気になるのもごめんだった。大人はみんな悲しい顔をするし、父親に至っては、きっとまた透に隠れて泣くだろう。だから、母の死に触れることを、透はなるべく避けていた。
 それでも、泉と二人でいるとつい気が緩んで、本音を漏らしてしまった。泉は、透を無理に励ますのではなく、単純に慰めるのとも少し違って、ただ透に寄り添ってくれた。泉がそんな風に思ってくれたこと、その気持ちそれ自体が、あの時の透には嬉しかった。
 決定的な事件が起きたのは、小学校五年の夏休み。家族で山へキャンプに出かけた時のことだ。
 日常を離れ、大自然を肌で感じながら、思い切り体を動かす。なかなか得難い経験だ。当然のことながら、透も泉も、自然の中での遊びに夢中になった。川遊び、水遊び、スイカ割り、蟹を捕まえたり、魚を追いかけたり。中でも、特に熱中したのは虫捕りだ。
 
「なぁ~、もっとかっこいい虫探そうぜ。蝉は取り尽くしちゃったし」
 
 そう言い出したのは透だった。虫カゴいっぱいに集めた蝉がわんわん鳴いている。
 
「かっこいい虫って、どんなだよ」
「だからさぁ、カブトとか、クワガタとか? でっけぇ蝶々とか!」
「森の奥まで行けばいるかもしれないけど……」
「じゃあ探しに行こーぜ!」
 
 透は、渋る泉の手を掴む。
 
「でも、遠くには行っちゃダメって」
「大丈夫だよ。ちょっとだけだから!」
「そんなこと言ったって」
「ちょっと行って、見つからなかったら諦めるから! 泉だって、捕まえたいだろ? でっけぇカブトムシ! 見てみたくない? それにさ、俺一人じゃ危ないけど、泉が一緒だし。二人いれば大丈夫だって」
「……じゃあ、ちょっとだけだぞ。暗くなる前に戻るからな」
「よっしゃ。カブト捕まえるぞ~!」
 
 キャンプサイトを離れると、森の緑は一層色濃く、鬱蒼として、二人の息遣いまでもが遠くへ響くほどに、ひっそりと静まり返っていた。
 思った通り、そこは少年にとって楽園だった。草むらを掻き分けて、道なき道を行く。嫌でも冒険心が擽られる。珍しい昆虫はもちろん、小動物にでも出会えやしないかと、透は胸を躍らせた。
 
「なぁ、あそこ!」
 
 羽音が聞こえた気がして、透は空を見上げた。そびえ立つ巨木の太い幹の真ん中に、遠目にも分かるほど大きく立派なカブトムシが止まっていた。
 
「すげぇ。よく見つけたな」
「でも、あんな高いとこ、どうやって……」
「おれに任せとけ」
 
 泉は一旦荷物を置いて、木によじ登った。凸凹とした幹の出っ張りに足を掛けて、慎重に登っていく。
 
「カブトが逃げないか、見張っててくれ。あと、網寄越せ」
 
 今や、透の頭よりも高い位置に、泉の足がある。透は、虫捕り網の柄を、泉の手に握らせた。
 
「カブト、樹液に夢中だぞ。今がチャンスだ」
「分かってる。こっちに気付かれたらおしまいだからな……」
 
 泉は、木を揺らしてカブトムシに逃げられないよう、慎重に慎重に近付いて、そっと網を被せた。
 
「捕れた!」
「やった!」
 
 しかし喜びも束の間。泉が足を滑らせた。幸か不幸か、枝葉がクッションになり、骨折は免れた。しかし、折れた枝の鋭い先端が、泉の目を突き刺した。手で押さえた左目から血の涙を流して、泉は苦しそうに呻く。
 
「泉! 泉っ! どっ、ど、どうしよう。早く、手当てを……」
 
 とにかく必死だった。透は泉に肩を貸し、元来た道を急いだ。しかし、どれだけ歩いても、元いた場所に辿り着けない。
 それもそのはずで、二人のいた場所はハイキングコースからは外れていたし、キャンプサイトからもかなり離れたところまで来てしまっていた。森の景色はどこも同じように見え、目印になるようなものは何もない。道なき道を切り拓いて進んできた弊害だった。もはや、どの方向を目指して歩けばいいのか、それすらも分からない。
 
「泉……血が……」
 
 行く先は分からないのに、来た道は分かる。木の梢や藪の草葉に、赤い血が点々と滴っていた。泉はもうぐったりとしていて、透を支えにようやく踏ん張っているという状態だった。
 
「泉…………」
 
 死という文字が頭を過った。長らく闘病の身であった透の母も、死の間際はこんな風に弱り切って、喋ることさえままならないという状態だった。嫌でも、母の死が想起させられる。
 
「なぁ、泉……どうしよう、俺……」
「だいじょうぶ、だから……」
「でも、泉……」
「すこし休もう」
 
 斜面を背にして座り込んだ。何となく、何もない場所だと不安で、背後だけでも守られていれば安心だった。
 
「なにか、包帯になるもの」
「包帯? っていっても……」
 
 すぐに思いついたのは、今着ている服だった。というか、それしかない。
 
「だめだ。お前がさむい」
「じゃあ、下着は? それなら寒くねぇよ」
 
 透はインナーを脱ぎ、枝に引っ掛けて力任せに引っ張って切り裂き、細長い布状になったそれを、泉の左目に巻き付けた。白い布が血を吸って赤く染まっていく。
 
「泉……」
「だいじょうぶだから。んな顔すんな」
「でも、目が……」
「きっと、おれたちがいないのに気付いて、だれかがさがしに来てくれるから……だから、それまでがんばるんだ」
 
 しかし、誰にも見つけてもらえないまま無情にも時は流れ、とうとう夜を迎えた。山では平地よりも早く日が暮れるらしい。
 
「……おなかすいたぁ……」
 
 透の呟きは、宵闇へと吸い込まれる。泉は、ガサゴソとポケットを弄った。
 
「透。手だせ」
「なに……?」
 
 透の掌に、泉の手が重なる。握られていたのは、一つの飴玉だった。キャンプ場までの道すがら、車の中で食べたおやつだ。透は自分の分をとっくに食べ終えていたが、泉はポケットに一つ残しておいたらしい。
 
「やる」
「ほんと!? ……いややっぱいらない。これは泉のモンだし。泉が食えよ」
「……おれは……はらへってないから……」
「うそ言うな。泉の方が食べないとダメなんだ。怪我してるんだから」
「でも、おれは……」
「泉が食べないなら俺も食べない」
「それは……でも……」
 
 泉は頑として首を縦に振らない。
 
「おれだって、透が食べないなら食べない……」
「……じゃあ、半分こする?」
「飴だぞ。どうやって」
「順番に舐めるってこと」
 
 透は慎重に封を破り、キャンディを口に放り込んだ。すかさず泉の頭を抱き寄せて、手探りで口を探す。
 
「なにすんだよ」
「いいから口開けて。ここ?」
「おい、なにを……」
 
 透は、手探りで泉の唇を確認し、自身の唇を押し付けた。ビクッと泉の肩が揺れる。舐めていた飴玉を舌で押し出して、泉の口内へと転がした。
 
「……順番って、こういうことかよ……」
「天才だな」
「自分で言うな」
 
 キャンディを舌の上で転がしてから、泉は透の頬に手を添えた。
 
「お前も口開けろ」
「ちゃんと味わった?」
「ああ」
「何味?」
「いちごミルクだろ、ばか」
 
 再び唇がくっつく。泉の口内で溶け始めていたキャンディが、再び透の口内に戻ってくる。
 
「甘い」
「うん」
 
 唇を離す時間も惜しく、キャンディを溶かしては送り出し、受け取っては送り返し、いちごミルクが溶けた唾液ごと、舌先を交わらせるようにして送り合う。二人分の体温でゆっくりと溶けるキャンディを、大切に大切に味わった。
 いちごミルクの優しい甘さで、僅かながら心は癒されたが、その効果も永遠ではない。一度覚えた甘さが恋しくて、余計に心細く思えてくる。
 森の奥、真夜中の闇は果てしなく深く、恐ろしい静寂に満ちている。風が吹けば木々はざわめき、獣の叫び声が響く。猛禽類の羽ばたきが聞こえ、不気味な囀りが響いてくる。
 些細な物音にも息を潜め、耳をそばだて、神経を尖らせずにはいられない。そうしているうちに、自分というものがだんだん分からなくなってくる。輪郭が溶け出して、暗闇と一体化していくように感じられて、孤独と不安に押し潰されそうになる。
 夜はこんなにも長かったろうか。まるで無限だ。果てがない。夜明けはいつだ。今か今かと待てば待つほど、遥か彼方へ遠のいていく。
 きっと、もう二度と朝日を拝むことはできないのだろう。深淵なる闇に囚われたまま、儚い生涯を閉じることになるのだ。
 死んだらどうなってしまうのだろう。死後の世界も、こんな風に暗闇が続いているばかりだとしたら? 魂はどこへ行くのだろう。全部消えてしまうのだろうか。
 お父さん、お母さん、ごめんなさい。こんなことになるなんて、思っていなかった。言い付けを守るべきだった。全然大丈夫じゃなかった。二度と会えないかもしれない。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 
「……眠れないのか」
 
 ふと、泉が言った。透はさっと顔を伏せる。
 
「泉は……怖くないの」
「……」
「ごめん……」
 
 怖くないわけがないのに、馬鹿なことを言った。泉は、そんな透にそっと寄り添う。日に焼けた肌の温もりが伝わってくる。
 
「透。空を見てみろ」
「え……?」
 
 透は顔を上げ、空を仰いだ。果てしなく続くと思われた闇の先。満天の星が広がっていた。それは息を呑む美しさだ。星明かりが降り注ぎ、泉の輪郭を仄かに照らした。
 
「すごいだろ。全部星だ」
「うん……きれぇ……」
「おれ、こんなの見るの初めてだ。きっと、山の上で空気が綺麗だから、星も綺麗に見えるんだな」
「俺も、こんなの初めてだよ。夜の空って、ホントはこんなに明るいんだな」
 
 泉は天を指差して言う。
 
「あれが、天の川。あそこから、あそこまで、ぜーんぶ星の集まりだ」
 
 天を大きく横切るように流れる、白い川。あの光の一粒一粒が全部星だなんて、信じられない。
 
「で、あれが夏の大三角。天の川にかかってる」
 
 泉が空に三角形を描く。その指先を、透は目で追いかける。
 
「どこ? 分かんねぇ」
「あそこだよ。理科で習ったろ」
「もう忘れたし。織姫と彦星?」
「一番明るく光ってるのがこと座のベガで、織姫星。十字架みたいになってるのが白鳥座のデネブ。ベガから見て天の川の向こう岸に見えるのが、わし座のアルタイル。これが彦星だ」
「えーっと……?」
「あそこだって。天の川の、ちょうど真ん中辺り」
「あっ、ホントだ! 見つけた!」
 
 泉の説明に沿って、透も夜空を指でなぞった。
 
「なぁなぁ、あの赤い星は?」
「さぁ。さそり座かな。それか、火星かも」
「火星? 地球から見えるんだ」
「まぁ、隣の星だし」
「にしては小っさいな。すごい赤いけど。燃えてるの?」
「火星が光ってるんじゃなくて、太陽の光を反射して赤く見えるんだ」
「じゃあ、金星は金色?」
「うーん……そういうイメージはあるけど……」
「俺、あそこの二つ並んでる星、好き。望遠鏡とかあったらなぁ」
 
 満天の星に夢中になっていた、その時だ。透の視界を掠めるように、一瞬何かが煌めいた。
 
「えっ、今のって?」
「ああ。流れ星だな」
「だよな? すげぇ~、初めて見たかも! あっ、また!」
 
 キラッと光って、瞬きのうちに消えてしまう。夜空を滑り落ち、天の川へ吸い込まれるように溶けていく流れ星。透は、目を皿のようにして星空を見上げた。
 
「一瞬すぎて、願い事なんか言う暇ないな。どこから流れてくるかも分かんないし。どこ見てたらいいか分かんねぇ。なぁ、泉も見つけたら教えてよ?」
「ああ。でも、流れ星なんてそうそう流れないぞ」
「分かってるけどさ、だから絶対見逃したくないの!」
 
 願い事なんて、一つに決まっている。泉と二人で家に帰るんだ。両親は、きっとひどく怒るだろうけれど、きっと優しく抱きしめてくれる。まだ希望はある。今この瞬間も、きっと誰かが諦めずに捜してくれている。明日になれば、きっと誰かが見つけてくれる。その時までの辛抱だ。絶望するにはまだ早い。
 いつの間にか眠っていた。夏とはいえ、夜の山中は冷える。幼い二人は自然と身を寄せ合って、肌を触れ合わせて暖を取った。二人でしっかりと寄り添っていれば、寒さも空腹もある程度は凌げる。そして、無事に夜明けを迎えた。
 
「……」
 
 鳥の声がうるさくて、透は目を覚ました。辺りはすっかり明るい。昨晩、涙が零れるほどに待ち望んだ朝日が、今、透の全身を包んでいる。
 
「……眩しい……」
 
 朝の光は、こんなにも眩しかったのか。朝を告げる小鳥の歌は、こんなにも騒がしかったのか。朝露に濡れた森の緑は、こんなにも輝いているのか。濡れた土の匂いも、吹き抜ける風の香りも、全てが素晴らしく美しいものに思えた。
 ふと、透は耳をそばだてた。どこからか人の声がする。確かに、透と泉の名を呼んでいる。助けが来たのだ。
 
「泉! 泉起きろ! 助けが来たんだ!」
 
 透は、肩にもたれて眠っていた泉を揺さぶった。しかし、泉は目を開けない。蒼い顔をして、ぐったりしたまま動かない。いつも透より先に起きて、透を叩き起こしてくれるのに。なぜか泉は目を開けない。
 
「な、なぁ、泉? どうしたんだよ……!」
 
 インナーを裂いて作った包帯が解ける。昨日怪我をした左目が真っ赤に腫れて、ひどく熱を持っていた。顔は蒼いのに、左目だけが真っ赤だ。赤を通り越して、黒ずんでいるようにさえ見える。
 
「い、泉っ……なぁ、しっかり……しっかりして! 起きろよぉっ!」
 
 どうしよう。どうしよう。透の脳内に死という文字が過る。昨日の夜は元気そうだったのに。一緒に星座を見つけて、流れ星を探して、それで……
 そこで、透はようやくある考えに辿り着いた。泉は、闇に恐怖し不安に慄く透のために、既に限界を迎えていた体力を振り絞って、星の話をしてくれたのではないだろうか。闇から目を逸らし、少しでも不安が紛れるように、あの美しい星空を見せてくれたのではないだろうか。
 一度その考えに至ると、ますますそうとしか思えない。だって、目に枝が刺さったのだ。想像もできないほど、痛く苦しいに決まっている。透の前では気丈に振る舞っていたが、それだってもう限界だ。どうしよう。このままでは、泉が死んでしまう。透は力の限り叫んだ。
 神様仏様、誰でもいいから泉を助けてください。これからはもっといい子にします。家のお手伝いをちゃんとやります。叱られる前に宿題やります。ブロッコリーも残さず食べます。忘れ物なんか絶対しないし、草むしりもトイレ掃除も嫌がりません。だから、どうか、泉だけは助けてください。
 透の願いが届いたのか、ただ運がよかっただけか、二人は無事に救助隊に保護され、即刻病院へ搬送された。
 長きに渡る治療の末、泉がようやく意識を取り戻した時、透はベッドの傍らで泣きじゃくった。赤ん坊みたいにわんわん泣いた。
 
「透……泣くなよ……」
「だって……泉……!」
「大丈夫だから。な?」
「っ、でも……!」
 
 傷付いているのは泉自身なのに、自分のことよりも透のことを気にかけてくれる。心配させないように優しく微笑んで、頭を撫でてくれる。左目を覆うように巻かれた包帯が痛々しくて、透はまたわんわん泣いた。
 こうなったのも、全て透の責任だ。泉の命を危険に晒し、左目を失わせた。泉は危険を訴えていたのに、透が無理やり森の奥へと連れていった。カブトムシを捕まえたいなどと、くだらないわがままを言ったせいだ。
 これからは、決して泉を危険な目には遭わせまい。二度と泉を傷付けまい。あの日知った、泉の強さや優しさを、今度は透が泉に返す番だ。これからは、透が泉を守る番だ。この世のあらゆる残酷さや恐れから、泉を守ってあげたい。透は密かにそう誓った。
 しかし、誓っただけで全てがうまくいくわけではない。どうすれば泉を守れるのか、その正しいやり方が、未熟な透には分からなかった。分からなかったから、間違えてしまった。
 透が泉との関わり方を考え直す切欠になったのは、中学一年の冬のこと。透が邪魔をしたせいで、泉が付き合いたての彼女と別れることになった、あの事件のことだ。
 もちろん、透は邪魔をしたつもりはない。ただ、泉のそばにいなければ泉を守れないと思っていたし、彼女が泉にふさわしい女かどうか見極めなければならないという使命感もあった。そのことが、泉にしてみれば鬱陶しかったのだろう。今にして思えば、泉の怒りももっともだ。
 しかし、四六時中兄弟で一緒にいるのはおかしい、気持ち悪いとまで言われてしまったら、透は泉との関わり方のみならず、自身の心までをも見つめ直さねばならなくなる。
 透は泉をあらゆる恐怖から守りたいと思っているが、それは泉が守られるべき弱い存在だと思っているからではない。目が悪く病弱で運動音痴の泉を見下しているからでもない。ただ、痛い思い、苦しい思いをしてほしくないだけだ。この気持ちの正体は、一体何なのだろう。
 もう一つ、奇妙な事実がある。泉が女の子に告白され、付き合うことに決めた時、透はある感覚を覚えた。胸が締め付けられて、息もできないほど苦しい。それでいて、胸の奥底に何か熱いものが焦げ付くような。こんなことは初めてで、自分でもどうすればいいのか分からなかった。
 あれは紛れもない嫉妬心だった。どこの馬の骨とも知らないぽっと出の女に泉を奪われるなんて、そんなことを許せるはずがない。無自覚ではあったが、透は並々ならぬ嫉妬の炎を燃やしていた。
 この感情は恋かもしれない。透はようやく自覚した。同時に、兄に抱くべき感情ではないことも理解した。ただ、まだ疑いの余地はある。それを確かめるために、透は適当な女の子と付き合ってみることにした。
 来る者は拒まず、去る者は追わず。同学年の女子だけでなく、先輩はもちろん、後輩に至るまで、付き合ってくれそうな女の子とは片っ端から付き合ってみて、感情の変化を確かめた。透が泉に抱く感情は恋ではないという、決定的な証拠が欲しかった。
 しかし、透の期待とは反対に、泉に対して抱く感情が特別なものであることは、ますます疑いようのない事実として浮かび上がってくる。色々な女の子と付き合ってみても、泉に対して抱いたのと同じ感情は湧いてこない。女の子を可愛いとは思うけれども、触れてみたいとは思わない。触れたところで、心が動くことはない。
 透はいよいよ追い詰められた。泉を愛している。やっとそう気付けたのに、泉を守るためにはこの気持ちは封印しなければならない。泉にとって、透のこの一方的な感情は、迷惑でしかないだろう。同性の、血の繋がらない兄に片思いなど、笑い話にもならない。
 けれども、頭では分かっていても、感情をコントロールするのは難しい。泉を傷付けたくはない。この気持ちを知られたら、きっとまた泉を傷付けることになるだろう。だったら潔く諦めて身を引けばいいものを、意気地がないためにそれも出来ず、中途半端に泉を避けて、中途半端に見守って、透にはもう、何が正しいやり方なのか分からない。
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