透きとおる泉

小貝川リン子

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第三話:転①

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「……金谷さん、また眼鏡に戻したの」
 
 何も変わらない日常。今日も今日とて、泉は委員会活動を真面目にこなし、金谷と共に図書室に詰めていた。
 
「戻したわけじゃないんだけど、コンタクト切らしちゃって」
「そう。たまには眼鏡もいいんじゃないか」
「そ、そうかな……」
 
 金谷は微かに頬を染め、一つに結んだ髪を撫でた。少し前までは頭頂部に近い位置で結ばれていたポニーテールが、今日はうなじの辺りまで下がっている。唇は自然な色をしていて、睫毛は下方を向いている。
 それからはしばらく会話もなく、二人は淡々と図書委員の業務に取り組んだ。本棚の整理、書庫の管理、貸出や返却を受け付けるカウンター業務、などなど。特段忙しいわけでもなかったが、気付けば下校時刻が迫っていた。
 ふと、泉はグラウンドを見下ろした。茜色の光が差す中、ラケットを片手に透がテニスコートから戻ってくるのが見えた。
 
「……ねぇ、泉くん」
 
 本棚を挟んだ向こう側で、金谷が口を開いた。
 
「あのね、私……」
 
 金谷は、何度も躊躇うように口籠った。
 
「……透くんと、別れたの」
「……そうか」
 
 こういう時、どんなリアクションをすればいいのか分からず、泉はそれだけ答えた。厚い本に阻まれて、金谷の表情も分からない。
 
「透くん、泉くんには本当に何も話してないんだね」
「あいつ、おれが嫌いなんだよ」
「そうなのかな」
 
 夕闇の迫る図書室で、一冊ずつ、本を棚に戻していく。
 
「私といる時は、透くん、いつも泉くんの話をしてたよ。委員会の時はどんな感じかって。周りに迷惑かけてないか、先輩はいい人かどうかって」
「あいつは昔からそういうところがあるんだ」
「昼休みはどう過ごしてるかなんて聞かれても、私だって泉くんとはクラス違うんだから、分かるはずないのにね」
「……」
 
 金谷の声は落ち着いていた。少し笑っているようにさえ感じた。しかし、それ以上に寂しそうだった。
 
「そのうちね、気付いちゃったの。透くん、私のことは好きでも何でもないんだなって。嫌われてたとまでは思わないけど、恋愛の対象には掠ってもいないんだなって。だって、私といるのに、私のことなんてまるで眼中にないんだもん。いつも別の人のことを考えてた」
 
 泉は、中一の頃に付き合っていた彼女のことを思い出した。
 
「……ひどい男だ」
「うん。でも、私も悪いんだ。泉くん、私達がどうして付き合うことになったのか、聞いてる?」
「全然」
「私が透くんに恋愛の相談をしたの。……先に声をかけてきたのは透くんだったかもしれないけど、ちょっと仲良くなってから、私が恋愛相談をして、そのうち……」
 
 金谷は再び躊躇うように口を噤んだ。
 
「……あのね、今更こんなこと言うの、おかしいし、ずるいとも思うんだけどね」
 
 本と本の隙間に金谷が覗く。
 
「私、ホントは…………泉くんが好きだったんだ」
 
 まるで恋の終わりを告げるような告白だった。始まってさえいないものが終わる。ときめきはとうに消え失せている。
 
「……ごめんね。急に、こんなこと……。でも、言えないままなのは苦しくて……」
「……」
「私がすっきりしたかっただけなの。だから……ごめんなさい」
「……ああ」
 
 誰にも打ち明けることのできない秘密を一人で抱えたまま生きることほど、辛く苦しいものはない。泉には、金谷の気持ちが痛いほど分かった。だからこそ、怒りが湧く。
 
 *
 
 夕食後、泉は、夜の散歩に付き合ってほしいと言って透を誘い出した。夜に散歩をする習慣なんてないのに、透は泉を訝しむ素振りもなく、それどころか、どこか嬉しそうな様子で、泉の隣をついて歩く。
 泉から誘った手前、何か喋って場を持たせなければならないが、二人きりで何を話せばいいのか、なぜか緊張してしまう。例の件についても、どうやって切り出したものかと、逡巡しては気を揉んだ。
 
「なぁ、透。お前……」
 
 もうどうにでもなれという気持ちで、泉は口を開いた。
 
「別れたんだってな」
「……ああ、うん」
 
 明らかに生返事だ。透は、この件についてあまり触れられたくないようだった。
 
「金谷ユキのことだぞ。分かってんのか」
「分かってる。泉、図書委員だもんな。話くらい聞いてるか」
「……どういうつもりだよ」
「……何が?」
「とぼけるなよ。お前、知ってたんだろ。彼女が、本当は……」
「……」
 
 透は黙りこくって俯いた。
 
「どうせまた、あの時みたいに、おれの邪魔をしたかっただけなんだろ。おれがモテるのが気に食わなかったんだろ。さぞ楽しかっただろうな。おれの気持ちも知らないで」
「……」
「何とか言えよ。お前、何がしたくてこんなことするんだよ。女傷付けてまで、そんなにおれに嫌がらせがしてぇのか」
「……違げぇよ……」
「じゃあ何だよ。どういうつもりで、こんな回りくどいことをする? おれのこと、嫌いなんだろ。だからいつも……」
「……嫌ってねぇって」
「嫌ってんだろ。ずっと避けてんじゃねぇか。同じ家に住んでんのに会話もねぇ。ろくに顔も合わせねぇ。これで嫌ってねぇわけねぇだろ」
「それは泉が」
「おれは別に構わねぇよ。お前に嫌われたって、避けられたって、憎まれたっていい。だからお前もおれに構うな。お前、まだあの時のこと……キャンプで遭難した時のこと、おれを恨んでいるんだろ」
「なっ……なんでそうなるんだよ?」
「だってそうだろ。お前がおかしくなったのはあの時からだ。おれへの当て付けみたいに過保護になったり、徹底的に避けるようになったり。おれの醜い面のせいだろ。これ見るとあの夜のことを思い出すから」
「んなわけねぇだろ! 俺、一回もそんなの思ったことねぇよ」
「じゃあ何なんだよ。お前は何がしてぇんだよ。おれを嫌いなら嫌いってはっきり」
「だから違げぇって」
「だったら何だよ。はっきり言えよ。分からねぇのが一番ムカつくんだよ。はっきり言ってくれりゃあおれだって──」
「っ……だからっ! 好きなんだよっ!!」
 
 閑静な夜の住宅街に、透の声が響く。粗野で乱暴でひたむきな、力強い告白だった。
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