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本編
2 出逢い
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一週間などあっという間に過ぎ、今日はアンスリウム家に入る日だ。
鏡の前の椅子に腰掛け、エマに髪を結いてもらっている最中ですら、頭の中は不安で埋め尽くされている。
「はぁ……」
「お嬢さま、まだ朝ですのに何度目のため息ですか?」
エマが呆れたように軽くからかってくる。
「だって……」
様々な感情がぐるぐると胸の中でうごめいて、それ以上言葉を続けることができなかった。
「……お嬢さま、こちらをどうぞ」
「え?」
手首に柔らかな感触を感じ、目を向けると薄い桃色の花が咲いていた。
「庭園の花のブレスレットです。高価な物ではないのですが、古くからの知人が花を枯らさずに、綺麗なままアクセサリーにできる特殊技術を用いている職人でして、特別にその方法を伝授してくださりました。僭越ながら私なりに心を込めて作らせていただきました」
緊張したように頬を赤らめて言うエマがとても愛おしく感じ、ブレスレットに触れた。
「とても嬉しいわ。大変だったでしょう?本当にありがとう」
「いえ!喜んでいただけて嬉しいです」
安心したように頬を緩ませたエマと花を見て、温かさと切なさが沸き起こる。
「このお花にはたくさんの思い出があるわね。それに庭園にも……たくさんエマと過ごした場所よ。……寂しいわ」
目の前が滲んでいく。
「お嬢さま……」
ぎゅっと私の手を包んでくれたエマのぬくもりだけは、これからも守らなければと誓ったのだった。
馬車に揺られながら外の景色を見ると、青く澄み渡る世界に色とりどりの花々が咲き誇っている。
その眩しさが、自分の中に突き刺さって思わず目を細めた。
「お嬢さま、門が見えましたよ」
「わぁ、とても美しいわね」
出迎えられた門は繊細でいて、それでいて華やかで、まさにアンスリウムの名に相応しい飾らない美しさだった。
馬車がそのまま門を潜り抜け、光が反射する噴水をも通り抜けた。
「ブロッサム家よりアイリス様のご到着です!」
力強い声と共に扉が開かれる。
そっと俯き気味に降りると、アンスリウム家一同らしき人々が視界の隅に入る。
「お初にお目にかかります。ブロッサム家が次女、アイリスでございます」
何度も練習してきたが、身体の貧弱さ故に苦手とするカーテシーを指先から足先まで神経を張り巡らせ、なんとか形にすることができた。
(第一関門突破……というところかしら?)
「元の姿勢に戻って良い」
耳触りの良い低い声と、私に向かって差し出された手────。
何故だか胸がざわめき、恐る恐るその手を取る。
そのお方を見た途端、心臓が締め付けられて喉から風を切る音がした。
今まで知らない自分に困惑していると、その男性は私を見つめながら眉間に皺を寄せて不快感を露わにしてきた。
(きっと、このお方があのイザークさまなのね。やはり婚姻はしたくなかったみたいだわ……。)
想像できていたはずなのに、どこか寂しく感じてしまう自分がいた。
「遠い所から来られて疲れたでしょう。中にお入りになって?お茶にしましょう」
気まずい空気を断ち切るかのように、イザーク様のお母さまがそうおっしゃられた。
「そうだな、その時に改めて話そう」
それにお父さまが同意すると、さすが優秀な執事たち……すぐに手配を始めた。
(事前に知れたのはイザーク様のお父さま、アンスリウム家ご当主だけだけれど、お母さまもイザークさまご本人も分かるものね。)
「行くぞ」
「はい。ありがとうございます」
イザークさまは完璧なエスコートをしてくれるけれど、それはあまりにも淡々としていて、義務としての行動なのだと分かってしまう。
屋敷の中は計算し尽くされたかのように美しく、調度もさすがとしか言いようがない。
触れている手の温もりに、なんとも言えない心地よさを感じて、そっとイザーク様を見上げる。
あまりにも透き通った瞳、そして日々の鍛錬が原因なのか、はたまた戦場でのものなのか、片眉には傷跡がある。
「……何だ」
「……え!あ、すみません。とても綺麗だったので、つい」
透き通った瞳が冷たい眼差しで見下ろしてきたことに気が動転してしまい、初対面の殿方に綺麗だなんて言ってしまった。
もう頭は真っ白だ。
ただでさえイザークさまは婚姻したくないというのに、さっそく嫌われてしまったら今後が危うい。
────と、思ったのも束の間、イザークさまは眉間に深い皺を寄せた。
怒っていらっしゃるのかしら……?
いえ、もしくは、困惑?
「綺麗だなんて自分にはかけ離れたものだ」
「……私には、とても綺麗に見えます」
綺麗だと感じた瞳を見つめてそう言うと、イザーク様は一瞬固まったように見えたけれど、すぐに冷たい眼差しになった。
「自分に媚など売るな。あくまで利益のための婚姻だ」
その言葉に頭が冷えた。
この胸のざわめきも、きっと緊張しやすい自分が不安を抱いているからだったのだろう。
利益のための婚姻など、とっくに理解している。
けれど、とても腹が立った。
私は正直な感情しか伝えなかったし、何よりも、私が媚なんて売るはずがない。こんな情けない自分だけれど、そんな汚いことはしない。
────いや、この世界で生き残るためには、そういうことをせざるを得ないこともあるのだろうか。ただ、今は純粋に思ったことしか口にしていない。
「わかりました。婚姻のことも理解しております」
はっきりと、力強く返した。
ある意味では、これは互いの婚姻に対する宣言と言えるだろう。
つまり、『愛などない』ということだ。
少しの間があってから、イザークさまは一言「そうか」とだけ答えた。
着いたのはティールームだった。
純白の空間は綺麗だけれど、冷ややかで居心地が悪い。
「アイリス様はこちらのお席へどうぞ」
無表情の執事に促され、イザークさまの隣へと座った。
すると、それぞれに柑橘系の香りがする紅茶が注がれる。
「蜂蜜はいるか?」
「蜂蜜……頂きたいです」
「そうか。おい、アイリス嬢にこの前手に入った蜂蜜を用意してくれ」
「畏まりました」
先ほどあんなことを言ってきたイザークさまがこちらを気遣う様子に困惑する。
最初に話を切り出したのはアンスリウム家現当主であり、イザークさまのお父上だった。
「ゴホン。アイリス嬢、此度は急にすまなかったな。実はここ最近怪しい動きがあり、近隣国との争いが生じるかもしれんのだ。そこで、我がアンスリウム家とブロッサム家が手を組み、国王陛下の力も加わることで、この国を守ることができればと考えた。こちらに嫁いでもらうからには、衣食住は保証する」
「いいえ、こんな私を迎え入れてくださりありがとうございます。そのような噂も聞いたことがありませんでしたので、正直驚いておりますが、父はきっと国のために大きく貢献すると思います。これから宜しくお願い致します」
今のところ、思っていたよりはだいぶ柔らかな雰囲気で安心したが、気を抜いてはいけない。
アンスリウム家ご夫妻は仮面を被ることができると心得ている。
「ふふ、素敵な女の子が来てくれて嬉しいわ。私ね実は女の子もずっとほしかったのよ。本当の母娘のように接して頂戴ね」
微笑みはとても甘いお母さまも、貴族の中では有名な策略家だ。
お姉様にも再三ご注意を受けた。
「アイリス、よく聞いて。決して油断して足元を見られては駄目よ。いつ転ばされるか分からないわ」と。
ただ、これはどの貴族にも言えることだ。
これからは、いついかなる時も完璧でなければならない。
「はい、お母さま」
だから、淑女として完璧な微笑みを見せた。
すると一瞬だけ、目が細まったのが分かった。
「優しい子ね。私たちが決めてしまった婚姻だけれど、この先も夫婦として過ごすのだから少しでも仲を深めたら?」
お母さまのその一言で、イザーク様と二人きりで過ごすことになってしまった。
「…………」
耐え難い沈黙が流れる。
「はぁ」
大きなため息に肩が揺れてしまうと、それを見たイザーク様は、またそっと手を差し出してきた。
「うちは庭園が自慢なんだ、見に行こう」
「庭園?見たいです!」
庭園という言葉に少しの親しみを感じて、笑顔が溢れる。
「……そうか。庭園が好きなのか?」
歩きながら一応会話はしてくれるらしい。
「はい、特に花が好きなんです」
「花か……」
それからイザークさまは何かを考えたように黙り込んでしまったので、ただエスコートされるがままに歩いていると、エマとよく過ごした庭園よりずっと大きな庭園が現れた。
そこには、馬車の中で見た色とりどりの花々が咲き誇っていた。
あの広さに咲いていた花の全てを庭で見られるだなんて、信じられない。
「とっても美しいです!イザークさま!」
幸せな気分になり、見上げるとなんだか優しい顔をしている。
「えっと、イザークさま……?」
瞳を伺うように覗き込むと、ハッとした顔をした後はまた冷たい表情に戻っていた。
「知っていると思うが、俺は騎士で忙しい。そして君は自由にこの家を出入りすることはできない」
「ええ、お忙しいのは存じ上げております。ですが、自由に出入りすることはできないというのは何故ですか?」
「君の体調の事もあるが、仮にも俺の妻となるのだから、これからどんな危険があるか想像つくであろう?俺を恨む奴らが山ほどいるんだ」
「……承知しました」
自由に出入りできないということは、元の家にもあまり帰れないということだろう。
それはもちろん悲しい、悲しいけれど、何よりもイザークさまがどこか苦しそうで、それが見ていて悲しかった。
「……すまんな」
「何故、謝られるのですか?イザークさまは何も悪くありません」
「そうか。……そのブレスレットはどんなやつがくれたんだ」
「ブレスレットですか?」
急にブレスレットに触れられて、手首に咲いている花を見ると、頬が緩んだ。
「これは、」
「やっぱり答えなくて良い!」
答えようとした途端に、大きな声で遮られて固まってしまう。
イザークさまはそんな私を見ると、また眉間に皺を寄せた。
「いや……ゴホン、それの差出人がどうとか私には全く関係がないことだったと思い直した。今後も別に付けてて良い」
また、壁を作られたと感じた。
「関係がないって、だからそれが何なのですか」
「……?」
「私は、この婚姻は決められただけのものって理解しています。愛が生まれることがないってことも────。けれど私はイザークさまに本心で接しましたのに、媚などと仰るし、少しでもお話できたと思ったら今度は関係がないから聞かないなんて……少し酷いと思います」
イザークさまの目が軽く見開かれた。
自分でも何て勝手で、支離滅裂なことを言っているのだろうと思う。
生き残るためには、従ってれば良いというのに。
あの百戦錬磨の騎士に楯突いた者など、今までに一体何人いるのか?
少なくとも、こんな小娘は誰一人としていない。
「あ……」
道中の疲れと、慣れない環境の心労、それに勢いをつけるかのように感情の昂りが起こったからか、目の前が暗くなり全身から力が抜けた。
そういえば、地面は石畳だった。そこそこの怪我はするだろう……。
そう思った矢先、温かくて大きな何かに包まれた。
薄っすらと目を開けると、イザークさまが先ほどとは比べ物にならない程、眉間の皺を深めて覗き込んでいた。
今度こそ、怒らせてしまったのかしら。
でも、私を包んだ温もりに、嘘はなかったと思うのだ。
鏡の前の椅子に腰掛け、エマに髪を結いてもらっている最中ですら、頭の中は不安で埋め尽くされている。
「はぁ……」
「お嬢さま、まだ朝ですのに何度目のため息ですか?」
エマが呆れたように軽くからかってくる。
「だって……」
様々な感情がぐるぐると胸の中でうごめいて、それ以上言葉を続けることができなかった。
「……お嬢さま、こちらをどうぞ」
「え?」
手首に柔らかな感触を感じ、目を向けると薄い桃色の花が咲いていた。
「庭園の花のブレスレットです。高価な物ではないのですが、古くからの知人が花を枯らさずに、綺麗なままアクセサリーにできる特殊技術を用いている職人でして、特別にその方法を伝授してくださりました。僭越ながら私なりに心を込めて作らせていただきました」
緊張したように頬を赤らめて言うエマがとても愛おしく感じ、ブレスレットに触れた。
「とても嬉しいわ。大変だったでしょう?本当にありがとう」
「いえ!喜んでいただけて嬉しいです」
安心したように頬を緩ませたエマと花を見て、温かさと切なさが沸き起こる。
「このお花にはたくさんの思い出があるわね。それに庭園にも……たくさんエマと過ごした場所よ。……寂しいわ」
目の前が滲んでいく。
「お嬢さま……」
ぎゅっと私の手を包んでくれたエマのぬくもりだけは、これからも守らなければと誓ったのだった。
馬車に揺られながら外の景色を見ると、青く澄み渡る世界に色とりどりの花々が咲き誇っている。
その眩しさが、自分の中に突き刺さって思わず目を細めた。
「お嬢さま、門が見えましたよ」
「わぁ、とても美しいわね」
出迎えられた門は繊細でいて、それでいて華やかで、まさにアンスリウムの名に相応しい飾らない美しさだった。
馬車がそのまま門を潜り抜け、光が反射する噴水をも通り抜けた。
「ブロッサム家よりアイリス様のご到着です!」
力強い声と共に扉が開かれる。
そっと俯き気味に降りると、アンスリウム家一同らしき人々が視界の隅に入る。
「お初にお目にかかります。ブロッサム家が次女、アイリスでございます」
何度も練習してきたが、身体の貧弱さ故に苦手とするカーテシーを指先から足先まで神経を張り巡らせ、なんとか形にすることができた。
(第一関門突破……というところかしら?)
「元の姿勢に戻って良い」
耳触りの良い低い声と、私に向かって差し出された手────。
何故だか胸がざわめき、恐る恐るその手を取る。
そのお方を見た途端、心臓が締め付けられて喉から風を切る音がした。
今まで知らない自分に困惑していると、その男性は私を見つめながら眉間に皺を寄せて不快感を露わにしてきた。
(きっと、このお方があのイザークさまなのね。やはり婚姻はしたくなかったみたいだわ……。)
想像できていたはずなのに、どこか寂しく感じてしまう自分がいた。
「遠い所から来られて疲れたでしょう。中にお入りになって?お茶にしましょう」
気まずい空気を断ち切るかのように、イザーク様のお母さまがそうおっしゃられた。
「そうだな、その時に改めて話そう」
それにお父さまが同意すると、さすが優秀な執事たち……すぐに手配を始めた。
(事前に知れたのはイザーク様のお父さま、アンスリウム家ご当主だけだけれど、お母さまもイザークさまご本人も分かるものね。)
「行くぞ」
「はい。ありがとうございます」
イザークさまは完璧なエスコートをしてくれるけれど、それはあまりにも淡々としていて、義務としての行動なのだと分かってしまう。
屋敷の中は計算し尽くされたかのように美しく、調度もさすがとしか言いようがない。
触れている手の温もりに、なんとも言えない心地よさを感じて、そっとイザーク様を見上げる。
あまりにも透き通った瞳、そして日々の鍛錬が原因なのか、はたまた戦場でのものなのか、片眉には傷跡がある。
「……何だ」
「……え!あ、すみません。とても綺麗だったので、つい」
透き通った瞳が冷たい眼差しで見下ろしてきたことに気が動転してしまい、初対面の殿方に綺麗だなんて言ってしまった。
もう頭は真っ白だ。
ただでさえイザークさまは婚姻したくないというのに、さっそく嫌われてしまったら今後が危うい。
────と、思ったのも束の間、イザークさまは眉間に深い皺を寄せた。
怒っていらっしゃるのかしら……?
いえ、もしくは、困惑?
「綺麗だなんて自分にはかけ離れたものだ」
「……私には、とても綺麗に見えます」
綺麗だと感じた瞳を見つめてそう言うと、イザーク様は一瞬固まったように見えたけれど、すぐに冷たい眼差しになった。
「自分に媚など売るな。あくまで利益のための婚姻だ」
その言葉に頭が冷えた。
この胸のざわめきも、きっと緊張しやすい自分が不安を抱いているからだったのだろう。
利益のための婚姻など、とっくに理解している。
けれど、とても腹が立った。
私は正直な感情しか伝えなかったし、何よりも、私が媚なんて売るはずがない。こんな情けない自分だけれど、そんな汚いことはしない。
────いや、この世界で生き残るためには、そういうことをせざるを得ないこともあるのだろうか。ただ、今は純粋に思ったことしか口にしていない。
「わかりました。婚姻のことも理解しております」
はっきりと、力強く返した。
ある意味では、これは互いの婚姻に対する宣言と言えるだろう。
つまり、『愛などない』ということだ。
少しの間があってから、イザークさまは一言「そうか」とだけ答えた。
着いたのはティールームだった。
純白の空間は綺麗だけれど、冷ややかで居心地が悪い。
「アイリス様はこちらのお席へどうぞ」
無表情の執事に促され、イザークさまの隣へと座った。
すると、それぞれに柑橘系の香りがする紅茶が注がれる。
「蜂蜜はいるか?」
「蜂蜜……頂きたいです」
「そうか。おい、アイリス嬢にこの前手に入った蜂蜜を用意してくれ」
「畏まりました」
先ほどあんなことを言ってきたイザークさまがこちらを気遣う様子に困惑する。
最初に話を切り出したのはアンスリウム家現当主であり、イザークさまのお父上だった。
「ゴホン。アイリス嬢、此度は急にすまなかったな。実はここ最近怪しい動きがあり、近隣国との争いが生じるかもしれんのだ。そこで、我がアンスリウム家とブロッサム家が手を組み、国王陛下の力も加わることで、この国を守ることができればと考えた。こちらに嫁いでもらうからには、衣食住は保証する」
「いいえ、こんな私を迎え入れてくださりありがとうございます。そのような噂も聞いたことがありませんでしたので、正直驚いておりますが、父はきっと国のために大きく貢献すると思います。これから宜しくお願い致します」
今のところ、思っていたよりはだいぶ柔らかな雰囲気で安心したが、気を抜いてはいけない。
アンスリウム家ご夫妻は仮面を被ることができると心得ている。
「ふふ、素敵な女の子が来てくれて嬉しいわ。私ね実は女の子もずっとほしかったのよ。本当の母娘のように接して頂戴ね」
微笑みはとても甘いお母さまも、貴族の中では有名な策略家だ。
お姉様にも再三ご注意を受けた。
「アイリス、よく聞いて。決して油断して足元を見られては駄目よ。いつ転ばされるか分からないわ」と。
ただ、これはどの貴族にも言えることだ。
これからは、いついかなる時も完璧でなければならない。
「はい、お母さま」
だから、淑女として完璧な微笑みを見せた。
すると一瞬だけ、目が細まったのが分かった。
「優しい子ね。私たちが決めてしまった婚姻だけれど、この先も夫婦として過ごすのだから少しでも仲を深めたら?」
お母さまのその一言で、イザーク様と二人きりで過ごすことになってしまった。
「…………」
耐え難い沈黙が流れる。
「はぁ」
大きなため息に肩が揺れてしまうと、それを見たイザーク様は、またそっと手を差し出してきた。
「うちは庭園が自慢なんだ、見に行こう」
「庭園?見たいです!」
庭園という言葉に少しの親しみを感じて、笑顔が溢れる。
「……そうか。庭園が好きなのか?」
歩きながら一応会話はしてくれるらしい。
「はい、特に花が好きなんです」
「花か……」
それからイザークさまは何かを考えたように黙り込んでしまったので、ただエスコートされるがままに歩いていると、エマとよく過ごした庭園よりずっと大きな庭園が現れた。
そこには、馬車の中で見た色とりどりの花々が咲き誇っていた。
あの広さに咲いていた花の全てを庭で見られるだなんて、信じられない。
「とっても美しいです!イザークさま!」
幸せな気分になり、見上げるとなんだか優しい顔をしている。
「えっと、イザークさま……?」
瞳を伺うように覗き込むと、ハッとした顔をした後はまた冷たい表情に戻っていた。
「知っていると思うが、俺は騎士で忙しい。そして君は自由にこの家を出入りすることはできない」
「ええ、お忙しいのは存じ上げております。ですが、自由に出入りすることはできないというのは何故ですか?」
「君の体調の事もあるが、仮にも俺の妻となるのだから、これからどんな危険があるか想像つくであろう?俺を恨む奴らが山ほどいるんだ」
「……承知しました」
自由に出入りできないということは、元の家にもあまり帰れないということだろう。
それはもちろん悲しい、悲しいけれど、何よりもイザークさまがどこか苦しそうで、それが見ていて悲しかった。
「……すまんな」
「何故、謝られるのですか?イザークさまは何も悪くありません」
「そうか。……そのブレスレットはどんなやつがくれたんだ」
「ブレスレットですか?」
急にブレスレットに触れられて、手首に咲いている花を見ると、頬が緩んだ。
「これは、」
「やっぱり答えなくて良い!」
答えようとした途端に、大きな声で遮られて固まってしまう。
イザークさまはそんな私を見ると、また眉間に皺を寄せた。
「いや……ゴホン、それの差出人がどうとか私には全く関係がないことだったと思い直した。今後も別に付けてて良い」
また、壁を作られたと感じた。
「関係がないって、だからそれが何なのですか」
「……?」
「私は、この婚姻は決められただけのものって理解しています。愛が生まれることがないってことも────。けれど私はイザークさまに本心で接しましたのに、媚などと仰るし、少しでもお話できたと思ったら今度は関係がないから聞かないなんて……少し酷いと思います」
イザークさまの目が軽く見開かれた。
自分でも何て勝手で、支離滅裂なことを言っているのだろうと思う。
生き残るためには、従ってれば良いというのに。
あの百戦錬磨の騎士に楯突いた者など、今までに一体何人いるのか?
少なくとも、こんな小娘は誰一人としていない。
「あ……」
道中の疲れと、慣れない環境の心労、それに勢いをつけるかのように感情の昂りが起こったからか、目の前が暗くなり全身から力が抜けた。
そういえば、地面は石畳だった。そこそこの怪我はするだろう……。
そう思った矢先、温かくて大きな何かに包まれた。
薄っすらと目を開けると、イザークさまが先ほどとは比べ物にならない程、眉間の皺を深めて覗き込んでいた。
今度こそ、怒らせてしまったのかしら。
でも、私を包んだ温もりに、嘘はなかったと思うのだ。
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