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第二話 『推し』観察、始めます
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王太子エドワードとの婚約話を、過去七回の人生で培った経験と知識という名の悪知恵を総動員して見事に回避したスカーレットは、ひとまず安堵の息をついた。
これで、最大の死亡フラグの一つはへし折ったことになる。
もちろん、油断は禁物だ。
この世界は、どういうわけかスカーレット・アリア・ヴァーミリオンを死なせようと、次から次へと新たな試練を用意してくるのだから。
しかし、ひとまず自由な時間を確保できたスカーレットは、いよいよ今世の最重要目標――『推し』である宰相アシュター・フォン・ナイトレイの救済――に向けて、本格的に動き出すことにした。
まずは、情報収集。
彼の現状、彼を取り巻く環境、そしてこれから起こるであろう破滅フラグの詳細な再確認だ。
スカーレットは、父である公爵に頼み込み(成績優秀で手のかからない娘であるスカーレットの頼みは、比較的通りやすかった)、これまであまり参加してこなかった夜会や公式行事にも積極的に顔を出すようになった。
目的はもちろん、宰相アシュター様の観察である。
夜会に現れるアシュターは、常に完璧だった。
寸分の隙もなく着こなされた黒の礼服。
磨き上げられた黒曜石のような髪。
感情の窺えない、怜悧な美貌。
その場にいるだけで空気を凍てつかせるような冷たいオーラを放ち、彼に話しかけようとする者はほとんどいない。
貴族たちは遠巻きに彼を眺め、畏敬と、それ以上の恐怖と、そして嫉妬の入り混じった囁き声を交わしている。
「見たまえ、ナイトレイ宰相閣下だ……」
「今日も氷のようなお顔だこと」
「あの若さで国を牛耳るとは……何か汚い手を使っているに違いない」
「関わらないのが一番だ」
そんな陰口を聞くたびに、スカーレットは内心で拳を握りしめた。
(何も知らないくせに! 貴方たちが贅沢な暮らしができるのは、誰のおかげだと思っているの!? アシュター様が、どれだけ国のためにその身を削っているか……!)
ループを繰り返す中で、スカーレットは見てきたのだ。
彼が、貴族たちの利権争いや、腐敗した官僚制度とたった一人で戦い、時には自ら悪役となることも厭わずに国を守ろうとしている姿を。
夜遅くまで執務室の灯りが消えず、満足に食事も取らず、誰にも弱音を吐かずに、ただひたすらに国のために身を捧げている姿を。
その孤高の生き様を知っているからこそ、スカーレットは彼を「推さず」にはいられなかったし、彼が最終的に破滅するという未来を知っているからこそ、今世こそはそれを阻止したいと強く願うのだ。
(ああ、アシュター様……今日も完璧なお仕事ぶり……。でも、少し目の下に隈ができていらっしゃるのでは……? やはり、ちゃんと眠れていないのね……)
スカーレットは、柱の影からそっとアシュターの姿を観察しながら、内心で勝手に心配し、そして萌えていた。
そんなスカーレットの熱心な、そして少々異様な視線に、アシュター自身も気づき始めていた。
多くの貴族たちが向ける、恐怖や媚びを含んだ視線とは明らかに違う。
あのヴァーミリオン公爵家の令嬢――先日、王太子殿下との婚約を自ら蹴ったと噂の、少し変わった娘――は、いつも真っ直ぐに、まるで何かを分析するかのように、自分を見つめてくる。
その瞳には、奇妙なほどの真剣さと、そして……時折、なぜか心配するような色が浮かぶのだ。
(一体、何を考えている……? 私に何かを企んでいるのか? それとも……)
アシュターは、スカーレットという存在に、これまでに感じたことのない不審感と、ほんのわずかな興味を覚え始めていた。
そんなある日、スカーレットのループ知識が、新たな危機を告げた。
(そろそろだわ……アシュター様が、食糧横流しの濡れ衣を着せられる事件が起こる頃よ)
確か、飢饉に備えて備蓄されていた小麦が、何者かによって不正に横流しされ、その責任をアシュターが擦り付けられるのだ。
黒幕は、アシュターを疎ましく思う保守派貴族の一派。
証拠も巧妙に偽造され、アシュターは弁明の機会も与えられずに窮地に陥る……はずだった。
(今度こそ、そんな筋書き通りにはさせない!)
スカーレットは決意した。
真犯人の名前も、証拠隠滅の方法も、全て覚えている。
これを未然に防ぐことは可能なはずだ。
問題は、どうやってアシュター様にそれを伝えるか、あるいは第三者に情報をリークするか……。
匿名の手紙では、あの疑り深いアシュター様が信じるとは思えない。
かといって、他の貴族にリークしても、握り潰されるか、逆に利用されるのが関の山だ。
やはり、直接……いや、それはリスクが高すぎる。
スカーレットが自室でうんうん唸りながら、最善の方法を模索していた時だった。
侍女が、一枚の封蝋された手紙を持ってきた。
差出人は――宰相、アシュター・フォン・ナイトレイ。
内容は、簡潔だった。
『明日の午後、私の執務室までお越しいただきたい。話がある』
(……っ!?)
スカーレットの心臓が、大きく跳ねた。
ついに、来た。
彼の方から接触してきたのだ。
これは、チャンスかもしれない。
でも、同時に、危険な賭けでもある。
彼は、わたくしの何を疑っているのだろうか。
どこまで知っているのだろうか。
八度目の人生で初めての、悪役宰相との直接対決(?)。
スカーレットは、ゴクリと唾を飲み込み、震える手で手紙を握りしめた。
(望むところよ、アシュター様。貴方の破滅フラグごと、わたくしが燃やし尽くしてさしあげますわ!)
内心の意気込みとは裏腹に、彼女の顔は少し青ざめていたかもしれない。
これで、最大の死亡フラグの一つはへし折ったことになる。
もちろん、油断は禁物だ。
この世界は、どういうわけかスカーレット・アリア・ヴァーミリオンを死なせようと、次から次へと新たな試練を用意してくるのだから。
しかし、ひとまず自由な時間を確保できたスカーレットは、いよいよ今世の最重要目標――『推し』である宰相アシュター・フォン・ナイトレイの救済――に向けて、本格的に動き出すことにした。
まずは、情報収集。
彼の現状、彼を取り巻く環境、そしてこれから起こるであろう破滅フラグの詳細な再確認だ。
スカーレットは、父である公爵に頼み込み(成績優秀で手のかからない娘であるスカーレットの頼みは、比較的通りやすかった)、これまであまり参加してこなかった夜会や公式行事にも積極的に顔を出すようになった。
目的はもちろん、宰相アシュター様の観察である。
夜会に現れるアシュターは、常に完璧だった。
寸分の隙もなく着こなされた黒の礼服。
磨き上げられた黒曜石のような髪。
感情の窺えない、怜悧な美貌。
その場にいるだけで空気を凍てつかせるような冷たいオーラを放ち、彼に話しかけようとする者はほとんどいない。
貴族たちは遠巻きに彼を眺め、畏敬と、それ以上の恐怖と、そして嫉妬の入り混じった囁き声を交わしている。
「見たまえ、ナイトレイ宰相閣下だ……」
「今日も氷のようなお顔だこと」
「あの若さで国を牛耳るとは……何か汚い手を使っているに違いない」
「関わらないのが一番だ」
そんな陰口を聞くたびに、スカーレットは内心で拳を握りしめた。
(何も知らないくせに! 貴方たちが贅沢な暮らしができるのは、誰のおかげだと思っているの!? アシュター様が、どれだけ国のためにその身を削っているか……!)
ループを繰り返す中で、スカーレットは見てきたのだ。
彼が、貴族たちの利権争いや、腐敗した官僚制度とたった一人で戦い、時には自ら悪役となることも厭わずに国を守ろうとしている姿を。
夜遅くまで執務室の灯りが消えず、満足に食事も取らず、誰にも弱音を吐かずに、ただひたすらに国のために身を捧げている姿を。
その孤高の生き様を知っているからこそ、スカーレットは彼を「推さず」にはいられなかったし、彼が最終的に破滅するという未来を知っているからこそ、今世こそはそれを阻止したいと強く願うのだ。
(ああ、アシュター様……今日も完璧なお仕事ぶり……。でも、少し目の下に隈ができていらっしゃるのでは……? やはり、ちゃんと眠れていないのね……)
スカーレットは、柱の影からそっとアシュターの姿を観察しながら、内心で勝手に心配し、そして萌えていた。
そんなスカーレットの熱心な、そして少々異様な視線に、アシュター自身も気づき始めていた。
多くの貴族たちが向ける、恐怖や媚びを含んだ視線とは明らかに違う。
あのヴァーミリオン公爵家の令嬢――先日、王太子殿下との婚約を自ら蹴ったと噂の、少し変わった娘――は、いつも真っ直ぐに、まるで何かを分析するかのように、自分を見つめてくる。
その瞳には、奇妙なほどの真剣さと、そして……時折、なぜか心配するような色が浮かぶのだ。
(一体、何を考えている……? 私に何かを企んでいるのか? それとも……)
アシュターは、スカーレットという存在に、これまでに感じたことのない不審感と、ほんのわずかな興味を覚え始めていた。
そんなある日、スカーレットのループ知識が、新たな危機を告げた。
(そろそろだわ……アシュター様が、食糧横流しの濡れ衣を着せられる事件が起こる頃よ)
確か、飢饉に備えて備蓄されていた小麦が、何者かによって不正に横流しされ、その責任をアシュターが擦り付けられるのだ。
黒幕は、アシュターを疎ましく思う保守派貴族の一派。
証拠も巧妙に偽造され、アシュターは弁明の機会も与えられずに窮地に陥る……はずだった。
(今度こそ、そんな筋書き通りにはさせない!)
スカーレットは決意した。
真犯人の名前も、証拠隠滅の方法も、全て覚えている。
これを未然に防ぐことは可能なはずだ。
問題は、どうやってアシュター様にそれを伝えるか、あるいは第三者に情報をリークするか……。
匿名の手紙では、あの疑り深いアシュター様が信じるとは思えない。
かといって、他の貴族にリークしても、握り潰されるか、逆に利用されるのが関の山だ。
やはり、直接……いや、それはリスクが高すぎる。
スカーレットが自室でうんうん唸りながら、最善の方法を模索していた時だった。
侍女が、一枚の封蝋された手紙を持ってきた。
差出人は――宰相、アシュター・フォン・ナイトレイ。
内容は、簡潔だった。
『明日の午後、私の執務室までお越しいただきたい。話がある』
(……っ!?)
スカーレットの心臓が、大きく跳ねた。
ついに、来た。
彼の方から接触してきたのだ。
これは、チャンスかもしれない。
でも、同時に、危険な賭けでもある。
彼は、わたくしの何を疑っているのだろうか。
どこまで知っているのだろうか。
八度目の人生で初めての、悪役宰相との直接対決(?)。
スカーレットは、ゴクリと唾を飲み込み、震える手で手紙を握りしめた。
(望むところよ、アシュター様。貴方の破滅フラグごと、わたくしが燃やし尽くしてさしあげますわ!)
内心の意気込みとは裏腹に、彼女の顔は少し青ざめていたかもしれない。
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