また、猫になれたなら

秋長 豊

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58、それぞれの場所へ

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「ふざけんなっ!」

 流太は笑顔をすっと消した。

「どうして教えてくれなかったんだ。ひどい……ひどいよっ!」

 空雄は胸を締め付けられる思いだった。

「にゃんこ様が俺たちを延命させたとしても、制限がくれば時は戻る。あんたは4年の時が戻り、俺たちは200年の時が戻った。俺は今、存在しえない時間軸にいる。だから消えるんだ」

「何も知らない俺が、ばかみたいじゃないか。そうやって、俺のこと、だましてたんですか! 最低だ! 最低だっ! あんたなんて……っ!」

 空雄は力のない足を前に動かし、薄れゆく流太に詰め寄った。目の前にいるのに、半分透明で、伸ばした手は何もない宙をつかんだ。全身鳥肌が立ち、二度と触れられないのだと知った。

「こんな思い……するくらいなら、こんな結末になるくらいなら、猫のままでよかった。人間に戻りたいなんて、望まなければよかった!」

 泣きはらした顔を上げると、流太はほほ笑んでいた。

「俺たちは十分すぎるほど生きた。あんたの何倍も。ただ、それぞれ最後の死に場所を選んだだけさ」

 空雄は抱き締められていた。空雄の手は流太の背中をすり抜け、触れられている感覚も、触れている感覚もなかった。だが、存在をそばに感じる。この別れは、止められないんだ。空雄は長い抱擁の末に悟った。とめどない涙が頰を伝う。

「俺は消える」

 耳元で聞こえるうそかのような言葉に、空雄は身動き一つできなかった。本当に何も、できなかった。どうしていいか分からず、言葉を失う空雄を前に流太は「でも」と言った。

「この宇宙で、この地球で、この町で、俺たちが過ごした事実は変わらない。空雄と小春、そしてご両親が俺にしてくれたことも。永遠に、消えないんだ」

 耳元でこだまする流太の声。4年間の思い出が一気によみがえった。流太が自分たちにしてくれたこと、自分たちが流太にしてあげたこと。何もかも、振り返るにはあまりに一瞬だった。

「流太さん!」

 小春の声が聞こえた。小春は消えかかった流太を見つけると駆け寄って首を激しく振った。父と母も来ていた。

「待って! お願い――いっちゃ嫌だ!」小春は流太の足元で叫んだ。「もっと一緒にいたい!」

 流太は空雄と小春の肩に手をかぶせた。

「生まれた時代がちがうんだ」

 流太は抱き締めたまま言った。

「1791年4月6日。それが、俺の生まれた日だ」

 流太は後ろで見守る空雄の両親を見た。父と母は静かにうなずき、小さくほほ笑んでいた。その途端、流太の目からすーっと涙がこぼれ落ちた。

 流太は空雄の両親に亡き母と父を重ねていた。自分にも父と母がいた、と。どんな姿になっても愛してくれるような両親ではなかったかもしれない。でも、こんなふうに、ほほ笑み掛けてくれた時もあった。父と母、弟がいて、全ては分かり合えないまま散り散りとなった。全て事実だ。でも、いろんな出会いが新しい意味を与えてくれた。流太は心の底にあった全ての憎しみを――許した。

 そして、笑った。

「家族にしてくれて、ありがとう」

 流太は2人から離れ、桜のそばで待つ麗羅の元に歩み寄った。去り際、麗羅は優しく空雄たちにほほ笑み掛け、流太は振り返らなかった。陽光に透けた2人の体は空気にかすみ、見えなくなった。

 何を思ったのか、小春は駆け出し一直線に猫屋敷へ向かった。靴が一つもない玄関を抜け、小春はひっそりたたずむピアノの前に立った。

”永遠に聞いていられる” 

 そう言ってくれた流太の顔を思い浮かべながら、小春は静かに着席した。すっと息を吸い、鍵盤に指を下ろす。
 猫屋敷の中にカノンが響く。あの懐かしい思い出とともに。笑顔で送り出したかったけど、最後まで笑えなかった。

 鍵盤にポタポタ滴が落ちてもなお、小春は指を動かし続けた。

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