王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

文字の大きさ
10 / 25

第七・八話 聖女の焦燥と実家からの手紙

しおりを挟む
 北の塔を背にした馬車の中で、リリアナ・ヴァレンタインは小さく息を吐いた。

 窓の外を流れる景色は、来るときよりも鮮やかに見える。それは、シルヴィスへの未練を断ち切り、憑き物が落ちたからかもしれない。あるいは、懐に忍ばせた一通の手紙による呪縛から、解放されたからかもしれない。

「……終わったわね」

 彼女は揺れる車内で、これまでの自身の暴走を振り返っていた。そもそも、なぜあそこまで焦ってしまったのか。事の発端は、聖女の耳に届いた、ある噂だった。

『あの人間嫌いの偏屈魔術師が、ついに女を招き入れたらしい』

 その噂には、様々な尾ひれがついていた。「絶世の美女だ」「いや、他国の姫君だ」「シルヴィス様が骨抜きにされている」――。それを聞いた時、リリアナの心臓は早鐘を打った。

(まさか。あの方が、特定の人間に心を許すなんて)

 リリアナの脳裏に、かつて留学に来たばかりの頃、初めてシルヴィス・クローデルを見た時の記憶が蘇る。

 王宮の回廊ですれ違ったその男は、美しかった。だが、それは命あるものの美しさではない。凍てついた氷像のような、触れれば指が張り付いて壊死してしまいそうな、拒絶の美だった。その瞳は、周囲の人間を塵芥じんかいか、あるいは実験材料としか見ていないような冷たさをたたえていた。

(……あんな男と結婚したら、私はきっとストレスで胃に穴が開いて死んでしまうわ)

 それが、リリアナの偽らざる第一印象だった。だが、彼女はヴァレンタイン公爵家の娘であり、サザランド王国を代表する聖女だ。個人の感情など、家の利益の前では無に等しい。実家からの指令は絶対だった。

『アステリア王国最強と名高い魔術師、シルヴィス・クローデルと婚姻を結べ。聖女の魔力と、彼の天才的な才能。その二つを受け継ぐ子どもが生まれれば、我が公爵家の地位は盤石となる』

 愛など求めていない。求められているのは優秀な魔術師の種だけだ。

 リリアナは恐怖を押し殺し、事あるごとに会食を願い出た。門前払いも覚悟していた。だが意外なことに、彼はリリアナとの会食には応じた。今思えば、それは単に「隣国の公爵令嬢」に対する、最低限の外交的配慮でしかなかったのだろう。

 食事中、彼は不機嫌そうにナイフを動かすだけだった。会話など成立しない。リリアナが何を話しても「ふん」「そうか」と返すのみ。だが、一度だけ。彼が瞳の深淵に光を宿した瞬間があった。

 それは、リリアナが祖国の古流魔術の話をした時だ。

「……ほう」

 彼はリリアナ自身ではなく、リリアナが持つ魔術の知識に興味を示したのだ。それでも、リリアナはそれを希望の光だと勘違いした。ゆっくりでいい。魔術という共通言語を通じて、少しずつ信頼関係を築いていこう。そう思っていた矢先の、あの噂だった。

(私がこれほど慎重に進めているのに、どこの誰とも知らぬ女が!)

 焦燥に駆られたリリアナは、半ば突撃するように北の塔へ向かった。そこで出迎えたのは――エレナ・フォスター。整った顔立ちではあるが、地味で、特徴のないメイドだった。

 拍子抜けした。こんな平民の女が、私のライバルだというの? だが、塔に上がり込み、シルヴィスの姿を見た瞬間、リリアナの聖女としての勘が警鐘を鳴らした。

 以前会った時とは、明らかに違う。病的だった肌には人間らしい血色が戻り、痩せこけていた頬には張りがある。瞳は明瞭とし、以前のような荒んだ殺気が薄れている。

 一目瞭然だった。この偏屈な魔術師は今、心身ともに満たされている。そしてその原因が、甲斐甲斐しく茶を淹れる、あの「ただのメイド」であることも。

(……悔しい!)

 嫉妬と、プライドが燃え上がった。彼は食事によって飼い慣らされている。ならば、聖女である私にだってできるはずだ。最高級の食材と、最高の魔術を使えば、平民の手料理など足元にも及ばないはず。

 そう信じて挑んだ料理対決。結果は、惨敗だった。「家畜の餌以下」と吐き捨てられた屈辱に涙して帰った夜、リリアナは実家の父へ手紙を書いた。『シルヴィス様との婚姻は難しいかもしれません。彼は、心に決めた相手がいるようです』と。

 すぐに返信が来た。重厚な羊皮紙に記されていたのは、慰めでも励ましでもなく、冷徹な通告だった。

『何のために留学させていると思っている。泣き言など不要だ。公爵令嬢としての有用性を示せ』

『もしクローデル家との縁談をまとめられないのなら、即刻帰国せよ。有用な相手など、他にもいくらでもいる』

 その文字を見た瞬間、リリアナの中で何かが冷めた。自分は、父にとって政治の道具でしかない。シルヴィスへの憧れも、聖女としての誇りも、家の利益の前には無価値なのだ。だからこそ、彼女は覚悟を決めた。恋だの愛だのはもういい。道具として生きるなら、せめて最高級の道具として、シルヴィスに利益を提示しよう。

 それがあの、破格の条件を突きつけた乾いたプロポーズだったのだ。

「……でも、振られてしまったわね」

 リリアナは自嘲気味に笑った。完敗だった。金も、名誉も、魔力も。彼にとっては、あのメイドが作る一杯の紅茶以下の価値しかなかったのだ。

 けれど不思議と、心は晴れやかだった。精一杯やって、砕け散った。父の命令も、もうどうでもいい。私は私の矜持を持って、戦って負けたのだから。

「……お幸せに。偏屈魔術師様」

 リリアナは懐の手紙を細かく引き裂き、窓の外へと捨てた。紙吹雪となって風に舞うそれらは、彼女の初恋の欠片のようにも見えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

裏庭係の私、いつの間にか偉い人に気に入られていたようです

ルーシャオ
恋愛
宮廷メイドのエイダは、先輩メイドに頼まれ王城裏庭を掃除した——のだが、それが悪かった。「一体全体何をしているのだ! お前はクビだ!」「すみません、すみません!」なんと貴重な薬草や香木があることを知らず、草むしりや剪定をしてしまったのだ。そこへ、薬師のデ・ヴァレスの取りなしのおかげで何とか「裏庭の管理人」として首が繋がった。そこからエイダは学び始め、薬草の知識を増やしていく。その真面目さを買われて、薬師のデ・ヴァレスを通じてリュドミラ王太后に面会することに。そして、お見合いを勧められるのである。一方で、エイダを嵌めた先輩メイドたちは——?

老け顔ですが?何かあります?

宵森みなと
恋愛
可愛くなりたくて、似合わないフリフリの服も着てみた。 でも、鏡に映った自分を見て、そっと諦めた。 ――私はきっと、“普通”じゃいられない。 5歳で10歳に見られ、結婚話は破談続き。 周囲からの心ない言葉に傷つきながらも、少女サラサは“自分の見た目に合う年齢で学園に入学する”という前代未聞の決意をする。 努力と覚悟の末、飛び級で入学したサラサが出会ったのは、年上の優しいクラスメートたちと、ちょっと不器用で真っ直ぐな“初めての気持ち”。 年齢差も、噂も、偏見も――ぜんぶ乗り越えて、この恋はきっと、本物になる。 これは、“老け顔”と笑われた少女が、ほんとうの恋と自分自身を見つけるまでの物語。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

星森
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜

鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。 そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。 秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。 一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。 ◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。

身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)

柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!) 辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。 結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。 正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。 さくっと読んでいただけるかと思います。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

処理中です...