死を望まれた王女は敵国で白い結婚を望む。「ご安心ください、私もあなたを愛するつもりはありません」

千紫万紅

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26 ややこしいことこの上ない

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 ――そして滞りなく式が終わり。
 控え室の前まで一人戻ってきた私は、張りつめていた緊張の糸をようやく解いた。
 なのにどうにも落ち着かない、胸がザワザワする。

 きっと、あのキスのせい。

 ……いや、違う。少し落ち着け、私。
 あれはただの演出であって、気にする程の事ではない。

 それに私達の良好な関係は両国の和平の為に必要なもので、感情とか全然なくて完全に政治的なやつ。
 
 そう考えれば、アレに感傷も抱く必要はない。

 うん、ない。ないのだけれど。
 なんでまだ胸の鼓動がうるさいんですかね?

 そして扉の前で深呼吸をひとつしてから、控室に入った。
 
 すると中には――。
 まるで私の事を待っていたかのように軍装姿のまま背を壁に預け、あの薄氷のような青の瞳でこちらを見るフリード王太子がいた。

 自分の控室に帰ればいいのにいったい私になんの用かと、じろりと睨むように見れば。

「お疲れ様です、フランツェスカ。今日の貴女はいつにも増してとても美しかったです」

 フリード王太子は見え透いた嘘のような社交辞令を、恥ずかしげもなく口にして。
 私に微笑みを向けてきたのです。
 
 背筋にぞわりとした冷たいものが走る。

「っ……あの、さっきのアレは……いったいどういうおつもりですか?」

「アレ、とは?」

「結婚式の、その……誓いの……!」

「ああ、もしかして誓いのキスですか?」

 それは私を揶揄うような笑顔で。 
 一瞬にして殺意が湧きあがる。

「っ……ええ、そうです」

「あれはただの誓いのキスですが……それがなにか?」

 ……は?
 『それがなにか』ですと?
 え、もしかして私……喧嘩売られてます?

 喧嘩なら余裕で買いますけど、夫といえど容赦はいたしませんよ?
 あと、途中で泣いて謝っても許すつもりは絶対にありません。

 私、やると決めたら徹底的にやる性格なので。

「それがって……」

 そんな事を考えていると、フリード王太子がこちらへとゆっくり近づいてきたのです。 
 
 その距離が一歩、また一歩と縮まっていくたびに、空気がピリピリと張り詰めていく。

「貴女があの場で形だけの口付けを望んでいたのは私も承知していますよ、フランツェスカ」

 声の調子が変わった気がする。
 それは先ほどまでの軽薄な声とは明らかに違って、私を気遣うような優しい響きで。

「……じゃあ、どうして」
 
「あの場で形だけの誓いのキスをしていたら、誰も納得しなかったでしょう。今日の式に列席していた者達の多くは、貴女のことを王太子妃ではなく、敵国の王女として見ていた。それには貴女も気付いていたでしょう?」

「それ、は……」

 ……気付いていた。
 というより肌で感じていた、刃物で刺すような鋭い視線に。

「だから私は貴女の意に反して口づけをしました。私達は国同士の争いなど乗り越えて仲睦まじく愛し合っているのだと、彼らにそう思わせるために」

 正論過ぎて、ぐうの音も出ない。

 だけど、それにしたって。
 演出にも限度というものがあると、私は思うのですが?

「へぇ……? そうですか。あれはいつもの演出、ということですのね」
 
「ええ、そう思っていただいても構いません。けれど、フランツェスカがそこまで気にするとは全く考えていませんでした。もしかしてキス、初めてだったのですか?」

「っ……突然の事で驚いただけです。前に言ってらしたじゃないですか『愛するつもりはない』と。だから誓いのキスもフリで済ませるものとばかり……」

「ああ、そういうことでしたか。驚かせてしまい、申し訳ない」
 
「なので今後は、仲睦まじい姿を人前で演出される場合は事前に相談していただけると助かりますわ。心臓がもちませんので」

 私は努めて優雅に微笑んだ。
 
 あんなキスの一つや二つ、私にとっては別に大したことではありません。
 愛馬のリリーにも何度か顔を舐められたことがありますので、別に目くじらを立てるほどのことでもないのです。
 
「演出ではなく本気でして欲しいと思われたら、嬉しいのですが……わかりました。では次からは事前にすると貴女にお伝えしてから、口付けいたしますね」

「なっ、次!? 私が言っているのは、そういう問題ではなくてですね!」

 ……ああもう。
 やっぱりこの男、戦場で殺っておくべきでした。

 そう思うのに胸の奥がまだ騒がしい。
 まったく、和平ってやつはややこしいことこの上ない。
 
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