26 / 68
26 ややこしいことこの上ない
しおりを挟む
26
――そして滞りなく式が終わり。
控え室の前まで一人戻ってきた私は、張りつめていた緊張の糸をようやく解いた。
なのにどうにも落ち着かない、胸がザワザワする。
きっと、あのキスのせい。
……いや、違う。少し落ち着け、私。
あれはただの演出であって、気にする程の事ではない。
それに私達の良好な関係は両国の和平の為に必要なもので、感情とか全然なくて完全に政治的なやつ。
そう考えれば、アレに感傷も抱く必要はない。
うん、ない。ないのだけれど。
なんでまだ胸の鼓動がうるさいんですかね?
そして扉の前で深呼吸をひとつしてから、控室に入った。
すると中には――。
まるで私の事を待っていたかのように軍装姿のまま背を壁に預け、あの薄氷のような青の瞳でこちらを見るフリード王太子がいた。
自分の控室に帰ればいいのにいったい私になんの用かと、じろりと睨むように見れば。
「お疲れ様です、フランツェスカ。今日の貴女はいつにも増してとても美しかったです」
フリード王太子は見え透いた嘘のような社交辞令を、恥ずかしげもなく口にして。
私に微笑みを向けてきたのです。
背筋にぞわりとした冷たいものが走る。
「っ……あの、さっきのアレは……いったいどういうおつもりですか?」
「アレ、とは?」
「結婚式の、その……誓いの……!」
「ああ、もしかして誓いのキスですか?」
それは私を揶揄うような笑顔で。
一瞬にして殺意が湧きあがる。
「っ……ええ、そうです」
「あれはただの誓いのキスですが……それがなにか?」
……は?
『それがなにか』ですと?
え、もしかして私……喧嘩売られてます?
喧嘩なら余裕で買いますけど、夫といえど容赦はいたしませんよ?
あと、途中で泣いて謝っても許すつもりは絶対にありません。
私、やると決めたら徹底的にやる性格なので。
「それがって……」
そんな事を考えていると、フリード王太子がこちらへとゆっくり近づいてきたのです。
その距離が一歩、また一歩と縮まっていくたびに、空気がピリピリと張り詰めていく。
「貴女があの場で形だけの口付けを望んでいたのは私も承知していますよ、フランツェスカ」
声の調子が変わった気がする。
それは先ほどまでの軽薄な声とは明らかに違って、私を気遣うような優しい響きで。
「……じゃあ、どうして」
「あの場で形だけの誓いのキスをしていたら、誰も納得しなかったでしょう。今日の式に列席していた者達の多くは、貴女のことを王太子妃ではなく、敵国の王女として見ていた。それには貴女も気付いていたでしょう?」
「それ、は……」
……気付いていた。
というより肌で感じていた、刃物で刺すような鋭い視線に。
「だから私は貴女の意に反して口づけをしました。私達は国同士の争いなど乗り越えて仲睦まじく愛し合っているのだと、彼らにそう思わせるために」
正論過ぎて、ぐうの音も出ない。
だけど、それにしたって。
演出にも限度というものがあると、私は思うのですが?
「へぇ……? そうですか。あれはいつもの演出、ということですのね」
「ええ、そう思っていただいても構いません。けれど、フランツェスカがそこまで気にするとは全く考えていませんでした。もしかしてキス、初めてだったのですか?」
「っ……突然の事で驚いただけです。前に言ってらしたじゃないですか『愛するつもりはない』と。だから誓いのキスもフリで済ませるものとばかり……」
「ああ、そういうことでしたか。驚かせてしまい、申し訳ない」
「なので今後は、仲睦まじい姿を人前で演出される場合は事前に相談していただけると助かりますわ。心臓がもちませんので」
私は努めて優雅に微笑んだ。
あんなキスの一つや二つ、私にとっては別に大したことではありません。
愛馬のリリーにも何度か顔を舐められたことがありますので、別に目くじらを立てるほどのことでもないのです。
「演出ではなく本気でして欲しいと思われたら、嬉しいのですが……わかりました。では次からは事前にすると貴女にお伝えしてから、口付けいたしますね」
「なっ、次!? 私が言っているのは、そういう問題ではなくてですね!」
……ああもう。
やっぱりこの男、戦場で殺っておくべきでした。
そう思うのに胸の奥がまだ騒がしい。
まったく、和平ってやつはややこしいことこの上ない。
――そして滞りなく式が終わり。
控え室の前まで一人戻ってきた私は、張りつめていた緊張の糸をようやく解いた。
なのにどうにも落ち着かない、胸がザワザワする。
きっと、あのキスのせい。
……いや、違う。少し落ち着け、私。
あれはただの演出であって、気にする程の事ではない。
それに私達の良好な関係は両国の和平の為に必要なもので、感情とか全然なくて完全に政治的なやつ。
そう考えれば、アレに感傷も抱く必要はない。
うん、ない。ないのだけれど。
なんでまだ胸の鼓動がうるさいんですかね?
そして扉の前で深呼吸をひとつしてから、控室に入った。
すると中には――。
まるで私の事を待っていたかのように軍装姿のまま背を壁に預け、あの薄氷のような青の瞳でこちらを見るフリード王太子がいた。
自分の控室に帰ればいいのにいったい私になんの用かと、じろりと睨むように見れば。
「お疲れ様です、フランツェスカ。今日の貴女はいつにも増してとても美しかったです」
フリード王太子は見え透いた嘘のような社交辞令を、恥ずかしげもなく口にして。
私に微笑みを向けてきたのです。
背筋にぞわりとした冷たいものが走る。
「っ……あの、さっきのアレは……いったいどういうおつもりですか?」
「アレ、とは?」
「結婚式の、その……誓いの……!」
「ああ、もしかして誓いのキスですか?」
それは私を揶揄うような笑顔で。
一瞬にして殺意が湧きあがる。
「っ……ええ、そうです」
「あれはただの誓いのキスですが……それがなにか?」
……は?
『それがなにか』ですと?
え、もしかして私……喧嘩売られてます?
喧嘩なら余裕で買いますけど、夫といえど容赦はいたしませんよ?
あと、途中で泣いて謝っても許すつもりは絶対にありません。
私、やると決めたら徹底的にやる性格なので。
「それがって……」
そんな事を考えていると、フリード王太子がこちらへとゆっくり近づいてきたのです。
その距離が一歩、また一歩と縮まっていくたびに、空気がピリピリと張り詰めていく。
「貴女があの場で形だけの口付けを望んでいたのは私も承知していますよ、フランツェスカ」
声の調子が変わった気がする。
それは先ほどまでの軽薄な声とは明らかに違って、私を気遣うような優しい響きで。
「……じゃあ、どうして」
「あの場で形だけの誓いのキスをしていたら、誰も納得しなかったでしょう。今日の式に列席していた者達の多くは、貴女のことを王太子妃ではなく、敵国の王女として見ていた。それには貴女も気付いていたでしょう?」
「それ、は……」
……気付いていた。
というより肌で感じていた、刃物で刺すような鋭い視線に。
「だから私は貴女の意に反して口づけをしました。私達は国同士の争いなど乗り越えて仲睦まじく愛し合っているのだと、彼らにそう思わせるために」
正論過ぎて、ぐうの音も出ない。
だけど、それにしたって。
演出にも限度というものがあると、私は思うのですが?
「へぇ……? そうですか。あれはいつもの演出、ということですのね」
「ええ、そう思っていただいても構いません。けれど、フランツェスカがそこまで気にするとは全く考えていませんでした。もしかしてキス、初めてだったのですか?」
「っ……突然の事で驚いただけです。前に言ってらしたじゃないですか『愛するつもりはない』と。だから誓いのキスもフリで済ませるものとばかり……」
「ああ、そういうことでしたか。驚かせてしまい、申し訳ない」
「なので今後は、仲睦まじい姿を人前で演出される場合は事前に相談していただけると助かりますわ。心臓がもちませんので」
私は努めて優雅に微笑んだ。
あんなキスの一つや二つ、私にとっては別に大したことではありません。
愛馬のリリーにも何度か顔を舐められたことがありますので、別に目くじらを立てるほどのことでもないのです。
「演出ではなく本気でして欲しいと思われたら、嬉しいのですが……わかりました。では次からは事前にすると貴女にお伝えしてから、口付けいたしますね」
「なっ、次!? 私が言っているのは、そういう問題ではなくてですね!」
……ああもう。
やっぱりこの男、戦場で殺っておくべきでした。
そう思うのに胸の奥がまだ騒がしい。
まったく、和平ってやつはややこしいことこの上ない。
1,755
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
悪役令嬢に相応しいエンディング
無色
恋愛
月の光のように美しく気高い、公爵令嬢ルナティア=ミューラー。
ある日彼女は卒業パーティーで、王子アイベックに国外追放を告げられる。
さらには平民上がりの令嬢ナージャと婚約を宣言した。
ナージャはルナティアの悪い評判をアイベックに吹聴し、彼女を貶めたのだ。
だが彼らは愚かにも知らなかった。
ルナティアには、ミューラー家には、貴族の令嬢たちしか知らない裏の顔があるということを。
そして、待ち受けるエンディングを。
悪役令嬢は手加減無しに復讐する
田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。
理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。
婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
9時から5時まで悪役令嬢
西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」
婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。
ならば私は願い通りに動くのをやめよう。
学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで
昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。
さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。
どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。
卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ?
なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか?
嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。
今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。
冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。
☆別サイトにも掲載しています。
※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。
これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる