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36 胸に響く言葉
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「まずはそのレイチェルという者を捕らえて話を聞かねばならんな。あとは茶会でそなたに毒を盛った者の特定だな」
「はい。お茶会で私に毒入りのお茶を手渡した侍女については顔を覚えていますので、手掛かりになるかと」
「そうか。ならば話は早い、侍女長にでも人相を伝えればすぐに誰か判明するだろう。王妃の茶会で給仕を行える者は限られているからな」
――そして応接室に沈黙が落ちたその時。
扉の向こうから近衛騎士の声が響いた。
「――国王陛下、ご歓談中のところ失礼します。すぐにお伝えしたい用件がございます、少々お時間よろしいでしょうか」
「……何事だ? 手短に話せ」
「王太子殿下付きの女官、レイチェル・ベッカーが先ほど近衛騎士の待機所に出頭して参りました。王太子妃殿下に毒を盛った……と本人は言っておりまして。これは早急に陛下にお伝えしなくてはと思い、ここに報告に上がった次第です」
近衛騎士のその報告を聞いた瞬間、応接室に緊張が走った。
……レイチェルが出頭した?
どうして急に……?
お茶会の前はそんな素振り、全くなかったのに。
「……そうか。ならばすぐにそちらに向かう。案内してくれ」
国王陛下の低く響く声に、近衛騎士は恭しく頭を下げて退室した。
その背を見送ると陛下は短く息を吐いて、目の前に座っていたフリードに目を向けた。
「フリード。おまえも同行せよ。王太子妃に関わる件だ」
「承知しました」
フリードはその場からそっと立ち上がると、隣に座っていた私を見る。
その薄氷のような青の瞳には、どこかに複雑な色が浮かんでいるように見える。
――動揺。怒り。あるいは痛みのような、複雑ななにか。
「フランツェスカ。少しだけここで待っていてください。レイチェルから話を聞いてきますので」
「……わかりました」
「母上、フランツェスカを頼みます」
「ええ、わかりましたわ。しっかりと事実関係を聞いてくるのですよ」
「わかっています。では、あとのことはよろしくお願いします」
王妃殿下にそう告げると、フリードは国王陛下の後に続いて応接室から出ていった。
応接室の扉が閉まる音が、やけに遠くに聞こえる。
そして応接室に残されたのは私と王妃殿下だけ。
暖炉の炎がぱちぱちと音を立てはぜるたびに、胸の奥で焦燥がかき立てられていく。
……王太子妃という立場はなんて無力なんだろう。
後ろに控えて守られているだけで、自分ではなにもできやしない。
ただ歯がゆくて、無力感だけが募っていく。
苛立ちで指先が震える。
目の前の冷えたお茶に視線を落としたまま、私はひと言も言葉を発せずにいた。
「フランツェスカさん、そんなに心配しなくても大丈夫よ。クラウスとフリードの二人がうまい具合に取り計らってくれるはずよ」
「ええ、そうですね」
王妃殿下が和ませようとしてくれる。
けれど私には余裕がなくて、うまく答えられない。
「……辛いわよね。ただ待っているだけは……貴女は特に苦しいでしょう? 今までは全部自分でできたことだものね?」
「国王陛下と王妃殿下は最初から知っていらしたのですね。そして私が北にいたことも……なのにどうしてですか? どうして私の輿入れを進められたのですか」
「フリードにはずっと婚約者が見つからなかったの。候補となる令嬢も何人かいたけど、家格や年が合わなくてね」
「ではクラウディーヌ公爵令嬢は」
「そうね、以前ヴァイス家のクラウディーヌ公爵令嬢をって話もあるにはあったのだけど、彼女が将来王妃になるとヴァイス家の権力が強くなりすぎる恐れがあってね。ヴァイス家はこのシュヴァルツヴァルトでも有数の名家で資産も多いし、今の当主は国軍の司令官……」
「つまり自国で見つからなかったから、今回の話はちょうど良かった……ということですね。でもそれなら第二王女の方が王太子妃に適任だったのでは? どうして私……だったのです? モルゲンロートよりシュヴァルツヴァルトのほうが軍事力が上ですし、交渉は有利に進められたはずですが」
どうして私なのか。
その疑問はあの日からずっと胸の中でくすぶったまま、答えを見つけられずにいる。
「……ふふっ、本当に聞いていた通り聡い子ね。ええそうよ、こちらが有利に交渉できたと聞いています」
「聞いていた?」
……え、誰に?
「それは内緒よ。でも話を聞いて貴女がいいと思ったの。フリードは少し思い込みの激しい所があるから、貴女のようなしっかりとしたお嬢さんがお嫁さんにきてくれたらいいなと思ったの。貴女には悪いことをしたと思っているけれど……」
「そう、ですか」
……教えてはくれないらしい。
可能性があるとすればたぶんあの人だけど、でもいったいなぜ?
「……ねぇ、フランツェスカさん? ここで待っているだけが辛いなら行ってみましょうか? 私はのんびりしていたい性格だから全て夫任せにしているけれど、前王妃殿下は人任せにせずご自分でやっていらしたわよ?」
「え……?」
「その立場に縛られないでいいのよ? 貴女の好きになさいな。その才能と経験を生かさないのはあまりにもったいないわ」
「リーゼロッテ王妃殿下……」
――リーゼロッテ王妃殿下のその言葉は。
この時、私の心に強く響いたのです。
「まずはそのレイチェルという者を捕らえて話を聞かねばならんな。あとは茶会でそなたに毒を盛った者の特定だな」
「はい。お茶会で私に毒入りのお茶を手渡した侍女については顔を覚えていますので、手掛かりになるかと」
「そうか。ならば話は早い、侍女長にでも人相を伝えればすぐに誰か判明するだろう。王妃の茶会で給仕を行える者は限られているからな」
――そして応接室に沈黙が落ちたその時。
扉の向こうから近衛騎士の声が響いた。
「――国王陛下、ご歓談中のところ失礼します。すぐにお伝えしたい用件がございます、少々お時間よろしいでしょうか」
「……何事だ? 手短に話せ」
「王太子殿下付きの女官、レイチェル・ベッカーが先ほど近衛騎士の待機所に出頭して参りました。王太子妃殿下に毒を盛った……と本人は言っておりまして。これは早急に陛下にお伝えしなくてはと思い、ここに報告に上がった次第です」
近衛騎士のその報告を聞いた瞬間、応接室に緊張が走った。
……レイチェルが出頭した?
どうして急に……?
お茶会の前はそんな素振り、全くなかったのに。
「……そうか。ならばすぐにそちらに向かう。案内してくれ」
国王陛下の低く響く声に、近衛騎士は恭しく頭を下げて退室した。
その背を見送ると陛下は短く息を吐いて、目の前に座っていたフリードに目を向けた。
「フリード。おまえも同行せよ。王太子妃に関わる件だ」
「承知しました」
フリードはその場からそっと立ち上がると、隣に座っていた私を見る。
その薄氷のような青の瞳には、どこかに複雑な色が浮かんでいるように見える。
――動揺。怒り。あるいは痛みのような、複雑ななにか。
「フランツェスカ。少しだけここで待っていてください。レイチェルから話を聞いてきますので」
「……わかりました」
「母上、フランツェスカを頼みます」
「ええ、わかりましたわ。しっかりと事実関係を聞いてくるのですよ」
「わかっています。では、あとのことはよろしくお願いします」
王妃殿下にそう告げると、フリードは国王陛下の後に続いて応接室から出ていった。
応接室の扉が閉まる音が、やけに遠くに聞こえる。
そして応接室に残されたのは私と王妃殿下だけ。
暖炉の炎がぱちぱちと音を立てはぜるたびに、胸の奥で焦燥がかき立てられていく。
……王太子妃という立場はなんて無力なんだろう。
後ろに控えて守られているだけで、自分ではなにもできやしない。
ただ歯がゆくて、無力感だけが募っていく。
苛立ちで指先が震える。
目の前の冷えたお茶に視線を落としたまま、私はひと言も言葉を発せずにいた。
「フランツェスカさん、そんなに心配しなくても大丈夫よ。クラウスとフリードの二人がうまい具合に取り計らってくれるはずよ」
「ええ、そうですね」
王妃殿下が和ませようとしてくれる。
けれど私には余裕がなくて、うまく答えられない。
「……辛いわよね。ただ待っているだけは……貴女は特に苦しいでしょう? 今までは全部自分でできたことだものね?」
「国王陛下と王妃殿下は最初から知っていらしたのですね。そして私が北にいたことも……なのにどうしてですか? どうして私の輿入れを進められたのですか」
「フリードにはずっと婚約者が見つからなかったの。候補となる令嬢も何人かいたけど、家格や年が合わなくてね」
「ではクラウディーヌ公爵令嬢は」
「そうね、以前ヴァイス家のクラウディーヌ公爵令嬢をって話もあるにはあったのだけど、彼女が将来王妃になるとヴァイス家の権力が強くなりすぎる恐れがあってね。ヴァイス家はこのシュヴァルツヴァルトでも有数の名家で資産も多いし、今の当主は国軍の司令官……」
「つまり自国で見つからなかったから、今回の話はちょうど良かった……ということですね。でもそれなら第二王女の方が王太子妃に適任だったのでは? どうして私……だったのです? モルゲンロートよりシュヴァルツヴァルトのほうが軍事力が上ですし、交渉は有利に進められたはずですが」
どうして私なのか。
その疑問はあの日からずっと胸の中でくすぶったまま、答えを見つけられずにいる。
「……ふふっ、本当に聞いていた通り聡い子ね。ええそうよ、こちらが有利に交渉できたと聞いています」
「聞いていた?」
……え、誰に?
「それは内緒よ。でも話を聞いて貴女がいいと思ったの。フリードは少し思い込みの激しい所があるから、貴女のようなしっかりとしたお嬢さんがお嫁さんにきてくれたらいいなと思ったの。貴女には悪いことをしたと思っているけれど……」
「そう、ですか」
……教えてはくれないらしい。
可能性があるとすればたぶんあの人だけど、でもいったいなぜ?
「……ねぇ、フランツェスカさん? ここで待っているだけが辛いなら行ってみましょうか? 私はのんびりしていたい性格だから全て夫任せにしているけれど、前王妃殿下は人任せにせずご自分でやっていらしたわよ?」
「え……?」
「その立場に縛られないでいいのよ? 貴女の好きになさいな。その才能と経験を生かさないのはあまりにもったいないわ」
「リーゼロッテ王妃殿下……」
――リーゼロッテ王妃殿下のその言葉は。
この時、私の心に強く響いたのです。
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