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53 溶ける氷の壁
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――その夜。
ゆらゆらと燃える暖炉の炎が、まるで落ち着かない私の心の内を映しているようだった。
「……フランツェスカ」
私の名を呼ぶ穏やかなその声に、はっとして顔を上げれば。
フリードが、こちらをじっと見詰めていた。
前はこうやってフリードに見られているだけで、胸がざわざわとざわめいて落ち着かなかった。
けれど今は、その視線が居心地が良いとさえ感じるようになった。
きっとあの時の胸のざわめきは恋のときめきなんかじゃなくて、不安で仕方なかったんだと思う。
嘘をついているのが後ろめたくて。
「フリード、あの……」
言いかけて、声が喉に詰まる。
話したいこと、謝るべきことが沢山あってどこから話し始めていいのか迷ってしまう。
「どうしました……?」
フリードの優しい声が耳に響く。
その声に私は唇を噛みしめ、目を伏せた。
「全部……本当は最初、会った時に話すつもりだったんです、でも……話せなくて、ここまできてしまいました。っ……ごめんなさい」
その言葉を口から吐き出した瞬間。
胸の奥に溜め込んでいた色々な感情が、一気に溢れ出してきて。
『ごめんなさい』と謝るので精一杯だった。
「フランツェスカ。謝らなければいけないのは、貴女ではなく私の方です」
「え……」
「私が話せないような空気を最初に作ってしまった。だから貴女は、黙るしかなかったんです」
「ちがっ、フリードは悪くなくて! 私が……話したところで余計な軋轢を生むだけだと……勝手に判断して……話さなくていいと思ってしまったから」
「そんな風に貴女に思わせてしまったのは……私の責任。私が貴女を突き放すような事をあの日言ったから……貴女はそう判断したんです」
薄氷のような青い瞳がまっすぐにこちらを捉える。
その視線は決して私を責めるようなものではなく、後悔の念のようなものが感じられた。
「でも……私は、貴方にずっと嘘をついていました。なにも知らない、そう装っていた」
私はどうしていいかわからず、ただその瞳をじっと見つめ返していた。
そんな私にフリードは困ったように笑う。
「嘘ではないでしょう。――黙っていた、ただそれだけです。それに貴女が沈黙を選んだ理由、私には痛いほどわかります。人の上に立つ者として、なにかを守るために嘘をついてしまうことがある。けれどそれは自分の為なんかじゃなく、誰かの為で……どうしようもないことなんです」
「ですが……」
「それに私も正直、貴女がなにを隠しているのか聞くのが少し怖かった。でもこうやって話してくれて……今、素直に嬉しいんです」
その声が、あまりにも優しくて。
心が解れていくような気がした。
「……フリードは、私に怒っていないんですか?」
「怒る? なぜ?」
そう言ってフリードは首をかしげる。
その仕草にはいつもの演技感が全くなくて、余計に胸が苦しくなった。
「私は貴方を……信じることができなかったのに」
「貴女は周囲の人間を守りたかっただけでしょう。輿入れでこの国にやってきたのは貴女一人ではなかった。それに『信じてほしい』なんて言葉を使いながら、本当の意味で信じさせる努力を私はしていなかった」
「……私は、この国の人間を、シュヴァルツヴァルト兵の命を奪いました」
手が震える。
あの時の光景を今でも覚えている。
「私も、モルゲンロート兵の命を奪いましたよ。でもそれは……奪いたくて奪ったわけではない。貴女もそうでしょう?」
「そんなのっ……当たり前です! 誰が好き好んで……」
「……だったら、なおさら。私達、上に立つ者がこれからとるべき行動は過去の過ちを嘆いてその場に立ち止まることではなく、二度と同じ過ちを繰り返さないように対策を講じることです。そして憎むべきは手を下した者ではなく……それを意図した者。この戦争を始めた者達ではありませんか?」
「そう、ですね。もう二度とこんな意味のない争いが……悲劇が起きないようにする。それが私達、王族の務め。その為にはフリード……私に力を貸してください」
「それはフランツェスカのお父上がモルゲンロートに残してきたという『置き土産』のこと、ですね?」
「ええ。私も詳しくは知りませんが、あの口ぶりから察するに絶対に碌なことを父は考えておりません。このまま放っておけばモルゲンロートの民がまた傷つくような気がするんです。なのでその『爆弾』とやらがいったいなんなのか、確かめてみる必要があるんです」
……クソ親父のあの口ぶり。
絶対に碌なことじゃない。
「わかりました。フランツェスカの望みとあらば私は喜んでお手伝いいたします。まずは明日の朝、王宮の書簡庫を調べてみましょう。父上もなにか知っている様子でしたし、父の近くにいる者の動向でも軽く探ってみましょうか」
「フリード、本当に……ありがとうございます」
「礼は必要ありません。妻の為に尽力する、それは夫の務めであり、喜びですから」
「……あら、私って。お飾りの妻ではありませんでしたっけ?」
「フランツェスカ。それ、まだ……引きずります?」
「ふふふっ!」
私達の笑い声が静かな夜に溶けていく。
……そしてこの時ようやく、心の底から笑えたような気がしたのです。
――その夜。
ゆらゆらと燃える暖炉の炎が、まるで落ち着かない私の心の内を映しているようだった。
「……フランツェスカ」
私の名を呼ぶ穏やかなその声に、はっとして顔を上げれば。
フリードが、こちらをじっと見詰めていた。
前はこうやってフリードに見られているだけで、胸がざわざわとざわめいて落ち着かなかった。
けれど今は、その視線が居心地が良いとさえ感じるようになった。
きっとあの時の胸のざわめきは恋のときめきなんかじゃなくて、不安で仕方なかったんだと思う。
嘘をついているのが後ろめたくて。
「フリード、あの……」
言いかけて、声が喉に詰まる。
話したいこと、謝るべきことが沢山あってどこから話し始めていいのか迷ってしまう。
「どうしました……?」
フリードの優しい声が耳に響く。
その声に私は唇を噛みしめ、目を伏せた。
「全部……本当は最初、会った時に話すつもりだったんです、でも……話せなくて、ここまできてしまいました。っ……ごめんなさい」
その言葉を口から吐き出した瞬間。
胸の奥に溜め込んでいた色々な感情が、一気に溢れ出してきて。
『ごめんなさい』と謝るので精一杯だった。
「フランツェスカ。謝らなければいけないのは、貴女ではなく私の方です」
「え……」
「私が話せないような空気を最初に作ってしまった。だから貴女は、黙るしかなかったんです」
「ちがっ、フリードは悪くなくて! 私が……話したところで余計な軋轢を生むだけだと……勝手に判断して……話さなくていいと思ってしまったから」
「そんな風に貴女に思わせてしまったのは……私の責任。私が貴女を突き放すような事をあの日言ったから……貴女はそう判断したんです」
薄氷のような青い瞳がまっすぐにこちらを捉える。
その視線は決して私を責めるようなものではなく、後悔の念のようなものが感じられた。
「でも……私は、貴方にずっと嘘をついていました。なにも知らない、そう装っていた」
私はどうしていいかわからず、ただその瞳をじっと見つめ返していた。
そんな私にフリードは困ったように笑う。
「嘘ではないでしょう。――黙っていた、ただそれだけです。それに貴女が沈黙を選んだ理由、私には痛いほどわかります。人の上に立つ者として、なにかを守るために嘘をついてしまうことがある。けれどそれは自分の為なんかじゃなく、誰かの為で……どうしようもないことなんです」
「ですが……」
「それに私も正直、貴女がなにを隠しているのか聞くのが少し怖かった。でもこうやって話してくれて……今、素直に嬉しいんです」
その声が、あまりにも優しくて。
心が解れていくような気がした。
「……フリードは、私に怒っていないんですか?」
「怒る? なぜ?」
そう言ってフリードは首をかしげる。
その仕草にはいつもの演技感が全くなくて、余計に胸が苦しくなった。
「私は貴方を……信じることができなかったのに」
「貴女は周囲の人間を守りたかっただけでしょう。輿入れでこの国にやってきたのは貴女一人ではなかった。それに『信じてほしい』なんて言葉を使いながら、本当の意味で信じさせる努力を私はしていなかった」
「……私は、この国の人間を、シュヴァルツヴァルト兵の命を奪いました」
手が震える。
あの時の光景を今でも覚えている。
「私も、モルゲンロート兵の命を奪いましたよ。でもそれは……奪いたくて奪ったわけではない。貴女もそうでしょう?」
「そんなのっ……当たり前です! 誰が好き好んで……」
「……だったら、なおさら。私達、上に立つ者がこれからとるべき行動は過去の過ちを嘆いてその場に立ち止まることではなく、二度と同じ過ちを繰り返さないように対策を講じることです。そして憎むべきは手を下した者ではなく……それを意図した者。この戦争を始めた者達ではありませんか?」
「そう、ですね。もう二度とこんな意味のない争いが……悲劇が起きないようにする。それが私達、王族の務め。その為にはフリード……私に力を貸してください」
「それはフランツェスカのお父上がモルゲンロートに残してきたという『置き土産』のこと、ですね?」
「ええ。私も詳しくは知りませんが、あの口ぶりから察するに絶対に碌なことを父は考えておりません。このまま放っておけばモルゲンロートの民がまた傷つくような気がするんです。なのでその『爆弾』とやらがいったいなんなのか、確かめてみる必要があるんです」
……クソ親父のあの口ぶり。
絶対に碌なことじゃない。
「わかりました。フランツェスカの望みとあらば私は喜んでお手伝いいたします。まずは明日の朝、王宮の書簡庫を調べてみましょう。父上もなにか知っている様子でしたし、父の近くにいる者の動向でも軽く探ってみましょうか」
「フリード、本当に……ありがとうございます」
「礼は必要ありません。妻の為に尽力する、それは夫の務めであり、喜びですから」
「……あら、私って。お飾りの妻ではありませんでしたっけ?」
「フランツェスカ。それ、まだ……引きずります?」
「ふふふっ!」
私達の笑い声が静かな夜に溶けていく。
……そしてこの時ようやく、心の底から笑えたような気がしたのです。
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