難攻不落の異名を持つ乙女ゲーム攻略対象騎士が選んだのは、モブ医者転生者の俺でした。

一火

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1章

22-1

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 夜道をこんなにも暗いなんて思ったのは初めてだった。
 夕方まで降り続けた雨はすっかり止んだが、どんよりと重苦しい空気が辺りに漂っている。
 闇夜が町を支配していた。

 『義務で抱くのは……もう止めてくれ』

 その言葉は、まるで鈍器のように俺の頭を打ち付けた。

 もう6日も経ったというのに……いまだにあの日の事が、頭にこびり付いて離れない。
 あの時は余りの衝撃で、何も言い返す事が出来なかった。
「アオがそんな風に思っていただなんてな……」
 目の前が真っ暗になった。愛しくて仕方がないと思っていた相手が、そんな気持ちを抱いていたなんて。

 ふと、冷えた右手に目を遣る。
 何をしても可愛らしいお前に、俺は瞬く間に惚れ込んだ。
 何処か儚げで、その辺の聖職者なんかより余っ程清らかな心を持ったお前を、守ってやりたいと思った。
 その笑顔でいつも俺の心は満たされていた。お前が笑ってくれるなら、何でもしてやりたいとすら思った。
 傍に繋ぎ止めておきたくて、その華奢な身体を何度も抱いた。……でも俺は、お前に愛の言葉を囁いた事、これまで一度も無かったな。
 いつもあるはずの温もりを失い、寂しさで震える右手をぎゅっと握り込む。

「言葉が、これ程までに大事だったとは」

 こんなにも好きだったのに、俺はきちんと伝えていなかった。互いが互いを必要としている、ならばそれでいいだろう……そんな状況に甘えていたのが正直な所だ。
 これ迄ギルバートに散々言われてきた。

『お前は言葉が足りない』

 いつも鼻で笑っていたが、まさかこんな形で返って来るなんて。
 「呪」なんて小賢しい真似で、お前が離れて行かないように縛るくらいなら、一言「好きだ」と言えばよかった。

 月明かりすらない、何の光もない路地裏の帰り道。道に出来た水溜まりを避けもせず、力なく歩き続ける。
 あれから毎晩仕事終わり、診療所の近くまで足を向けては、そのドアを開ける事が出来ない自分がいた。
「……こんなに情けない奴だったんだな、俺は」
 開けてどうしようというのか。あんな事言わせておいて……またこの腕で抱き締めて良いのだろうか。
「結局……お前をまた苦しめるんだろう」
 こんな堂々巡りの考えで今日も結局何もすることが出来ずに、俺は宿舎に戻ろうとしている。
「クソッ……」
 らしくない。「欲しいものは必ず手に入れる」と豪語していた自分は、一体何処へ行ってしまったのか。
 行き場のないもどかしさをどうにか発散したくて、空き家の石壁を力任せに殴りつけた。

「……おいっ、あれ……」
「やべぇ、逃げろ……」
「……ん?」
 誰もいない筈の屋内から、人の声が聞こえる。割れて風化し始めている窓ガラス越しに中を覗き込むと、黒い影が2つ、俺がいる場所とは逆側へ走っていった。

「あ? ……おい! お前ら!!」
 本能的に怪しいと、そいつらを追い掛けようとした時だった。

「火事だァァ!! 逃げろ!!」

 大通りの方から、そんな叫び声が聞こえてくる。
「火事? 一体どこで……」
 その声に導かれるよう、大通りに出てみれば俺が今しがた来た方角から黒い煙が上がっているのが見えた。
「お、おい! あの炎が上がってる場所……あれって、アオさんとこの診療所じゃないか!?」
 群がる群衆の中からそんな声が聞こえるやいなや、反射で俺の足は駆け出していた。
「嘘だろ……アオ……!!」
 彼に言われた言葉なんて、この時頭の片隅にもなかった。

 ちゃんと逃げたのだろうか、それならば問題は無い。元気な姿を一目でも見られればそれでいい。診療所も住居も、後でどうにでもしてやる。お前が拒否するならば、俺からだと分からなくすれば良いだけだ。形あるものなんて、俺の手で幾らでも用意してやれる。

「だが……もし、お前がまだ火の中から逃げられずに居たら」

 迫り来る炎と煙でどうする事も出来ないアオの姿が脳内で再生される。

「もしそうなら……命に変えてでも助け出してやる……」 

 例えお前に嫌われていようとも俺にとって、お前はそれ程までに大切な存在なんだ。
『イーサン』
 儚くも美しい笑顔の彼が、俺の名前を呼ぶ姿が脳裏を掠める。
「頼む、アオ。無事で居てくれ」
 そう小さく呟くと下唇を噛み締め、そこら中に溢れた野次馬を押し退け、脇目も振らず駆け抜けていった。


>>>

「……っ、こほっ……」

 なにやら息苦しさで目が覚めた。
「ん?……え、なに……」
 濡れた枕から顔を上げると、部屋1面が黒煙で包まれている。
「っ……え、火事……!?」
 虚ろだった意識は瞬く間に覚醒し、慌ててシャツの裾で口元を押さえ、身体を低くする。
 部屋が噎せ返るような熱気で包まれていた。
「うそ、……っ、逃げ……なきゃ……」
 這いずってドアを開けようと腕を伸ばすも、カクンッと身体が崩れ落ちる。
「寝てる間に、煙吸い込んだか」
 段々と頭が割れるように痛み始め、煙が器官から体内へと侵食していく。

 息苦しい。

 いつから燃えているのだろうか……この建物は石造りのはず。それがここまで燃えてるって事はなにか撒かれたか、魔法か。下に火元は無いはずだし、故意的なものとしか思えない。回らない頭で考えていると、徐々に視界がボヤけてくる。
「まずい……ダメだ、これじゃ……」

 ――「死」を覚悟した瞬間だった。

「身体が動かない……苦しい……」
 混濁し始める意識の中で、あの日見たイーサンとフタバの姿が描かれる。
「……丁度いいんじゃないか」
 ガリっと、胸元を掻き毟る。
 もう、何もかも嫌になっていた。こんな世界で生きる事モブであることにも絶望していた。

「それが終わる」

 そう考えると、不思議に思考は楽な方へ逃げようとする。もう苦しまなくていい。イーサンとの思い出が直ぐに消えるはずがない。この世界で生きる限り、嫌でもイーサンとフタバの情報は耳に入るだろう。2人が「結婚した」だなんて事でも聞いてしまったら……想像しただけで、俺の目頭はどうしようもなく熱くなり頬にツゥっと、一筋の線が描かれた。

「ならもうここで、永遠のさようならをしようイーサン。……次は、君となんの気兼ねもなく恋が出来る世界で出会いたいな」

 最期の言葉を呟いて、そっと目を閉じた。そこにあるのは、イーサンの男らしい笑顔。優しい手で俺の頬を撫でてくれた、あの何物にも代え難い幸せな日々の記憶たち。
 ――短い間だったけれど、君と居た時間は本当に楽しくて幸せで、特別なものだった。
「こんな気持ちを教えてくれてありがとう。……どうか、幸せに」

 左手の薬指に光る指輪を、右手で包み込む様に抱き締めた姿のまま、段々と意識は彼方遠くへと旅立っていった。
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