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17.手紙
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曉麗の妃化計画は、あえなく失敗に終わってしまった。
以後、『妃を増やす』ことを話題に出すのは禁じられたし、わたし自身、二度と挑戦したくない。あの日は本当に恐ろしい目にあった。
(良いじゃんねぇ。減るもんじゃなし)
しかし、そんなことを口にした日には、いよいよ身の安全が危ない。
触らぬ神に祟りなし。
君子危うきに近寄らず、というやつだ。
だけど、時には避けて通れない『神』ってもんが存在する。
数枚の紙片を手にし、わたしは静かにため息を吐いた。
【初めまして。後宮生活には少しは慣れたかしら?】
好意的な出だし。
手蹟は上品で、良い香りのする麻紙を使っている。
一見して怪しいところはない、何の変哲もない手紙だ。
だけど、この手紙からは、持ち主の怨念のようなものを感じる。見ているだけで身体が震え上がるような、おぞましい何かが。
手紙の贈り主は皇后――――憂炎が隠匿される原因となった人物だ。
嫉妬深く、権力欲にあふれた女性。
彼女のせいで、現皇帝の子は憂炎一人しか存在しない。
生まれてくる前に殺されるか、生まれた後で殺されるか――――皆、どちらかの運命を辿ったからだ。
(全く。国を滅ぼす気か! って話よね)
もしも憂炎が生まれていなければ、育っていなければ、この国は大きく揺らいだだろう。
治める者が居らず、内乱が起こり、他国から攻め入られる事態に陥っていたかもしれない。
そんな簡単なことすら分からない人なんだもの。わたしは皇后とは関わり合いたくない。
手紙だって、出だしを読むだけで十分。
まともに読む気なんか無かった。
「陛下から『必ずお返事を貰ってくるように』と申し付かっております」
だけど、遣いの宦官が青褪めた表情でそんなことを口にした。
きっと、返事を渡さなければ、酷い折檻を受けるのだろう。
ため息を一つ、わたしは仕方なく、手紙の続きを読むことにした。
【陛下に子が居るとは、夢にも思いませんでした。誰も教えてくれないんですもの。あなた方一族が、皇太子を隠し、育てていたんですってね。お優しいこと。さっさと後宮に戻せばよかったものを】
(おえっ)
これぞ『後宮』。恨みったらしいったらありゃしない。読んでて胸焼けのする内容だ。
こんな手紙を書く人間を皇后に据えたままなんだもの。皇帝には威厳が足りないんじゃなかろうか。
【あなたが妃になるのは、当然の采配でしょう。直接お会いできる日が楽しみです。先の宴で場を設けるから、そのつもりで】
(ほぅ……宴、ねぇ)
憂炎からそんな話は聞いたことがない。
だけど、皇后がわざわざこんなことを書いて寄越すんだもの。わたしの出席は間違いないのだろう。
「誰か、筆と紙を」
どうやら皇后は、憂炎とその妃――――わたしのことが大層お気に召さないらしい。
己の地位を脅かす可能性がある存在を種から取り上げ、芽すら出ないよう気を揉んでいたというのに――――彼女の目の前にはもう、立派に育ち上がった憂炎が居る。
(摘ませるわけがないでしょう?)
すべきことは一つ。
抗戦の意思を明確にすべきだ。
(――――でもなぁ)
【おとといきやがれ】と書いてやろうとした所で、わたしはふと手を止めた。
『凛風』として戦うのがわたし自身ならば良い。
真っ向勝負を受けてたとう。
だけど、もしも華凛に後を任せるのだとしたら、このやり方じゃダメだ。
あの子は武力を持たない。
その代わりに女性らしく、優雅に――――その実、強かに戦うに違いない。正面から立ち向かうのではなく、別の方向から上手く切り返していく筈だ。
【先の宴でご挨拶ができる日を、心から楽しみにしております】
数行の手紙を認め、それを使者へと託す。
この内容ならあまり波風を立てず、相手の出方を窺いながら戦っていくことが出来るだろう。
(皇后、か)
小さくため息を吐きつつ、わたしは凝り固まった肩をぽきぽき鳴らした。
「――――で、お前は一体何をしてるんだ?」
その日、遅くに後宮を訪れた憂炎は、呆れたような表情でそんなことを口にした。
「何って……見て分からない? 鍛錬だけど」
花々の咲き誇る後宮の庭を走り回ること既に数時間。
化粧は綺麗に剥げ落ちているし、汗がダラダラ流れている。完全に『見れば分かる』という状態だ。
普段実家で使っているのよりは動きづらいけど、妃用のヒラヒラしたものよりは数段マシのため、衣装は宦官のものを拝借している。めちゃくちゃ抵抗されたけど、武力行使して手に入れた。
(そうよ。もっと早くにこうしていたら良かったんだわ)
閉ざされた後宮。
現皇帝の妃達と顔を合わせる機会も無い。
侍女や宦官からは苦言を呈されたけど、そんなことはどうでもいい。
だってわたしは凛風だもの。
元々妃の枠に収まるような人間じゃないんだから、大人しくしている理由は微塵も無かった。
「そんなにここが退屈なのか?」
憂炎はため息を吐きつつ、着ていた上衣を宦官へ預ける。
それからため息をもう一つ、指をくいくいと上向けた。
どうやら手合わせをしてくれるらしい。
思わず口の端が上がった。
「まあね」
言いながら、思い切り地面を踏み込む。憂炎は俊敏に後退り、寸でのところで蹴りを躱した。続けざまに懐へと潜り込み、拳を振ろうとしたところで、憂炎がニヤリと笑う。
「――――あまりブランクは感じないな」
「そっちもね。デスクワークばっかりで鈍ってるんじゃないかと思ってた」
腕や足が勢いよく風を切る。宦官達がハラハラした様子でこちらを見ながら息を呑む。だけど、これでも大分手加減しているのだ。この程度の手合わせなら、互いに怪我をすることは無い。
『退屈なのか?』
さっき憂炎にそう聞かれたけど、本当にそのとおり。
わたしは退屈だった。
毎日優雅なティータイムばかりで飽き飽きしている。
だけど、それだけが鍛錬を再開した理由じゃない。
だって相手は――皇后は――腹の中の赤子を躊躇いなく殺すような女なのだ。
自分の身は自分で守る。そのぐらいの努力は必要だろう。
それに、わたしがこうして鍛えていることは、現皇帝の後宮にも伝わる筈だ。入れ替わりを果たした後に、そのことが少しでも華凛の盾になったら良い。力を持っていると誇示することは、時に抑止力としても働く筈だ。
(それにしても)
どのぐらいぶりだろう。
久しぶりに心の底から笑えている気がする。
憂炎とこうして拳を交わして。
汗を掻いて。
ようやく本当の自分に――――わたし達に戻れたみたいな、そんな心地がする。
「楽しいな、凛風」
憂炎が笑う。
こいつのこんな笑顔も、久しぶりに見た気がする。
最近の憂炎はいつも不機嫌な顔をして、わたしのことを見つめてばかりだったから。
全身が熱い。鼓動が早く、胸が小さく打ち震える。
それは生まれて初めて感じる、訳の分からない感覚だった。
憂炎の笑顔から目が離せない。
あいつが笑っているのが何故だか無性に嬉しくて、それからすごく照れくさい。別に恥ずべきことではない筈なのに、口にするのがどうにも憚られる。
「――――ああ、そうだな」
久方ぶりに身体を動かせたから――――それがとても嬉しいから。
そんな風に結論付けて、わたしは笑った。
以後、『妃を増やす』ことを話題に出すのは禁じられたし、わたし自身、二度と挑戦したくない。あの日は本当に恐ろしい目にあった。
(良いじゃんねぇ。減るもんじゃなし)
しかし、そんなことを口にした日には、いよいよ身の安全が危ない。
触らぬ神に祟りなし。
君子危うきに近寄らず、というやつだ。
だけど、時には避けて通れない『神』ってもんが存在する。
数枚の紙片を手にし、わたしは静かにため息を吐いた。
【初めまして。後宮生活には少しは慣れたかしら?】
好意的な出だし。
手蹟は上品で、良い香りのする麻紙を使っている。
一見して怪しいところはない、何の変哲もない手紙だ。
だけど、この手紙からは、持ち主の怨念のようなものを感じる。見ているだけで身体が震え上がるような、おぞましい何かが。
手紙の贈り主は皇后――――憂炎が隠匿される原因となった人物だ。
嫉妬深く、権力欲にあふれた女性。
彼女のせいで、現皇帝の子は憂炎一人しか存在しない。
生まれてくる前に殺されるか、生まれた後で殺されるか――――皆、どちらかの運命を辿ったからだ。
(全く。国を滅ぼす気か! って話よね)
もしも憂炎が生まれていなければ、育っていなければ、この国は大きく揺らいだだろう。
治める者が居らず、内乱が起こり、他国から攻め入られる事態に陥っていたかもしれない。
そんな簡単なことすら分からない人なんだもの。わたしは皇后とは関わり合いたくない。
手紙だって、出だしを読むだけで十分。
まともに読む気なんか無かった。
「陛下から『必ずお返事を貰ってくるように』と申し付かっております」
だけど、遣いの宦官が青褪めた表情でそんなことを口にした。
きっと、返事を渡さなければ、酷い折檻を受けるのだろう。
ため息を一つ、わたしは仕方なく、手紙の続きを読むことにした。
【陛下に子が居るとは、夢にも思いませんでした。誰も教えてくれないんですもの。あなた方一族が、皇太子を隠し、育てていたんですってね。お優しいこと。さっさと後宮に戻せばよかったものを】
(おえっ)
これぞ『後宮』。恨みったらしいったらありゃしない。読んでて胸焼けのする内容だ。
こんな手紙を書く人間を皇后に据えたままなんだもの。皇帝には威厳が足りないんじゃなかろうか。
【あなたが妃になるのは、当然の采配でしょう。直接お会いできる日が楽しみです。先の宴で場を設けるから、そのつもりで】
(ほぅ……宴、ねぇ)
憂炎からそんな話は聞いたことがない。
だけど、皇后がわざわざこんなことを書いて寄越すんだもの。わたしの出席は間違いないのだろう。
「誰か、筆と紙を」
どうやら皇后は、憂炎とその妃――――わたしのことが大層お気に召さないらしい。
己の地位を脅かす可能性がある存在を種から取り上げ、芽すら出ないよう気を揉んでいたというのに――――彼女の目の前にはもう、立派に育ち上がった憂炎が居る。
(摘ませるわけがないでしょう?)
すべきことは一つ。
抗戦の意思を明確にすべきだ。
(――――でもなぁ)
【おとといきやがれ】と書いてやろうとした所で、わたしはふと手を止めた。
『凛風』として戦うのがわたし自身ならば良い。
真っ向勝負を受けてたとう。
だけど、もしも華凛に後を任せるのだとしたら、このやり方じゃダメだ。
あの子は武力を持たない。
その代わりに女性らしく、優雅に――――その実、強かに戦うに違いない。正面から立ち向かうのではなく、別の方向から上手く切り返していく筈だ。
【先の宴でご挨拶ができる日を、心から楽しみにしております】
数行の手紙を認め、それを使者へと託す。
この内容ならあまり波風を立てず、相手の出方を窺いながら戦っていくことが出来るだろう。
(皇后、か)
小さくため息を吐きつつ、わたしは凝り固まった肩をぽきぽき鳴らした。
「――――で、お前は一体何をしてるんだ?」
その日、遅くに後宮を訪れた憂炎は、呆れたような表情でそんなことを口にした。
「何って……見て分からない? 鍛錬だけど」
花々の咲き誇る後宮の庭を走り回ること既に数時間。
化粧は綺麗に剥げ落ちているし、汗がダラダラ流れている。完全に『見れば分かる』という状態だ。
普段実家で使っているのよりは動きづらいけど、妃用のヒラヒラしたものよりは数段マシのため、衣装は宦官のものを拝借している。めちゃくちゃ抵抗されたけど、武力行使して手に入れた。
(そうよ。もっと早くにこうしていたら良かったんだわ)
閉ざされた後宮。
現皇帝の妃達と顔を合わせる機会も無い。
侍女や宦官からは苦言を呈されたけど、そんなことはどうでもいい。
だってわたしは凛風だもの。
元々妃の枠に収まるような人間じゃないんだから、大人しくしている理由は微塵も無かった。
「そんなにここが退屈なのか?」
憂炎はため息を吐きつつ、着ていた上衣を宦官へ預ける。
それからため息をもう一つ、指をくいくいと上向けた。
どうやら手合わせをしてくれるらしい。
思わず口の端が上がった。
「まあね」
言いながら、思い切り地面を踏み込む。憂炎は俊敏に後退り、寸でのところで蹴りを躱した。続けざまに懐へと潜り込み、拳を振ろうとしたところで、憂炎がニヤリと笑う。
「――――あまりブランクは感じないな」
「そっちもね。デスクワークばっかりで鈍ってるんじゃないかと思ってた」
腕や足が勢いよく風を切る。宦官達がハラハラした様子でこちらを見ながら息を呑む。だけど、これでも大分手加減しているのだ。この程度の手合わせなら、互いに怪我をすることは無い。
『退屈なのか?』
さっき憂炎にそう聞かれたけど、本当にそのとおり。
わたしは退屈だった。
毎日優雅なティータイムばかりで飽き飽きしている。
だけど、それだけが鍛錬を再開した理由じゃない。
だって相手は――皇后は――腹の中の赤子を躊躇いなく殺すような女なのだ。
自分の身は自分で守る。そのぐらいの努力は必要だろう。
それに、わたしがこうして鍛えていることは、現皇帝の後宮にも伝わる筈だ。入れ替わりを果たした後に、そのことが少しでも華凛の盾になったら良い。力を持っていると誇示することは、時に抑止力としても働く筈だ。
(それにしても)
どのぐらいぶりだろう。
久しぶりに心の底から笑えている気がする。
憂炎とこうして拳を交わして。
汗を掻いて。
ようやく本当の自分に――――わたし達に戻れたみたいな、そんな心地がする。
「楽しいな、凛風」
憂炎が笑う。
こいつのこんな笑顔も、久しぶりに見た気がする。
最近の憂炎はいつも不機嫌な顔をして、わたしのことを見つめてばかりだったから。
全身が熱い。鼓動が早く、胸が小さく打ち震える。
それは生まれて初めて感じる、訳の分からない感覚だった。
憂炎の笑顔から目が離せない。
あいつが笑っているのが何故だか無性に嬉しくて、それからすごく照れくさい。別に恥ずべきことではない筈なのに、口にするのがどうにも憚られる。
「――――ああ、そうだな」
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そんな風に結論付けて、わたしは笑った。
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