流れる星、どうかお願い

ハル

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別れ

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 病院からの連絡で予約をしようと自室でPCを操作していると鍵がかかっているドアノブがホラーのようにガタガタと激しい音が鳴る。平日で結弦以外にはいないはずの家にいるのはお呼びでない客人ぐらいだろう。そう思って何か武器がないかと探していると部屋の外から怒気を含んだ声が聞こえる。
「結弦、いるんだろ!開けろ!今すぐ。」
 朝、普通に仕事に出かけたはずの要の声に驚いて慌てて鍵を外す。ホラー現象でも警察沙汰でもないことに安堵したが、それ以上に聞いたことがない声で叫ばれるので不安になる。彼は珍しく慌てているのか息が上がっている。何かを忘れたのかと思ったが、そうであれば彼がこんな切羽詰まった様子になることはないし、何より結弦に用はないはずだ。気遣いができる彼であれば、足音を立てないように部屋から必要なものだけを持ち出して家から出るだろう。それに、このところ出張が続いていてほとんど顔を合わせないから久しぶりに彼の顔を見たのだが、シャープで切れ長の目の整った顔をしている彼は眉毛を逆八の字にしていると怖い。まるで本物の般若のようだ。
「何を考えている。」
 それも声がいつもより幾分か低い。こんなに怒っている彼を見るのは初めてだ。思い当たることは一つなのだが、想像した反応と違うので当てが外れていると結弦は思ってしまう。
「要さん、主語がない。あと、息が切れているから水を飲んだ方がいい。ちょっとそこのソファに座っていて。今持って行くから。」
 まずは落ち着かせようと思いソファに要を案内してから水を持って行く。彼は大人しく座って待っていて水を受け取ると水をゆっくりと飲む。あまり早く一気に飲むと咽るらしく彼はどんな時も少しずつ味わうように飲む。
 結弦は立ったまま彼を見下ろすようにして向かい合う。ため息を吐いた要は手で顔の片側を覆う。頭痛がするとでも言いたげな様子だ。
「それでどういうつもりだ?」
「だから主語がないって。」
「とぼけるな。離婚と番解消の申請の件だ!」
 テーブルを思いっ切りグーで要が殴った。痛くないのかと心配したいが、それ以上に彼がこれほど激昂するのは初めて見たので結弦はどうしたらいいのかわからない。
「それはこっちが聞きたいけど。最初からお互い長く関係が続くなんて思っていなかったと思うんだけど。」
「・・・どういうことだ?俺はそんな風に考えたことはない。」
 結弦の放った言葉が意外だったのか、彼は呆然としてしまい先ほどの怒りはあっという間にボルテージを下げていく。それどころか、顔色が悪くなっていくようにも見えて不可解な状況に陥ってしまうが、結弦はそれを表に出さずない。あくまでも、結弦は冷静に振舞っている。それに、ここ数日は多忙な要になかなかこの件を切り出すタイミングがなくて言えない状況だったので、彼の方から切り出してきたのは絶好の機会でありそれに乗っかる。
「考えたことないって?あんなことで番になったのに。僕らはただ僕が発情期になった現場に居合わせた要が首を噛んだだけのこと。そんな僕らがうまく行くわけがないでしょ。あの日もそう言っただろう?『僕が羽水君と発情期になって誘いました』って。」
 笑ってやる、あの日のように馬鹿にしたように最後まで笑い続けてやる。
 彼に憎まれるように彼の記憶から彼が何の躊躇もなく消し去れるように。
 何の後悔も未練もなく迷いなく彼が幸せを選択できるように。

 その思いだけで結弦は悪役でも振舞える。

「僕はお金持ちのアルファである要と一緒になれて楽に生活できるって思っていたから最初は喜んだんだ。豪華な暮らしって憧れていたからね。でも、そんな暮らしもつまらなくなっちゃって。もういいかなって。」
 ふうっとわざと大きなため息を吐く。”要”と呼び捨てにして事務的な言葉も止め、結弦はこれが本性だと言わんばかりに言い放つ。そうして、心底うんざりだと彼に伝わるように。
「だから、離婚しよ。要はまだ二十代前半だしイケメンだし家柄もいいから問題ないって。何よりアルファ。もう周囲の人たちが放っておかないよ。バツが付くけどそんなの君のそれらに隠れるから、次の相手には困らないって。」
「なんだ、それ。」
 やっと声を出した要の目は暗い影を落としている。絶望、落胆、そんな感情が目に見える。
「アルファなんて勝ち組だろ。僕は次の相手はアルファはこりごりなんだよね。アルファと一緒になっても単調な生活が続くからつまらないって今回君と過ごしてわかったから。」
 結弦はにっこり笑ってやる。もうそろそろ特訓の成果も切れ始めているのか口角が痙攣を起こしたようにピクピクしているのがわかる。それを要に気づかれるのはマイナスだと直感的にわかるから顔を逸らして部屋から離婚届を取りに戻る。
「この結婚だって僕が始めたようなもんだ。僕が君の番になって法を逆手に君に結婚を脅迫し、それに君は頷いた。だから、離婚も僕が同じように脅迫するよ。もう、番解消はオメガが出しているから取消は効かない。だから、これ、書いて。」
 離婚届には要以外の欄には記入がされている。証人者には要の母親と友明の名前がそれぞれ記入してある。それを見たからか、彼は顔を上げて驚愕している。
「母に会ったのか?」
 気にするところはそのなのか、と結弦は呆れてしまう。要と番になった日に一度だけ会った学校で顔を合わせただけだった要の両親はアルファらしい容姿と雰囲気がある二人で一言も話さずにだんまりとしていた。能面のような顔をしていた二人で本当に一瞬見ただけだったが印象は強く残っていた。それから一度もお互いに気にしなかった。アルファ一族ということもあり、結弦に気を遣った要は会わそうとすらしなかった。
 何も知らない、だからこそ、互いが気を遣う必要がないうえに、結弦はおそらく彼らの願いを叶える形を取ったので躊躇なく行動を起こすことができた。
 結弦はぼかさずに素直に話す。
「うん、会った。慰謝料とかも話さないといけないから弁護士を伴ってこの家ではなくて近くの個室喫茶みたいな店で会った。そうは言っても手続きはその弁護士がしてくれるからその間、要のお母さんは黙ってこっちを見ていた。あの日以来だから数年ぶりに会ったけど相変わらずアルファらしい迫力があったし無表情で何を考えているのか全く分からなかった。最後に『どうせなら子供だけでも産んでくれればよかったのに役に立たない。』なんて小言を言われたよ。」
 あの光景を思い出すと笑うしかない。要のお母さんと付き添いの弁護士の姿はまるで要と大石の姿に重なって見えたから。弁護士も大石と名乗ったのでおそらく彼の親族か親だろうことは分かったが、ここまで雰囲気が似ていると将来の彼らを見ているようで得した気分になった。
「結弦はその条件を飲んだのか?」
「サインもしたな。」
「あの母のことだから相当お金を出したんだろうな。」
「まあ、僕が必死に働いても一生無理な金額ではあったな。改めて、君がどんな世界で生きているのかわかった気がするよ。」
 要の呆れた様子に結弦は同意するが、本当は慰謝料なんて一円ももらうことはない。結弦はただ要について彼の母に謝罪しただけで、彼らが提示した慰謝料に関する取り決めは全てを拒否し何も受け取らないことにサインした。確かに、彼らが示した金額は気が遠くなるぐらいに大きな額だったが、そんなものを受け取る資格などあるわけもない。しかし、そんなことを彼に聞かせることはない。
「もういいかな。要、さっさとそこにサインしてほしい。病院の予約は最短で入れるけど、離婚届は先に受理されても一週間ほど番なのは許してよ。これだけはどうしようもないから。」
「それなら、それまではこの家に居ればいい。手術後にゆっくりできる家が必要だろう?他の住まいを借りるにも時間がかかるんだ。」
「いいよ。この家は要のなんだし、僕がいたらゆっくりできないからね。」
「勝手に決めつけるな。俺が居ればいいって言っているんだからいいんだ。」
 どこの皇帝だよ、と思いつつも、こういう強引なところはまだ番になる前にもあった。おもむろに彼が結弦の手を掴んでくるので驚いて身を引くが手は強い力で掴まれていて引くに引けない。
「頼む、それぐらいはさせてくれ。離婚届にサインはするから。」
「わかった。」
 ここで、わかった、なんて似つかわしくない。そんなことは頭では分かっているが反射的に言ってしまった。頭を下げて懇願するように言う彼を拒絶するなんてできない。彼の気遣う優しさに甘えそうになっている自分が嫌になるが、それでもこれが最後だと心を引き締める。
「離婚届、さっさと書いて。今日中に提出してくるから。すぐに書かないと要は仕事を抜け出してきたんだろ?いくら一族経営の会社に入社したからってまだ新人がこんな風に勝手に抜け出すのはどうかと思う。」
「心配か?」
 彼は先ほどまでの暗い感情が顔を出していたのと違い、どことなく楽しそうな目で見てくるので結弦は目を逸らす。
「別に。ただ、そう思っただけ。」
「わかった。すぐに書く。どうせ外に出るから俺がコレを出してくる。」
 ここで彼を疑うのは失礼かもしれないと結弦は思い頷く。それから、すぐに要がサインをして確認が終わり、それも入れた鞄を持って立ち上がった時に家の呼び出し音が鳴る。
「もう出る。」
「わかった。」
 見送らずに結弦は自室に戻る。扉が閉まる前に聞こえたのは聞き覚えのある甘えるような女性の声だ。でも、それに少しだけ心が動かされることはあっても、肩の荷が下りたのか以前のような心臓が押しつぶされるような痛みはない。
「離婚が決定したからかな。もう、これでやっと要は正しい幸せを手に入れられる。後は、うなじの痕さえ消えればもう彼が憂いに感じるものはない。」
 結弦は流れる涙も霞む視界も気にしないで病院に対して最短希望にして返事をする。

 予想より病院での予約は早い期日で取れた。二日後なので引っ越しも含めればちょうどである。荷造りもすぐに始めないといけないし、たまに掃除に行っている元の家の状況も見てみないといけないのでやるべきことは色々あり多忙になり、要に食事を作る義務もないし彼から生活費を受け取る資格もないためカードもメモ付きでテーブルの上に置く。結弦の荷物など増えたものはなくこの家に来てから結弦が買ったものは料理するのに必要なものだけだ。家具は備え付けであり、身長も体重も変化がないうえにテレビも見ないので流行に鈍感でこだわりもないので洋服も変わらない。増えたのは母が生前最後に作ってくれた結弦用のマフラーと予定のない幼児用の帽子と手袋、そして、友明にもらった鞄ぐらいだろう。要から贈り物もなく指輪もいらないと言ったのがこういう時に功を奏すとは思わなかった。
「要、お世話になった。」
「こんなに早朝に出かけなくてよくないか?」
 時間は離婚した翌日の朝7時
 要がそう言うのも分からないでもないが、電車は動いている時間なので結弦が移動できないことはない。
「いやいや、要も後30分で出るだろ。要より遅く出てどうするんだよ。光熱費が無駄だよ。簡単に僕の部屋は掃除してあるけど汚かったら通いの家政婦さんに言っておいてよ。」
「いや、別に気にしない。」
「そっか。そういえば、ここは僕と番になったから借りた仮住まいだったよね。だから、要は実家に戻るのか。それなら別にいいか。僕はもう行くよ。」
 要からの言葉はもう聞きたくなくて結弦は矢継ぎ早に言葉を次々と紡いですぐに家を出る。

 後腐れもなくこれでやっと要との生活も終わる。そう思うと清々しい気分だ。これでやっと純粋な気持ちで要のことを願える。母とそして小さい頃に亡くなった父との思い出もあるあの家はここより星がきれいに見えたからきっと流れ星もきれいに見えるだろう。それなのに、なんでだろう。こんなに嬉しい気持ちが湧いているのに、心の中はぽっかりと穴が開いたみたいで不思議な気分だ。
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