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番になるまで(2)
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それから結弦は週に二度、昼休みを要と美術室で過ごすようになった。誘われた日の翌日は何となく行くことができず、二日後に行ったら彼の機嫌が悪かったので理由を話して何とかお互いの妥協点の週に二度となった。彼はどこか不服そうだったが納得してくれた。
彼と過ごしているその時間だけ母のことや学校でのことで気持ちが落ち込んだりせずに、取り留めもない話をして自然に笑えた。話す内容は取り留めのないことばかりで、特に学校のことが多かった。要は聞き上手だったので結弦は自分でも驚くほどに一方的に話してしまった。それに気を悪くしないどころか気を抜いたように要は結弦の肩に頭を乗せて来て、最終的には結弦が膝枕をする形になった。そうして、身を寄せられると結弦は緊張してしまい、何を話したのか覚えていなかった。
この日も美術室に来て、朝の授業で眠くなる話をしていた。
『それで、授業中にうたた寝をしそうになって大変だった。だから、これからはバイトの時間を短縮することにしたんだ。休日はフルで出勤できるから生活的に何とかなるし。』
『そうか。お前のクラスの担任は厳しい人ばかりだからな。俺のクラスの奴らは寝ている奴もいるが注意なんてされたこともない。』
『へえ、それでも、そっちのクラスは全員成績上位の人ばかりだからすごいな。僕も含めてだけど、こっちのクラスは努力しないと特待生キープは難しいからか皆必死だよ。』
『ずっとトップのお前に言われると少しだけ腹立つな。』
『え、そうなの?なんか、ごめん。』
要を不快にさせたと思って謝ると、膝枕をされている状態のまま手を結弦の肩に回して来て力で結弦の顔が下げられた。それによって、結弦と要の鼻先がこすれた。
『冗談だ。』
子どものような笑みを浮かべながらそう言われて結弦は要の息を感じたのもあって心臓が高鳴った。その二人だけの時間に突然の来訪者があったことで中断された。
『楽しそうだな、要。』
『なんだ、真か。』
息を飲んで固まった結弦と対象的に平然と要は涼やかな顔をしてゆったりとした動作で起き上がった。それから、彼は結弦を後ろに庇い、来訪者と面と向かった。要が呼んだ名前はどこかで聞き覚えがあったと思えば、以前彼が出した名前の一つだった。あれから、彼らのグループの中で唯一の女子が本郷美緒、特に仲が良い男子が大石真であることは知っていたが、これであの時彼が読んだ名前と顔が結弦の中で一致した。何かをやり遂げたかのような小さな満足感に浸ってしまった結弦だったが、二人の空気が冷たくて、この場に留まってはいけない気分になったので結弦は食べ終わったパンの袋を丸めてコンビニ袋に入れて頭を下げ逃げるように彼らの横を通った。何か用事があったのだろうと思いながら結弦は走ってもうすぐ昼休みも終わる頃だったので教室に向かった。その時に、要とお似合いと噂で遠目で見たことがある本郷とすれ違った。彼女から香る花の香は母が纏うような自然な淡いものではなく、もっと人工的な鼻の奥まで粘りつくほどに濃いもので気分が悪くなりそうだった。それが、本郷家が代々生業にしていた香水のものであり、最高級と言われ海外でもファンがつく人気の商品であると知ったのはずっと後のことだった。
すれ違った本郷が向かったのは先ほどまで結弦がいた美術室だったので、結弦はその日からその場所へ行くのを止めた。お似合いのカップルであふ二人の邪魔をしていた可能性に遅ればせながら結弦は気づいたのだ。通ったのは週に二度で通い始めてから一か月ぐらいだったが、十分に休息を取れたから結弦は要に感謝した。
『ありがとう。』
友人にでもあわよくば、なんて考えていたが、元々、結弦と要は交わることがない線の上で生きている存在なのでそんな希望はすぐに消えた。彼のような人と一時でも過ごして学生のように話ができたことを結弦は感謝した方が結弦の中の衛生上に良かった。
『この時でよかった。』
要に対して特別な気持ちは芽生えて成長しつつあった。彼のような人が自然な笑みを向けてくれれば誰だってそうなるだろう。しかし、この瞬間に諦めてしまえば、そんなものはいつか枯れていくだろう。だから、この瞬間で結弦は安堵もしていた。誰も傷つかずに済んだのだから。
今までも廊下ですれ違った時や校庭にいる要と教室の窓から目が合った時にどちらからも声をかけなかった。週に二度しか会うことはなく、それだけで友人のように仲が良くなったわけではなく、ただ彼なりに暇をつぶす相手が欲しかっただけだろう。
それから、要と会わなくなって結弦はバイトと勉強、それから母のお見舞いのルーティンで今まで通りの生活に戻った。ただ、昼休みになるたびに美術室の方が気になってしまうだけ。
それから、一週間ほど経った週末、結弦が学校から帰ろうと校門を抜けたところで要がどこかで待ち伏せしていたのか、彼に捕まり手を引かれて車に乗せられた。結弦が混乱している間に車はどこかに向けて発車していた。
この日はバイトが入っていたので最悪三十分ほどでバイト先に着いていなければならなかった。
『要!何するんだ!?僕、この後バイトが入っていて時間がないから話があるなら明日学校でしない?』
『・・・・・明日、学校のどこでするんだ?』
『え?』
ずっと前を見ていた要が静かな空気を纏っていたのに、結弦がどこかで間違えたのか急に怒りを爆発させたように怖い顔をして顔と顔の距離は一気に数センチのところまで近づいてきた。前髪で目が隠れているのに彼にはその目まで射抜かれているような気分になり、結弦は目を逸らし『だから・・・・だから』と全く次の言葉が見つからず、口からは考えをまとめる為の接続詞しか出て来なかった。
『学校で話ができないんだから、こうしてお前をここに連れてきた。ただ、それだけだ。』
要にそんな断言されて結弦は固まった。その間に車は止まっていて要に手を引かれて車から降ろされた。そのまま暗い駐車場を抜けると自動ドアが開いたと思えば、エレベーターの中になっていた。こんなところは縁がなかったので驚いていると、手を離した要に次は肩を抱けれて結弦は何をしていいのかもわからず、そのまま彼の案内通りに歩いた。彼が結弦に歩幅を合わせてくれたのは彼の気遣いだったのだろう。結弦は歩きやすかったし、要が学校で話題になるのは納得した。エスコートが上手な相手を嫌いな人はいないだろう。
案内されたのは丸いテーブルだけが置かれた一室だった。その中に入ると、清潔な身なりをした男性が迎えてくれた。
『いらっしゃいませ、羽水様。本日は、当ホテルをご利用いただきありがとうございます。』
『ああ、お茶の準備をしたらそのまま下がっていい。後はこちらでするから。』
『かしこまりました。では、ティーセットの準備をさせていただきます。どうぞ、お席に御着きください。』
そう言った男性は椅子を引き要と結弦を座らせると三段になった邦画で良く見る本場のティータイム用のセットが素早く準備され、お茶も数種類が用意された。
『気楽に食べてくれればいい。俺は肩ぐるしいのは好きじゃないから。それに、結弦は今からバイトなんだからお腹を満たした方がいい。ここのクラブサンドは悪くない。』
彼に勧められるままサンドイッチを取って食べるとカニカマじゃない濃いカニの味と食感がした。それに感動していると横に来ていた彼が淹れてくれたお茶まで準備された。至れり尽くせりとはこういうことかと、結弦は体感した。
『なんか、王子様にでもなった気分。』
『フッ、何だそれ。まあ、お前の容姿だと王族とか似合うな。』
『え?本気?』
彼はノリが良くてこんなおバカなたとえ話にも付き合ってくれた。あの美術室でのことを思い出した。そんな彼が車内で見せた顔が結弦には信じられなかった。
『要、もしかして、美術室に行かなくなったことが気に障った?』
カチャッと要はカップを置いて真剣な顔で結弦を見ていた。彼はふうっと息を吐いていた。ため息ではなく自分を落ち着かせているように結弦には見えた。
『そうだな、急に来なくなったから。』
やっぱり、と思い結弦はすぐに謝った。
『ごめん、気分を害すつもりはなかったんだ。でも、あの日、君の仲が良い人が来たし、彼が不快な気持ちになって君に何かを言ったらそれこそ君が嫌な思いをするかもしれないと思って。』
『いや、あいつは別にそんな気持ちにならないし、たとえ、そんな風にあいつに思われても俺は別に。まあ、縁を切るぐらいはするかもな。』
『ええっ!?そんな簡単に縁切りは良くないよっ!』
『は?』
意味が分からない、とでも言いたそうに彼はしていた。友人と呼べるかはわからないが、結弦にとって一人は心に浮かぶ相手はいた。離れた今でも大切な人であり、彼に何かあれば駆けつけようと思っていた。彼の方が結弦より何倍も生命力は強いのだが。だから、そんな簡単に相手を切り捨てる感覚が結弦にはわからなかった。
『だって、友達は大事な存在だよ。自分のことを心配してくれたり、相談に乗ってくれる相手なんだから。そんな相手が簡単にできるわけがなくて、時間をかけてなるんだよ。それなのに、そんな簡単に切ったらそんな相手がいなくなって寂しいじゃないか!』
思わず力説してしまったが、これは結弦にとっての願望に過ぎなかった。彼にとって思い浮かぶ相手、幼馴染である友明はそういう対象であり、向こうにどう思われているのかわからないが少なくとも結弦にとってはそうだった。
『俺のことなのに、何、自分のことのように言うんだよ。でも、そうか。お前の言う通りかもしれないな。確かに、真は俺にとってそういう奴かもな。』
“は”っていうのは引っ掛かったが、とにかく結弦は彼が納得してくれたので何も突っ込まなかった。
『バイト行かないと。』
バイトまであと十分ほどだった。鞄に付けてあるアラーム付きミニ目覚まし時計が鳴った。小学生の時に母が誕生日プレゼントとして買ってきたものであり、それからずっと結弦の愛用だった。
『そんな時間か。それじゃ、行くか。バイト先まで送る。』
『いや、大丈夫。電車でっていうかここはどこ?』
『お前のバイト先の近くだ。あそこだろう?』
彼が背後の一面ガラス窓の傍まで結弦の手を引いて指さした。高層だから上からだと下にある建物が全て見渡すことができ、彼の指で示された先は確かにバイト先である食堂がある古いビルだった。場所まで話しただろうか、と一瞬疑問に思ったが結弦には時間がなかった。
『どこか人目に付かない場所で降ろしてほしい。』
そして、ここが高級な場所ということを思い出した結弦は降参して要にお願いした。すると、彼は了承の意で頷いたので、彼とともにここを出た。
別れ際に彼と話したのは学校でのことだった。
『以前のように美術室にこれからも来い。あいつらにはそれとなく理由を付けといたから。』
『え?大丈夫だった?』
『ああ、だから何も心配せずに来いよ。』
『わかった。じゃあ、ありがとう。今日は御馳走様。』
『気にするな。頑張れよ。』
『うん。』
彼に手を振って別れた。これから、彼と会えると思うと胸が高鳴った。萎れかけたはずの気持ちが生気を取り戻してしまった。そんな気がした。
彼と過ごしているその時間だけ母のことや学校でのことで気持ちが落ち込んだりせずに、取り留めもない話をして自然に笑えた。話す内容は取り留めのないことばかりで、特に学校のことが多かった。要は聞き上手だったので結弦は自分でも驚くほどに一方的に話してしまった。それに気を悪くしないどころか気を抜いたように要は結弦の肩に頭を乗せて来て、最終的には結弦が膝枕をする形になった。そうして、身を寄せられると結弦は緊張してしまい、何を話したのか覚えていなかった。
この日も美術室に来て、朝の授業で眠くなる話をしていた。
『それで、授業中にうたた寝をしそうになって大変だった。だから、これからはバイトの時間を短縮することにしたんだ。休日はフルで出勤できるから生活的に何とかなるし。』
『そうか。お前のクラスの担任は厳しい人ばかりだからな。俺のクラスの奴らは寝ている奴もいるが注意なんてされたこともない。』
『へえ、それでも、そっちのクラスは全員成績上位の人ばかりだからすごいな。僕も含めてだけど、こっちのクラスは努力しないと特待生キープは難しいからか皆必死だよ。』
『ずっとトップのお前に言われると少しだけ腹立つな。』
『え、そうなの?なんか、ごめん。』
要を不快にさせたと思って謝ると、膝枕をされている状態のまま手を結弦の肩に回して来て力で結弦の顔が下げられた。それによって、結弦と要の鼻先がこすれた。
『冗談だ。』
子どものような笑みを浮かべながらそう言われて結弦は要の息を感じたのもあって心臓が高鳴った。その二人だけの時間に突然の来訪者があったことで中断された。
『楽しそうだな、要。』
『なんだ、真か。』
息を飲んで固まった結弦と対象的に平然と要は涼やかな顔をしてゆったりとした動作で起き上がった。それから、彼は結弦を後ろに庇い、来訪者と面と向かった。要が呼んだ名前はどこかで聞き覚えがあったと思えば、以前彼が出した名前の一つだった。あれから、彼らのグループの中で唯一の女子が本郷美緒、特に仲が良い男子が大石真であることは知っていたが、これであの時彼が読んだ名前と顔が結弦の中で一致した。何かをやり遂げたかのような小さな満足感に浸ってしまった結弦だったが、二人の空気が冷たくて、この場に留まってはいけない気分になったので結弦は食べ終わったパンの袋を丸めてコンビニ袋に入れて頭を下げ逃げるように彼らの横を通った。何か用事があったのだろうと思いながら結弦は走ってもうすぐ昼休みも終わる頃だったので教室に向かった。その時に、要とお似合いと噂で遠目で見たことがある本郷とすれ違った。彼女から香る花の香は母が纏うような自然な淡いものではなく、もっと人工的な鼻の奥まで粘りつくほどに濃いもので気分が悪くなりそうだった。それが、本郷家が代々生業にしていた香水のものであり、最高級と言われ海外でもファンがつく人気の商品であると知ったのはずっと後のことだった。
すれ違った本郷が向かったのは先ほどまで結弦がいた美術室だったので、結弦はその日からその場所へ行くのを止めた。お似合いのカップルであふ二人の邪魔をしていた可能性に遅ればせながら結弦は気づいたのだ。通ったのは週に二度で通い始めてから一か月ぐらいだったが、十分に休息を取れたから結弦は要に感謝した。
『ありがとう。』
友人にでもあわよくば、なんて考えていたが、元々、結弦と要は交わることがない線の上で生きている存在なのでそんな希望はすぐに消えた。彼のような人と一時でも過ごして学生のように話ができたことを結弦は感謝した方が結弦の中の衛生上に良かった。
『この時でよかった。』
要に対して特別な気持ちは芽生えて成長しつつあった。彼のような人が自然な笑みを向けてくれれば誰だってそうなるだろう。しかし、この瞬間に諦めてしまえば、そんなものはいつか枯れていくだろう。だから、この瞬間で結弦は安堵もしていた。誰も傷つかずに済んだのだから。
今までも廊下ですれ違った時や校庭にいる要と教室の窓から目が合った時にどちらからも声をかけなかった。週に二度しか会うことはなく、それだけで友人のように仲が良くなったわけではなく、ただ彼なりに暇をつぶす相手が欲しかっただけだろう。
それから、要と会わなくなって結弦はバイトと勉強、それから母のお見舞いのルーティンで今まで通りの生活に戻った。ただ、昼休みになるたびに美術室の方が気になってしまうだけ。
それから、一週間ほど経った週末、結弦が学校から帰ろうと校門を抜けたところで要がどこかで待ち伏せしていたのか、彼に捕まり手を引かれて車に乗せられた。結弦が混乱している間に車はどこかに向けて発車していた。
この日はバイトが入っていたので最悪三十分ほどでバイト先に着いていなければならなかった。
『要!何するんだ!?僕、この後バイトが入っていて時間がないから話があるなら明日学校でしない?』
『・・・・・明日、学校のどこでするんだ?』
『え?』
ずっと前を見ていた要が静かな空気を纏っていたのに、結弦がどこかで間違えたのか急に怒りを爆発させたように怖い顔をして顔と顔の距離は一気に数センチのところまで近づいてきた。前髪で目が隠れているのに彼にはその目まで射抜かれているような気分になり、結弦は目を逸らし『だから・・・・だから』と全く次の言葉が見つからず、口からは考えをまとめる為の接続詞しか出て来なかった。
『学校で話ができないんだから、こうしてお前をここに連れてきた。ただ、それだけだ。』
要にそんな断言されて結弦は固まった。その間に車は止まっていて要に手を引かれて車から降ろされた。そのまま暗い駐車場を抜けると自動ドアが開いたと思えば、エレベーターの中になっていた。こんなところは縁がなかったので驚いていると、手を離した要に次は肩を抱けれて結弦は何をしていいのかもわからず、そのまま彼の案内通りに歩いた。彼が結弦に歩幅を合わせてくれたのは彼の気遣いだったのだろう。結弦は歩きやすかったし、要が学校で話題になるのは納得した。エスコートが上手な相手を嫌いな人はいないだろう。
案内されたのは丸いテーブルだけが置かれた一室だった。その中に入ると、清潔な身なりをした男性が迎えてくれた。
『いらっしゃいませ、羽水様。本日は、当ホテルをご利用いただきありがとうございます。』
『ああ、お茶の準備をしたらそのまま下がっていい。後はこちらでするから。』
『かしこまりました。では、ティーセットの準備をさせていただきます。どうぞ、お席に御着きください。』
そう言った男性は椅子を引き要と結弦を座らせると三段になった邦画で良く見る本場のティータイム用のセットが素早く準備され、お茶も数種類が用意された。
『気楽に食べてくれればいい。俺は肩ぐるしいのは好きじゃないから。それに、結弦は今からバイトなんだからお腹を満たした方がいい。ここのクラブサンドは悪くない。』
彼に勧められるままサンドイッチを取って食べるとカニカマじゃない濃いカニの味と食感がした。それに感動していると横に来ていた彼が淹れてくれたお茶まで準備された。至れり尽くせりとはこういうことかと、結弦は体感した。
『なんか、王子様にでもなった気分。』
『フッ、何だそれ。まあ、お前の容姿だと王族とか似合うな。』
『え?本気?』
彼はノリが良くてこんなおバカなたとえ話にも付き合ってくれた。あの美術室でのことを思い出した。そんな彼が車内で見せた顔が結弦には信じられなかった。
『要、もしかして、美術室に行かなくなったことが気に障った?』
カチャッと要はカップを置いて真剣な顔で結弦を見ていた。彼はふうっと息を吐いていた。ため息ではなく自分を落ち着かせているように結弦には見えた。
『そうだな、急に来なくなったから。』
やっぱり、と思い結弦はすぐに謝った。
『ごめん、気分を害すつもりはなかったんだ。でも、あの日、君の仲が良い人が来たし、彼が不快な気持ちになって君に何かを言ったらそれこそ君が嫌な思いをするかもしれないと思って。』
『いや、あいつは別にそんな気持ちにならないし、たとえ、そんな風にあいつに思われても俺は別に。まあ、縁を切るぐらいはするかもな。』
『ええっ!?そんな簡単に縁切りは良くないよっ!』
『は?』
意味が分からない、とでも言いたそうに彼はしていた。友人と呼べるかはわからないが、結弦にとって一人は心に浮かぶ相手はいた。離れた今でも大切な人であり、彼に何かあれば駆けつけようと思っていた。彼の方が結弦より何倍も生命力は強いのだが。だから、そんな簡単に相手を切り捨てる感覚が結弦にはわからなかった。
『だって、友達は大事な存在だよ。自分のことを心配してくれたり、相談に乗ってくれる相手なんだから。そんな相手が簡単にできるわけがなくて、時間をかけてなるんだよ。それなのに、そんな簡単に切ったらそんな相手がいなくなって寂しいじゃないか!』
思わず力説してしまったが、これは結弦にとっての願望に過ぎなかった。彼にとって思い浮かぶ相手、幼馴染である友明はそういう対象であり、向こうにどう思われているのかわからないが少なくとも結弦にとってはそうだった。
『俺のことなのに、何、自分のことのように言うんだよ。でも、そうか。お前の言う通りかもしれないな。確かに、真は俺にとってそういう奴かもな。』
“は”っていうのは引っ掛かったが、とにかく結弦は彼が納得してくれたので何も突っ込まなかった。
『バイト行かないと。』
バイトまであと十分ほどだった。鞄に付けてあるアラーム付きミニ目覚まし時計が鳴った。小学生の時に母が誕生日プレゼントとして買ってきたものであり、それからずっと結弦の愛用だった。
『そんな時間か。それじゃ、行くか。バイト先まで送る。』
『いや、大丈夫。電車でっていうかここはどこ?』
『お前のバイト先の近くだ。あそこだろう?』
彼が背後の一面ガラス窓の傍まで結弦の手を引いて指さした。高層だから上からだと下にある建物が全て見渡すことができ、彼の指で示された先は確かにバイト先である食堂がある古いビルだった。場所まで話しただろうか、と一瞬疑問に思ったが結弦には時間がなかった。
『どこか人目に付かない場所で降ろしてほしい。』
そして、ここが高級な場所ということを思い出した結弦は降参して要にお願いした。すると、彼は了承の意で頷いたので、彼とともにここを出た。
別れ際に彼と話したのは学校でのことだった。
『以前のように美術室にこれからも来い。あいつらにはそれとなく理由を付けといたから。』
『え?大丈夫だった?』
『ああ、だから何も心配せずに来いよ。』
『わかった。じゃあ、ありがとう。今日は御馳走様。』
『気にするな。頑張れよ。』
『うん。』
彼に手を振って別れた。これから、彼と会えると思うと胸が高鳴った。萎れかけたはずの気持ちが生気を取り戻してしまった。そんな気がした。
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