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#076 『高祖父の日記』
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館林さんは、飲酒も喫煙も一切やらないという 筆者の住む田舎では珍しいほど真面目なお方だ。
教員を定年退職されてもう10年も経つが、いまだに元生徒達から慕われること夥しい本物の人格者でもある。
そんな方から、人心を惑わすような怪奇なお話などお聞きすることなど出来ないだろうと考えながら 地区代表者の寄り合いで偶然 同氏にお会いした際、軽い世間話のついでに「私、小説投稿サイトで怪談を公開しているのですが」と切り出してみたところ、
「ああ・・・怪談・・・あれも、怪談の範疇に入りますかねぇ」
「古い話だけど、聞かれますか」そう言って、苦笑された。
むろんです と答え、私は取材モードに入った。
※ ※ ※ ※
今から30年少し前のこと。
館林さんのお家をリフォームする運びとなった際、滅多に手を触れない倉庫の奥の方まで整理しようということになった。
そのとき、「何だか古い綴じ本みたいなものが出てきたわよ」と奥方が興味津々な顔で一冊の書物を持って来られたという。
見てみれば、白紙を丈夫な糸で綴じた 手製と思しき帳面である。これはおそらく出版物ではなかろう、と館林さんが見当を付けると、果たして表紙にあたる部分には『明治廿九(年)正月ヨリ日記ス 館林権史郎右衛門』と、インパクトの凄まじさから強く記憶していた館林さんの高祖父の名前があった。
「へぇ、こりゃ曾々爺様の日記だよ。よく こんなん残ってたなぁ」
「曾々おじいさん!あなた、お会いしたことあるの?」
「・・・そんなわけないだろ、こりゃ19世紀末葉の代物だぞ。当人は、ほとんど歴史の世界の人物さ。 ・・・ちょっと面白いな。 時代が時代だ。今更その日記を読んでみたところで、プライバシーなどという問題もあるまい――」
中身は流麗な御家流の続け字で書かれていたが、教養ある館林さんにはスラスラと読むことが出来た。というか、高祖父もおそらく相当に実直な性格の人物だったのだろう。書体は崩し字でありながら、ちょっと心得ある人なら難なく読みこなすことが出来るほどに几帳面な字で綴られていたという。
「どれどれ・・・『〇月×日、今日は終始こともなし』『〇月□日、昼に佐藤氏、来る。雑談。後はこともなし』『〇月△日、道でかきつばたの花を見る。美し』・・・か」
宇宙文字のような文章をペラペラと判読する夫を見ながら、奥方は心の底から感心したような、むしろ呆れたような表情を呈していたという。
何のことは無い、一行日記のようなものだな―― 別段、小説のような面白さを期待していたわけではないが、ちょっと拍子抜けした感を館林さんはおぼえた。
さて、そろそろ家の整理を続行しようかと、何気なく日記のページをペラペラと捲っていたところ、
「ん?」
ひとつ。ひじょうに長い記述がある一日があった。
何故か今も日付は忘れはしない。文月(七月)参(三日)のことだったという。
「何があったんだろうな?」
そこには、次のようなことが記されていた。
※ ※ ※ ※
文月参日。
昼、陽光の盛んな頃、近所の子供がやけに騒ぐので外に出てみた中、一匹の犬に六人ばかりの童、石投げて苛めるのを見て、私は叱りつけた。
犬に何の非があって苛める、弱い者苛めは人の恥である、と聴かせたところ、「これは畜生でなし、化け物であるから成敗するのだ」というので犬を見て、これが人面であったので驚くこと甚だしかった。
が、すぐにこの顔 天然畸形の為す業と知れば、「これは生まれながらにおかしげな顔になった 可哀相な犬である。可哀相なものを苛めるのはもっと恥である」と諭した。子供らも返す言なく、謝って去って行ったので私は安心した。
人の顔の犬、怯えて垣根の側に縮こまるに「ほィ、行かんね。人の居らんとこィに行くが良かとん」私が言うに、犬、やおら狒々爺の如きニタラ笑い浮かべ、
「おィば心配するよィか厨ン心配ば すれば良かァ」
言うて、走って去る。
直後、向かった厨(台所のこと)、鍋釜 ことごとく底が抜けており、難渋至極。
家人に話すが、何故に人面の犬を助けて鍋釜の底が抜けるのか、可哀相な畜生を助けたのだから良い縁起あって然るべきを、どうして報いされるのか、道理が通らぬ、と論破された末、我の正気まで疑われた。
思うに、家人の言うこと、終始もっともで、私の体験せしは終始不可解であった。
※ ※ ※ ※
「・・・はじめて読んだ時は、私も高祖父の正気を疑ったもんですがねぇ」
日記のあとの部分は、まるっきり日常の記録なんですよ、と館林さんは言う。
「――その日の文章、ちょっと字が躍っていましたね。曾々爺様、何の変哲もない日常の繰り返しの中でそんな体験をしたもんだから、さぞかし興奮していたんでしょうねぇ・・・」
ちなみに90年代初頭、『人面犬』という妖怪が流行った頃に、教え子から「先生、人の顔した犬なんて本当に居ると思う?」と半笑いで尋ねられたので、「出会った人は居るだろう」「だが、それは見た人の心の問題であるから、実際に存在するかどうかはわからない」と 至極真っ当な答えを返したそうだ。
高祖父の日記は今も家の倉庫の何処かにあるだろうから、縁があったら 見せてあげるよ・・・と 目下、約束をして貰っている。
教員を定年退職されてもう10年も経つが、いまだに元生徒達から慕われること夥しい本物の人格者でもある。
そんな方から、人心を惑わすような怪奇なお話などお聞きすることなど出来ないだろうと考えながら 地区代表者の寄り合いで偶然 同氏にお会いした際、軽い世間話のついでに「私、小説投稿サイトで怪談を公開しているのですが」と切り出してみたところ、
「ああ・・・怪談・・・あれも、怪談の範疇に入りますかねぇ」
「古い話だけど、聞かれますか」そう言って、苦笑された。
むろんです と答え、私は取材モードに入った。
※ ※ ※ ※
今から30年少し前のこと。
館林さんのお家をリフォームする運びとなった際、滅多に手を触れない倉庫の奥の方まで整理しようということになった。
そのとき、「何だか古い綴じ本みたいなものが出てきたわよ」と奥方が興味津々な顔で一冊の書物を持って来られたという。
見てみれば、白紙を丈夫な糸で綴じた 手製と思しき帳面である。これはおそらく出版物ではなかろう、と館林さんが見当を付けると、果たして表紙にあたる部分には『明治廿九(年)正月ヨリ日記ス 館林権史郎右衛門』と、インパクトの凄まじさから強く記憶していた館林さんの高祖父の名前があった。
「へぇ、こりゃ曾々爺様の日記だよ。よく こんなん残ってたなぁ」
「曾々おじいさん!あなた、お会いしたことあるの?」
「・・・そんなわけないだろ、こりゃ19世紀末葉の代物だぞ。当人は、ほとんど歴史の世界の人物さ。 ・・・ちょっと面白いな。 時代が時代だ。今更その日記を読んでみたところで、プライバシーなどという問題もあるまい――」
中身は流麗な御家流の続け字で書かれていたが、教養ある館林さんにはスラスラと読むことが出来た。というか、高祖父もおそらく相当に実直な性格の人物だったのだろう。書体は崩し字でありながら、ちょっと心得ある人なら難なく読みこなすことが出来るほどに几帳面な字で綴られていたという。
「どれどれ・・・『〇月×日、今日は終始こともなし』『〇月□日、昼に佐藤氏、来る。雑談。後はこともなし』『〇月△日、道でかきつばたの花を見る。美し』・・・か」
宇宙文字のような文章をペラペラと判読する夫を見ながら、奥方は心の底から感心したような、むしろ呆れたような表情を呈していたという。
何のことは無い、一行日記のようなものだな―― 別段、小説のような面白さを期待していたわけではないが、ちょっと拍子抜けした感を館林さんはおぼえた。
さて、そろそろ家の整理を続行しようかと、何気なく日記のページをペラペラと捲っていたところ、
「ん?」
ひとつ。ひじょうに長い記述がある一日があった。
何故か今も日付は忘れはしない。文月(七月)参(三日)のことだったという。
「何があったんだろうな?」
そこには、次のようなことが記されていた。
※ ※ ※ ※
文月参日。
昼、陽光の盛んな頃、近所の子供がやけに騒ぐので外に出てみた中、一匹の犬に六人ばかりの童、石投げて苛めるのを見て、私は叱りつけた。
犬に何の非があって苛める、弱い者苛めは人の恥である、と聴かせたところ、「これは畜生でなし、化け物であるから成敗するのだ」というので犬を見て、これが人面であったので驚くこと甚だしかった。
が、すぐにこの顔 天然畸形の為す業と知れば、「これは生まれながらにおかしげな顔になった 可哀相な犬である。可哀相なものを苛めるのはもっと恥である」と諭した。子供らも返す言なく、謝って去って行ったので私は安心した。
人の顔の犬、怯えて垣根の側に縮こまるに「ほィ、行かんね。人の居らんとこィに行くが良かとん」私が言うに、犬、やおら狒々爺の如きニタラ笑い浮かべ、
「おィば心配するよィか厨ン心配ば すれば良かァ」
言うて、走って去る。
直後、向かった厨(台所のこと)、鍋釜 ことごとく底が抜けており、難渋至極。
家人に話すが、何故に人面の犬を助けて鍋釜の底が抜けるのか、可哀相な畜生を助けたのだから良い縁起あって然るべきを、どうして報いされるのか、道理が通らぬ、と論破された末、我の正気まで疑われた。
思うに、家人の言うこと、終始もっともで、私の体験せしは終始不可解であった。
※ ※ ※ ※
「・・・はじめて読んだ時は、私も高祖父の正気を疑ったもんですがねぇ」
日記のあとの部分は、まるっきり日常の記録なんですよ、と館林さんは言う。
「――その日の文章、ちょっと字が躍っていましたね。曾々爺様、何の変哲もない日常の繰り返しの中でそんな体験をしたもんだから、さぞかし興奮していたんでしょうねぇ・・・」
ちなみに90年代初頭、『人面犬』という妖怪が流行った頃に、教え子から「先生、人の顔した犬なんて本当に居ると思う?」と半笑いで尋ねられたので、「出会った人は居るだろう」「だが、それは見た人の心の問題であるから、実際に存在するかどうかはわからない」と 至極真っ当な答えを返したそうだ。
高祖父の日記は今も家の倉庫の何処かにあるだろうから、縁があったら 見せてあげるよ・・・と 目下、約束をして貰っている。
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