161 / 202
第九章〈正義の目覚め〉編
9.18 ヘンリー五世崩御(3)シャルル王子の誘拐
しおりを挟む
リッシュモンは立ち止まり、振り返ったブルゴーニュ公フィリップを冷めた眼差しで見た。
「歴代ブルゴーニュ公は、ああいった謀略の中心人物ではありませんか」
言葉遣いこそ丁寧だが、体格に恵まれて厚みのあるリッシュモンと、細身でやや頬の痩けたフィリップが並ぶと、どちらが主従なのかわからなくなる。
「ひょっとして、王太子廃嫡のことで怒っているのか?」
「関係ありません」
フィリップは、リッシュモンの憮然とした表情を探っていたが、「……まぁいいさ」と首をすくめた。
「実は、ベッドフォード公から『フランスの摂政をやらないか』と打診された」
リッシュモンは平坦な口調で「おめでとうございます」と祝意を示した。
「悪だくみ一味を見るような目で見ないでくれ。私は違うぞ」
「そうですか」
「本当だ。丁重にお断りしたよ。英仏をひとつの王国にするなら、摂政もひとりでいいだろう。ヘンリー王は弟を指名した。私はふさわしくない」
リッシュモンはにわかに信じられなかった。
フランス宮廷の要職を断るなど、無怖公の時代だったら考えられない話だ。
「あなたは本当に無怖公の息子ですか」
「あのなぁ、貴公の遠慮のなさは承知しているが、さすがに失礼すぎるぞ」
「今、王太子が言われていることと同じです」
フィリップは口をつぐみ、リッシュモンは非難するように畳みかけた。
「王太子の廃嫡も誹謗中傷も、ブルゴーニュ公の事件と無関係ではないでしょう……?」
「こんな話は、昔なじみでまじめな貴公にしか言えないが……」
フィリップは、友の言葉を遮ると「フランス宮廷にできるだけ関わりたくない」と本音を漏らした。
「あの連中に関わっていたら命がいくつあっても足りない! 実はな、父が殺された後、王太子から密書が届いた」
イングランドやブルゴーニュ派の中に、王太子の近況を知る者がいるとは思わず、リッシュモンは目を見開いた。
「言っておくが、直接会ったのではない。お互いに信頼できる使者を何度か送り合った。私は真相を問いただし、王太子は事情聴取に応じて詳細を語った。遺族として無念ではあるが、納得している。父がやってきたことを考えれば、自業自得だろう。……だが、私ひとりの力でブルゴーニュ派を止めることはできないのだよ」
フィリップは、無怖公のただ一人の息子だった。
上も下も姉妹たちに囲まれて育ったせいか、あまり武張った性格ではないが、父が殺されたときに王太子を非難してイングランドと同盟を結んだ。
「……なぜ、王太子ひとりが責められるんです? ブルゴーニュ公の正義はどこに?」
「貴公は理想が高すぎる。ブルゴーニュ派の正義は、未亡人となった母が握っている。私の時代はまだ先だ。それまで生き延びることが私の正義だ」
ブルゴーニュ公フィリップの母、つまり無怖公の妻はマルグリット・ド・バヴィエール。フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールとともに王太子廃嫡を主導した女傑だった。
「ああ、そうだとも。王太子は言われているほど悪くない。あの子は覚えていないだろうが、私たちが知っている昔のままだ……」
リッシュモンは青ざめ、フィリップは昔を懐かしむように遠い目をした。
「なあ、覚えているか? 父は、王妃の気を引くために幼い王子をさらってきたが、持て余したあげく、私たちが遊び相手になった。私には男の兄弟がいなかったから、ずいぶん可愛がってあげたつもりだ。貴公もブルターニュの家族とは縁遠いから同じだろう?」
私ことシャルル七世は、二歳の時にブルゴーニュ公になったばかりの無怖公に誘拐されたらしい。母を追いかけて湖へ向かう途中、無怖公の軍勢に襲われて、王子を乗せた馬車の手綱が切られて連れ去られた。
目の前で子守り役と護衛が処刑され、解放されるまでの数ヶ月間、吹きさらしの城壁に死体が吊るされていた。
「湖畔の隠れ家で、王妃は王弟を寵愛することに夢中で、王子がさらわれても興味を示さない。父も王子のことなどすぐに忘れた。私たちが、あの子の泣き声に気づかなければ牢の中で餓死していたかもしれない」
父王と母妃は、末っ子王子の行方に関心がなかった。
無怖公は人質に価値がないとわかると自分がやったことも子供の存在も忘れた。名もなき誰かが、私を見つけて解放し、権力から離れた安全な修道院へ連れて行った——。
「あの子が私たちのことを覚えているかわからないが……」
「王太子にとっては忌まわしい記憶でしょう。覚えてない方がいい」
過去を懐かしむつもりが、リッシュモンから怒りを隠しきれない返答を受けて、フィリップはそれっきり黙ってしまった。
「歴代ブルゴーニュ公は、ああいった謀略の中心人物ではありませんか」
言葉遣いこそ丁寧だが、体格に恵まれて厚みのあるリッシュモンと、細身でやや頬の痩けたフィリップが並ぶと、どちらが主従なのかわからなくなる。
「ひょっとして、王太子廃嫡のことで怒っているのか?」
「関係ありません」
フィリップは、リッシュモンの憮然とした表情を探っていたが、「……まぁいいさ」と首をすくめた。
「実は、ベッドフォード公から『フランスの摂政をやらないか』と打診された」
リッシュモンは平坦な口調で「おめでとうございます」と祝意を示した。
「悪だくみ一味を見るような目で見ないでくれ。私は違うぞ」
「そうですか」
「本当だ。丁重にお断りしたよ。英仏をひとつの王国にするなら、摂政もひとりでいいだろう。ヘンリー王は弟を指名した。私はふさわしくない」
リッシュモンはにわかに信じられなかった。
フランス宮廷の要職を断るなど、無怖公の時代だったら考えられない話だ。
「あなたは本当に無怖公の息子ですか」
「あのなぁ、貴公の遠慮のなさは承知しているが、さすがに失礼すぎるぞ」
「今、王太子が言われていることと同じです」
フィリップは口をつぐみ、リッシュモンは非難するように畳みかけた。
「王太子の廃嫡も誹謗中傷も、ブルゴーニュ公の事件と無関係ではないでしょう……?」
「こんな話は、昔なじみでまじめな貴公にしか言えないが……」
フィリップは、友の言葉を遮ると「フランス宮廷にできるだけ関わりたくない」と本音を漏らした。
「あの連中に関わっていたら命がいくつあっても足りない! 実はな、父が殺された後、王太子から密書が届いた」
イングランドやブルゴーニュ派の中に、王太子の近況を知る者がいるとは思わず、リッシュモンは目を見開いた。
「言っておくが、直接会ったのではない。お互いに信頼できる使者を何度か送り合った。私は真相を問いただし、王太子は事情聴取に応じて詳細を語った。遺族として無念ではあるが、納得している。父がやってきたことを考えれば、自業自得だろう。……だが、私ひとりの力でブルゴーニュ派を止めることはできないのだよ」
フィリップは、無怖公のただ一人の息子だった。
上も下も姉妹たちに囲まれて育ったせいか、あまり武張った性格ではないが、父が殺されたときに王太子を非難してイングランドと同盟を結んだ。
「……なぜ、王太子ひとりが責められるんです? ブルゴーニュ公の正義はどこに?」
「貴公は理想が高すぎる。ブルゴーニュ派の正義は、未亡人となった母が握っている。私の時代はまだ先だ。それまで生き延びることが私の正義だ」
ブルゴーニュ公フィリップの母、つまり無怖公の妻はマルグリット・ド・バヴィエール。フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールとともに王太子廃嫡を主導した女傑だった。
「ああ、そうだとも。王太子は言われているほど悪くない。あの子は覚えていないだろうが、私たちが知っている昔のままだ……」
リッシュモンは青ざめ、フィリップは昔を懐かしむように遠い目をした。
「なあ、覚えているか? 父は、王妃の気を引くために幼い王子をさらってきたが、持て余したあげく、私たちが遊び相手になった。私には男の兄弟がいなかったから、ずいぶん可愛がってあげたつもりだ。貴公もブルターニュの家族とは縁遠いから同じだろう?」
私ことシャルル七世は、二歳の時にブルゴーニュ公になったばかりの無怖公に誘拐されたらしい。母を追いかけて湖へ向かう途中、無怖公の軍勢に襲われて、王子を乗せた馬車の手綱が切られて連れ去られた。
目の前で子守り役と護衛が処刑され、解放されるまでの数ヶ月間、吹きさらしの城壁に死体が吊るされていた。
「湖畔の隠れ家で、王妃は王弟を寵愛することに夢中で、王子がさらわれても興味を示さない。父も王子のことなどすぐに忘れた。私たちが、あの子の泣き声に気づかなければ牢の中で餓死していたかもしれない」
父王と母妃は、末っ子王子の行方に関心がなかった。
無怖公は人質に価値がないとわかると自分がやったことも子供の存在も忘れた。名もなき誰かが、私を見つけて解放し、権力から離れた安全な修道院へ連れて行った——。
「あの子が私たちのことを覚えているかわからないが……」
「王太子にとっては忌まわしい記憶でしょう。覚えてない方がいい」
過去を懐かしむつもりが、リッシュモンから怒りを隠しきれない返答を受けて、フィリップはそれっきり黙ってしまった。
10
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる