見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお

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2-4 エル・ドライド ―― 氷の助言者

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2-4 エル・ドライド ―― 氷の助言者

 ディオール領主城の執務室に、紙の匂いとインクのきらめきが満ちる。
 セリカは膝上の書見台に細い指をそっと沿わせ、最後の一枚まで目を走らせた。

「――エル・ドライド」

 呟く声は、驚きよりも好奇の色が濃い。
 隣で控える家令オズワルドが小さく頷いた。

「隣国出、文官として名を上げた男。冷徹にして明晰、との評判ですな。追放の噂は表向き。真は――領主を“見限り”自ら去った、と」

「“追われた”のではなく“去った”。つまり判断ができる人ね」

 セリカは紙束を閉じ、ぱちん、と封緘紐を留める。
 視線はすでに次の手へと跳躍していた。

「お招きしましょう。 噂のままか、目で確かめたいわ」

「はっ。すぐに使者を」



 初夏の午後、石畳を踏む靴音が城に満ちた。
 現れた男は、質素な外套に包まれながらも、立ち姿が妙に端然としている。礼は深く、目は冷たい。噂通りの“氷”だ。

「エル・ドライド。お招きに与り、感謝申し上げます、公爵令嬢殿」

「ようこそ、エル。お座りになって」

 小卓の向かい、セリカは背筋をのばし、年齢相応の小さな体に不釣り合いな統治の気配を纏っている。
 簡潔な挨拶ののち、彼女は直球を投げた。

「あなたの噂は存じているわ。領地運営の意見をうかがいたい。できれば――力を貸して」

 エルの睫毛がわずかに震え、すぐに安定した。
 男は言葉を選ばない。

「ままごとに付き合う趣味はありません」

 空気が、刃で裂かれた。
 オズワルドが息をのむ間もなく、セリカの瞳が微かに揺れ、そして澄んだ。

「――そう。では**“ままごとではない証拠”**をお見せするわ」

 微笑は消え、声音は平板に落ちる。
 幼子の頬に、統治者の影が差した。

「わたくしの改革は“理想”では終わらせない。測り、公開し、続けて直す。あなたが求めるのは結果でしょう?」

 エルは薄く目を細める。

「言は雄弁。だが改革は、未成熟な体制と指揮では折れる。私は夢想に付き合う気はない」
「ならば――夢想を現実に引きずり出します」

 抽斗から取り出したのは、簡潔な紙束。
 混植区画の虫害推移、井戸事故の件数推移、水車効率の比較表、そして翌週からの**“毎週公開”**の告示案。

「測る自由を掲げたの。逃げ場のない数字は、反対も賛成も同じ言葉になるわ」

 沈黙が、刃より重い。
 やがてエルは椅子を引いた。

「――現時点ではお断りします。だが、相談程度なら」

「ええ、結構。次に会う時は、実績を携えて参るわ」

 礼を交わし、男は氷の歩幅で去った。

 残されたセリカは、ふっと息を吐く。胸の奥に、火が灯るのを感じた。

「ままごと、ね。だったら――覆すだけ」



 数日後。
 セリカは領都の小川で二次審査の実地を回していた。物差しを抱え、泥に膝をつき、数を打つ。
 帰路につく山裾の林道。ジーン・クライス――十四歳の少女騎士――が前を警戒し、御者台の兵が手綱を締める。

 その時だった。

 ――カーン! カン!

 金属の悲鳴が森に散る。道が丸太で塞がれ、茂みから粗野な男たちが躍り出た。

「止まれ! 荷を置いて――」

 御者が叫ぶより速く、ジーンは馬車の前に跳び出た。細剣が閃く。
 だが、数が多い。剣筋に迷いはない、が、力が足りない。

 襲い手が一人、二人――背後から崩れ落ちた。

「なっ――ぐえっ!」

 木漏れ日の斑が揺れ、灰の外套が森を裂く。
 抜かれた刃は過不足がなく、踏み込みは短く深い。エル・ドライドだった。

 剣が止むまで、わずか三十呼吸。森が静けさを取り戻す。

「……エル・ドライド?」

 セリカの目が丸くなる。
 ジーンは剣を下ろし、肩で息をしていた。

「怪我は?」
「か、かすり傷です……」

 エルは短くうなずくと、視線をセリカへ。

「もっとまともな護衛を。 忠誠心は買うが、剣は未だ未熟だ」

 ジーンの指が震え、唇が噛まれる。
 セリカが一歩、前に出た。

「ジーンは立派な騎士よ」

「現実を申し上げている。訓練されていない賊に手こずる時点で、護衛としては失格だ」

 言葉は冷たく、しかし正確だ。
 セリカは数拍、ジーンの背に視線を置き、やがて小さく頷いた。

「――人を増やすわ。そして鍛える場を作る。“戻り道”だけではなく“伸びる道”も」

 エルの目が、ほんの僅かに和らいだ。

「助けたのは、四歳の子を見捨てれば寝覚めが悪いからです」
「それでも――借りは借り。ありがとう、エル」

「側近になる気はない。……相談役なら、時折」

 緊張がほどけ、森の匂いが戻る。
 セリカはジーンの肩を抱いた。

「戻ったら、剣の先生を探しましょう。ね、ジーン」
「……はい。必ず、強くなります」



 同じ頃。
 城門から少し離れた丘で、エルは石垣を見上げていた。

(四歳、だと?)

 嘲りはない。あるのは、呆れに似た感嘆だ。
 彼女の掲げる“測る自由”、毎週公開の測定表、匿名審査。
 ――それは、かつて自分が夢見て捨てた図面と酷似している。ただし、違うのは権限と速度だ。

(提案だけの臣下と、決裁できる領主。決定的な差だ)

 彼は自嘲気味に笑う。
 そして、冷めた眼差しで弱点を数えた。

(護衛。中間管理。監査。加えて、彼女自身の年齢。
 ――これを、“測る”だけで乗り切れるか?)

 森での一件が、決意をひとつ固める。

(こちらから守る気はない。守る仕組みを“選ばせる”助言なら、してやってもいい)

 灰の外套が翻り、城下へと消える。



 翌週――領都広場。
 臨時掲示に新しい紙が並ぶ。**“春期・測定表”**に続いて、もう一枚。

> 【護衛団 “瑞(みず)の槍” 結成告知】
応募:身分不問/実技審査
訓練:基礎剣術/隊列/護衛術(指導:外部教官)
原則:“守りを測る”――週次で巡回成功率・対応時間など公開



 ざわめきの中、セリカは低い台に上がる。胸には小さな物差しのブローチ。
 その隣、灰の外套が人混みに紛れて腕を組んだ。

「宣言します。わたくしの改革は**“測り続ける改革”**。失敗は終了ではなく、測定の開始。
 ――ままごとと呼ばれたなら、数字で殴り返します」

 静寂。
 次いで、均質な拍手が広場を満たした。大きくない、けれど長い、粘りのある音。

(言葉は充分。次は数字だ)

 エルは僅かに顎を引き、背を向ける。
 去り際、掲示の端に小さく書き足された文字が目に入った。

> “護衛、募集中――強くなりたい人、ここへ。”



 斜向かい、ジーンが拳を握りしめている。目は赤く、しかし真っ直ぐだった。

(……良い目だ。伸びる道が見えている)



 夕刻、執務室。
 セリカは日誌にさらさらと羽根を走らせ、最後の行を締める。

> 本日、採択三件(農・工・衛)進行。運輸(荷舟連結)来週実演。
護衛団“瑞の槍”募集告示。隊付教官:目下交渉中。



 扉が叩かれる。
 オズワルドが恭しく差し出したのは、短い書状だった。

「エル・ドライド殿より、お返しが」

 封を切る。紙は一行だけで、氷のように簡潔だった。

> 『相談、週一で。測定表、事前に。――E.D.』



 セリカは息を弾ませ、小さく笑う。

「――ようこそ、“現実”へ」

 窓外、薄藍の空に初星が滲む。
 鐘がぽうん、と鳴り、身分の上にも下にも、同じ音が落ちてゆく。

 “ままごと”は、もう終わり。
 測る自由が、ディオールを現実に繋ぎ止める。
 そして氷の助言者は、週に一度、その目盛りを厳しく見に来るだろう。
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