8 / 108
2-3 才を募る鐘は、身分の上にも鳴る
しおりを挟む
2-3 才を募る鐘は、身分の上にも鳴る
ひとつ、深呼吸。
セリカ・ディオールは小さな背筋を伸ばし、父の執務机の上に広げた紙束の角をぴたりと揃えた。
「――お父様、お願いします。**“領地人材登用所(タレント・オフィス)”**の設置と、身分不問の登用告知を許可ください」
公爵は重い沈黙を置く。分厚い指が机を二度、こんこん、と叩いた。
隣では、家令オズワルドが眼鏡を押し上げ、喉の奥で小さく咳をする。
「……身分不問、とな」
「はい。貴族だけで国は伸びません。畑の匂い、工房の熱、商いの風――それぞれの現場に“答え”が落ちています。拾いに行きたいのです」
四歳児の口から飛び出したとは思えない、落ち着いた発音。けれど言葉の端には年相応の熱が宿っていて、公爵はつい目尻を和ませた。
「反発は出るぞ。上層も下層も――どちらからもだ」
「承知しています。だから仕組みから先に示します」
セリカは紙束をめくり、準備していた案を次々と差し出した。
匿名一次審査:氏名・身分欄は封蝋で隠し、**“提案書”と“実績”**だけで合否を決める。
実地二次審査:農は小畔での区画試験、工は工房の一角で小規模試作、商は模擬市場で一日出店。
試用三ヶ月:成果に応じて歩合配分。失敗も可、その代わり記録と改善案を提出。
登用の褒賞:金貨だけでなく、小区画の管理権や屋台・工房の優先枠を付与。
監査:領主家からは、セリカ自らが**“測る(メトリクス)”**を定め、公開する。
「“測る自由”を約束します」
「測る自由?」公爵が眉を上げる。
「ええ。誰のための改革かを、数字で迷わず確認できる自由です。収穫量、在庫回転、事故件数、病の罹患率――目盛りをつければ、争いは議論に変わります」
オズワルドが思わず唸った。「……言い得て妙ですな、嬢……セリカ様」
公爵は長く息を吐き、椅子から立ち上がる。窓の外、春の雲。
「よかろう。一度やってみせよ。ただし――」
「慎重に、ですね」
「そうだ。火は、小さく点けて広く照らせ」
セリカは微笑むと、ドレスの裾をちょこんとつまみ、きちんと礼をした。
――鐘を鳴らそう。身分の上にも、下にも等しく響く鐘を。
*
三日後、領都広場。
臨時の掲示板には、白い羊皮紙が張られている。
大きな文字でこうあった。
> 【ディオール領 人材登用告知】
分野:農/工/商/衛生/教育/運輸
身分:不問(匿名一次審査)
条件:提案書一通/過去の実績一点(※無くても可、代替は“実演”)
褒賞:採択者に歩合配分/設備枠/小区画管理権
合言葉:「測る自由」
ざわり、と広場の空気が波打つ。
最初に前へ出たのは、腕のたくましい粉屋の青年だった。肩に小麦袋、顔は日に焼けている。
「お、おい、これ……平民でも出せるって本当か?」
役人が胸を張る。「公爵家の御印、ここに。偽りはない」
青年は袋を下ろして笑った。「じゃあ、風車の羽根を二枚増やした俺の工夫、書いてもいいんだな!」
次に現れたのは、薬草売りの老女。
「畑の端で虫除けになる混植、あれを書きつけてやろうよ」
鍛冶屋の娘が手を挙げる。「火床の煙を外に逃がす換気管、図にしてきた!」
列はみるみる伸び、若者の目に火が灯った。
その後ろで、貴族街の方角から冷ややかな視線が投げられる。小領主の子弟たちが鼻を鳴らした。
「茶番だ。平民に経営だと?」
「採用されたら面目丸つぶれだぞ、我らが」
だが広場の中央に立つ小卓、その上の木箱に乗って、小さな領主が現れた。
――セリカである。今日は膝までの作業用ドレス、髪は高く結い上げ、胸元には小さな物差しのブローチ。
「ただいまより、一次審査の受付を開始します。名前は封をして。提案を見ます。身分は後で**“必要になったら”**確認します」
ざわっ――と今度は貴族側が騒めく。
小領主のひとりが一歩前に出て、声を張った。
「ディオール家の名において――平民に“管理権”など前代未聞! 反対だ!」
セリカは首を傾げ、子どもらしい無邪気さで返す。
「反対理由を“測って”くださいませ。たとえば、事故率の上昇、税収の減少、治安悪化――数字で示せるなら、わたくし、いつでも議論いたします」
小領主は言葉に詰まった。数字。彼が最も苦手とする敵。
そこでオズワルドが前に出て、静かに告げる。
「閣下の御前承認済み。まずは小規模で。**春期限定の“試験登用”**でございます。結果を測り、そのうえで恒常化を検討致します」
――火は小さく点けて広く照らせ。父の言葉が、セリカの胸で温かい。
*
受付は匿名だ。役人が封蝋を受け取り、提案書のみを読み上げていく。
どれも新鮮だった。
「農・区画混植案――豆と麦の交互畝、病害の緩和。図あり」
「工・水車改造――羽根角度の変化で流量最適化、簡易模型あり」
「商・行商安全化――夜明けと共に出る“連隊”制度、合図旗の提案」
「衛生・井戸管理――蓋と滑車の規格統一、井戸端番の交代簿」
セリカは手元の板に簡易メトリクスを走らせる。
効果見込み/費用/即応性/安全性/拡張性。五つの項目に小さく印を打ち、総合の星を描く。
(――いける。まずは三件、二次に回す)
「一次通過――粉屋の風車案、薬草の混植案、井戸管理案。午後の部で実演・実地です」
歓声。手を握りしめる若者、涙ぐむ老女。
その脇で、こっそり拳を握ったのは鍛冶屋の娘だ。彼女の換気管提案は一次落ち――ただ、欄外に赤い字が残っていた。
> “落選理由:火傷リスクを要評価。改良案添付で再提出歓迎”
――切り捨てではなく、戻り道がある。
娘はぐっと涙を堪え、図面に新しい線を引いた。
*
午後、実地審査。
小川の畔に試験畝が二つ。混植畝と単一畝。セリカは自分より大きな畑用物差しを抱え、印をつけていく。
「列間は一定、光の入り方も測ります。虫よけ煙の扱いに注意を――」
粉屋の青年は、木組みの羽根を角度違いで二種類用意していた。片方を回して、もう片方も回す。水の音が変わった。
セリカは耳を澄ます。回転の足元、桶一杯に溜まる時間を測り、板に刻む。
「……こちらが二割速い。小麦粉の粗粒調整も可能。採択候補です」
井戸の番は、老女の手で規格化されていく。蓋、縄、滑車、柄杓――扱う順番、置き場所の印。
最後に老女が照れ笑いで言った。「手は洗っておくれ。病は見えないからね」
セリカは、くすっと笑った。「“見えないもの”をこそ、測りたいのです」
*
夕刻、広場に戻ると、そこには反発が待っていた。
昼間の小領主たちが、今度は数を増やしている。背後には、保守的な商会の番頭までいる。
「採択など認めん! 誰が責任を取る!」
「責任は、測定表に記します」セリカは即答した。
「成果・費用・安全――項目ごとの責任者を明記。それが嫌なら、関与しない自由も残します」
ざわめきが再び波打つ。
セリカはひと拍置いて、最後の札を切った。
「“春季限定 月単位の試験運用”。税率は現状維持。利益が増えた分のみ分配します」
「……減ったら?」
「私が“やめる決定”を出します。そのために、毎週の数値公開をします」
敵は“感覚”で攻める。ならばこちらは“目盛り”で返す――セリカ流の戦場だった。
*
結果発表の前、セリカはふと列の端に気づいた。
灰色の外套、深くかぶったフード。年頃も身分もわからない。だが、差し出された封筒の重さだけがやけにしっかりしている。
「ご提出、ありがとうございます。お名前は封のままで」
相手はこくりと頷き、無言で去ろうとした。
セリカは思わず呼び止める。「待って。……このにおい、鉄と……油……」
ほんの一瞬、フードの奥で口元が笑ったように見えた。
封を開くと、そこには**“小舟用の連結荷舟(はしけ)”**の設計が、緻密な筆で描かれていた。
浅い川を“道”に変える案。荷車より速く、馬より安定して、春の増水にも対処する工夫がある。
「……素敵」
思わず零れた本音に、オズワルドが慌てて咳払いした。「セ、セリカ様、審査、審査……!」
「もちろんですわ!」
追加一次通過――運輸部門“荷舟連結”案。
広場の片隅、灰外套はゆっくりと背を向けた。足取りはやけに静かだった。
*
黄昏。
臨時掲示板に、最初の“採択”の三文字が貼り出される。
> 【春期・採択】
農:混植区画の試験導入(南畑・二町)
工:水車羽根角度可変の試作(粉挽き工房一)
衛:井戸規格+交代簿の導入(領都井戸三)
追記:運輸:荷舟連結の模型審査→来週実演
夜風が掲示紙の端をふるわせ、広場の人々が一斉に息を吐いた。
拍手は大きくない。けれど、均質な、長い拍手だった。
セリカは胸に小さな物差しブローチをぎゅっと握る。
(――ここから、道を引く。測りながら、戻り道を残しながら)
その時、背後から小さな声。鍛冶屋の娘だ。手は煤で汚れ、目は赤い。
「……再提出、いいですか?」
「もちろん」セリカは笑って頷いた。「“戻り道”は、改革の一部です」
娘はうんとうなずき、図面に新しい管の角度を書き足していく。
横で粉屋の青年が言った。「なあ、明日から忙しくなるな」
老女が笑う。「いい忙しさだよ。病は“見えない時”に広がる。見えるようにするなら、大賛成さ」
オズワルドが控えめに近づいてきて、囁く。「セリカ様。貴族連中の不満調整は、こちらで。御身は“数”を」
「お願いします、オズワルド。わたくしは――鐘を鳴らし続けます」
夜のはじまり。
城の塔から、ぽうん、と低い鐘が響いた。身分の上にも、下にも、同じ音が落ちていく。
翌朝、掲示板には新しい紙が一枚、増えていた。
> 【毎週公開】春期改革・測定表
収穫見込み/粉挽き効率/井戸事故件数/病罹患/市場回転/雇用――
**“測る自由”**は、もう言葉だけではない。紙になり、目盛りになった。
そして紙に書かれた道筋は、やがて川へ延び、連結荷舟が浮かぶだろう。
その舟がどこへ行くのか――セリカはもう、知っている。
王都へ。自分の鐘の音が届く場所へ。
春の風が、掲示板の角をふわりとめくった。
そこに、小さく書き加えられた言葉。
> “失敗は、終了ではなく、測定の開始。”
幼い領主は、明日も紙を増やす。
誰もが道の上に立てるように。
ひとつ、深呼吸。
セリカ・ディオールは小さな背筋を伸ばし、父の執務机の上に広げた紙束の角をぴたりと揃えた。
「――お父様、お願いします。**“領地人材登用所(タレント・オフィス)”**の設置と、身分不問の登用告知を許可ください」
公爵は重い沈黙を置く。分厚い指が机を二度、こんこん、と叩いた。
隣では、家令オズワルドが眼鏡を押し上げ、喉の奥で小さく咳をする。
「……身分不問、とな」
「はい。貴族だけで国は伸びません。畑の匂い、工房の熱、商いの風――それぞれの現場に“答え”が落ちています。拾いに行きたいのです」
四歳児の口から飛び出したとは思えない、落ち着いた発音。けれど言葉の端には年相応の熱が宿っていて、公爵はつい目尻を和ませた。
「反発は出るぞ。上層も下層も――どちらからもだ」
「承知しています。だから仕組みから先に示します」
セリカは紙束をめくり、準備していた案を次々と差し出した。
匿名一次審査:氏名・身分欄は封蝋で隠し、**“提案書”と“実績”**だけで合否を決める。
実地二次審査:農は小畔での区画試験、工は工房の一角で小規模試作、商は模擬市場で一日出店。
試用三ヶ月:成果に応じて歩合配分。失敗も可、その代わり記録と改善案を提出。
登用の褒賞:金貨だけでなく、小区画の管理権や屋台・工房の優先枠を付与。
監査:領主家からは、セリカ自らが**“測る(メトリクス)”**を定め、公開する。
「“測る自由”を約束します」
「測る自由?」公爵が眉を上げる。
「ええ。誰のための改革かを、数字で迷わず確認できる自由です。収穫量、在庫回転、事故件数、病の罹患率――目盛りをつければ、争いは議論に変わります」
オズワルドが思わず唸った。「……言い得て妙ですな、嬢……セリカ様」
公爵は長く息を吐き、椅子から立ち上がる。窓の外、春の雲。
「よかろう。一度やってみせよ。ただし――」
「慎重に、ですね」
「そうだ。火は、小さく点けて広く照らせ」
セリカは微笑むと、ドレスの裾をちょこんとつまみ、きちんと礼をした。
――鐘を鳴らそう。身分の上にも、下にも等しく響く鐘を。
*
三日後、領都広場。
臨時の掲示板には、白い羊皮紙が張られている。
大きな文字でこうあった。
> 【ディオール領 人材登用告知】
分野:農/工/商/衛生/教育/運輸
身分:不問(匿名一次審査)
条件:提案書一通/過去の実績一点(※無くても可、代替は“実演”)
褒賞:採択者に歩合配分/設備枠/小区画管理権
合言葉:「測る自由」
ざわり、と広場の空気が波打つ。
最初に前へ出たのは、腕のたくましい粉屋の青年だった。肩に小麦袋、顔は日に焼けている。
「お、おい、これ……平民でも出せるって本当か?」
役人が胸を張る。「公爵家の御印、ここに。偽りはない」
青年は袋を下ろして笑った。「じゃあ、風車の羽根を二枚増やした俺の工夫、書いてもいいんだな!」
次に現れたのは、薬草売りの老女。
「畑の端で虫除けになる混植、あれを書きつけてやろうよ」
鍛冶屋の娘が手を挙げる。「火床の煙を外に逃がす換気管、図にしてきた!」
列はみるみる伸び、若者の目に火が灯った。
その後ろで、貴族街の方角から冷ややかな視線が投げられる。小領主の子弟たちが鼻を鳴らした。
「茶番だ。平民に経営だと?」
「採用されたら面目丸つぶれだぞ、我らが」
だが広場の中央に立つ小卓、その上の木箱に乗って、小さな領主が現れた。
――セリカである。今日は膝までの作業用ドレス、髪は高く結い上げ、胸元には小さな物差しのブローチ。
「ただいまより、一次審査の受付を開始します。名前は封をして。提案を見ます。身分は後で**“必要になったら”**確認します」
ざわっ――と今度は貴族側が騒めく。
小領主のひとりが一歩前に出て、声を張った。
「ディオール家の名において――平民に“管理権”など前代未聞! 反対だ!」
セリカは首を傾げ、子どもらしい無邪気さで返す。
「反対理由を“測って”くださいませ。たとえば、事故率の上昇、税収の減少、治安悪化――数字で示せるなら、わたくし、いつでも議論いたします」
小領主は言葉に詰まった。数字。彼が最も苦手とする敵。
そこでオズワルドが前に出て、静かに告げる。
「閣下の御前承認済み。まずは小規模で。**春期限定の“試験登用”**でございます。結果を測り、そのうえで恒常化を検討致します」
――火は小さく点けて広く照らせ。父の言葉が、セリカの胸で温かい。
*
受付は匿名だ。役人が封蝋を受け取り、提案書のみを読み上げていく。
どれも新鮮だった。
「農・区画混植案――豆と麦の交互畝、病害の緩和。図あり」
「工・水車改造――羽根角度の変化で流量最適化、簡易模型あり」
「商・行商安全化――夜明けと共に出る“連隊”制度、合図旗の提案」
「衛生・井戸管理――蓋と滑車の規格統一、井戸端番の交代簿」
セリカは手元の板に簡易メトリクスを走らせる。
効果見込み/費用/即応性/安全性/拡張性。五つの項目に小さく印を打ち、総合の星を描く。
(――いける。まずは三件、二次に回す)
「一次通過――粉屋の風車案、薬草の混植案、井戸管理案。午後の部で実演・実地です」
歓声。手を握りしめる若者、涙ぐむ老女。
その脇で、こっそり拳を握ったのは鍛冶屋の娘だ。彼女の換気管提案は一次落ち――ただ、欄外に赤い字が残っていた。
> “落選理由:火傷リスクを要評価。改良案添付で再提出歓迎”
――切り捨てではなく、戻り道がある。
娘はぐっと涙を堪え、図面に新しい線を引いた。
*
午後、実地審査。
小川の畔に試験畝が二つ。混植畝と単一畝。セリカは自分より大きな畑用物差しを抱え、印をつけていく。
「列間は一定、光の入り方も測ります。虫よけ煙の扱いに注意を――」
粉屋の青年は、木組みの羽根を角度違いで二種類用意していた。片方を回して、もう片方も回す。水の音が変わった。
セリカは耳を澄ます。回転の足元、桶一杯に溜まる時間を測り、板に刻む。
「……こちらが二割速い。小麦粉の粗粒調整も可能。採択候補です」
井戸の番は、老女の手で規格化されていく。蓋、縄、滑車、柄杓――扱う順番、置き場所の印。
最後に老女が照れ笑いで言った。「手は洗っておくれ。病は見えないからね」
セリカは、くすっと笑った。「“見えないもの”をこそ、測りたいのです」
*
夕刻、広場に戻ると、そこには反発が待っていた。
昼間の小領主たちが、今度は数を増やしている。背後には、保守的な商会の番頭までいる。
「採択など認めん! 誰が責任を取る!」
「責任は、測定表に記します」セリカは即答した。
「成果・費用・安全――項目ごとの責任者を明記。それが嫌なら、関与しない自由も残します」
ざわめきが再び波打つ。
セリカはひと拍置いて、最後の札を切った。
「“春季限定 月単位の試験運用”。税率は現状維持。利益が増えた分のみ分配します」
「……減ったら?」
「私が“やめる決定”を出します。そのために、毎週の数値公開をします」
敵は“感覚”で攻める。ならばこちらは“目盛り”で返す――セリカ流の戦場だった。
*
結果発表の前、セリカはふと列の端に気づいた。
灰色の外套、深くかぶったフード。年頃も身分もわからない。だが、差し出された封筒の重さだけがやけにしっかりしている。
「ご提出、ありがとうございます。お名前は封のままで」
相手はこくりと頷き、無言で去ろうとした。
セリカは思わず呼び止める。「待って。……このにおい、鉄と……油……」
ほんの一瞬、フードの奥で口元が笑ったように見えた。
封を開くと、そこには**“小舟用の連結荷舟(はしけ)”**の設計が、緻密な筆で描かれていた。
浅い川を“道”に変える案。荷車より速く、馬より安定して、春の増水にも対処する工夫がある。
「……素敵」
思わず零れた本音に、オズワルドが慌てて咳払いした。「セ、セリカ様、審査、審査……!」
「もちろんですわ!」
追加一次通過――運輸部門“荷舟連結”案。
広場の片隅、灰外套はゆっくりと背を向けた。足取りはやけに静かだった。
*
黄昏。
臨時掲示板に、最初の“採択”の三文字が貼り出される。
> 【春期・採択】
農:混植区画の試験導入(南畑・二町)
工:水車羽根角度可変の試作(粉挽き工房一)
衛:井戸規格+交代簿の導入(領都井戸三)
追記:運輸:荷舟連結の模型審査→来週実演
夜風が掲示紙の端をふるわせ、広場の人々が一斉に息を吐いた。
拍手は大きくない。けれど、均質な、長い拍手だった。
セリカは胸に小さな物差しブローチをぎゅっと握る。
(――ここから、道を引く。測りながら、戻り道を残しながら)
その時、背後から小さな声。鍛冶屋の娘だ。手は煤で汚れ、目は赤い。
「……再提出、いいですか?」
「もちろん」セリカは笑って頷いた。「“戻り道”は、改革の一部です」
娘はうんとうなずき、図面に新しい管の角度を書き足していく。
横で粉屋の青年が言った。「なあ、明日から忙しくなるな」
老女が笑う。「いい忙しさだよ。病は“見えない時”に広がる。見えるようにするなら、大賛成さ」
オズワルドが控えめに近づいてきて、囁く。「セリカ様。貴族連中の不満調整は、こちらで。御身は“数”を」
「お願いします、オズワルド。わたくしは――鐘を鳴らし続けます」
夜のはじまり。
城の塔から、ぽうん、と低い鐘が響いた。身分の上にも、下にも、同じ音が落ちていく。
翌朝、掲示板には新しい紙が一枚、増えていた。
> 【毎週公開】春期改革・測定表
収穫見込み/粉挽き効率/井戸事故件数/病罹患/市場回転/雇用――
**“測る自由”**は、もう言葉だけではない。紙になり、目盛りになった。
そして紙に書かれた道筋は、やがて川へ延び、連結荷舟が浮かぶだろう。
その舟がどこへ行くのか――セリカはもう、知っている。
王都へ。自分の鐘の音が届く場所へ。
春の風が、掲示板の角をふわりとめくった。
そこに、小さく書き加えられた言葉。
> “失敗は、終了ではなく、測定の開始。”
幼い領主は、明日も紙を増やす。
誰もが道の上に立てるように。
223
あなたにおすすめの小説
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
辺境は独自路線で進みます! ~見下され搾取され続けるのは御免なので~
紫月 由良
恋愛
辺境に領地を持つマリエ・オリオール伯爵令嬢は、貴族学院の食堂で婚約者であるジョルジュ・ミラボーから婚約破棄をつきつけられた。二人の仲は険悪で修復不可能だったこともあり、マリエは快諾すると学院を早退して婚約者の家に向かい、その日のうちに婚約が破棄された。辺境=田舎者という風潮によって居心地が悪くなっていたため、これを機に学院を退学して領地に引き籠ることにした。
魔法契約によりオリオール伯爵家やフォートレル辺境伯家は国から離反できないが、関わり合いを最低限にして独自路線を歩むことに――。
※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
婚約破棄されたので辺境伯令嬢は自由に生きます~冷酷公爵の過保護が過ぎて困ります!~
sika
恋愛
「君のような女と婚約していたなど、恥だ!」
公爵嫡男に突然婚約を破棄された辺境伯令嬢リーゼは、すべてを捨てて故郷の領地へ戻る決意をした。
誰にも期待せず、ひっそりと生きようとするリーゼの前に現れたのは、冷酷と噂される隣国の公爵・アルヴィン。
彼はなぜかリーゼにだけ穏やかで優しく、彼女を守ることに執着していて――。
「君はもう誰にも踏みにじられない。俺が保証しよう」
呪いのような過去を断ち切り、真実の愛を掴むざまぁ×溺愛ラブストーリー!
【連載版】婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
短編では、なろうの方で異世界転生・恋愛【1位】ありがとうございます!
読者様の方からの連載の要望があったので連載を開始しました。
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
※連載のためタイトル回収は結構後ろの後半からになります。
編み物好き地味令嬢はお荷物として幼女化されましたが、えっ?これ魔法陣なんですか?
灯息めてら
恋愛
編み物しか芸がないと言われた地味令嬢ニニィアネは、家族から冷遇された挙句、幼女化されて魔族の公爵に売り飛ばされてしまう。
しかし、彼女の編み物が複雑な魔法陣だと発見した公爵によって、ニニィアネの生活は一変する。しかもなんだか……溺愛されてる!?
[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜
桐生桜月姫
恋愛
シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。
だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎
本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎
〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜
夕方6時に毎日予約更新です。
1話あたり超短いです。
毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。
婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~
ゆうき
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。
そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。
シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。
ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。
それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。
それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。
なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた――
☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆
☆全文字はだいたい14万文字になっています☆
☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる