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18-5 影に潜む意図
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第18章 ランディ編
18-5 影に潜む意図
ランディ王子と対座した夜――蝋燭の炎がゆらぎ、薄い金の光が寝室の天蓋を撫でるたび、セリカは彼の言葉を反芻していた。
「共に歩む」。
美しい約束。けれど、その響きの奥には、冷ややかな計算がひそんでいる。助言も支援も、たしかに領を救った。だが同時に、絆という名の見えない手綱が、少しずつ彼女の手首へ絡みついてきてはいないか――。
「本当に、信じてよいの……?」
問いは宙にほどけ、眠りは浅く、夜は長い。
---
翌朝、書斎の扉が慌ただしく叩かれた。
入ってきたのは商務の柱、リュシエン侯爵。いつもは温和な男の眉間に、今日は険が刻まれている。
「セリカ様、至急です。隣国ライン商圏が一方的に取引を停止。契約の輸送会社も、同時に中断を通告してきました」
鳥肌が立つほど、手際の良い封鎖。偶然ではない。
「理由は?」
「名目は“安全保障上の懸念”ですが……実質、圧力です。取引先が口を閉ざしました」
先日の盗賊、そして今度は交易線の喉笛。
点と点が、ひとつの網に見え始める。
「……意図的な飢餓作戦、というわけね」
セリカの声は静かだった。四歳の少女の声音とは思えない落ち着きに、侯爵はわずかに息を呑む。
「代替ルートの試算を。内陸回廊、南湾の小規模港、空路(商隊気球)まで、全部。〝費用と時間、失血量〟を先に見ます」
「はっ」
彼が去ると、セリカはペン先を止め、しばし天蓋を見上げた。
――影から差し出される手。掴めば、速い。けれど、掴まれるのは自分かもしれない。
「……今回は、借りるわ。けれど、返し方は私が決める」
彼女は短い書簡をしたため、黒の封蝋で綴じた。宛先は、ランディ・リュミエール。
---
返事は、驚くほど早かった。
> 『隣国線は暫時諦め、北方同盟―東海商環に振り替えるべきです。
私の名義で港湾枠と倉庫二棟を押さえてあります。使用をどうぞ。
加えて、ディオール独自の供給源を確保するため、種子・塩・油の三品目は、私の連絡網で即時便を繰り出します。』
列挙される固有名、荷姿、出港時刻。すでに手配済み。
用意の良さが、心強さと同時に、ひやりとした恐れを呼ぶ。
(私が頼む前に、動いていた……)
セリカは深く息を吸い、ひとつ頷いた。
「受けます。ただし――条件を付けましょう」
彼女は追伸に短く書き加える。
> 『借入は三十日限度、延長時は利子を上乗せ。決済は穀券での相殺を許すが、倉庫権益の譲渡は一切行わない――これが私の条件です。』
支援は受ける。けれど、主導権は渡さない。
リボンの結び目を、彼女自身の手で固く締め直す。
---
数週間。
新たな航路は動き、港に白帆が立った。穀袋が積み上がり、油樽が陽に光る。市のざわめきが戻るにつれ、人々の顔色も戻っていった。
「持ちこたえましたな、セリカ様」
「皆が働いてくれたからよ。借りは短く、効果は長く。それが理想だもの」
冗談めかして言いながら、心の底では緊張を解かない。
支援の網は、救命にも拘束にもなる――解く術を持たずに絡まれば、自由は失われる。
その夜、また封書が届く。
黒い封蝋。筆致は整い、静謐。
> 『ここまでの協力に感謝します。
私たちは領の繁栄を越え、王国の設計へと歩みを進める段階に来ました。
次に――政策の場へ、貴女の知恵を。』
「政策……王国の、中枢へ?」
喉奥に、驚きが刺さる。
支援を超え、もう一段階深い場所へ手招く言葉。
思い返せば、彼の布石は最初からそこへ向いていたのだろう。交易線の確保、港湾、倉庫、物流と価格――国家の血流を握る者は、心臓にも触れられる。
(ここで踏み出せば、彼の歩幅で歩くことになる。――だから)
セリカは席を立つと、窓の錠を開け、夜気を吸い込んだ。
遠く、港の角灯が点々と連なっている。あの灯りのひとつひとつに、名前のある生活がある。守るのは彼ら。操られるのは、私ではない。
「……選ぶのは、私」
羽ペンを握り直し、返礼を書く。
> 『御提案、光栄に存じます。
ただし私は、どの議場であれ独立した立場で意見を差し出します。
私の領と民に不利益な妥協はしません。
必要とあらば、貴方と異なる結論を掲げることもあります。
それでも私を招くのなら――喜んで。』
封を押し、鐘の音が三度、遠くで鳴った。
---
翌日。
リュシエン侯爵が密告の写しを携えてくる。
「不審な寄付金の流れが見つかりました。フォルダン侯の縁者から、ライン商圏の運送組合へ。交易停止の直前です」
糸口が光る。盗賊団、封鎖、そして金の流れ。
網の結び目が、またひとつ炙り出される。
「証拠鎖を固めなさい。王都会計院にも回す。――同時に、〝別の扉〟も叩くわ」
セリカは地図をひろげ、指先で第三の航路をなぞった。
王都を通らない、王都が止められない、民のための自律線。
「影の手と並行して、私の手でも道をつくるの。二重化は、支配ではなく自由のために」
幼い頬に、凛とした笑みが灯る。
---
その夜。
いつもの黒封蝋――ランディから、短い返書。
> 『貴女が異なる結論を掲げる可能性――歓迎します。
同意ばかりの会議は鈍る。
ただ、忘れないで。影は光を奪うために在るのではない。
光を際立たせるために在る。
――次の議題は「穀価安定」と「港湾関税の階段制」。王都で会いましょう。』
文字の端に、ごくかすかな遊びがある。
彼の冷静の底に、熱がひそむ。不思議と、怖くはなかった。
「影は、光を際立たせる――ね」
セリカは窓辺に立ち、夜の港を見下ろした。
灯は増え、風は柔らかく、船笛が遠くで鳴る。
支えられるだけの領主では、もういられない。
支え、選び、設計する者として歩むのだ――たとえ、影の意図がどれほど精緻でも。
「……私の意図は、もっと頑固よ」
誰にも聞こえない声で告げ、セリカは羽ペンを置いた。
小さな掌が、次の地図を開く。王都へ続く、政策の航路。
信頼と駆け引きは、いよいよ王国全土へ――。
18-5 影に潜む意図
ランディ王子と対座した夜――蝋燭の炎がゆらぎ、薄い金の光が寝室の天蓋を撫でるたび、セリカは彼の言葉を反芻していた。
「共に歩む」。
美しい約束。けれど、その響きの奥には、冷ややかな計算がひそんでいる。助言も支援も、たしかに領を救った。だが同時に、絆という名の見えない手綱が、少しずつ彼女の手首へ絡みついてきてはいないか――。
「本当に、信じてよいの……?」
問いは宙にほどけ、眠りは浅く、夜は長い。
---
翌朝、書斎の扉が慌ただしく叩かれた。
入ってきたのは商務の柱、リュシエン侯爵。いつもは温和な男の眉間に、今日は険が刻まれている。
「セリカ様、至急です。隣国ライン商圏が一方的に取引を停止。契約の輸送会社も、同時に中断を通告してきました」
鳥肌が立つほど、手際の良い封鎖。偶然ではない。
「理由は?」
「名目は“安全保障上の懸念”ですが……実質、圧力です。取引先が口を閉ざしました」
先日の盗賊、そして今度は交易線の喉笛。
点と点が、ひとつの網に見え始める。
「……意図的な飢餓作戦、というわけね」
セリカの声は静かだった。四歳の少女の声音とは思えない落ち着きに、侯爵はわずかに息を呑む。
「代替ルートの試算を。内陸回廊、南湾の小規模港、空路(商隊気球)まで、全部。〝費用と時間、失血量〟を先に見ます」
「はっ」
彼が去ると、セリカはペン先を止め、しばし天蓋を見上げた。
――影から差し出される手。掴めば、速い。けれど、掴まれるのは自分かもしれない。
「……今回は、借りるわ。けれど、返し方は私が決める」
彼女は短い書簡をしたため、黒の封蝋で綴じた。宛先は、ランディ・リュミエール。
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返事は、驚くほど早かった。
> 『隣国線は暫時諦め、北方同盟―東海商環に振り替えるべきです。
私の名義で港湾枠と倉庫二棟を押さえてあります。使用をどうぞ。
加えて、ディオール独自の供給源を確保するため、種子・塩・油の三品目は、私の連絡網で即時便を繰り出します。』
列挙される固有名、荷姿、出港時刻。すでに手配済み。
用意の良さが、心強さと同時に、ひやりとした恐れを呼ぶ。
(私が頼む前に、動いていた……)
セリカは深く息を吸い、ひとつ頷いた。
「受けます。ただし――条件を付けましょう」
彼女は追伸に短く書き加える。
> 『借入は三十日限度、延長時は利子を上乗せ。決済は穀券での相殺を許すが、倉庫権益の譲渡は一切行わない――これが私の条件です。』
支援は受ける。けれど、主導権は渡さない。
リボンの結び目を、彼女自身の手で固く締め直す。
---
数週間。
新たな航路は動き、港に白帆が立った。穀袋が積み上がり、油樽が陽に光る。市のざわめきが戻るにつれ、人々の顔色も戻っていった。
「持ちこたえましたな、セリカ様」
「皆が働いてくれたからよ。借りは短く、効果は長く。それが理想だもの」
冗談めかして言いながら、心の底では緊張を解かない。
支援の網は、救命にも拘束にもなる――解く術を持たずに絡まれば、自由は失われる。
その夜、また封書が届く。
黒い封蝋。筆致は整い、静謐。
> 『ここまでの協力に感謝します。
私たちは領の繁栄を越え、王国の設計へと歩みを進める段階に来ました。
次に――政策の場へ、貴女の知恵を。』
「政策……王国の、中枢へ?」
喉奥に、驚きが刺さる。
支援を超え、もう一段階深い場所へ手招く言葉。
思い返せば、彼の布石は最初からそこへ向いていたのだろう。交易線の確保、港湾、倉庫、物流と価格――国家の血流を握る者は、心臓にも触れられる。
(ここで踏み出せば、彼の歩幅で歩くことになる。――だから)
セリカは席を立つと、窓の錠を開け、夜気を吸い込んだ。
遠く、港の角灯が点々と連なっている。あの灯りのひとつひとつに、名前のある生活がある。守るのは彼ら。操られるのは、私ではない。
「……選ぶのは、私」
羽ペンを握り直し、返礼を書く。
> 『御提案、光栄に存じます。
ただし私は、どの議場であれ独立した立場で意見を差し出します。
私の領と民に不利益な妥協はしません。
必要とあらば、貴方と異なる結論を掲げることもあります。
それでも私を招くのなら――喜んで。』
封を押し、鐘の音が三度、遠くで鳴った。
---
翌日。
リュシエン侯爵が密告の写しを携えてくる。
「不審な寄付金の流れが見つかりました。フォルダン侯の縁者から、ライン商圏の運送組合へ。交易停止の直前です」
糸口が光る。盗賊団、封鎖、そして金の流れ。
網の結び目が、またひとつ炙り出される。
「証拠鎖を固めなさい。王都会計院にも回す。――同時に、〝別の扉〟も叩くわ」
セリカは地図をひろげ、指先で第三の航路をなぞった。
王都を通らない、王都が止められない、民のための自律線。
「影の手と並行して、私の手でも道をつくるの。二重化は、支配ではなく自由のために」
幼い頬に、凛とした笑みが灯る。
---
その夜。
いつもの黒封蝋――ランディから、短い返書。
> 『貴女が異なる結論を掲げる可能性――歓迎します。
同意ばかりの会議は鈍る。
ただ、忘れないで。影は光を奪うために在るのではない。
光を際立たせるために在る。
――次の議題は「穀価安定」と「港湾関税の階段制」。王都で会いましょう。』
文字の端に、ごくかすかな遊びがある。
彼の冷静の底に、熱がひそむ。不思議と、怖くはなかった。
「影は、光を際立たせる――ね」
セリカは窓辺に立ち、夜の港を見下ろした。
灯は増え、風は柔らかく、船笛が遠くで鳴る。
支えられるだけの領主では、もういられない。
支え、選び、設計する者として歩むのだ――たとえ、影の意図がどれほど精緻でも。
「……私の意図は、もっと頑固よ」
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